ライブ⑤ 見ていたい人

 軽音学部夏合宿ライブ。

 その大トリのライブが、今始まる。


 自分がステージ上に演奏者として居ること。

 部内屈指のバンドの一員として、最大級の期待を受けて、鍵盤に向かっていること。

 奇跡のような今を、半年前の自分からは想像できただろうか。


「準備おっけ~?」


 巴先輩が小声でそう言った。

 非現実のような光景に、少しかかったもやを晴らしてくれるように。

 頷いて、鍵盤に目をやる。

 カウントに合わせ、渾身の想いを込めて、指に力を入れる。


 一曲目はclub yokoの『It’s a mood』。

 セットリスト内唯一の洋楽ナンバーで、ボーカルの魅力を最大限に引き出せる曲。


 甘く、優しく、煽情的に、視線を独占し誘い込む。

 曲がシンプルなだけに、ボーカルの魅力が一層際立つ。

 まさに歌姫といった、動きも含めたパフォーマンスに、男女問わず熱を上げる。

 

 練習の時からそうだけど、その時以上にハッキリ思う。

 巴先輩は音楽人として一線を画している。

 三年生達が雲上人なのは間違いないけど、この人以上に人心を掌握できる人は他にいない。

 本当に素晴らしいものを見てしまうと声を失ってしまう。

 今まさに、観ている人全員がそれを体験している。


 冒頭から絶大なインパクトであったのは間違いなく、曲が終わって歓声が上がっても、未だに呆気に取られている人もいる。

 もうすっかり巴先輩のためのステージになってしまった。

 一曲目から観客の心を射止めにかかる、そんな目論見はニヤけそうになるほど上手くいった。


 流れを切らさずに二曲目に入る。

 段階を上げるように少しテンポを上げ、始まる曲は多和田たわたえみの『into you』。

 ソウルアレンジが施されたバージョンで、今度はボーカルだけでなく、巴☆すぺくたくるずの大編成をフルに活かせる曲。


 歌が会場を支配しきった次は、バンドの魅力の全てを見せつける。

 心地よいリズムの中で、よどみなくバンド全体の音が重なっていく。


 最初の方の練習では、ただリズムに乗っけて弾くのが精いっぱいだった。

 何も考えなくても弾けるくらいに、手癖にしてしまうくらいに、月無先輩からのアドバイスを受けてから更に練習した。

 夏の初めに教わった思い出もある。

 自分にとっては月無先輩への感謝の一曲……何だ、やっぱり雑念だらけじゃないか。

 でもそれは多分、上手く弾けている原動力なんだろう。


「白井くーん!!」


 二番のサビ終わりに、月無先輩が声を張ってくれる。

 そう、ここからは最初にして最大の山場、自分のピアノソロがある。


 不安はない。

 見せる……いや、魅せる演奏にきっと出来るハズ……やっべ和音ミスった。

 とはいえ、奇跡的にジャジーな感じになってくれたし、バンドメンバーや月無先輩くらいしか気づかないだろう。

 というか……


「おい弟子も最高かよ!」


 めっちゃいい意味で大反響を受けている。

 月無先輩は腕を突き出してグーサインをしてくれたし、バンドメンバーからも「よくやった」とアイコンタクトをもらえた。

 

 元々この曲は後半にやる予定で、いわばという位置づけだった。

 曲順を改めて決める時に、巴先輩が「最初から見せつけちゃおう」と言って二曲目にやることが決まった。

 セットリスト内で一番最初のソロを一年生にとらせるなんて、ライブの趨勢を占う賭けのようでもある。

 通過儀礼のようにも思ったけど、今思えば、ただ信用してくれただけなんだろう。

 自分がこのバンドに相応しいかなんて、多分、自分しか考えてなかった。


 本当に嬉しい。

 信じてくれた人たちに応えられたこと。

 今ここで、多くの人達に認めてもらえたこと。

 そして、自分自身を信じられるようになったこと。

 全力を引き出せて、それが出来たことが、本当に嬉しかった。

 月無先輩に話したいことが、また増えてしまった。


「い~感じに盛り上がってるね~!」


 でもまだまだライブは続いていく。

 無意味に気張る必要はもうなくても、まだ半分も終わっていない。

 ここで一旦軽めにMCを入れる予定だが、沸きあがる観衆の余韻は、いつまで経っても収まりそうになかった。

 無論ほとんどが巴先輩に心酔した声ではあったが、


「誰だよアイツのことおこぼれとか言ったの!」

「俺だよ! ほんとゴメン!」


 ソロを弾き切った自分に対する声も聞こえ……ってか飛井先輩。


「あはは、白井君ほら、謝ってるよ~」

「……許します! ってかめっちゃ嬉しいです!」


 巴先輩が拾ってくれて、笑いの溢れたいい雰囲気になる。

 そして再び注目を集め、MCが始まる。


「ふふ、じゃぁ改めまして……巴☆すぺくたくるずで~す」


 バンド名が告げられただけなのに、尋常じゃない程の歓声が起きる。


「あ、奏に言わせればよかった」

「やめて」


 先程のシンギュラリティの公開恥辱MCがフラッシュバックし、再び笑いにつつまれる。


「奏人気者だね~。でもわかるよ~、本当に可愛かったもんね~」

「カナちゃーん!!」

「好きだー!!」


 ……カナちゃんガチ恋勢が爆誕してんな。

 そんなイジりで冬川先輩の羞恥度がマックスになりかけたところで、


「あはは、惚れっぽいなぁみんな~」


 次の曲への布石を投じる。


「じゃぁそんな君たちに次の曲」


 そう言って再び注目を集めて、差し伸べるように巴先輩が手を出す。

 私を見てと言うような所作に、一同釘付けになった。

 仕込みはこれで完了、とバンドメンバー全員が視線を交差させる。

 そして……


「……熱っぽいの……あなたに~」


 ……歓声やっば。

 三曲目の『ほれっ・ぽい』、その始まりを告げるセリフで、尋常ではない興奮に包まれる。

 耳を溶かされるかのような甘美な響き、本当にと思わせるほどに熱のこもったあでやかさに、男子も女子も堕ちきった。


 さっきは一瞬だけヒーローにしてもらえたが、やはりここは巴先輩のステージだ。

 周りがどれだけ素晴らしい演奏をしようが、容易くそれを凌駕してしまう。


 ノリの良いロックナンバーということもあって、熱気はすっかり膨張しきった。

 ギターソロの裏のピアノバッキングは、その高揚が宿って練習以上の勢いがついた。

 大サビ冒頭のキメも、曲と一体となってバッチリ決まる。

 ZENZAの時と同じか、それ以上にヒートアップする感覚に、再びライブの醍醐味を肌で感じる。


 正直言って、癖になる。

 観ている側としての喜びはここまで散々味わいつくしたけど、演奏する側のそれはまた格別だ。

 

 次の『シドと白昼夢』では、巴先輩の実力が更に如何なく発揮される。

 歌詞と歌に入り込んだ姿に、呼吸を忘れる程に見入ってしまう。

 得も言われぬ抑揚と熱の灯った声色に、鳥肌が立つ。

 「あなた」という歌詞が向けられるたび、深く心酔していく。

 楽器隊のソロパートが始まっても、視線の切り替えが遅れてしまう。

 それは最早支配と言っても差し支えないものだった。


 曲の終わりの大歓声は、長時間のライブの疲労など全く感じさせない、過去最大級のもの。

 正直言って、同じステージに立つ自分も驚いている。

 練習で見ていたからとわかった気になっていた。

 それほどまでに、今日の巴先輩のパフォーマンスは素晴らしい。

 見事というよりも、もっと情熱的で全てを懸けるような、魅入られざるを得ないような迫力があった。


「ふふー、どう? 最高でしょ~うちのバンド~」

「最高すぎる!!」

「巴さん好きだー!!」


 ……巴さんガチ恋勢も爆誕してるよ。

 まぁこれだけ情感あふれる歌い方を見せつけられてしまってはとは思うが。


「あはは、告られちゃった~。でもゴメン、無理」


 ……すげぇ無碍。

 まぁ次はラスト前のMCだし、笑いも起きて丁度いいだろう。


「ま~でも、ここまで気持ちよく歌わせてもらえるのは、メンバーのおかげ! ということで~……メンバー紹介、行ってみよ~」


 次でセットリストは〆となるので、ここでメンバー紹介だ。

 ……今更だけど、MCってこういうもんだよな普通。


「まずは一年生! 入部当初はバンド初心者! そして今日は見事なピアノソロを披露してくれた~……白井健!」


 自分の名前が告げられると、歓声が一身に注がれる。

 しっかりこのバンドの一員であると歓迎してくれるようで、感情が溢れそうになる。

 ……が、


「ほらほら~。照れてないでなんか言えよ~」


 真っ白になるとはまさにこのことである。

 嬉しい反面照れが勝って、何も言えない。

 何か一言言ってもらうから考えといてとは言われていたが……。


「つまんねぇぞー!」

「何か面白いこと言えー!!」


 ……一年ズどもめ。

 まぁいい、誰もツッコまないなら……敢えてこちらから。


「……MCって笑い取る場じゃないですよね?」


 そう言ってみると、会場が一気に静まり返る。


「……君天才?」


 巴先輩がそう返してくれて、一気に爆笑に包まれる。


「俺たちは何をしていたんだ……」 

「一年にしてそこに気付くか……」

「……私の存在意義」


 そして目を醒ました人たちのボケが重なる。

 自身の価値を巡って精神が崩壊しかけたアホが一人いたけど、聞かなかったことにしておこう。

 結果的にめっちゃウケてくれてよかった……。


 一人ずつメンバー紹介が過ぎていく。

 それぞれに大きな声援と暖かい言葉が向けられ、心地よい笑いが起きる。


「そして私の隣! 嫁の奏で~す! はい、一言」

「……今日はもう喋らないわよ」


 トラウマになってんじゃん。


「ふふ、ノリが悪いなぁ~。どうせ後でまたイジり倒されるのに~」

「はぁ……」

「で、最後は私! 一応バンマスの巴さんで~す。いぇ~い」


 観客にダブルピースを送ると、一番の大きな拍手と声援が起こった。

 間違いなく今一番の主役であり、最も羨望を集めた人だ。


「イェ――ィ!!」

「デケェーーー!!!」


 男子勢からのしょうもない声援もすごいことになってるが、今日の巴先輩はきっと今までのライブでも一番魅力的だったんだろう。

 無礼講のようになってしまうのも仕方が……


「メガネ取ってー!」


 不届き者がぁ……。

 確かに新歓やグラフェスではノーフレーム巴先輩だったし、それに憧れる気持ちがあるのは百歩譲って理解してやるが。


「うん? メガネ? ふふ、絶対外さない」


 今落胆したヤツ顔覚えたからな。


「だってさ~、一応裸眼でも大丈夫だけど~……」


 先輩だろうが同輩だろうが不届きな発言はこの白井が……


「今日は……ちゃんと見ていたいものが沢山あるからね」


 ……え。


 あまりにも自然な流れと、ドキッとしてしまうような言い方に、一瞬の間が生じた。

 自分の立ち位置ではどんな表情かまでは見えないが……これは……ヤバい。

 そしてすぐに、声となって爆発した。

 「君のことだよ」とでも言うように向けたその言葉に、観衆(主に男子)のテンションが爆上がりした。

 

「と・も・え!! と・も・え!!」


 ……巴コール起きちゃったな?

 まぁあれだけ情熱的な歌い方を見せつけられ、感情を煽られきったところにこのトドメの一言だ。

 ファンになっても仕方ないな、うん。


 凄まじい熱気に、呆れ半分に巴先輩の方を見ると、巴先輩も聴衆を指さして「バカだね~」なんて言いながら、自分にも無邪気な笑顔を向けてくれた。

 皆に向けた表情がどんなものかも気になったけど、楽しそうに笑う巴先輩の表情は、きっとそれ以上に素晴らしいものだと思えた。

 

「じゃぁ皆! お楽しみライブもこの後あるけど~、一旦ここで出し切っちゃおう!」


 巴☆すぺくたくるずが送る最後の曲。

 代表バンドでやるような選曲からは少し離れた、ある種俗っぽさもある曲。

 巴先輩が歌いたいと、自ら選曲した曲だ。


「サビはしっかり合わせてね~。『Timing』!」


 寸分たがわず全楽器の音がはじけると、喧騒がそれに呼応して大きくなる。

 過熱しきった会場にぴったりな、キャッチーさ100%の、ブラックビスケッツの『Timing』。

 元はTV番組の企画バンドの曲らしいけど、巴先輩が元々好きな曲で、最近TikT〇kなんかで再び流行っていたらしい。

 元々自分でも知っていたくらい有名な曲で、


「カナちゃーん!!!」

「なんでー!!!」


 Aメロの合いの手を冬川先輩が入れればガチ恋勢は発狂し、サビのキメは皆でタイミングを合わせて大斉唱。

 もう歌も演奏もちゃんと聴けてないんじゃないかって思うけど、ラストに相応しい盛り上がりだ。


「氷上声出てねぇぞー!!」

「土橋さーん!!」


 二番の男性パートは三年男子勢に任せたりと、それぞれをフィーチャーする演出も大ウケで、巴先輩に歌が戻ると待ってましたと再び熱狂する。

 声を合わせて、手振りを合わせて、心を合わせて、ここで出し切るとばかりに全員が楽しむ。

 

 ライバルのような草野先輩に、考え方が違ったという八代先輩、あまり関わったことがない人だっているだろうし、巴先輩のことが好きじゃない人もいるかもしれない。

 それでも、今この瞬間は誰もが巴先輩から目を離せないでいる。

 裏表なく、心の底から楽しんでいる。


 そして巴先輩自身、このライブを一番謳歌している。

 代表バンドで見た姿とはまるで違う、ただ歌が大好きな少女のような姿。

 純粋無垢なその笑顔は、巴先輩が巴先輩として清々しく歌えている証だった。


 巴先輩に釣られて自分まで……いや、この喜びはただの本心か。

 自分はコーラスに参加しない予定だったけど、大サビでは気づいたら声を張っていた。

 やっちゃったかもなんて思ったけど、そうせざるを得ないくらいに高揚していた。

 どうせ誰にも聞こえちゃいないと開き直った。

 月無先輩が構えたカメラも巴先輩に向いているし、このライブの主役は誰が何をしようと巴先輩だ。

 

「まだまだも~っと歌ってたいけど、今日は本当にこれでお終い!」


 アウトロは巴先輩自らが大団円の指揮を執る。


「このライブが終わっても! 軽音学部! 最後まで精一杯楽しもうね~!」


 後輩達のまだまだ続いていく煌びやかな部活動生活を。

 三年生達の残り少ないかけがえのない時間を。

 私こそが手本だと示すようにして、祝福した。


「ありがとう、皆」


 こんな体験があっていいのだろうか。

 もしかしたら味を占めてしまうかもしれない。

 いつまでだって思い出に耽ってしまうかもしれない。

 そんな巴☆すぺくたくるずのライブ、そして軽音学部夏合宿ライブの終わり。

 そこには巴先輩の言った「ちゃんと見ていたいもの」が無限に広がっていた。


 ――


 ライブの後片付けが終わった。

 お楽しみライブは二時間後から始まるので、休息をとるために多くの人が部屋に戻った。

 会場内には未だ夢見心地のように、最高の体験を語り合う人も多く、三女の方々や後輩たちが囲いを作っていた。


 一刻も早く月無先輩と色んなことを話したい……が、無論そんなところに割って入ることなどできないので、一旦会場を離れることにした。

 中々話す時間が取れないけど、それは月無先輩が部の中心でスターであることの証左だろう。

 

 やり切った後に残る高揚感と、心地の良い疲労感、未だに熱が籠る身体。

 ライブ後のそれを感じながら、一年部屋の方へゆっくり歩いていると、後ろから急ぎ足の音が聞こえた。


「白井君!」

「え、どうしたんです?」

 

 月無先輩が膝に手を付き、肩で息をしながら、自分を呼び止めた。


「一分後にロビー集合!」

 

 そう言って、ニコッと笑って、二年女子部屋に駆けこんでいった。

 一刻も早く、そんな気持ちは二人とも同じだった。


 すぐに引き返して、ロビーに向かう。

 集合なんて言っておきながら、月無先輩もすぐにまた後ろから追い付いてきた。


「あ、お風呂行くんですね」

「うん。皆でお風呂反省会。いいでしょ」

「反応に困る」


 皆の準備が終わるまでの少しの時間でも、一緒に話が出来たらと思ってくれたんだろう。

 

「まずはひとまず、合宿ライブ、お疲れ様!」

「ハハ、お疲れ様です。本当に最高でした」

「フフ、最高なんかじゃ足りないくらいだったね!」


 これ以上ない夢の時間。

 誰もがそう感じただろうけど、


「俺とめぐるさん程楽しんだ人そうはいないでしょうね」

「うん。思い出したらちょっと涙出そうなくらいだった」


 そんな想いを口にしながら、二人でホテルロビーのソファーに腰を掛ける。


「なんかもう話したい事ありすぎてどれから話せばいいか」

「フフ、そんな表情してた!」

「……してました?」

「うん。ソロ終わった時とか、嬉しくて話したくて仕方ないって顔してた!」


 ……してたんだろうなぁ。


「見て見て! って言ってる子供みたいだった」

「……そこまでですか」

「フフ、あれほど師匠心をくすぐった瞬間はないね!」


 あの時は特に舞い上がって、夢中だった。


「あんなに上手く行くと思わなくて……ちょっとミスりましたけど」

「フフ、逆にジャズっぽくなってたね! 本当にカッコよかったよ」

「あ……ありがとうございます」


 思い出すとちょっと恥ずかしいくらいに、成功体験にはしゃいでいた。

 ……いや今もか。


「100点満点! ……じゃ足りないね! 128点満点あげちゃう!」

「10進法じゃないとよくわかんなくなる」


 褒めて欲しいなんて思ってしまっている自分がいる。

 でも、それは自分だけじゃないと思う。


「めぐるさんもでしたよ? 子供みたいに喜んでました」

「……やっぱ?」

「夢が叶ったって笑顔してました」

「フフ、だって叶ったんだもん!」


 自分はこれ以上ない成功と成長の実感を、月無先輩は長年の夢と想いの実現を。

 二人がこのライブで得たものの大きさは、お互いが一番わかったと思う。


「256点満点あげちゃいます」

「アハハ、バグって0点になっちゃうよそれ」


 軽音生活の中で、それが最も大きな通過点であったことは間違いない。


「でも巴☆すぺくたくるず本当に良かったな~」

「いやシンギュラリティこそマジで……児相もあんな幸せな時間他にないくらいでしたし」

「それを言うならZENZAだって! 一番仕事したのは絶対あのバンドだったよ!」


 掛け値のない言葉で、お互いのバンドを労い合う。

 褒めちぎりの応酬が続き、だんだんとヒートアップしていく。


「師匠のあたしが言うんだから間違いないね」

「前半戦の完璧な締めは児相でしたし、実力は圧倒的にシンギュラリティでしたよ」

「い~や、実力どうこうじゃない良さは白井君の方が上だったね!」

「いやいや何を。俺が演奏者としての実力だけでめぐるさんのこと良いだなんて思ってるわけ……」


 ……なにこれ。

 

「……。プッ。ハハ、何でお互い意地になってるんでしょうね」

「アハハ、ほんとにね。変だね私達」


 互いを想って、結局互いのことばっかり褒めている。

 自分の喜びと相手の喜びなんて、いつのまにか区別がつかなくなってしまっている。


「でもこれだけは絶対譲れないっていうのが一つあるんだ」

「ほう……何でしょう」


 それは多分、月無先輩にしかわからない喜びで、独り占めしたくなるようなもの。

 そんな気持ちが表情に浮かんでいた。


「し、白井君のライブを観客側として見れることかな! あたしだけの特権」

 

 ……直視できん。

 というかズルすぎるって。


「ハハ……なんというか……先に言われたというかズルいというか……そんなの俺だって同じです」


 軽音生活でそれに勝る幸せなんて、そう他にはない。

 ずっと見ていたい人を見る。

 気持ちは全く同じでも、体験としては共有できない、二人にとってかけがえのないもの。


「そ、そうだよね! 変なこと言っちゃった」

「そ、そうですよ。当たり前のことですって」


 隣に座っているのに互いに顔を逸らして、緩む頬に力を入れて、結局二人とも耐えられなくなって笑ってしまう。

 傍から見たら何やってんだコイツらだが……自分と月無先輩はずっとこんなやりとりをしていくんだろうなぁと思った。

 心安らぐ、少しおかしな二人の普通。


「あ、あた、あたしのこと好きすぎ~」

「キョドりすぎでしょ……ま、まぁその通りなんですけど」


 ……この人に悪女の才能は皆無だな。


「じゃ、じゃぁお互い様だ!」

「おたが……顔真っ赤ですよ」

「……お互い様だす」


 照れすぎて口調がバグってんな。


「あ、あとアレだね、巴☆すぺくたくるずのライブ見られるのもあたしの特権ってね!」

「逃げましたね……」

「……逃げました。ふふー、でも巴さんバンド一個しかないから白井君には出来ないし! いいだろー」

「……実際かなり羨ましい」


 特に今日の巴先輩は観客側として見てみたい気持ちもある。

 学校戻ったら絶対録画見よ。


「巴コール起きるくらいでしたからねぇ」

「あれは起こらざるを得ない。というかあたしもコールしてたし」


 『Timing』の前のMCで見せたその表情……気になる。

 その数秒後に自分にも無邪気な笑顔を見せてくれたけど、部員全員を熱狂させたものもやはり気になったりする。

 すると、月無先輩がスマホの画面をサッと差し出してきた。


「ほらこれ」

「……あらとっても素敵なお顔」

「ほんと一瞬だったからよく逃さず撮れたって褒めて」

「偉い。偉すぎる」


 ライブ中のサービスだとは全く感じさせないような、喜びと慈愛に満ちた表情。

 ……こんなん向けられちゃったらそりゃぁコールも起きるわ。


「これ最後の最後だけどね。白井君がコーラス歌ってた時」

「あ~、元々俺歌う予定なかったんですけどテンション上がって仕出かしちゃったんですよね」

「あ、やっぱそうだったんだ?」

「あ、気づいてたんですね。聞こえてないと思って開き直ってたのに」

「アハハ、気づくに決まってるよ~。白井君のことだもん」


 ……照れる。


「というか白井君の方こそ、何でこの写真見て気づかないの。これ、白井君の方見てるのに」

「……え」


 写真の中の巴先輩が、笑顔を向けるその先……そこに自分がいる。

 たまたま向いた先だった……なハズはないか。


「あたしはこれ、白井君が仕出かしちゃったのが嬉しかったんだと睨んでおります」

「……? ちょっと意味がわからない。マジで」

「フフ、可愛い後輩が本気で楽しくなってやっちゃったんなら、誰だって嬉しくなるよ」

「あ……そういうもんなんですかね」

「そういうもんなんです! フフ、絶対そうだって!」


 表情からは確かにそう窺えるかもしれない。

 自分も後輩を持ったら、同じ気持ちになる時がくるのかもしれない。


「それに思った。あたしと組んでたら、これ見れなかったんだろうなって」


 言葉の意味はすぐにわかった。

 今日の巴先輩は、月無先輩でも初めて見るんだろう。


「なんか大袈裟かもですけど……前までのライブでメガネしてなかったのって」

「演じてたとかなのかもね」

「そうですそう。よくすぐにわかりましたね」

「同じこと思ったもん」


 軽音学部の歌姫としての姿、トップであるという責務を果たすための姿。

 そして、今日の巴先輩はそれではなく、紛れもない巴先輩自身だった。


「アハハ、でも深読みしすぎかもね」

「俺らが勝手に想像膨らませてただけだったり」


 自分と月無先輩のやりとりを見るのが好きだなんて言ってくれていたし、手のひらの上で踊っているのを楽しんでいるだけなのかもしれない。


「でも今日の巴さん見てたら、わからなくてもいっかって思っちゃった」

「ハハ、そうですね。なんか俺も後輩冥利に尽きます」

「こっちの方が好きだなって!」


 夏バンドの一番最初に、巴先輩が言っていたこと。


 ――最後のバンドはただ楽しくやりたいんだ。


 もしかしたら、実力や立場が上な人ほど、叶えづらい願いなのかもしれない。

 でもきっとそれは今日成就した。

 

「フフ、本当にいいバンドだな~って思った」

「ハハ、最高のバンドだって胸を張って言えます」


 心の底から、ただ楽しく歌えるだけの場所。

 どこにでもありそうで、中々見つからない場所。

 巴☆すぺくたくるずは巴先輩にとってそんなバンドなんだろう。

 自分は巴先輩のライブを全て見たわけじゃないけど、今日が最高のパフォーマンスだったと不思議と確信が持てた。


「だから白井君、あたしの代わりに、引き続き巴さんを幸せにしてあげるんだよ!」

「……いや言い方」


 ……冗談のつもりなのかマジで言ってるのかわからんから結構困る。

 でも、巴先輩が最後のバンドに込めた想いは、とっくに自分にも共通の想いにもなっている。

 終わってしまうことなんて考えたくもないけど、終わってしまうその時までずっと、夢のような時間が続くんだろう。

 そして、


「見てる側も幸せにできるように頑張ります。特権、存分に楽しんでください」

「フフ……幸せにしてね!」


 誰よりも楽しみにしてくれている人にも、応え続けられればいいと思った。







 隠しトラック 

 ――見ていたい二人 ~巴・冬川 ホテルロビーにて~


「さ~お風呂お風呂~。お風呂で反省会~」

「フフ、ご機嫌だね、とも

「ま~ね~。でも私だけじゃないでしょ~」

「……そうね。私も。今までで一番楽しかった」

「ふふ、でもその分反省会も真面目にやるぞ~」

「……反省するとこあった?」

「和音間違えたりリズムたまに外れたり~」

「フフ、誰の事言ってるのかしらね」

「コーラスやんないとこまで歌っちゃったり~」

「本当は嬉しかったくせに」

「ふふ。……あ、でもガチでお説教してみたらどうなるかな」

「……ガチで凹むんじゃない?」


「……お、あの後ろ姿は」

「めぐる、白井君が出てったらすぐ追いかけて行ったもんね」

「可愛すぎるよねあの二人~」

「……ともが言ってること最近私もわかってきた」

「……こっそり見ちゃう?」

「だから悪趣味よそれ……」

「でも~本当は~?」

「……見ちゃう」

「ま~本当に盗み聞きするのもアレだし、聞いちゃいけなそうだったらすぐやめよ~。バレてもいい位置で~……」

「え?」

「……奏位置取り完璧だね」

「何か恥ずかしくなるからやめて」

「……あ、凹凸少ないから隠れやすい」

「やめなさい」

「はい」


「どんな話してるのかな~」

「フフ、あたしの代わりに巴さんを幸せにするんだよだって」

「あはは、何言ってんのあの子~」

「先輩思いじゃない」

「いい子すぎるよね~」

「フフ……ねぇ今の聞いた?」

「幸せにしてね!」

「フフ、もうなんか色々振り切っちゃってるね」

「……あ、恥ずかしさこみ上げてきてる」

「そろそろ限界なんじゃない?」

「ふふ、突撃しよ~か~」


「わっ」

「うひゃあ! と、巴さん?」

「ごめんちょっとだけ聞いちゃった~」

「え!? ……ど、どこからです?」

「幸せにしてね!」

「やめなさいって……」

「あはは……ね、ねぇ白井君? ……顔塞いじゃってるよ」

「……俺はあまりに無力です」

「ふふ、慣れないことするから~」

「どうかご勘弁を……」

「あはは、ごめんごめん」

「フフ、でもちょっと男らしくなったかもしれないわね」

「……もっと耐性上げます」

「そ、そう、これからもっとだもんね! さっきのはまだまだアレで、そう……予行練習! 予行練習です!」

「えっ?」

「えっ?」

「……何の~?」

「……」

「すいません、この子ちょっとアレなんでこれ以上は勘弁してあげてください」





 

 巴バンドセットリスト補足。

 二曲目の『into you』は『SINGS』というアルバムに入っているバージョンを想定しています。

 本当に申し訳ないのが……youtubeでは聴けないver.です。

 どっかの販売サイトでサビだけは聴けたハズ……!


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