仲間と過ごす時間


 スタジオ廊下入り口の廊下を開けると、月無先輩は出てすぐのところにいた。

 座り込んで顔を隠していたけど、悲しんでいるわけではない。

 ……とはいえ言葉の掛け方がわからないので、扉を閉めて少し待った。


 そんなに長い時間ではなかっただろうけど、少し時間が経った。

 月無先輩は顔を隠したまま声を出した。


「白井君?」

「はい」


 するとおそるおそる顔を上げてこちらを見た。

 止まるのを待っていたのか、目もとにはまだ雫が残っていた。


「……ハンカチ使います? さっき丁度洗ったので」


 楽器を扱う者のたしなみとして持っておいてよかった。


「な、泣いてねぇよ」

「ロッズかな?」

「……フフ、ありがとね」


 冗談交じりにそんなやりとりをしてハンカチを渡すと、目もとをぬぐってふぅっと一息……遠くに目をやりながら月無先輩は口を開いた。


「フフ、おかしい。正直引くって」

「……そんなことないですよ?」


 自嘲気味にそう言った月無先輩に、気遣いではなく本音で応えた。


「いや~あり得ないでしょ」

「それだけ好きだってだけですよ。俺は知ってます」


 少々キザだが……偽る必要もない。


「だってあたし、泣く女嫌いだし!」

「はは」


 あなたの涙を嫌みに思う人はいない、なんて思ったけどそれはさすがに歯が浮くので飲んだ。


「嬉しいもんは仕方ないですよ。俺もさっきちょっと感動しましたし。……めぐる先輩からすればその何倍もでしょうし、先輩方とも仲良しなんですからそれも含めりゃもっとだなって」


 月無先輩は穏やかな笑顔を向けて、黙って聞いてくれた。

 ついつい恥ずかしい台詞を言ってしまうけど、月無先輩はそれを茶化すことはないし、思ったように伝えればいい。


「それに、ここにいる人は皆わかってくれるというか……わかってると思いますよ。だから大掛かりな企画なのに参加してくれたんだと思いますし」


 そうじゃなかったら、なんて続けそうになったけどこれ以上は大口を叩くようでしなかった。それに、それでも十分だとは月無先輩を見ればわかった。


「フフ、そうだよね! ちょっと取り乱しちゃった!」

「慣れないとですね」


 この先はずっと体験することになるし、全員で合わせたらもっと嬉しい、ライブの時なんてどうなっちゃうのか。……思いやられるとは少し違うけど。


「落ち着いたら戻りましょう。皆待ってますよ」

「うん、ゲーム音楽する時間減っちゃうもんね」


 もう少し気を落ち着けたいようなので、心地よい無言の間を静かに待った。


 ……そしてふと気付く。


「どしたの?」

「……いやなんでも……ありますね。早く戻りましょう。……ほら」

「ん? ……あ」


 廊下の入り口はガラス扉、いつからか観察されていた。

 ガラス扉の向こうには春原先輩と巴先輩、そして珍しく冬川先輩。

 三者三様の反応で大中小と覗いていた。


「むー……」

「はは、ほんと愛されてますね」


 扉を開けると三人が言い訳を……


「あはは、ごめんね。奏がどうしても見たいっていうから~」

「ちょっと! 白井君、めぐる、私は止めたよ」

「……でもカナ先輩も結局見てた」


 ……全員共犯じゃん。


「ご、ごめんね? 二人とも」

「フフッ、全然大丈夫ですよ! ね?」

「え? あ、はい」


 冬川先輩はいじる側に回り慣れてないせいか普通に謝ってきた。まぁ見られてどうというものでもない、普通に月無先輩の言葉を肯定した。


「スーさん……余裕こいちゃってますよ……」

「……これは常習ですね」


 謎のトーンで巴先輩と春原先輩がひそひそ。

 よく考えたらゲーム音楽バンドでは全員が揃うんだから、こちらも慣れるかしないといけないかもしれん。

 月無先輩は耐性が上がったのかあまり気にしてない模様。

 そして、


「あ、氷上さん放置してた! あたし戻りますね。ほら白井君行くよ!」


 とスタジオへ。そういえば氷上先輩のギターのフレーズチェックの最中だった。

 戻る途中、秋風先輩が意味ありげに微笑みかけてくれた。自分のすることは全うしたつもり……それを認めてくれるような笑みだった。


「ごめんなさい急に!」

「ハッハ、まぁ気にすんな。再開すっか」


 誰も気にしていない模様……というか全員察している模様。

 誘った時の経緯やらで皆、月無先輩のゲーム音楽愛はわかっている。

 下ろしていた楽器を構え直して、氷上先輩が口を開いた。


「月無、さっきのはあれでよかったか?」


 余計に触れずに切り替えてくれるのも気遣いか。


「はい! ばっちりだと思います!」

「フッ、そうか。ならあれでいこう」


 月無先輩が迷わずそう答えると、氷上先輩からも笑みがこぼれた。


「あ、そうだ。ホーンってもう合わせられたりするかな?」


 八代先輩が思いついたようにそう言った。


「でき……ますかね? フフ、できたらいいなぁ」


 練習時間も気付けば残り30分程度、最後に皆で出来るとこまでやるっていうのは、月無先輩からしたらこれ以上なく嬉しい提案かもしれない。


「俺ちょっと聞いてきますね」


 今のところ演奏に加われない自分もやれることはせねば。

 スタジオの扉を開けてホーン隊に声をかけると、是非やろうと皆スタジオに入ってきた。

 割り振りも大抵決まって、フレーズの練習もそれなりに時間が取れたようだ。


「き、緊張しますぅ……」

「フフッ、なっちゃん、大丈夫だよ! 色々手探りだから楽しんでやろ!」


 メンツの豪華さにもあてられて、定位置についた夏井が緊張をあらわにするが、そもそも初回の練習な上に個人の練習時間も取れていない。

 気にすることでもないし……というか自分なんか今のところ何もできないから鍵盤のセッティングすらしてないぞ。


「……私と白井君、何すればいい~?」


 同じ境遇の巴先輩。巴先輩は現状楽器がここにない。


「あ、じゃぁともと白井は全体の音聴いててよ。色々問題出てくるから」

「おっけ~。責任重大だね~白井君」

「……集中します」


 聴くべきは……全体の音のバランスとか、カチあって聴きづらいところとかか。

 音数はかなり多いので、一番考慮すべきはそこだろう。


「フフッ! じゃぁお願いします! 皆さん!」

「アハハ、はいよ。じゃぁ行くよ~。『くものうえで』だけでいいんだよね?」

「はい! 今日はそれで行きましょう!」


 ドラムのカウントが響き、イントロのキメから。

 ホーンが入るだけで華やかさの次元が一つ上がり、たったの一小節で込み上げるようなものがあった。

 月無先輩にしたらもっとだろう……ついつい目が行ってしまいそうになる気持ちを抑え、全体を満遍なく見ることにした。


 自分が気付ける程の問題は特にはない気もした。

 それよりも、実演奏で見ることでゲーム音楽のフレーズの一つ一つの完成度を知るようで、圧倒されるようだった。

 どこに着目しても見どころというか、分析するつもりで聴くほどに、リズムの噛み合いにしても鳴っている音のバランスにしても完成度が高い。

 個々の技量あってのことだろうけど、音数も多いながらも互いの邪魔はせず、見事に調和しているように聞こえた。


 一周のループが終わり、適当なところで八代先輩が演奏を止めた。

 月無先輩は噛みしめるように穏やかな笑顔を浮かべ、皆言葉は出さずに釣られて笑った。

 最初に口を開いたのは……巴先輩だった。


「いいんじゃない~? めっちゃ~」


 ほっとするような感覚がスタジオ内に満ちた。

 肯定的な言葉以上に、巴先輩がそう言ったからだ。


「細かいとこは色々あるけど~……初回じゃありえないくらい出来てるし、今日は時間ないから後で話すね~」


 ちなみに巴先輩は普段の緩さとは打って変わって練習中は真面目。

 夏バンドでは演奏が終わるたびに色々と気付いたことを言ってくれるし、ダメ出しも結構する。

 「全体の音を聴くのはボーカルの仕事」と、そのための耳も肥えている。

 そんな人のお墨付きなのだから、これ以上の評価はないだろう。


「本当ですか!? 嬉しい……」


 ……今日の月無先輩は感動しちゃって生産的な意見は出せなそうだ。


「白井君はどう思った~?」

「え、俺ですか?」

「うん、おれ~」


 不意打ちのような感覚だったがそれもそうだ。


「……正直言えることが俺には」


 しかしこれもそう。口出しできる点がほとんど見当たらなかった。

 ミスがいくらかあったのは聞こえたけど、それを指摘しても意味がないし……。


「あ、一つだけ……」

「お、なんだなんだ~」


 めっちゃ怖いが一個だけ思ったことがあったのだった。

 こうした方がよくなるんじゃないかと思ったことなのでダメ出しではない。

 ……でも怖い。


「ギターなんですけど……」

「……ほう」


 その先は言葉を選べ的な反応しないでください氷上先輩。


「アハハ、いい度胸してるね~」

「言ってしまえ~。このへたくそ~って」


 余計言いづらくなるからやめてくれ……。そして変な視線が自分に集まる。

 意を決して……


「鳴らすタイミング減らした方がいいかなって思ったんですけど……いやすいません何と言えばわからなくて……ほんとすいません」


 知識不足かつ領分を越えた挑戦……。反応が怖い。


「ストロークを減らすってことか。確かにその方がいいかもな。やってみるか」


 ……めっちゃ聞き入れてくれた。納得したように、いとも簡単にすんなりと。


「俺も後で言おうと思ってた。それと、もう少し打楽器側のアクセントに合わせるように意識してみてくれ」


 そしてなんと土橋先輩が同調してくれた。

 氷上先輩はこの曲に関してはリズムセクション寄りの役割なので、そこ同士で思うところがあったのだろうか。


「すいませんなんか……補足ありがとうございます」

「フッ、気にするな。客観的意見があった方がこっちも助かる。あと謝り過ぎだ」

「白井も思ったことがあったらどんどん言うといい。よく聴けている」


 氷上先輩も土橋先輩もむしろ褒めるようにしてくれた。

 買い被りというか……特にこの二人は自分に対する評価が高すぎる気もする。


「じゃぁこういうのはどうかしら~」


 そこで秋風先輩の啓示が降り注いだ。


「ループ出来るんだし~、気が済むまで色々試してみるとか~」


 なるほど……無限練習。ゲーム音楽はうってつけだ。


「いいんですか!? すっごい楽しそう!」


 何度でも合わせられるということで月無先輩はいつになく目を輝かせた。


「アドリブで色々入れてみんのもアリかもな。手ごたえ良かったら採用っつってな」

「それもいいね~。ふふ、やってみましょ~」


 この曲をモチーフに自由にセッション、という感じだろうか。

 演奏の中で色々探る時間、コピーするのが精一杯な自分には未体験の領域、それが間近で見られるのは僥倖だ。


「あ、じゃあ私も参加しよ~」


 そう言って巴先輩は機材置き場をがさごそ、鍵盤ハーモニカをとりだした。

 ……一応自分も鍵盤なだけに何もできないのが悲しい。


「白井君は任務続行だね~。ふふ、私の分までしっかり聴くのだ~」

「……任されました」


 しかしこれもいい経験。音楽をやる上で耳は肥やしても肥やし足りないものだ。

 

「おし、気が済むまでやるか! ノッてきたら何でもアリで」


 八代先輩が号令をかけ、再びカウントとともに曲が始まった。

 先程よりもさらに非の打ちどころなく、周回するごとに澱みなく、曲の軽快さを十全に表現していった。

 新しい試みやアドリブフレーズ、目で合図を送ってソロ的なものも入れたりと、音で会話しているようにも見えた。

 16分音符でハネた軽やかなリズムの中で、全員が全員、心からの爽やかな笑顔を見せていた。


 数ループ繰り返したところで八代先輩が合図を送り、テンポを落として華やかにフィニッシュ。よくアドリブで全員決められるものだ……。


「いい感じだな! お兄さんもう慣れたわこの曲」

「うん、私も。あ、でもハイハット16分でちくちく刻むより、8ビートに落とした方がバンドだといいかなって思ったんだけど、どうかな」

「あ、あたしもそっちの方がいいと思いました!」

「おっけー、じゃぁそれで」


 演奏終了するなり始まる活発な議論。

 ホーン隊も楽譜を見ながら四人で何かしら話してるし、今の何周かで相当な収穫があったのだろう。

 

 自分も色々なアレンジ案の吟味に参加させてもらい、練習の時間も終わりに差し迫った。たった一回の練習でこれほど多く知れたものもない、そう思えるほど有意義な時間だった。


 ――


「バンド飯いける人~」


 練習が終わると、巴先輩が全体に声をかけた。


「はい!」


 はは、月無先輩めっちゃ手伸ばしてるよ。

 喜びの表現が子供みたいだけど、今日は仕方ないか。可愛い。


 全員予定は入っていないようで、全員で行くことに。

 ゲーム音楽バンド初練習からの初バンド飯、多分今日は月無先輩にとって一番思い出深い一日になるだろう。


「ふふー、めっちゃ楽しみ!」


 鍵盤を二人で持ちあげて片付ける最中、月無先輩がそう言った。


「ですね。……暴走しないでくださいよ?」

「……え、フリ?」

「……したいの?」

「したくはないです」

「はは、頑張って我慢してくださいね」


 しょうもないやりとりに幸せを感じつつ、二人でゆっくりとケースに鍵盤を仕舞った。


 ぞろぞろとバンド飯へ向かう間、月無先輩は今日仲間になった巴冬川コンビと仲良く話していた。多分カービィの思い出とかだろう。

 一番好きなものを共有できる最高の仲間、ここにいる全員が月無先輩にとってかけがえのない存在、そんな風に思えた。




 隠しトラック

 ―― 社会科見学 ~道端にて~

 

 バンド飯に向かう途中


「土橋、次の練習の時あんたのスネア借りてみてもいい?」

「あぁ。さっき一回試してみればよかったな」

「それと今度個人練付きあってよ。すっごいムズいから大変でさ。リズムセクションで考えることも多いしさ」

「あぁいいぞ。パーカス借りれるとこで入るか」

「おっけー。ありがとね」


「ほら見ろ夏井ちゃん、ああやって発展していくんだ。お兄さん物知りだから何でも知ってる」

「なるほど……」

「スタジオという密室に男女二人、練習と言う名目でこれを簡単に作れちまうんだ」

「なるほど……巧妙です……!」


「いやないから。第一に土橋彼女いるし。後輩に何教えてんのよ」

「何ってそりゃあバンド団体あるあるだろうが」

「そんなこと言ったらヒビキとだってパート連ちょくちょく一緒にやってたでしょ」

「まぁそうだが」

「それで何も起きなかったでしょ?」

「……確かに! ってそれ結構グサっと」

「なるほどです!」

「……夏井はすっかり追い打ちが板についてきたな」

「……? どういうことでしょう、土橋先輩」

「まぁいい、お兄さんメンタル強いから気にしない」

「さすがです!」


「そして次はあの並んで歩いている二人だ。夏井ちゃん」

「氷上先輩と白井君ですか?」

「そうだ。何を隠そうあいつらこそが……」

「……ごくり」

「さっきの話の成功例だ」

「……なるほど、勉強になります」

「氷上が一番オーソドックスなパターン。教えているうちに……あっ。ってヤツだ。気付いてしまったらもう止められない」

「なるほど、教えているうちに……」

「しかし白井は普通に見えてかなり珍しい」

「ど、どのようにでしょう」

「ヤツは凄すぎる。自制心がバグっている」

「し、白井君はバグっている……!」

「特殊サンプルとして目下研究が進行中である」

「なるほど……結果を待ってます」


「ヒビキさ、悲しくならない?」

「誰かがしなきゃいけない話ってだけさ……」

「あ、そう。ってか話戻すけど、ヒビキも来ればいいじゃん。リズム隊だし」

「……そりゃそうだな。確かに」

「ヤッシー先輩すごい! 二人目ですね!」

「やめなさい変な言い方」

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