幕間 浮かれる者達

 久方ぶりの部員全員が集まる機会……部会。

 今回は合宿十日前ということでその直前部会、合宿費の徴収なども行われる。

 

 川沿いから裏門を通って大学に入ると、見知った後ろ姿があったので、自転車を下りて声をかけた。


「八代先輩、お疲れ様です」

「おはよ、白井。ちゃんと練習し直した?」


 ちょこっとばかし含みのある笑顔で八代先輩が言ったのは、昨日のゲーム音楽バンドの練習のこと。


「……昨日めぐるさんに言われた通りには」

「アハハ、そっか。偉い」


 『くものうえで』は我ながら良く出来ていたと思う。

 しかしながら……


「まさかあんなに上手く行かないとは思わなかったです」

「そーだねぇ……でも予想外っちゃ予想外だったよね。あんなん鍵盤特有でしょ」


 しかもゲーム音楽以外ではあまり直面しようのない問題だった。


「いつもピアノの音で練習してたって言うならあれはしょうがないでしょ。めぐるも忘れてたって言ってたし」

「ですねぇ……」


 それは、「ペダルを踏んではいけない」というもの。

 ピアノなら、音の伸長を足元のペダルでコントロールするのは当たり前だが、実はそれは勝手に減衰するピアノの音色だから可能なこと。

 オルガンやシンセサイザーの音は、踏んでる分だけ音が残るので、ピアノと同じ弾き方をすると不協和音が響くことになる。

 一小節分丸々伸ばすとかなら話は別だが、フレーズを引く時にペダルを踏むのは基本的にご法度。特に小難しい、早いフレーズではなおさらだった。

 ちゃんとしたシンセサイザーやら、月無先輩の使っているKRONOSならその辺りは機能でクリアできるそうなのだが、自分の使っているSV-1にその機能はない。


 つまり、ゲーム音楽をやる上ですべき練習は「ペダルを一切使わずにフレーズを弾く」練習だったのだ。

 どの音をどこまで伸ばすか、を指だけでコントロールするのは異次元の難しさだったし、弾き方や運指も再考する必要があった。

 日頃どれだけペダルで誤魔化していたかも痛感した。


 ……とはいえ、これは決して悪いことじゃない。


「後々必要になることだったと思えばむしろよかったかもです。むしろ今まで運がよかっただけで」

「お、前向き。ちょっといい男になったな白井」


 冗談めかしくそんなことを口にしながら、八代先輩は爽やかに歯を見せた。


「ハハ、八代先輩そういう冗談言うんですね」

「他がクズだからそのせいかもね」

「……真顔で言わないで下さいよ」


 多分ガチなのがマジで怖い。

 まぁ一緒にバンドやってるヒビキさんや一年の林田と椎名も、頑張りはするけど遅刻やらでちょこちょこやらかしてるしなぁ……。


 ――


 部会が始まって数分。

 ヒビキさんが笑いを交えつつ進行して、副部長の冬川先輩が几帳面な性格を体現するような綺麗な字で黒板に連絡事項を書く。


「上着必須って、やっぱ結構寒いんですか? 夜って」

「そうだな。山奥だし……防寒着まではいらないけどな」


 自分は生じた疑問をあれこれと、長テーブルの右隣に座っている土橋先輩に聞いていた。

 バンド毎にかたまって座る中、合宿の具体的な話をするに連れて、楽しみな気持ちが際限なく引き上げられていくようだった。


「あたしなんて去年ナメてかかって上着足りなくて、ヤッシー先輩から借りたジャージずっと着てた!」


 自分のすぐ後ろに座っている月無先輩が身を乗り出してきてそう言った。

 多分めっちゃ似合う、というか絶対超可愛いから見たい。


「ヤッシー皆にジャージ貸し出してたもんね~。何枚持ってんだよって~」

「……とも、あんたも一枚かっぱらってったでしょ」


 そして左後ろから聞こえてくる気になる会話。

 巴先輩も借りていた様子……巨乳ジャージ……見たい。

 

 自分や月無先輩だけでなく、皆合宿への期待を露わにしていて、部会中にも関わらず話声は止まなかった。

 そんな中、教壇に座すヒビキ部長が立ち上がり、マイクを持って一喝。


「お前らタルんどる!!!」


 そして部員の注目を集め……少々タルんだお腹で見事な音を鳴らした。

 なんとなく静寂を保った方がいい気がして声をあげて笑う人はいなかった。

 真横で見ていた冬川先輩は、例の如く口元を押さえて笑いを堪えている。


「ヒビキさんってたまについてけないノリあるよな~」

「まぁ放っておけばいつもみたいに勝手に進むんじゃね」


 一つ前の机に座る林田と椎名はバンドでこういうノリをよく見ているから、良くも悪くも慣れてしまっているっていう。ヒビキ劇場とか言われてる。


「浮かれる気持ちはわかる。だが浮かれてるだけじゃいけねぇ。例年の如く注意事項を聞き落とす奴が出てくるのは明白! 今日集まった意味を考えろ……ッ!」


 とはいえ言ってることはごもっともである。

 真面目に聞いた方がいいのかハイハイと聞き流した方がいいのか、部員一同反応に困る中、再びゆっくりと……教壇の下から何かを取り出し、


「ハイ、というわけで始めます。第二回ヒビキボックス開封」


 妙にさっくりとした調子で企画を始めた。

 拍子抜けする部員を全く意に介さず進行する姿は、ある種暴君に近かった。


 ちなみにこれは御意見箱で、スタジオの入り口に常設されているもの。


「白井は前回散々だったねー」

「……いや、八代先輩一番楽しんでませんでした?」


 ……自分は妙なトラウマがある。

 さすがに何もないだろうとは思いつつも、いい予感もしない、そんな微妙な気分で進行を見守ることにした。


「しかしまぁ今回はそんなに多くもねぇだろ。一年もこの時期になれば大体聞きたいことあったら同じバンドの先輩に聞くだろうし。というわけで一発目。ででん」


『合宿場の部屋はどういう割り方になるんですか?』


「……フツーの質問でお兄さん安心した」


 ……普通じゃない質問が何個も投書される方がおかしいから。


「ちなみに一年でも知ってるヤツは多いと思うが、合宿場はスタジオがある以外は普通のホテルだ。豪華じゃねぇし一般客もほとんどいねぇけど。ちなみに今年はうちの大学以外に予約はないそうだからほぼ貸し切りだ」


 なるほど、とはいえあんまり好き勝手してたら怒られそうだ。

 

「んで部屋は、二~三年は四人部屋に割り振る形だな。んで、一年は男子部屋と女子部屋でそれぞれ大人数部屋。まーいわゆるタコ部屋って感じだけど、大人数は大人数で結構楽しいぞ」


 多少小汚くても大勢でワイワイなんてのも楽しそうだ。

 ザ・合宿って気がする。


「ちなみに女子部屋に侵入しようなんて不埒な輩がいたら……一晩お兄さんとベッドを共にしてもらう」


 ……深刻に嫌だなそれ。

 想像してしまったんだろう、前方で誰かがエヅきそうな声をあげた。


「よしじゃぁ次の行くか。今回は合宿関連が多そうだな……はい、ドドン」


『ヒビキお兄さん的合宿の見どころを教えて下さい』


「そうだなぁ……三女の湯上り姿かな」

「死ね」

「すいませんでした」


 はい、歓声が上がる前に八代先輩のガチの死ねが飛び出しました。

 三女(三年女子)を代表した心よりの一喝。


「今のは俺が悪いが雲行き怪しくなってきたな……次。ドン」


『面白い事件があった時は皆で夕食を食べる前に発表と聞きましたが、去年合宿で起きた事件を教えてください』


「これな、これは恒例だからな。去年は~……」

「はい! 『マウントパンチ土橋』!」

「あ~、あったな。ってか殴られたの俺だけど」

 

 月無先輩が元気よく挙げた事件名。

 注目が土橋先輩に集まり、部員一同反応を待つと……


「……煽られたから馬乗りになって殴った」


 ……ほとんど情報増えてない。怖い。ちゃんとした意味の事件じゃん。


「ハッハ、冗談ってわかるようにだけどな。まぁ詳しくは本人から聴いてくれ」


 冗談とのこと。


「あれめっちゃ面白かったけど、土橋半分マジだったでしょ」

「……イラつきはあった」


 だから怖いって。……そういや昨日もそこそこガチ目に腹パンしてたな。


「まぁあとは個人の記憶に残るもんばっかだな。発表されたのは後は『月無無双』くらいじゃねぇかな」

「え!?」


 あ、なんか聞いたな。めぐる無双とも。内容は詳しく聞かなかったけど。

 そして集まる注目……不意打ちを食らったように驚く月無先輩。


「あれは……嫌な事件だった」

「え、いや……あはは……」


 ……むっちゃ狼狽してる。


「ハッハ、まぁ簡単に言うとだな。当時の三年で一番スマブラが強かったOBを信じられないレベルでボコって自信喪失させた」


 あぁやっぱり……この人はきっと無邪気に自称最強の心を折ったのだろう。

 ゲーム女と言われるに十分なエピソードに、恥ずかしさのあまり顔を覆う月無先輩。笑いを堪える同じテーブルの八代先輩と巴先輩。


「ま、そんなこともあったよってことだ。次行くぞ次~」


 少し可哀相になったか、部長は次の投書に移った。

 その隙にフォローじゃないけどひそひそ声で月無先輩に声をかけてみる。


「……めぐるさん、やっぱそうだったんですね」

「……むー。だって本気でやれみたいに言われたから」

「私その場にいたけど、全員ドン引きしてたよ。プッ」

「もー、ヤッシー先輩酷い」


 そりゃドン引きするだろうなぁ……当時の一年で一番可愛い子がゲームの修羅だったと知れば。RPG史上最強のボス、人修羅ひとしゅらのレベルだ。

 やっぱこの人こんだけ可愛いのに、浮いた話今までなかったのって完全に自業自得だよな。


「やっちまえ月無って言われた時、え、いいんですか? って言ってたもんね」

「圧倒的強者の反応じゃないですか」

「俺はその時点で異変を察知してた」


 土橋先輩と八代先輩はその場にいたらしく、思い出し笑いを堪えていた。

 やっちまえを許可の意味に取るのは月無先輩くらいだろう。


「次の投書は~……どん。お、白井宛てだ」


 そして壇上から聞こえてくる不吉な情報。

 ……もうマジ勘弁してくれ。


『白井君は何故、正景まさかげの存在に気付けるのでしょうか』


 ……酷過ぎる。

 笑いを堪える声に交じって「そういや正景来てなくね?」って聞こえてくるのマジで酷過ぎる。正直面白いけど……酷い。


 ……この部活には……イジメがあります!


「白井、いいんだ。俺は……逆においしいと思ってる」


 そして聞こえてくる悟ったような声。

 自分の……左隣から。


「メンタル強過ぎますよ……」


 そして「まぁほどほどに」と部長から軽めの釘刺しが入り、また次の投書へ。

 誰が書いたんだろうとか、なんて思っていると左後ろから緩~い声が……


「ごめんね正景~。前に正景来てない練習があった時にこんな話題になって~。ついノリでやっちゃった」

「あぁこないだの。はぁ……大方そんなことだと思いました」


 ……投書したのは巴先輩のようだけど、まぁその時のノリを考えれば仕方ない気もする。本人もやりすぎたってちゃんと反省しているようだ。

 しかし意外。前回自分が散々な目に会った時は秋風先輩が平定したけど、今回はそんなことなかったな。平定案件じゃないのかこれ。

 

「ごめんね正景君~。私がおっけーしちゃったから~」


 ……まさかの共犯だったっていう。

 最近秋風先輩がたまにわからない。


「秋風先輩がそういうなら……」


 ちょっと嬉しそうなのがちょっと嫌だ。

 まぁ正景先輩の反応然り、秋風先輩がおっけーしちゃったのも然り、合宿が近付くに連れて皆無意識に浮かれ気分になっているのかもしれない。


 部会が終わると、帰る人もいれば、この後どうしようかと算段を立てる人も、ただ雑談に興じる人もいた。

 巴先輩が冬川先輩を待つのもいつものことで、その間は巴バンド+αのメンツは教室内で過ごすことに。


「白井君、練習どう?」

「あ、昨日結構帰ってからしました。スタジオ練習の時よりかはマシになったと思います。あんな難しいとは思わなかった……」


 朝の八代先輩と同じように、月無先輩が心配をかけてくれた。


「え、白井そんなイメージなかったわ」


 それを聞いていたか、林田が話かけてきた。


「いやどういうイメージだよ……」

「だって大体毎回ちゃんとできてね? あ、でもホーンバンドって曲ムズいか」


 同学年からの高評価は嬉しいが買い被りではある。

 実際のところ、八代バンドの方は鍵盤的には難しい曲がないから上手く行っているだけだったりする。八代先輩の選曲で助けられているのだ。


 しかし当然だけど、巴バンドの曲が難しくて出来ないと思われているようだ。

 ゲーム音楽バンドのことは一応、秘匿事項になっているから月無先輩もちょっと迂闊だったかのような表情。


「ふふ、うちのバンドじゃないよ~。秘密だけど~」

「え、巴さんのバンドじゃないんすか?」

「うん~。お楽しみで難しいことやるから~。秘密だけど~」


 巴先輩がそうフォローを入れた。

 とはいえ興味を引かせると引っ込みがつかない気も……。


「ま、林田君も椎名君も楽しみにしててね~。もうあれだよ、すっごい~……とんっでもないこと、やるから~」

「マジすか……」

「うんマジ~。だからお楽しみ本番まで楽しみにしててね~」

「「うす」」


 おぉ……しっかり興味を煽りつつ、これ以上は踏み込ませない巴流話術。

 さすがの掴みどころのなさ……というか椎名と林田は巴先輩と話せただけで満足してるくさかった。

 ……忘れがちだけど巴先輩って、一年の間じゃ秋風先輩の次くらいに神格化されてる人なんだった。


 ――


 時間が経ち、用のない人は教室を後にした。

 残ったのはいつものメンツ、ゲーム音楽バンドのメンバーだった。


「巴さんさっきフォローありがとうございました!」

「ふふ、いいのいいの~」


 月無先輩が早速と感謝を述べると、巴先輩は慈しむ様な目を月無先輩に向けながら言った。


「お楽しみは見る見ない自由だからね~。ちゃんと見てもらうためには知っておいてもらわないと~」


 なるほど……ゲーム音楽バンドをやるお楽しみライブはあくまで余興。

 見たいものだけ見るのが普通なら、ライブ前から見たいと思わせないと見てもらえないかもしれない。だからこそか。

 月無先輩や巴先輩がお楽しみでとっておきのことをやる、それだけでも情報が流れれば、例外なく皆見たいと思ってくれるだろう。……工作が上手い。


「ふふ、折角私も楽器やるからね! 見てもらわないとね~。裏工作~」

「フフ、そうですね! 巴さん策士!」


 言葉の裏には月無先輩を想ってのことなのが見え隠れしていた。

 上手いこと月無先輩のモチベーションも更に上がったようだ。


「白井君、猛特訓だよ! もう意外と時間ないんだから!」

「ハハ、わかりました」


 夏合宿を間近にして、期待はどんどん高まって、浮かれる気分はことあるごとに増長していく。

 そんな風に思わせる月無先輩の満面の笑みは、直前に生じた不安さえも簡単に吹き飛ばしてくれた。






 隠しトラック

 ――部長と副部長 ~部会後、空き教室にて~


 ヒビキ、冬川、事務処理中。


「おし、合宿費数え終わったわ」

「ちゃんと数えた?」

「数えたわ……母親か」

「私ももう一回数える」

「心配症かよ……うわ数えるの早」

「うん、合ってるね。じゃぁこれ。絶対落とさないでよ」

「心配症かよ。……うす」

「プッ……クク……いちいち手がたな切るのやめて」

「お前ほんとツボ浅ぇな」


「なぁカナちゃんよ」

「その呼び方やめて」

「わかったよ」

「二度と」

「念押すなぁ……」

「で、どうしたの?」

「今回の合宿なんだが、ヒビキポリスの出動は必要あると思うかね」

「意味がわからないんだけど」

「いやまぁ毎年風紀乱すヤツいんべ」

「……でも今年はそういうのなさそうね」

「まぁそれもそうか。あの辺がやんややんや言われるくらいか」

「あの辺、ね……」


「後やっておくからいいぞ」

「いいわよ、悪いし。もうちょっとだから」

「いやそわそわしてっから。あっち混ざりたいんかと」

「……」

「いや照れんのかよそこで」

「そういうわけじゃ」

「いや冬川よ……」

「……何?」

「お前クールキャラとっくに崩壊してっからな」

「……キャラのつもりじゃ」

「微妙に苦労してるのはわかる」

「……ありがと」


「いいじゃんか素も出していけば。女子っぽくよ」

「……でも私女子力ないし」

「女子力? 話違うだろそれ。あぁ……でも料理下手なんだもんなお前」

「うん。地味にマズいって言われる」

「巴に?」

「うん」

「八代に教えてもらえばいいじゃん」

「希は全部感覚でやってるみたいだから……」

「あ~料理上手いヤツの特徴だわ」

「あ、でもヒビキ君も上手いよね。なんかコツってある?」

「多分冬川の場合はコツを知るよりなんでダメなのかを知る必要がある」

「……そんな気がする」


「まぁ結局は愛よ、愛」

「はぁ……愛だけじゃどうにもならない壁ってあるのよ」

「いやツッコみくれよ……あとその言い方やめとけな」

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