小さな橋の約束 後編

 ずっと想っていた言葉を口にした。


 それでも答えはわからない。

 おそるおそる先輩の方を見ると、笑い過ぎて出た涙を擦る仕草のまま固まって、目を見開いていた。


「……え……今言う?」


 ……え?


「いや、あ、なんかすいませ」

「謝らないで!」


 本気の声で制止された。


「ちょっと……自然すぎてビックリしただけだから……」


 ……不意打ちだったかもしれない。

 月無先輩は目を少し下に逸らせた。


「……ズルいよ白井君。こんなときだけ男らしいとか」


 男らしかっただろうか……何かの後押しに任せたような気もする。


「むー……いっつも軟弱なくせに。さっきだって」

「……言わないとダメだって思ったので」


 喜んでくれていると思う。それだけはわかった。


「……あたしから言うつもりだったのに」


 ……月無先輩は聞こえてもいいように、聞こえないようにそう言った。

 それ以上など必要ない、何よりの返事だった。


「正直に言うね」


 少し間を置いて、そう切り出した。

 どちらとも取れない言い方に少し緊張した。


「……そうだといいなってずっと思ってました!」

「え、ほんとで」

「フフ、いいから聴いて」


 制止され、黙って月無先輩の言葉を聴くことにした。

 

「あたしには君しかいないって、ずっと前からわかってました。大好きに決まってます。ほんとに……白井君しかいないやって」


 一気に胸の奥が熱くなった。

 間違いなく人生最高の瞬間で、愛しさに脳が沸きたつようなほど、月無先輩の言葉に支配された。


「……あ、ダメだ。いっぱい伝えたいことあったのに」


 続けられる言葉は互いになかった。

 言いたいことは無限にあるのに、一気に溢れてとりとめがなかった。

 この一瞬で払われた制約が、どれだけ多くのものをせき止めていたのか……続かぬ間が二人の想いの丈を物語った。


 月無先輩は思い出すかのように少し遠くを見つめて、またこちらを向いた。


「フフッ! 嬉しすぎて言おうと思ってたこと全部忘れちゃった!」


 自分も同じだ。

 どう伝えるか、何を伝えるか。

 この気持ちがどれだけ本気かを伝える言葉はたくさん考えた。

 それでも、この人の笑顔を前にしては不必要にさえ思えた。


「反則すぎますよ……ほんとズルい」


 漏れ出た本音はいつもなら脳内で思うようなこと……気持ちを伝えた反動か、そういうのはもう緩み切ってしまったようだ。


「白井君だってズルいよ! 素敵過ぎるでしょこんなん!」

「え……素敵基準わからない」


 月無先輩も月無先輩で自分のことをいつも肯定してくれる。

 全てを前向きに受け止めてくれる。


「だっていっつもあたしが振りまわしてたのに……むー。なんか悔しい」

「ハハ、勝ち負けじゃないんですから」

「弟子のくせに!」

「弟子だが」

「年下のくせに!」

「……年上っぽい振舞いしないじゃないですか」


 たまに見せるこういうちょっとダダっ子っぽいところも好きだ。


「……でもそういうのもう関係ないか」


 思わず息を呑む様な言葉だった。

 師弟関係、先輩後輩、これまでの二人の関係性を表す言葉、それ以外の可能性。


「ねぇ白井君」

「……何でしょう」


 それを口にしようとしているのかもしれない、そう思うと緊張と後戻りできない確信が芽生えた。


「あたし、すっごい自分勝手なこと言っていい?」

「……いいですよ。俺はめぐる先輩が何を言っても自分勝手とか思わないので」


 色々な感情が一緒くたになりながら、言葉を待った。

 言い澱む様な、そうでないような、少しばかりの沈黙の後、月無先輩は言葉を紡いだ。


「あたし器用じゃないからさ。……今はゲーム音楽と部活に集中してもいいかな? 全部大好きだから」


 正直言えば、わかっていた。

 それくらいにはこの人の性格を知っているつもりだ。

 だから自分も、伝える以上のことは必要ないと思った。


「全部終わったらって、都合いいこと言っちゃうけど……待っててくれる?」


 考えるまでもなく、言うべきことはわかっていた。


「待つも何も、俺はあなた以外に誰かを好きになることはないです」


 我ながら歯が浮くセリフだが、これ以上ない本心だ。


「ほんと!? ……でも皆好きじゃないの?」

「……は!?」


 ……天然なのか、素でそんなこと聞かれるとは思わなかった。

 もしかしてだが……というか薄々気づいてはいたが、恋愛感情についてまるでわかってないのではないだろうか。


「いや、めぐる先輩以上に人を好きになることなんて絶対にあり得ないってことなんですけど」

「……ほんと?」

「ほんと」


 ……ちゃんと伝わってるのかちょっと不安になってきたぞ。


「よかったぁ……。その、さ、あたしは白井君以外絶対あり得ないってわかってるんだけどさ」


 もうタガが外れたのか目茶苦茶恥ずかしいことを平気で言ってきた。


「白井君があたしのこと好きでいてくれてることはわかっても……あたしじゃなきゃダメな理由ってないからさ」


 え、マジか。わからん坊かこの人。

 ……えぇいもう全部言ってしまえ。マジで全部。


「めぐる先輩、俺がどれだけめぐる先輩のこと好きか全然わかってないようですね」

「え……」

「もう全部言います」

「は、はい」


 普段は言葉なくして通じあっても、こういうことだけは言わないとわからない。

 そんなこの人に、今まで押し殺したものすべてをぶつけよう。


「……正直言って一目惚れでした。新歓のPRで演奏を見たときにめぐる先輩の演奏する姿が焼きついちゃいました」


 嬉しくも恥ずかしい、目を合わせたくても直視できない、そんな様子で月無先輩は自分の言葉を黙って聴いた。


「そんで部室で会って……色々話して、最初の印象とは全然違ったけど……明るくって笑顔が素敵で……反則だろって思いました」


 想いは溢れど思考は意外にクリアで、ずっと言うべきことは定まっていたように口は動いた。


「好きなことに一生懸命で、それを話している時の顔が好きで……真面目な性格も、面倒見がいいところも……あと子供っぽいところも好きです」


 一度言ったからか、直接的な表現への抵抗も少し減った。


「皆頑張ってるって言ってくれますけど……正直言えばそれもめぐる先輩の期待に応えるために全力でやっていただけで……ちょっと不純かもしれないですけど」


 ……言って思ったがやっぱりそうだよな。

 何もかもこの人が理由だ。周りにはずっとそう見えていたんだろう。


 少し言葉が止まると、月無先輩が穏やかに口を開いた。


「フフ、全然不純じゃないでしょ。あたし、そこまで言ってもらえるとは思わなかった」

「……そうです? なら……」

「え……なら?」


 許容してくれたなら……ここまで言っていいのかアレだが、言ってしまおう。


「俺、多分初めて本気で、夢中になってるのが今の軽音楽部で……むしろそれも、めぐる先輩がいるからなんです」

「お、おぉ……」

「自分でも好き過ぎてちょっとアレというか……本当に全部が全部めぐる先輩で回ってるんです」


 ここまで言われるとちょっと重すぎてキモい気もするが……どうせいつかは言いたかった。感謝でもあり、素直な気持ちでもある。


「そこまでとは……!」

「……そこまでです」


 ……照れ隠しがまた可愛い。


「だからまぁ……めぐる先輩じゃなきゃダメとかじゃなくて……めぐる先輩のこと以外考えてないんですよね」


 十分伝わった気がする。

 今はこれ以上はパンクしそうだ。


「そっか……」


 そう言って、嬉しそうな表情のまま下を向いた。

 反応を待つと、またこちらに顔を向けて、何か決心したかのように深呼吸した。


「でもね白井君!」

「え? な、何でしょう」


 何だろうか。


「あたし、負けてるつもりないから!」

「……それはどういう」

「全部は言わないけど、あたしの気持ちの強さナメてもらっちゃ困るから!」


 心底嬉しいが……勝ち負けじゃないと思うんだが。


「だってあたしは五年だよ!? 五年!」

「え、何が……あ」

「フフ、そう。ずっと待ってた人ってことだよ」


 急に言われて混乱したが、すぐにわかった。

 五年という歳月、それはこの人が一番好きなものを押し籠めてた時間。


「君と会ってからどれだけ楽しくて、あたしにとって今までで一番楽しい時間か、わかってないね!」


 偶然とも思う。けどそれが自分だったのは確かだ。


「あ、やっぱりわかってないな。何で白井君じゃないといけないか」

「え……」


 少し図星だった。


「前にも言ったじゃん。ただゲーム音楽好きってだけじゃないって」


 よく憶えている。そう言ってくれたことがどれだけ嬉しかったかも。

 それでも、逐一理由を求めるなんて無駄なことだろうけど、他の人の可能性もあり得たとは思う。


「あたし……白井君の中身が好きなんだよ。いつも真面目で、気遣ってくれて、応えようとしてくれて……あたし、つい喋り過ぎちゃうのにいつも聴いてくれて。だから安心して一緒にいられるの。……こんな人他にいないの」


 ……これめっちゃ恥ずかしい。照れ隠しに何か言いたくなるのもよくわかる。


「この人だけは絶対あたしを裏切らないって思った。何があってもきっと受け入れてくれるって……男子のこと全然わからないからちょっと色々しちゃったけど」


 ……月無先輩を裏切るくらいなら死んだ方がマシだ。

 だけどここ数日の様子は、察するに仕方のないこと。多分ヤキモチ妬くなんてのも初めてなんだろうし、確約がない限り安心しきれないに決まっていた。


「あ……アレですよ……」

「アレって?」

「めぐる先輩が理想のタイプはゴルベーザとかハガーって言ってるのと同じ」


 ……伝われぃ。

 想い人とそういうのは別だということ。


「……あ、わかった。そういうことか」

「……ゲームを例えにするとやたら理解早いですね」


 冗談のようだがこの人はこれでいけてしまう。


「あたしの方がむしろやっちゃってるじゃん」

「……いや二次元に嫉妬とかしませんけど」

「今や時代は3Dだよ?」

「意味わかんね」


 ……もうツッコミも遠慮しないぞ。


「じゃあやっぱり気にすることもなかったんだ……」

「俺はあなたのことだけは絶対に裏切りません。何があっても」


 月無先輩の不安を晴らすように、改めて口にした。


「フフ、そっか。そうだよね」

「はい」


 言葉数少なく、信頼を確かめあった。


「……い……一生?」

「え……一生!」


 ……誓ってしまった。


「フフ、超嬉しい! 今までで一番!」


 あぁズルい、ここで今までで一番の本気の笑顔……否応なしにその気持ちが伝わってしまった。


 この為に今までの全てがあったんじゃないかと思うほど。


「あとさ!」

「なんでしょう」

「ここまで言わせて……すっごく申し訳ないんだけどさ」

「……? なんでしょう」

「あたし、正直まだよくわからなくって……」


 なんとなくだけど、それも察している。


「多分そう……っていうか間違いなくそうだと思うんだけど……。だ、大好きなのは間違いないよ!? ……でも、本当にそうだってわかるまで、待っててくれる?」

「待ちますよ、いつまでも」


 即答した。

 ゲーム音楽以外に没頭するあまり育ってこなかった部分、それが本当にわかるまで、この人のペースで歩んでほしい。本心からそう思う。

 でも勘違いじゃなければ月無先輩が「そう」だと言うもの……そんなものとっくに通り過ぎてる気さえする。


「ほんと?」

「ほんと」


 確かめ合うと、また同じ笑顔で応えてくれた。


 具体的な関係性はいらないと言えば嘘になる。

 それでも、月無先輩も想っていてくれたこと、そして言葉にしてくれたこと、その証明が今は何より嬉しかった。


 そう、本当に十分。ただこの先の未来がもっと素晴らしくなるという予感だけで十分なんだ。


「ハハ、だから安心して下さい。俺はいつまでも、めぐる先輩がやりきるまで待ってます」

「フフッ、あたしも同じ。白井君が軽音やりきったら、ね」


 最高の一瞬、そして大切な約束。

 全てを打ち明け合った上で待っていたのは、そんなものだった。


 





 隠しトラック


 ――おれは正気に戻った ~橋の上のベンチにて~


「ふ~……ちょっと落ちついた」

「……俺も何か……安心したというか」

「フフ、超照れるね!」

「ハハ、耐性あげなきゃですねぇ」

「殴り合い?」

「FFⅡかな?」

「アハハハ! さすが通じた!」

「とんだマゾゲーですよねあれ」

「ね。結構Ⅱ好きだけどね。……でも今考えたらあのシステムちょっとアレだね」

「育成=味方同士の殴り合いとか狂気ですよね」


「フフ……でも思ったんだけどさ」

「最近めぐる先輩もよく思いますね」

「うん。思う」

「なんでっしゃろ」

「あたし達さ……実際相当特殊だよね」

「……何を今さら」

「何かドラマみたい!」

「ハハ、そんな美化したようなものでもないと思いますけど」

「そうかな~? あたし結構グッときたけど」

「……どっちかっていうとラブコメ的な。いやハズいな。今の無しで」

「うん。迂闊だった」


「でもいいと思わない?」

「何がでしょう」

「ラブコメってさ、告白したら終わりじゃん」

「あ~。そこが大抵物語の終わりになってますもんね」

「その後もずっと続くんだよ! あたし達」

「……嬉しいですけどよくそんな照れるようなことを今言えますね」

「むー。ラブコメ野郎のくせに」

「……まだ言われてるんですかそれ」

「フフ、いーじゃん、ラブコメ野郎。フフ、アハハハ」

「ひとごとみたいに笑ってますけど……」

「ん?」

「ヒロインあなたですからね」


「あ……今のなし! そんなこと言うのズルい! 終了! ラブコメ終わり!」

「めっちゃ恥ずかしいですけど今のは俺の勝ちですね」

「もう絶対ダメこういうの! アレだ……ダメ!」

「語彙よ」

「……」

「……無言」


「あたしは……」

「……?」

「……あたしはしょうきにもどった!」

「戻れてないヤツじゃないですか」

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