絶対的な存在

 八月下旬 大学構内 大講堂地下 軽音楽部スタジオ廊下


 夏休みも半分が過ぎた。

 夏の終わりを感じるのはまだ少し早い気もするが、今年は冷夏と言っていいくらいには涼しい日が続いた。

 さすがに午前中よりは気温も高いが、過ごしづらさは感じない程度だ。


 久々に廊下で月無先輩と一緒に練習。

 広い廊下に並べた二台の鍵盤も、ヘッドホンを着けたまま鍵盤に向かう自分と月無先輩も、他の部員にとってはすっかりいつもの光景だとのこと。


 ふと月無先輩が鍵盤を叩く手を止めたのにつられて、自分も手を止めた。


「ふ~休憩しよ」


 そう言って、月無先輩はヘッドホンを外してだらんと椅子にもたれかかった。

 区切りが悪かったのでもう少し弾こうかと、鍵盤に向き直ると……


「……どーん」


 ……月無先輩が自分の鍵盤のやたら低い音を押してきた。

 ヘッドホン内にどーんと低音が響く。

 何してんだと思いつつ顔を見ると、一瞬目を合わせて……鍵盤に目をやってまたどーん。子供か。

 はいはい、と思わず笑みがこぼれてヘッドホンを外した。


「フフ、調子どう?」

「決まってる曲は大体いい感じになってきました。めぐる先輩はどうです?」

「ん~、あたしも大抵やることはやったかなぁ」


 ちなみにこうして鍵盤を並べて一緒に練習はしているが、割とストイックに、おしゃべりするわけでもなくやっている。

 ヘッドホンをつけているので、互いの音もそれほど聴こえなかったりする。

 月無先輩の弾いてる姿にちょくちょく見惚れてたりするのは内緒。


 師弟という名目もあるし、わからないところを質問したりすることはあれど、お互いに本番で聴く楽しみを削らないようにと、暗黙の了解があるのだ。


「でも児相の方はまだ二曲決まってないから~……でもまぁ時間はあるか」

「俺のとこもそうですね。この前一曲新しく決めて、もう一曲は合宿直前くらいになりそうです」


 月無先輩の方も、自分と同じくライブのセットリストは、まだ全部は決まってないようだ。ちなみに児相は八代先輩と月無先輩のバンド。ヤッシー児童相談所。


「あ、そうそう。ビックリしたんだよ」

「何がですか? 急に」


 話の流れで何か思い出したのか、月無先輩は指を立てて頬に当てた。


「巴さんから林檎やるって聞いてさ。白井君が曲出ししたんでしょ?」


 何か意外なことなのだろうか。そう思いつつ質問を肯定した。


「去年一緒にバンド組んだときさ、候補で林檎出たんだけど、巴さん林檎だけは歌わないって言ってたからさ。巴さん自身、林檎すっごい好きらしいしカラオケでは歌うんだけど、ライブではやらないって」


 なるほど……しかし確かに、曲決めの時に冬川先輩と秋風先輩が意外そうな顔をしていた。あれはそういうことだったのか。


「個性強すぎますもんね。やっぱやりづらいんですかね?」

「ん~それもあると思うけど、多分違うよ」


 他の理由があるようだ。

 自分には何も考えつかないので、聞いていいのならと前置きして聞いてみた。


「これはこの人じゃないとやっちゃいけない、みたいに思ってるんじゃないかな。何かそんな感じだった。アレだよ、神格化?」


 わからなくもないけど……微妙に得心いかない。

 少し考えて、自分なりの解釈を言葉にしてみた。


「……本人には絶対及ばない的な?」

「そんな感じかな。うちの部活は基本コピバンだし、個性強いアーティストは割と多いかな。歌手本人と比較されちゃうっていうの。椎名林檎だったら、林檎の声と歌い方あってこその曲だから、とかも。洋楽とかだとあんまりそういうの気にする人いないけどね」


 なるほど、絶対的な個性……なんて頷きながら、ふとある考えに至った。


「……ストイックすぎません?」

「……何で?」

「だって、本人と自分を比べてるってことですよね。コピバンだからいいやって考えがまるでゼロな気かして。普通及ばないのは前提じゃないですか」

「……確かに」


 巴先輩ほど上手い人だからこその発想なんだろう。

 コピーするアーティストを超えるか並ぶか、ってレベルを想定しているってことだ。

 

「でもあたしもわかるかも。好きなものほどそうなのかもね」

「好きだからこそ完璧にやりたい的な?」

「うん。あたしもちょくちょくそーゆーのあるもん」


 ……やっぱり上手い人特有の考えっぽいなこれ。完璧主義ってヤツ。

 代表バンドの人達は完コピは前提みたいな考え方してるし、次元が一つ違う。

 誰もがある程度は当たり前にしてる、妥協って案自体がない。


「曲コピって音作りする時、あたし結構、原曲の音と違う音作るんだけどさ」

「あ~、そのままコピってるわけじゃないですよね」

「うん。こっちの方がカッコいいって思う音作れたらそっち使うもん」


 ……サラッとすごいこと言ってんな。

 

「でもさ~……たまにあるんだよね。これ以上カッコよくならないっていう、完璧な音色おんしょく。そういうのだけは完コピせざるを得ないよね」

「あ~……超えられない壁的な存在ですよね」

「うん。だから巴さんもそうなんじゃないかな」


 要するに……やりたいけどやれない、そんなものなんだろう。

 この音以外じゃやっちゃいけないっていう、ある種不可侵なもの。


「なんか負けた気がするんだよね! 絶対勝てない音っていうの!」

「……勝ち負けなんですかね?」

「勝ち負けだよ! ボーカルなら特にね! だって声質は変えられないじゃん」


 なるほど……確かにそうか。

 絶対違うものになるからコピーするアーティストが偉大な程そうなのかも……。

 比べるものでもないとは個人的には思うけど、極端な話、人によっては劣等感みたいなのも感じるのかもしれない。


「あたしはイヤじゃないんだけどね。くーッ、敵いません! ってのも」


 ファンからしたら圧倒的にわからされるのも嬉しいってことか。

 月無先輩はそう捉えるタイプのようだ。


「あ、アレわかる? 『サルーイン戦』。ミンサガ版の」

「わかりますよ。ずっとドコドコのヤツですよね」


 ゴリゴリのメタルで、ツインペダルでバスドラムがずっと鳴ってるヤツだ。

 ロマンシングサガのリメイク版、『ミンストレルソング』のラスボス戦。

 下手したら曲の方がゲームより有名なんじゃないかってくらいに『決戦! サルーイン』はファンが多い。


「あの曲のシンセソロの音とかが正にそれで!」

「あれメッチャカッコいいですよね、わかる。確かにあれはあの音だからカッコいいって気がしますね」


 共感が嬉しいのか、月無先輩は鍵盤のパネルをいじりながら満面の笑顔を浮かべている。

 しかし共感せざるを得ない。曲後半のシンセソロは鍵盤奏者垂涎のレベル。

 そんなにヒネったような音じゃなかったけど、あのシンプルさだからこその深みというかなんというか……。


「こちらがそれを再現したものとなります」

「準備がよろしいようで」


 案の定コピーしてあるのね……。

 多分こんなの氷山の一角で、好きな曲の特徴的な音とかはまだまだあるんだろうなぁ。


「うわすごい、本当にそのまんまだ」

「フフッ、でっしょー?」

 

 鳴響いた音を褒めると、ものすごく嬉しそうにしてくれた。

 ……弾いてるフレーズが極悪難度なのが可愛さを半減しているけど。


「このあざといっていうかクサいっていうか、フレーズも王道の極みみたいな感じなのにさ、このソロは納得せざるを得ないよね。どう聴いてもカッコいいに決まってるじゃんっていう」

「ハハ、まさにわからされる感覚ですね」


 そう言えばこの曲の作曲者の伊藤賢治さんのことは、オーソドックスを極めてるって前に言ってたっけ。

 裏切らない曲展開とフレーズの運び方は、裏切る必要が皆無ってほどに完成されてるから……なのかも。


「フフ、あたしは単純な矩形波くけいはにリバーブとコーラス調整しただけなんだけどね。でもなんだろ、PS2の時代でここまで単純な音使ってなおかつ最高にカッコいいって、ゲーム音楽の真骨頂って感じするよね。これ、ちょっとでも変えたらここまでカッコよくならないと思う」


 そう思うと、生音主体になってきたPS2の時代からすれば、ある意味時代の逆を行ってる……リメイク作品ということも相まって、原点回帰って考えもあったりするのかも……伊藤賢治恐るべし。


「でもやっぱり思うのが、ゲーム音楽作曲家の方って単純に音色の選びかた上手いよね~。これしかないっていう音色選んでくる感じ」

「昔の曲でも音色カッコいいの多いですもんね。電子音の方がそういうのしっくり来るヤツ多いかも」

 

 楽器を弾きながらのゲーム音楽談義が久しぶりで嬉しいのか、月無先輩はニコニコ顔を絶やさず……。


「でもリメイクで原曲のカッコよさが台無しにされることもあるんだけどね~……」


 ……何か言ったな今。遠い目で。闇めぐるを見たぞ。

 ちなみに月無先輩は「とりあえずゲーム音楽なら何でも最高」、みたいな脳死系信者ではなく、微妙なものは微妙とハッキリ言う。

 それは好きな作曲家でも然りのようだ。


「このオルガンの音とか!」


 そして急に素に戻る。……さっきのは見なかったことにしておこう。


「これは何の音なんです?」

「え、オメガルビーアルファサファイアやってないとか……」

「いややりましたけど……」


 今日は落差すごいな。

 ORASと言えばポケモンルビー・サファイアのリメイク。

 曲のアレンジはかなりよかった記憶があるが、今月無先輩が鳴らしている音が何の曲に使われていたかまではわからない。


「これ!」


 すると曲で弾いてくれた。


「あ、『ハルカのテーマ』ですね。これ確かにいいアレンジだったなぁ」

「ふっふー。でしょー? このアレンジは鳥肌モンだね!」


 少し打楽器的な音の立ち方が特徴的なオルガンの音色は、現代的な響きもしつつ、ゲーム音楽っぽくもある。


「あたしがルビサファで一番好きな曲もこの音だよ! ……ほら!」

「おぉ、カイナシティのAメロだ。確かにこんなでしたね」


 思い出して色々と共感を述べると、弾く手を止めて笑顔を向けてきた。


「フフッ、わかってくれるの嬉しいなぁ。あたし色々な音再現してるんだけど、白井君だけだもんね、通じるの。ほんとありがと」


 可愛すぎて直視できないので……ちょっと目を逸らして返事をした。

 

「XYが正直微妙だったから不安だったんだけどね~。オメガルビーアルファサファイアの曲が歴代屈指の出来だったから、メッチャ嬉しかったんだ!」


 穏やかな表情でサラっと酷いこと言ってる。

 ……でも自分もXYの曲ほとんど印象にないな。

 生音メインで耳馴染みはよかったし、BGMとしては在るべき形なのかもしれないけど、そのせいでインパクトがなかった。

 ゲーム音楽において、音色っていうのがどれだけ重要かがよくわかる実例と言えそうだ。


「アレンジする時って相当悩むと思うんだよね。電子音の時代の曲を今の基準にするなんて特に。だからたまにはアレなのもあるけど、これみたいに最適解! って言える音色でアレンジしてくれるのもあって!」

「ハハ、めぐる先輩にとってはゲームがやめられない理由にもなりますね」

「そーゆーこと! よくわかってるな! フフッ」


 そう笑顔を煌めかせると、月無先輩はまた鍵盤になおって、色々な曲の、色々な音色を披露してくれた。


「次はこれ! ペルソナ4の格ゲー版の千枝ちゃんの曲! そのサビのメロディでござい~」

「マニアックすぎる。知らんし」

「知れ」


 知らないのも問答無用で聴かせてきたが、ずっとこうして誰かに聴かせたかったのだろう、その想いが溢れて伝わってくると、感慨深い気持ちが胸に広がった。


 ひとしきり弾いて満足したのか、月無先輩は弾く手を止めてこちらに向いた。


「フフ、話戻るけどさ」

「……? あ、巴さんの話?」

「うん」


 ここまで状況が揃っていて暴走しなかったのは巴先輩のおかげかも。


「多分、覚悟みたいなんあるんだと思うよ。巴さん、そういうの見せないけど」

「……そういうもんなんですかね?」

「そういうもんなんです! あたしはそう思う」


 絶対的実力者にも……いや、それ故の悩みなのか。


「楽器のあたしらは頑張ればそっくり真似できるけどさ。ボーカルは絶対同じものにならないんだから、やっぱりすごい大変だよ」

「……巴さんならって思って、深く考えずにいたんですけど」

「フフッ、知ってる。巴さんすっごい喜んでたから。白井君がそう言ってくれたって」


 ……何と。

 

「一番頑張ってる後輩にそう言われたら、三年の自分は応えなきゃって、そう思ったんじゃないかな? 最後のバンドだしさ!」


 気恥ずかしいけど、何となく合点はいく。


 それにしても……である。


「巴さんって結構繊細な人だったりするんですかね?」

「……? どうしてそう思うの?」

「いや……意外と周りの目を気にするような気がして」


 失礼だから言葉には出来なかったけど、話を聞くに、本物に劣ると思われるのを怖がるような印象もあったりする。

 人の機微をよく見てるし、干渉されるのがあまり好きでない故か、踏み込み過ぎたことを素直に謝ってきたこともある。

 それらは周囲の目を気にすることに、自分には思える。


「どうなんだろうね……でもいい人なのは間違いないよ!」

「ハハ、それは確かに。間違いないですね。最初と全然巴さんの印象違います」


 ちょっとだけ、謎多きメガネ姫の人柄がわかったような気もする。

 少し晴れたような気がした、そんな風に思って、月無先輩の顔に目をやると、


「むー……」


 ……何事。


「あたしのことはいつまで先輩呼びなのかな」


 ……やっべぇ超可愛い。笑っちゃいけないけどニヤけそうだ。


「純ちゃんだってめぐるさんって呼んでくれるのに」


 妹出すの卑怯じゃね……とはいえ、先輩呼びに単純に慣れていただけだったりもする。親密の証として、さん付の方が喜んでくれるか。


「ハハ、わかりましたよめぐるさん」


 ……あら?


「呼び捨て!」

「……いやそれはダメでしょう」

「むー……だってさ~。でもそっか。引退するまでは先輩後輩だもんね……あ」


 ……この前の約束を思い出して、そう言ってまた真っ赤になっている。

 こんな余りにも尊いものを見てしまうと、この人には一生敵わないなぁなんて思ってしまう。


「今の忘れて! ……いや、忘れなくてもいいけど……スルーで」

「ハハ、わかりましたよ。めぐるさん」

「よろしい!」


 なるほど、絶対的な存在っていうのは実力や個性だけの話だけでもない。

 毎度のことではあるが、この人には否応なしにわからされてしまう……そんな風に再確認するような一幕だった。





 隠しトラック

 ――ボム兵は潜在的M ~スタジオ廊下にて~


「思ったんだけどさ~……あたしってMなのかな」

「……は?」


 ……何言い始めるんだこの人。


「……何言ってるんだろうねあたし。今の忘れて」

「……頭やるほど今日暑くないですよ」


 まぁ、今日は特にちょっと躁鬱そううつっぽい上下動あるし……


「それ!」

「何だし」


 ほら来た躁。


「最近白井君さ、結構辛辣にツッコんでくれるじゃん」

「……あ~」


 そういうことか。


「……アレだね。口にすると変態っぽさヤバいからやっぱいいや」

「……いや何となくわかるんで変態とかじゃないですけど」


 そう、この人、失礼になるかならないかのレベルの辛辣なツッコミをしたり、軽めにディスると喜ぶフシがある。

 多分、先輩後輩の遠慮がないやりとりだから嬉しいんだと思うけど。


「でもそれだけじゃなくてさ。さっき言った通り、完璧な音色に思い知らされると……なんかこう、あるんだよね……快が」

「悔しい! けどわかっちゃう! みたいな」

「うん。本能的に」


 何かこっちの方がヤバい人っぽい。


「白井君はちょっとSっ気あるよね」

「……全然自覚ないですけど」

「え~結構あるよそういうとこ~。……あ!」


 なんだまた急に。


「めぐるはMで~、白井君はS~。面白!」

「一致してないでしょ、苗字と名前じゃ」

「フフ、面白! イニシャルがSMとか」


 なんか今日頭に花が咲いてるな……。


「SとM~。フフ、白井めぐる~……あ」

「……」

「……今の忘れて」


 ほんと放っておくだけ自爆すんな今日。


「あなたはもっと発言吟味しましょう」

「うん。……顔真っ赤だよ」

「あなたが言うか!」


 ……道連れにされた。めぐるさんマジボム兵。


* 作中で紹介した曲は曲名と作品名を記載します


『決戦! サルーイン』 - ロマンシング・サガ ミンストレルソング

『ハルカ』 - ポケットモンスター オメガルビー アルファサファイア

『カイナシティ』 - 同上

『Like a Dragon』 - PERSONA4 the ultimate inn mayonaka arena

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