小さな橋の約束 前編

 八月上旬 自宅


 ピキリと家鳴やなりの音がした。

 何故だかそれに心臓が呼応して目が完全に醒めてしまった。

 スマホを確認すると……。


「……二時」


 中途半端な時間だ。

 ……二度寝するにも寝つけるように思えず、目的もなく身を起こした。

 特に予定もない日だし、最悪昼に起きればいいし、どこかで眠ればいい。


「あっつ……」


 涼みがてら散歩でもするかと、部屋着のまま玄関に行きサンダルを履いた。


「……ん?」


 こんな時間にスマホから通知音がした。

 誰だろう、なんて疑問は湧かなかった。


『明日の午前中って空いてる?』


 するべきことがあった。

 いつもみたいに身を任せてじゃなく、自分からしなきゃいけないこと。


『空いてますよ! どこか行きますか?』


 そう思ったせいか、少し返答の仕方を変えた。

 ……これでいいのかはわからないけど。


『起きてるの?』


 質問への返答ではなくそう返ってきた。

 もしかしたら同じことを思っているのかもしれない。


『起きてますよ。今散歩でもしようかと思って外出たところです』


 それをたぐりよせるような気で返事をした。

 玄関を開けて、少しだけ足早にアパートの階段を下りて、返信を待ってスマホを見つめた。

 高校生かよなんて自分にツッコみつつも、スマホ越しに月無先輩を待った。


「……え、着信? ……もしもし」


 何を話すのかの予想も心構えも無しに、通話を取った。


「……フフッ、起きてる?」

「ハハ、起きてますって。どうしました?」


 いつもは互いに寝てる時間のハズ、そのせいか何でもない言葉でさえ特別に響いた。


「あ、あのさ! 明日って空いてるんだよね?」

「空いてますよ。夜バイトありますけど、それまでは」


 ……ちょっと待て可愛すぎないか。限界だわ。

 電話越しにもじもじされるとなんかシリアスに色々考えてたのが全部吹っ飛ぶんだが。


「じゃ、じゃあさ! それまでどっか行こうよ、どっか。フィールドワーク!」

「どこに行きます? めぐる先輩の行きたいところあれば」

「どこがいいかなー……どこがいい?」

「……無策ですか。俺もすぐには思いつかないですけど」


 自分も慣れているわけではないからド定番しかわからんし……何よりいつも楽しそうにしてくれるから、具体的に何をすれば喜んでもらえるのかわからん。

 一緒に過ごせればどこであろうと幸せだし、考えたこともなかった。


「むー……そうだよね~」


 電話越しとは言えゼロ距離でむーは色々とマズい。


「そ、そうだ!」

「なんでしょう」


 何か閃いたようだ。


「……今からさ、今から、会って決めない?」

「……わかりました。じゃぁ~……橋のとこでいいですか?」


 なんとなくこうなる気がしていた。


「うん! 待ってる!」


 通話を終えると、自然と歩調が早くなった。

 夜道に女性を待たせるのは心配だとか、先輩を後輩が待たせてはいけないだとか、そんな表面的な理由ではなかった。

 

 自分は自分の思っている以上に月無先輩のことが好きみたいだ。




 橋の真ん中に人影が見えると、色んなものが込み上げる気がした。


「フフッ、待ってたよ!」

「すいませんお待たせして」


 月無先輩は笑顔で迎えてくれた。

 それでも、言葉以上の意味を持ったそれに、これまでずっと待たせてしまったことを思い知った。

 色んな人に言われたし、巴先輩にだって昼間に言われたばかりだ。


「来なかったらどうしようかと不安になっていたところだ!」

「ギルガメッシュ……たしかに橋ですけどここ」


 ゲーマーらしい冗談でのやりとり、でもこれに逃げちゃいけなかった。

 ゲーム音楽バンドの充実ぶりで、やりきったような気にすらなっていた。


「すいません、何と言うか……不安にさせてしまって」


 珍しいほどにピュアで、意外なほどに繊細。

 客観的には何でもなくとも、月無先輩にとっては大問題。

 純朴すぎるこの人にはもっと応えなければ本当はいけなかった。


 知れば知るほどに愛おしく、過ごすほどにいつまでも一緒にいたいと思った。


「……フフッ、いつも謝るよね、白井君」

「なんていうか……悪い癖で」

「何も悪くないのにね。あたしが気にしすぎ」

「そんなことありません」


 遮るようにして言った。

 自分から、言ってあげなきゃいけない。


「なんというか……なんといえばいいのか……とにかくめぐる先輩はそのままでよくて……俺がちゃんとしなきゃなって。俺から。何も言えてませんし」


 言うべきことは決まっているのだが、上手く言えない。

 的確な言葉が見つからず、思い浮かぶ感情も安っぽいセリフのように聞こえてしまわないか不安になる。


「十分に言ってくれてると思うよ……白井君のこと、あたしはあたしなりにわかってるつもりだし!」


 それでもそれじゃ足りないのもわかっている。

 頭ではわかってくれていても、自己矛盾のようなものがあるハズだ。

 こちらもそれは同じ。伝わっているだろうけど、無言の信頼に逃げていた。


「めぐる先輩!」

「な、何でしょう」


 奮い立たせるつもりで名前を呼んだ。

 少し呼吸を整えて、言いたい言葉をしっかり紡ごう。

 そして顔を合わせて目が合うと……


「ちょ、ちょっとタンマ!」


 自分以上に恥ずかしがってる……。

 お互いこういう空気に全く耐性がない。

 今までは誤魔化し誤魔化しだったけど、誤魔化しようのない本音と本気を察してしまうと、どうにも覚悟が決まらない。


「ふー……いやあたしもマジでこういうの慣れてないから……」


 月無先輩は体勢を崩して胸を抑え、こちらをもう一方の手で制止した。


 ……気持ちはわかるが狼狽しすぎじゃなかろうか。

 弱点殴られて隙晒してるボスみたいになってるぞ。

 

 告白されたことはあっても、本気で捉えようと思ったことは一度もないんだろう。

 それに、恥ずかしさがすぐにカンストするようなところがある。こういうシリアスムードは本来的に苦手な性格なんだろう。……自分も同じだが。


 でも、こういう態度をとること自体が特別に想ってくれている証左、それだけで十分だ。


「……ちょっと座らんかね」

「……はい。語彙よ」


 自分も自分で急いたような気がしていたので、ありがたかった。


 橋にあるベンチに二人で腰かけ、息を整え、言葉を出すタイミングを探した。


「めぐる先輩」

「白井君!」

「「あ……どうぞどうぞ」」

 

 全くの同タイミングで重なって、互いに譲り合う。

 無言の間が数秒続くも、ベタベタなやりとりに二人して笑いを堪えられなくなった。


「アハハハ、ダメだあたし」

「ハハ、今のは不可抗力ですよ」


 台無しとは違う、いつもこうだったから、こうしたやりとりが二人の象徴なだけ。


「ふー……」


 しかし顔を覆いたいんだろうけど、試合前のアスリートみたいな構え方やめませんかね。足閉じなさい。


「ちょっと音楽聴いて気持ち落ち着かせよう」


 引き続きアスリートみたいなんやめませんかね。


「……ハハ、そうしましょうか。めぐる先輩らしい」

「フフ、わかってるね。さ~何聴こうか……あ」

「どうしました?」

「スマホ、急いで出て来たから置いてきちゃった」


 ……理由を察するともう可愛すぎてしょうがないんだが。


「白井君のスマホにしよう! ……よし! じゃぁこの場に合う曲を考えよ!」

「ハハ、わかりました。いつものやつですね」


 いつものごとくお題……あ、でも待てよ。


「俺のスマホ、FFくらいしか入ってないですわ」

「むー弟子失格」

「……普通の人FFすらも入ってないでしょ」


 ip○dには色々入れてるがスマホはしゃあないだろう。

 一番好きなんくらいしか他の音楽も入れてないし。


「何がいいかなー。今の状況……夜……ベンチ……橋……橋?」

「……あんまり橋橋言わないでくださいよ」

「……だって橋じゃん」

「もうFFで橋とかアレしか出てこないんですけど」

「……あたしも」


 もう予定調和というかなんというか、橋であることに誘導され過ぎな二人。

 『FF 橋 曲』の三つがそろったら一つしかない。

 場所的にはピッタリでも間違いなく場違いな曲……もう曲名も言わずに流してやれ。


「……プッ。フフフ……あ、ループにしよ」

「うす」


 ゲーム音楽界屈指の名曲。

 ファンじゃなくとも知っているくらいの。


「そういえばこの曲、前に音楽理論の時ちょっと教えてくれましたよね」

「そうだね。……あ、ここね。ベースだけ違う調弾いてるっていう」


 教材としてでなく、思い出として語ってくれないだろうか。

 この曲にもきっとあるハズの、月無先輩の思い出を。


「カッコいいよね、本当に。ピアノ始めた時、これ弾くのってすっごい大きな目標だったんだ。FFファンなら皆憧れるじゃない? これって」


 言わずとも伝わった。

 そうやっていつも、自分にとって一番嬉しいことをしてくれる……文句も意見も言うまでもなく。


「『ビッグブリッヂ』弾けたらゲーム音楽奏者として一人前! みたいなところある気がしてさ!」

「ハハ、確かにそんな気がしますね。……俺は聴くもんだと思って弾くって考え浮かばなかったですが」

「フフッ、軟弱だな白井君は!」


 目を合わせるとどうかなってしまいそうだったから、夜空に浮かぶ月に目をやり、楽しそうな月無先輩の声を聴いた。


「あたしはそりゃーもう頑張ったよ。耳コピから頑張って、一個一個音符も丁寧に書いて……初めてちゃんと採譜したのもこれだったなぁ」

「ゼロムスじゃないんです?」


 意外なことだ。一番好きな曲でなく、これ。

 月無先輩にとっては一番深い思い出の一つ、そんな偶然に嬉しくなった。


「FFⅣは楽譜ちゃんとしたのがあったからさ。ビッグブリッヂって、市販の楽譜じゃ簡略化されてるから、自分で取るしかなくって。16分音符のアルペジオのところだけじゃなくて、ベースラインもオブリガードも全部。多分今見たら間違えまくってると思う」

「まだ持ってたら今度見せてもらえますか?」

「う~ん……ちょっと恥ずかしいけど、いいよ! 白井君なら!」


 月無先輩は月無先輩なりに、こうしてと強調してくれる。


「すごいよねー……作った植松様本人は人気の理由がわからないなんて言ったらしいけど、あたしからすればこれよりゲーム音楽らしい曲ってないと思う」

「あ、なんかアルペジオ連続するだけじゃんってヤツ?」

「うん。でもこの曲で学んだことってすっごい多かったし、弾けた時の達成感もすごかった」


 それは感慨深いだろう。アレンジ版を含めなければ最高難度だろうし、弾けたと同時に憧れに辿りついたようなものだ。

 月無先輩が一番ゲーム音楽らしいと思う曲、それが憧れでないわけがない。


「FFⅤってさ、丁度『ビッグブリッヂの死闘』あたりからクライマックスに向かって行くじゃない? それまでも最高に面白いのに、そこからどんどん楽しくなる感じ!」

「あ、わかります。ドラマが加速するっていうか」

「そう! だからあたしもそうだったの!」


 こんな相槌でも喜んでくれる。こういう時だけはきっと望んだ答えを返せている。


「それから採譜もよくするようになったし~、早弾き系の曲もよく弾くようになったし~……ゲーム音楽する楽しみが一気に増えたんだ!」

「早弾き初挑戦がビッグブリッヂって段階飛ばし過ぎな気が」

「今思えばね……でも弾きたかったんだもん」


 それも月無先輩らしいか。

 独学で、愛と根性で乗り切って。本当に尊敬する。


「こことかね。特に」

「あ、ここもいいですよね」

「うん……プッ」

「……クッ」


 そうですよね、そろそろこらえられないですよね。


 ……だってずっと鳴ってんだもんループ再生で!


「あはは、何でこんな夜中に二人でビッグブリッヂずっと聴いてんだろうね!」

「よくよく考えたら意味わかんないですね」

「フフ、あたし達こんなんばっか! アハハハ!」


 二人で笑って、目が合えばまた笑って……またむせないかちょっと心配になって。


「は~……おかしい。鳴ってると笑っちゃう」

「ハハ、止めましょうか」


 波が収まって、少しニュートラルになって、心地よい無言の間ができると、自然に口が開いた。

 ロマンチックなムードや、大袈裟な舞台はいらない。

 ブチ壊しのような状況に見えても、ブチ壊されるようなものなど元から必要なかった。


 きっとこれが二人の在り方で、一番の幸せなんだろう。


 恥ずかしさなど微塵もなく、この人と過ごす時間をこれからも願った。


 ――「好きです」


 言葉にしたら少しすっきりするようだった。

 たったこれだけが何で今までこんなにつっかえていたんだろう。

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