ライブ④ 芸術的特異点

 照明の落とされたステージ。

 そこに佇む五人のメンバーは、どれほどの期待を背負っているだろうか。

 間違いなく実力トップのバンドの一つ、シンギュラリティ。

 ステージ左右に月無先輩と氷上先輩、後ろに部長と土橋先輩のリズム隊、センターには冬川先輩。


 軽音学部でも屈指の実力者達を前に、物音ひとつ立てることすら許されないような静寂が訪れる。

 もうライブは始まっている。

 そう思う程に聴衆の面持ちは重なっていた。


 ドラムに座す影が動き……全楽器が完璧な統制で一挙に音を上げた。

 それを赦しとして聴衆が声を上げると、応えるようにステージ上から音が紡ぎ出される。


 一曲目は洋フュージョンの大御所、シャカタクの『invitations』。

 原曲とは全く違う楽器編成でも、見事なアレンジで原曲とは違う良さが生まれている。

 際立ったピアノは、うっとりするほど美しく響き、出だしから月無先輩の独壇場になった。

 弾くだけならそこまで難しくないフレーズでも、音作りの良さや弾く姿のカッコよさで別次元に昇華してしまう。

 技巧だけが実力ではないと思い知らされるようだ。


 メインフレーズが過ぎると、冬川先輩がトランペットでボーカル部分を高雅こうがに歌い上げる。

 フュージョンはよくBGMぽいと言われるジャンルだけど、この五人が演奏するそれがBGMに収まらないのは明白だった。

 聞こえてくる音楽ではなく、音楽……それでいて押しつけがましさは全く感じない。

 BGMとしてのらしさを全うしつつも、驚きと感銘は留まることをしらなかった。


 ピアノソロの音は軽やかに会場を巡り、そして最後は女性陣二人によるコーラスというサプライズも待っていた。

 曲名の通り、一曲目はシンギュラリティからの招待状。

 ここから始まる祭典を美しく彩って、会場の心を独占した。


 続く曲はCASIOPEAの『Mid-manhattan』。

 ギター、鍵盤、トランペットの上音うわおと三人がメロディを淀みなく回し、 スラップベースと16ビートの軽快なドラムがそれを支える。

 煌びやかでありつつも耳馴染のよい、これぞジャパニーズフュージョンといった聴きごたえに、すぐに呑まれて酔いしれた。


 目まぐるしく移行するそれぞれの見せ場に、五感のほとんどをさらわれる。

 どこをとっても見所で、全て味わうには身体が一つでは足りない。

 音色、フレーズ、リズム、全てが噛み合い流れ込んでくる。

 その心地よさは前例のない体験だった。

 ただ難しいことをしているだけでは、こんな感覚は味わえなかっただろう。

 

「わー奏~!」


 ソロが始まると、一気にテンションが加速した。

 上音の三人だけでなく、リズムセクションもここにきて前に出る。

 個人の技術の粋を見せつけられ、言葉にならない声がそこかしこから漏れ出た。

 全員が全員、自分こそが主役だといわんばかりにソロを奏で、それぞれに声援が飛び交う。


「ほら白井君、次めぐるだよめぐる~!」

「待ってました!」


 そのクールな弾きっぷりは息をのむほどで、ひりだすように声を送った。

 鍵盤上を優雅に舞い、その眼差しに吸い込まれて釘付けになる。

 入学したての頃に見た憧れの姿、その時よりも近くでその姿を見られる。

 きっと自分以上に喜びを感じている人はそうはいないだろう。

 

「いやぁ最高過ぎる!」

「ヒビキさんカッコいい……!」

「あれ、小寺先輩いつの間に」

「……間近で見なきゃ損」


 いつの間にか最前列に来ていた小寺先輩も、普段の無口な様子からは想像できない程に目を輝かせていた。

 小寺先輩だけでなく、各楽器の後輩達は羨望の眼差しを送り、皆一瞬たりとも見逃すまいと前へ繰り出してきていた。


 出だしの二曲は「カッコいいに決まってる」の連続。

 邦フュージョンと洋フュージョンの神髄をそこに見た。

 会場を覆う熱気も、ボーカル曲メインのバンドとは違うもので、感服して心酔し、虜になった人の声がそこかしこから聞こえてくる。


「こりゃズルいわ! やっちゃいけないことだろこれ!」


 細野先輩の叫びはその代弁で、反則ともいえる程完成されていた。

 曲間は誰かがウケを取りに行く風潮があるが、まさかバンド自体をライバル視している細野先輩が自ら行くとは。


「ハッハ、楽しんでもらえてるよう何よりなんだぜ」


 MCを挟むようで、部長が観客一同にそう投げかける。

 

「まぁしかし細野の言う通りだな……俺らから皆に言わなきゃいけないことがある」


 何故か神妙な面持ちに変わり、ステージ上の全員が背筋を伸ばす。


「本当に申し訳ありません! ただでさえ最強のメンバーが集まっているのにこんなカッコいい演奏までしてしまって」


 胡散臭い中国産ソシャゲの広告CMみたいなん始まった……。


「お詫びの印として最ッ高のライブ体験ができるよう、なんと無料であと四曲! ユーザーの皆様にお届けします!」


 深々と頭を下げると、観客ユーザー陣もちゃんとノリに合わせて喜びの声を上げる。

 何だかんだで笑いを取りに行ってしまう部長に、寛容な笑いが起きてはいるが……


「なんか今日のヒビキキレ悪いね」

「ね~土下座くらいしたらまだ面白かったね~」


 ……八代先輩と巴先輩には不評な様子。

 そんな塩対応を受けた部長はベースを降ろし……本当に土下座した。

 どこまでも体を張る姿勢は尊敬するが、これが自分たちの長の姿とは思いたくない。


「あなた今ライブ中なのわかってる?」

「……はい」


 隣で土下座をする部長に、冬川先輩が軽蔑の眼差しを送る。

 笑いにも命を懸ける気持ちが逸った結果の大事故。

 部長の土下座があまりにも綺麗だったせいか、一同笑いを堪えつつも何も言わないという生き地獄である。


「すまんが勢いでこうなったはいいが……こっからどうしたら俺は面白くなれる?」


 地面に向かって泣き言を漏らす始末である。


「あ」


 月無先輩が何か思いついたような声を上げ、シンセのパネルをぽちぽち。

 鍵盤に手を置いて……おや!? ヒビキの様子が。


「ブフッ」


 冬川先輩が真っ先に吹き出し……というかズルいわこんなん。曲だけで笑うわ。


「立つなよ! ヒビキ立つなよ!」


 ポケモンの進化時に流れる曲に、ネタがわかった人から声があがる。

 立つな……小刻みにブルブル震えてる。

 進化を邪魔せぬよう全力で笑いを押し殺し、その行く末を見守る。

 

「立っ……あ~……おめでとう!」


 ……踵を揃えて背筋を伸ばし、不敵な笑みを浮かべて高めに腕を組む。

 それはもう見事なベガ立ちであった。

 無駄に完成された佇まいに……というか曲だけで笑わざるを得なかった。

 月無先輩マジファインプレー。


「……お前MC勘違いしてないか?」

「ッス。すいませんでした」


 結局土橋先輩のガチ釘刺しが一番の笑いをかっさらっていった。

 もうライブも最終盤だというのに、ここにきて大切なことに気付かされた。


「まー皆さん! ヒビキさんのことは煮るなり焼くなり後で好きにしていただいてー、次の曲! 行っちゃいます!」


 月無先輩がそう取り直し、再び演奏の始まりに期待を寄せる。


「煮豚とか焼豚とか好き勝手言いやがっておめぇら……だがこっからはオタクタイムだ! 全力でアゲてくぞ!!」


 部長のときの声に聴衆が呼応すると、それをまた掻き消すかのように部長のベースのフレーズから曲が始まった。

 バッキバキのスラップベースに、歓声が噴火する。


「ロックマンだ!!!」


 自分も思わず声を上げてしまったのは、ロックマンZX(ゼクス)の『High press energy』。

 打って変わってのロックチューンとなったが、皆たちまち曲に煽られる。

 待ちに待ったゲーム音楽タイムに、自分も我を忘れるようにテンションが上がってしまう。

 

 月無先輩曰く、ZXは知名度が無さ過ぎて、曲の完成度はシリーズ随一なのに全く知られていないとのこと。

 色々ゲームを借りているが、ZXは是非やってと言っていた。

 今思えば、その時にはこの曲やるのが決まっていたんだろう。


 ライブの反響を見るに、知名度なんか関係なしに盛り上がっている。

 曲の良さも、演奏の凄さも、全てが相まってこの熱狂を生み出している。

 ゲームもサントラも二重に楽しんだ自分は今一番楽しんでいるし、ちょっとした優越感も感じるくらいだ。

 

 ベースが映え、リードトランペットが映え、見所の尽きないステージ上では、


「あはは! 見て見て白井君、超いい顔してるー! 写真は任せてー!」

「お願いしまァす!!」


 月無先輩の笑顔がいつになく映えていた。

 グラフェスの時とは違い、今回は本当のゲーム音楽で大勢を沸かす。

 これは月無先輩にとっても初めてのことで、本望で、夢だったこと。

 どうしてもニヤけてしまうだろうし、笑顔以外の表情の作り方を忘れてしまうだろう。


 目が合うと、満面の笑みを向けてくれた。

 自分にそれを向けたのはバレバレで、煽るように周辺から歓声があがったけど、そんなもの今の月無先輩には関係なかった。

 もう誰にも遠慮なんかせず、ゲーム音楽愛を貫くだけと、無敵の笑顔を見せつけた。


「なんかそこ盛り上がってんなぁ! でも次はヒカミンのソロだ! ちゃんと見てやれよ!!」


 最早お祭り騒ぎといった様相だ。

 曲自体が火山地帯の曲ということも相まって、そのアツさにアテられて好き放題に騒ぎ立てる。

 誤魔化しのきかないインストというジャンル、ワンミス即死の世界。

 それでも、日和ひよって勢いを殺すことなどない。

 加速する勢いの中で、シンギュラリティのメンバーはその実力を見せつけた。


 アウトロには次を期待する目が再び集まり、それを集約するように冬川先輩が右手を挙げる。

 何が起こるのかと思った矢先、パァンと音がはじけた。


「奏カッコ良すぎーー!!」


 男子も女子も大歓喜な指パッチンの演出で、流れるように次の曲に向かう。

 これもロックマンで、結構ハマった曲なのにタイトルが思い出せな……


『We’re the Robots』


 ……え、何今のカッコ良いの。やば。

 土橋先輩が一瞬の空白ブレイクに、超クールな声でタイトルコールを入れる。

 軽音カッコいい人2トップのパフォーマンスに、呆気に取られてしまう。


 テクニカルなメロディラインに、超絶技巧のギターのオブリガードが入り、再び聴かせる音楽が始まる。

 熱気は少し収まっても、パフォーマンスの余韻と演奏技術の高さに背筋がゾクゾクする。

 間断なく続くフレーズと緩急に体は動かされても、言葉は出ない。

 計算通りに支配されたかのような感覚に、音楽人としての次元の違いを思い知らされる。 


 これこそが至高の音楽であると思わせる圧倒的な演奏で、聴く人全ての思考を飲み込んだ。

 上手いだけならこうはならない。

 目を引くパフォーマンスだけでもこうはならない。

 ウケのいい曲を選んだとしてもこうはならない。


 誰よりも注目を集めたのはやはり月無先輩だった。

 ゲーム音楽らしい音色で、本物のゲーム音楽を奏でる姿は、まるでソロライブかのように目線を釘付けにした。

 他の誰にも絶対にできない、完璧なクオリティ。

 それは月無先輩のゲーム音楽愛の集大成であり、確かに全員に伝わっていた。


 曲の終わりに、誰かが声を漏らした。


「すげぇ……」


 同調する声と、万雷へと変わる拍手は、会場全員の心からの感想だった。

 

「なんだぁ? 圧倒されたかてめぇら」

 

 部長がそう言うと、それに応じてまた声が上がる。

 「何だ今の」とか「引くほどカッコよかった」とか「もうチートだろ」とか。

 

「ハッハッハ、最高の反応じゃねぇか! よかったな!」


 部長は全員に向かってそう言ったが、これは月無先輩に向けた言葉だろう。

 拍手や声援の中にも、月無先輩個人に向けたものは多かった。

 それは、居並ぶ五人の最強メンバーの中で、燦然と輝いた証だった。

 愛するゲーム音楽で、これほどの反響を受けて、月無先輩は少し涙ぐみそうになっていた。


 自身のことが認めてもらえるようにも思えたんだと思う。

 それは自分にとっても本当に嬉しい瞬間で、自然と目が合ってその気持ちを共有した。


 他の人に聞こえない程度に、鍵盤からこちらに身を乗り出して「後でね」と言ってくれた。

 話したいことがどれだけあるだろうか。

 たったの一言に詰められた想いの丈は、計り知れるものじゃない。

 シンギュラリティのライブを最後まで楽しんで、自分も巴☆すぺくたくるずのライブをやり切って、二人で想いを語り合おう。


「よし、最後のMCは冬川にやってもらうか。センターだし」

「……え? 聞いてない」

「言ってねぇからな」 

 

 残り二曲を前にまさかの無茶ぶりである。

 助けを求めるように他のバンドメンバーをキョロキョロと見まわすも無反応。

 これは完全にハメられた形である。


「……MCって何話せばいいの?」


 そんな迷子のクールビューティーに、秋風先輩が救いの手を差し伸べる。


「カナちゃんバンド名は~?」

「あ、バンド名……ど、どうもシンギュラリティです」


 どうもって……まぁ慣れてるわけないよな。

 

「声が小さいよ奏~」

「シ、シンギュラリティです!」


 巴先輩は鬼なのかな。

 

「カナ先輩もっとです!」

「めぐるぅ……シ、シンギュリャリティです!」

「噛んでます! もう一回!」

「シンギュラリティです!!! もうヤダ!」


 冬川先輩が羞恥心マックスの叫びをあげると、それを合図にするように一斉に楽器が鳴った。

 見事な不意打ちに大歓声が上がったその曲は……一度は聴いたことのあるベースラインが特徴の、『もってけ! セーラーふく』。

 いや確かに楽器インスト部分メッチャカッコいいけどマジか。

 

「ラスト二曲は皆で盛り上がりましょう! 最後まで休んじゃダメだよー!!」


 月無先輩がそう煽ると、再び一気にヒートアップした。

 MCからのエンターテインメント性も忘れない流れに、ワクワクがこみ上げる。


「忘れていたかお前ら! ……俺は……アニオタだ!!」


 氷上先輩がジャケットをはだけ、キャラクターが大きく描かれたTシャツを見せつける。


「わ~キモ~い!!」

「いいぞ氷上!! 貫けー!!」


 そんな氷上先輩のファンサービス? も入り、イントロから一気にボルテージは最高潮まで高まった。

 メロディラインを変幻自在に楽器隊が表現し、度々マイクパフォーマンスで煽り、次は何をやってくれるのかという気にさせられる。

 何でもアリと言わんばかりのインストアレンジは、好き勝手に見えつつも完璧な調和を保ち、唸らざるを得ない。

 サビはトランペットがストレートに抜けてきて、これ以上ないキャッチーさが得も言われぬ爽快感をもたらした。


 一世を風靡した名曲ではあるが、いわゆる電波ソングであるこの曲。

 人によっては色眼鏡で見ることもあるだろう。

 それでも、そんなものは俺たちが叩き割ると言わんばかりに、シンギュラリティの演奏は自由で、そして最強だった。


 サビ終わりには各員のソロ回しがあり、楽器隊同士でバチバチにぶつかり合う。

 本物のフュージョンバンドさながらの白熱したソロバトルは、真剣さを携えながらもどこか遊んでいるようにも見えた。

 本物の実力者たちが本気で遊べばこうなるんだ、と。


 こんなクオリティで全力でふざけられてしまったら、誰も文句なんて言えっこない。

 大サビではまさかのヒカミンによる歌が入り、最高の悪ふざけを締めくくる。

 大盛況に終わったオタクタイムは、特権階級にだけ許された、まさに究極の音楽パフォーマンスだった。


 最後の一曲。

 冷めやらぬ熱狂の中、静かに、そして確かに聞こえるギターの音。

 軽音学部にそれを知らない人はいない。

 ここにきてブラック音楽で最も有名な曲、『September』のイントロに、感情が溢れ出る。


「こいつらハンパないってもぉー! ハンパないって!」

「また最高や! またまたまたまた最高や! 言っといてや! やるんやったら!」


 男子勢が懐かしのサッカーネタで笑いを添え、爽やかなフィナーレを演出する。

 原曲を過度にいじることはせず、聴きやすさを携えながらも、胸を熱くさせるような響きがした。

 BGMとしても定番の曲、それでも、聞き流してなどいられない。

 サビでは冬川先輩がフィーチャーされ、金管の華々しい響きでメロディを歌いあげる。


「白井君、撮影頼んでいい~?」

「え、あ、はい」


 巴先輩にカメラを託され、レンズ越しにステージを見据える。

 メンバーそれぞれに焦点を当てると、それぞれ違った笑顔をのぞかせた。

 これでいいだろうかとカメラを下ろすと、巴先輩は冬川先輩を愛情に満ちた目で見つめていた。


 そうか、何にも邪魔されたくなかったんだ。

 それがカメラのレンズでさえ。

 これ以上望めようかと思う程大成功のライブは、見る人からしても感慨深いに決まっている。


 巴先輩にとっては半身ともいえる存在なんだからなおさらだろう。

 ……冬川先輩も巴先輩にしょっちゅう目線向けてるし。

 きっと自分と月無先輩のように、話したい事や共有したいことが無限にある。

 二人が見せたのはそんな表情だった。 

 

 フュージョンにゲーム音楽、アニソンにブラック音楽、個人の趣味がここまで反映されたセットリストなんか他にない。

 それぞれが本当にやりたいこと、三年間の部活動の中でその全てが満たされることは、多分そう簡単なことじゃない。


 やりたいことを全力で貫いて、誰しもが納得する形に纏め上げたのは、シンギュラリティだからできた奇跡だと思う。

 聴き手を唸らせる技巧に、意識を奪い去るパフォーマンス、驚きと新鮮さに溢れたアレンジに、計算されたセットリスト。

 全てが完璧に合わさった結果、あり得ないことをやってのけた。

 それはまさに、普通のやり方では到達し得ない、特異点シンギュラリティと呼ぶにふさわしいものだった。


――


 シンギュラリティの出番が終わり、転換作業が始まる。

 余韻はまだ身体中を巡っていて、自分の向かいで鍵盤の端を持つ月無先輩も、同じように何かに思いを馳せるような目をしている。


「……今なんか言っちゃうと多分止まらない」

「俺もです。後で存分にですね」


 そんな会話をしながら、月無先輩の片付けを手伝い、自分の鍵盤をセットする。

 月無先輩の口元は喜びでほころんでいて、少し先の未来も待ちきれない様子だ。

 それはそうだろう。

 愛するゲーム音楽で全員を沸かせ、完璧なパフォーマンスで全てを貫いた。

 きっと感情は爆発寸前で、少しの切っ掛けで破裂してしまう。


 自分にしたって同じことだ。

 一言でも感想を口にしてしまえば、とめどなく溢れてしまうだろう。

 児相のライブを見て、そしてシンギュラリティのライブを見た。

 そこで感じたことを本当はすぐにでも語り合いたい。

 二人でそんな気持ちを押し殺して、バンド転換の作業を進める。


「フフ、でも次のライブ見たら、もっと止まらなくなっちゃうと思う!」

「ハハ、なっちゃってください」

「お! 強気だ!」

「強気というか……なんでしょう」

「……?」

 

 強がりとか、自意識過剰とか、そういうのでもない。


「どこまでやれるのかって楽しみなんですよね。……あ。やれることは限られてるんですけどね」


 やる曲とやることが決まっている以上、スポーツみたいに練習を超えるみたいなことは、多分ない。

 それでも、巴☆すぺくたくるずの鍵盤として、自分がどこまでできるのかが楽しみだ。


「ほんと変わったね白井君」

「あ……はい。嬉しいです」

「不安とかそういうの、全然言わなくなった!」


 どんどん前向きになっていったのは確かだ。

 ネガティブな意識も、もうほとんどなくなった。


「……フフ! 今の方がもっと好きだな!」

「あ……ありがとうございます」


 ……いや超嬉しいし、何よりあなたのおかげではあるんですけども……ここが壇上だということを忘れてないだろうか。


「ネ、ネタバレ防止! 外出てるね!」


 ……転換作業中だからそこまで会場内に人は多くないが。


「今回やらかしたら一生悔やむな白井」

「……見なかったことにはしてくれないんですね」


 正景先輩には背後からガッツリ一部始終を見られていた。

 恐る恐る左へ向くと……。


「……見られてないわけないよね~」

「……ですよね~」


 巴先輩がニヤりと笑う。

 凍り付いたというわけでもないが、固まって……そして結局笑ってしまう。


「あはは、でもめぐるはさ~。ああいうのが白井君が一番力を出せることなんだって、わかってるんだよ~。無意識にさ~」

「……ま、まぁそうかもです」


 ZENZAの時もそうだったけど、ライブ前には最高の形でエネルギーをくれる。

 押し付けるようなこともなく、すっと入ってくる、最も心強い激励。


 自身の出番が終わったばかりだというのに、無自覚に自分を気にかけて優先してくれた。

 そんな人だから、こちらも変に気張らず、応えようと思える。


「ふふ、でも私も同じかな~。どこまでやれるかって、すごい楽しみ」


 巴先輩はそう言ってニコっと笑った。

 そうだ、自分だけじゃない。

 何よりこのバンドは巴先輩のバンドで、底の見えない歌姫の、約束された独壇場だ。


「多分俺、観てる側以上に楽しみにしてます」


 きっと練習の時を優に超えてくれるに決まってる。

 一緒に演奏して、ステージ上でそれを体感できる特権が、楽しみでしょうがない。


「……白井って結構恥ずかしいこと平気で言うよな」

「ぐ……似たようなことちょくちょく言われたことあります」

「さっきのやりとり見てたら月無のせいな気はしたが」


 正景先輩マジ理解者。


「あはは。ま、嫌って思われてないならいいと思うよ~。ちょっと嬉しかったかな」


 そう言って、巴先輩は踵を返してホーン隊の方へ行った。

 

「ハハ、よかったな。ちょっと嬉しいって」

「恥ずかしいヤツって思われなくてよかったです」


 そして転換作業が終わり、音出しと確認が終わる。

 一つ前のシンギュラリティ、そしてトリの巴☆すぺくたくるずは、事実上の頂上決戦になると思う。

 自意識過剰でもなければ、贔屓目に見てるわけでもない。

 勝ち負けの話じゃないかもしれないけど、内に秘めた熱は確かにある。

 言うなれば、演奏の神髄と、歌唱の極みの真っ向勝負だろう。


 転換時間が終わり、再び人で埋まり始める会場。

 軽音学部夏合宿ライブ、その締めくくりに寄せられる無数の期待。

 ステージの照明が落とされてなお、その瞳の輝きは増していった。


 ――準備おっけ~?



 





 隠しトラック

 ――長としての姿  ~ホーン四人娘、巴、氷上 ステージ上にて~


「ホーン隊準備終わった~? PAに合図出すよ~?」

「あ、うん、お願い」

「おーいヒビキ~! マイク付け終わった~!」

「調整すっから適当に喋って待っててくれー!」


「ふふ、いよいよだ~」

「そうね……何か嬉しそうね」

「ん~? 待ちに待ったライブ! だからね~」

「そんなこと今まで言ったことないくせに」

「ふふ、そうだね~。……でも今日は特別かな~。燃えてる~」

「カナちゃんさっきすごかったもんね~。しんぎゅらりてぃ~」

「そう、本当に最高でした!」

「フフ、ありがとう」

「あと可愛かった」

「……スー、そこイジるの辞めない?」

「……?」

「何で? みたいな反応しないで」


「ま~でもあの流れは最高だったよ~」

「私は本当に恥ずかしかったんだから……」

「うふふ、たまにはいいじゃない~」

「カナ先輩フィーバー起きてた」

「そういうの本当にいいのに」

「私は奏の可愛さが広まって良かったな~。しんぎゅらりてぃです!」

「本当やめて……」

「うふふ、しんぎゅらりてぃで~す」

「吹まで……」

「冗談冗談、このくらいにしてあげよ~」

「ハァ」

「でも多分他でも当分イジられますよね?」

「なっちゃん追い打ちやめましょうね~」


「氷上先輩氷上先輩、あれって決めてたんですか?」

「ん? あぁ一応な。ヒビキが冬川イジメれば流れが出来るハズってな」

「……私本当に何も聞かされてなかったんだけど」

「その分ウケたじゃん~」

「観客はリアルを求めてるとか言っていたな」

「あはは、確かに仕込みじゃあれは出来ないもんね~」

「カナちゃん極限状態だったわね~」

「……デスゲームですか?」

「多分違うと思うよなっちゃん」


「しかしMCに関して言えば……土下座はマズかったな」

「すぐ次の曲行く予定だったのにね」

「でもポケモン面白かったです!」

「あはは、めぐるに救われたね~」

「土下座させたのともでしょう」

「あれ私のせい~?」

「巴さん悪くないと思う」

「そうね~……10-0でヒビキ君ね~」

「本当にやるなんて私も思わなかったけ……ブフッ」

「どした~」

「ピ、PA卓の方……」

「ん~? ……ふふっ。今回はちょっと面白いね」

「マイク拾っちゃってたのね~」

「……綺麗な土下座ですね~」

「あれは綺麗だと思っちゃいけないんだよなっちゃん」


 ヒビキ、本日二回目。


*作中で名前が出た曲は曲名とゲームタイトルを記載します。

『High press energy』―ロックマンZX

『We're the Robots』―ロックマン9


一般楽曲

『invitations』―SHAKATAKU

『もってけ! セーラーふく』―らき☆すた OP曲

『September』―Earth,wind and fire

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