幕間 謎尽きぬメガネ姫
充実し過ぎるほどの日々の余韻は、それが非現実であるかのように甘美である。
遅めの起床にぼやけた頭が、それに没入するには良い具合だった。
もう少し、もしくはいつまでも浸りたいと思うのは本能的なものであり、目に入れたくない現実は思考の隅にも置きたくないもの……
……目に入れたくない
思考の隅にも置きたくない。
……これは現実逃避ではない。
川添 『安心しろ。今日は至って平穏な会議だ』
……一つ前に裁判って言ってね?
今日は
しかし「あ、気付かなかった」なんて後々言い訳を用意してスルーすればよかったものを、起きぬけの拒否反応を脳死で返してしまった。
まぁ……変な動きを見せればすぐに離脱すればいいか。
そんなわけで午後二時ごろに学食に着き、まずは外からガラス張りの内部の様子を見ると……。
そこには
「……何してんのあの人。……アイツ何したんだ」
何故か
そして椅子に縛りつけられている
微妙に手の込んだアホな光景に、深いため息が出る。
メンバーが揃うと、川添裁判官が口を開いた。
「……揃ったようだな。今日は
……何の有識者なんだろう。
「今日集まったのはほかでもない。我々の中に裏切り者がいたことについてだ。……ヒビキさん、どうぞ」
「……聞いて驚くんじゃぁ……ないぜ?」
もったいぶってヒビキさんがそう言うと、こいつらも知らないのであろう、椎名と小沢に緊張が走る。一応自分もノリを合わせる。
まぁ状況的に、林田に彼女がいたとかそういう……
「……林田に彼女がいるという事実」
……予想通りなんてレベルじゃないしどうでもよすぎる。
椎名にしても小沢にしても同じような反応。バレバレである。
「するってぇと……俺らに今まで隠して、内心では
「お前、するってぇと言いたかっただけだろ」
「……へへっ」
何故か江戸っ子と化した椎名の発言だったが……林田にそんな考えはないだろう。
バカだけど基本的にいいヤツだし。
多分、何も発展しない会議だし、ただ
「もしかしてヒビキさん、今日このためだけに来たんですか?」
今回の裁判に価値無しと見切りをつけ、部長にそう尋ねると、
「ハッハ、さすがにそこまで暇じゃねぇ」
「……ですよね」
「小沢のベース選びに付き合うついでに遊ぶかってな。白井も後半練まで暇だろうってことで呼んだってワケよ」
この後楽器屋に行って、その後遊ぶとのこと。
林田の裁判は待ち合わせのついでということか。
しかし未だに縛られたままの林田が視界に入って落ち着かない。
そんなこんなでしばらく談笑していると、
「
「あ、今日の練習、冬川先輩バイトで遅れるって言ってたので」
学食の前を巴先輩が通りかかった。
いつものように少し猫背で、ゆっくりした歩調のまま、こちらに気付かず行ってしまった。
「そういえば巴さんって彼氏いたことあったりしないんですか?」
川添がそんな疑問を口にした。
ちょくちょく似たような話題が出るが、色々と謎のヴェールに包まれている巴先輩、確かにちょっと気になる。
「……マジな話、何も聞いたことがないな。冬川とセットで常にいるし……もうそういうアレとして完全に認識されてる気がするんだぜ」
素振りもなければ匂いもしないということらしい。
「というか……男嫌いなんじゃねアイツ。男と二人の状況見たことねぇし、同じバンド長かった俺も一度もないから、そういう状況避けてんだろ」
……確かに春の代表バンドメンバー以外の男子と喋ってるの見たことない。
三年間部活を一緒にやってる部長が見たことないなら、本当に意図的に回避しているのかもしれない。
「エピソードもあってな。去年の話で今のOBの人なんだが……。オール飲みの時に、一人になった巴に話しかけようとした瞬間に巴が逃げるっていう。そのOBと巴は別に仲悪くもないんだが、どう見ても避けてたなありゃ」
……自分の知ってる巴先輩像からは全然想像つかない。
意識を向けると逃げる猫みたいなもんなのかな。
「ってか一年男子も白井くらいだろ。お前、無害っぽいし、入部当初から月無一筋って思われてるし」
「……いいことと取っていんでしょうかそれ」
「ハッハ、まぁそのおかげで大分得してるだろお前」
それも事実かと思いつつ、ひしひしと感じる川添達の目線を無視した。
「お前……特殊能力でもあんのか?」
「知らん」
「こっち向けよ」
目を合わせれば攻撃される恐れがある。多分今のは椎名の声。
自分が巴先輩に壁を感じないのは、間違いなく月無先輩のおかげだが、巴先輩と二人だけの状況も今まで結構ある……とか言ったら、きっとこいつらは暴力も辞さない。
「まぁそれが理由なのか、冬川とガチなアレなのかはハッキリしないけどな」
どっちも、ってこともあるか。
注目を集めそうな人だし、そういう目には敏感なんだろう。
特徴的なのんびり口調も、のらりくらりとかわすのに一役買ってるし、ある種絶対的な防衛線とも捉えられるかもしれない。
矛盾しているように見える言動も、巴先輩の人間性はつかみどころがなさすぎて計り知れないものがある。
「俺は後者でもありです」
突如として小沢が謎の意思表明。キモいぞ。
「……え、お前百合好きなの?」
「ふっ、椎名よ……ゆる○りは全巻持ってる」
……格闘漫画ばっか読んでるキャラだろお前。
「まぁ……あ」
部長が何かを見つけて出かけた言葉を飲むと、視線がそちらに集まった。
食堂の横、ガラス戸を隔てた購買、そこにある自販機に巴先輩の姿が。
スタジオに行く前に寄ったのだろう。
一行の視線に気付いたようで、ガラス戸を開けてこちらに来た。
「何してんの~……何か一人縛られてるけど」
巴先輩の一言で林田のことを思い出す。
縛った割には話題としてどうでもよかったせいで、全員が放置していた。
「忘れてたな。……まぁいいか」
部長の言葉に林田は目を見開くが、抗議の声は上がらなかった。
タオルのせいで。
「あはは、可哀相だよ~。まぁいっか、白井君スタジオいこ~。早く来すぎちゃったから丁度よかった~」
「あ、わかりました。じゃ、俺行きますね」
部長に挨拶して席を立つと、一年一同から視線を浴びせられた。
言いたいことはわかるが……仕方ないだろう。無害の役得だ。
お前らを
食堂を出る際に呪詛のようなものが聞こえたが、多分幻聴だろう。
スタジオに向かって歩く途中、スマホを見ると、
巴 『学校いる~?』
連絡が来ていたことに気付く。
「あ、すいません、連絡くれてたんですね」
「うん~、先に来てるかな~って。いつも廊下で練習してるからさ~」
バンドで一曲、自分が曲を決めるようにも言われていたし、何かとすることはある。
早く来すぎたのも事実だろうけど、練習前の打ち合わせをしたかったんだろう。
「曲候補、いくつか考えてきたんで聞いてもらってもいいですか?」
「ふふ、ありがと~。合宿まであと二回しか練習ないし、今日決めちゃお~」
スタジオに到着すると、廊下には誰もおらず、スタジオ内から中半練習のバンドの音が漏れ出ているだけだった。
荷物を下ろしていつものボロ椅子に座る。
巴先輩はキャスター付きのくるくる回る椅子。
「さぁ、白井君のセンスやいかに~」
……早速と圧をかけてきた。
「そんなプレッシャーを……自分の好きな曲になっちゃいますけど」
そう返して、廊下に置いてある共用の小さなスピーカーにスマホを繋げ、
「……お~、椎名林檎~」
椎名林檎の曲、『シドと白昼夢』を流した。
イントロだけでよくわかるな、なんて思ったけど、巴先輩にしても自分よりはずっと音楽に詳しいだろうし当然か。
椅子でくるくる回りながら、巴先輩は話を続けた。
「私これメッチャ好きだよ~。難しいけど」
「……やっぱムズいですよね」
「ふふ、でも自分でやりたいって出してるんだから~」
色々な点で難がある曲なのはわかっていたが……。
「それが一番だよ。出来るか出来ないかで曲選んでも楽しくないし~」
三年生の含蓄ある言葉、そんな気がした。
「ってか私も大変だ~。林檎だもん~」
ボーカルとして迂闊に手を出せないアーティストなのも間違いない。
ものすっごくやってみたいけど、もろもろの事情で、コピーバンドでは手を出しづらい領域というのはバンド歴が浅くてもわかる。
曲が流れた瞬間に「お」という表情をしたのも、「一年生がやるには手に余る」という前提があるからだろう。
「巴さんならって思って……やっぱり難しいですかね?」
でもそう思ったのも事実。
下手な人ならモノマネに入りがちで、失笑を買うことの方がむしろ多いけど、巴先輩なら、巴先輩らしく歌いこなしてくれそうだと思ったのだ。
すると、巴先輩は椅子で回るのをやめて、再び応えてくれた。
「……そっか~。じゃぁこれやろっか~。セトリにも合うし、ちょっと落とし目の曲欲しかったし~、丁度いいよ」
「え、マジですか。めっちゃ嬉しい」
快諾してくれたことに思わず本音が漏れると、巴先輩はふふーと笑ってくれた。
「私もチャレンジしなきゃだね~。最後のバンドだし」
あれだけ上手いのに、チャレンジという言葉を使うのが印象的だった。
高みにいる人程、もっと上を見ているのかもしれない。
「ちなみに他の候補って何があったの~? 林檎で決まりみたいになっちゃったけど~」
「あ、あとこれ……ホーンないからアレかなとも思ったんですけど」
そう返して次の曲を流す。
「……あ、『キラキラ』!! 私aikoも好きだよ~。この曲ほんといいよね~」
「マジすか、よかった……」
でもこの曲もやりたかったけど、ちょっとだけ出し渋る理由があった。
「こっちもいいな~。ってかやりたいな~。でも確かにホーンいないからアレンジ大変だよね~」
「これピアノ本当にカッコいいんですよね……aikoで一番好きな曲で。でも正直なとこ言うと……」
……微妙に言いだしづらいというかなんというか、言い澱んでいると、
「ふふ、めぐるに弾いてもらいたいんでしょ~」
「……察しよすぎません?」
「あはは、わかりやすいもん白井君って」
「でも、巴さんとめぐる先輩のコンビでやってほしいってのが、正直なとこだったりしたので……俺がやりたい曲ってわけじゃないんですよね」
色々なライブの機会、そのどこかで見られれば……。
自分の知る中で最高の鍵盤奏者とボーカル、その二人にこそ演奏してほしい。
「考えとこ~。めぐると二人でも何かやりたいし~」
「……是非に」
割と前向きな感じでそう言ってくれた。
……しかし、何故夏バンドを月無先輩と組まなかったんだろう。
それが未だに謎だけど、聞いていいのかも微妙なところ……単純な理由なのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。
「しかし本当にめぐる大好きだね~白井君は」
「ぐ……」
「あはは、一途なのはいいことだと思うよ~」
こうして毎回いじられるのも慣れた……とはいえ返す言葉はないのだが。
「あ、そうだ」
「逸らした~」
「ぐ……でも聞きたかったんですけど、何でライブの時メガネ外すんですか?」
色々気になる中の、聞きやすそうな方から行こう。
フレームが邪魔、とか言ってたそうだけど、海に行った時でさえ外さなかったメガネだ。
あればだけど、割と理由が気になる。
「ん~……内緒~」
「……? 理由あるんです?」
「ふふ、内緒~」
……とのこと。
気にするな、ということなのだろうか。
もしかしたら詮索されるのが嫌いなのかもしれないし、ズケズケと掘り下げてもよくない。
それに結局、いつもの調子で暖簾に腕押しだろう。
「謎は女の魅力を深める!」
「……はぁ」
……謎なんかないのかもしれない。
椅子で再びくるくる回りながら、スピーカーから流れる曲に合わせて鼻歌を歌う巴先輩。
その深層は、相変わらず見えぬままだった。
隠しトラック
――不可侵領域 ~学食にて~
ヒ:ヒビキ 川:川添 椎:椎名 小:小沢 バ:林田
川「白井は無害……わかるが……わかりますけども!」
ヒ「……まぁ川添よか確実に無害だろ」
川「それは俺も重々承知の上です……!」
椎「小沢も無害な気がするけど」
ヒ「そうだなぁ……三年女子からのお前らの評価聞きたい?」
椎「100%ヘコむヤツじゃないすか」
ヒ「……まぁそうだな。現実は残酷だ」
川「だが椎名よ……前に進むためでもある」
椎「それもわかるけどよ……」
小「覚悟はいいか? 俺は出来てる」
ヒ「言いたいだけだろそれ」
ヒ「まぁ実際悪い評価じゃねぇぞ。秋風なんか今年は皆頑張ってるいい代だとか言ってるし」
川「……ありがてぇ」
椎「ありがてぇ」
小「ありがてぇ」
ヒ「ってか一年同士ではなんかねぇの? 大抵今くらいの時期には一つや二つあるもんだが」
川「……何もないっすね。一番人気だった夏井ちゃんは三女の花園に取り込まれて不可侵になっちゃいましたし」
ヒ「……考えもんだな秋風達も。何かスマン」
ヒ「まぁ合宿で露わになったり出来たりするから」
椎「やっぱ去年もなんかあったりしたんですか?」
ヒ「去年は清田とか」
川「え? 意外。……失礼か」
ヒ「『思ってたよりも何言ってるかわからない』とか言われてすぐ別れたらしいが」
椎「理由……」
小「初めて外人と話した感想みたいっすね」
ヒ「言葉の壁はどうしようもねぇな」
ヒ「あいつマジでバグってるからな。水木と清田は内部生なんだが、成功例が水木で失敗例が清田って言われてる」
川「失敗例って……どんな感じなんですか? 噂には色々聞きますけど、そんなに絡んだことないので」
ヒ「素で言動おかしい上に狙ってもやってくる。当たり前が一切通用しない」
小「……手に負えない系」
ヒ「八代ですらコントロールしきれてないからな」
椎「清田さんもある意味不可侵ですね」
ヒ「ハッハ。楽しいヤツなんだけどな」
椎「あ、でもバカとか結構清田さんと仲良いよな」
川「え、バカそうなん? ……うわ」
小「タオルびっちょびちょじゃん。キモ」
ヒ「……
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