意気地なしなりの言葉

八月中旬 大学構内 大講堂地下 スタジオ廊下


「ふぇ~あつう゛~……今日は一段とだね~」


 最近涼しい日が続いていたせいか、暑さが改めて身にしみる。

 いつもは背筋を伸ばして鍵盤に臨む月無先輩も、今日ばかりは猫背でそれを体現した。


「暑いっすね~……」


 久々にスタジオ廊下で一緒に練習、有意義な鍵盤講座もひと段落ついたところで……一気に気が抜けてこうなってしまった。


「……アイス! アイス買いに行こうぜ~」

「……妙案」

「白井君の驕りね~」

「……一応言っておきますけどあなた年上でしょう?」

「授業料!」

「はは、いいですよ。お昼時ですし丁度よかったですね」


 いつも世話になっているし、飲み物とかだってよくそうしている。

 月無先輩は奢られ上手というか、百円程度でも素直にめっちゃ喜ぶからそれが可愛いし気分がいい。

 それに、たまに「師匠の偉大さを」とか言いながら奢ってくれるし、プラマイはほぼ均等、何かと理由をつけて律儀に返してくれるのだ。

 それがまた可愛いので自分としては結局プラスしかない。


「ダッツねダッツ!」

「流石にそれはキツい」


 でも一応は釘刺し。


 そんなこんなでコンビニへ、てくてくと二人で歩く。


「あたしね~。ブーゲンハーゲンとハーゲンダッツの関係性について気になってて」

「はは、大分暑さにやられてますね」

「何が!」

「頭が」

「むー。あ、巴さんとカナ先輩」

「……あ、ほんとだ」


 冬川巴コンビの二人が丁度コンビニから出てくるのが見えた。

 月無先輩が嬉しそうにかけよると、巴先輩も両手を広げて大きな胸で受け止めた。

 ……暑い暑い言っておきながらくっつきたがるなよ。でも眼福。


「ふふ~おはよ~めぐる~」

「おはようございます! 今日は早いですね」


 ……正午過ぎなんだが。


「お昼買いにきたの~?」

「フフッ、アイス買いに来たんです!」

「暑いもんね~今日。白井君もお疲れ~」

「お疲れ様です。……あれ、巴先輩までこの時間に?」


 自分と同じく前中後に区切られた後半練習、練習開始はまだまだ先だ。


「私が中半練あるからね。寝坊しないようにもう連れてきたの」

「なるほど……寝坊の意味が少し違う気がしますが」


 冬川先輩は月無先輩と、午後一時からの中半練。

 学校に来る時間がズレると遅刻等が心配ということだろうけど、多分これは名目。 

 一緒に来たいだけなんだろう。

 何だかんだ巴先輩のことを一番大切にしているのは以前に知った。


「じゃ、私達先に行ってるね。ちょっと音確認したいから」

「あ、はい! また後で!」


 普段から猫背で今日は一層ダルそうな巴先輩と、暑くても背筋を伸ばして歩く冬川先輩、そんな二人の後ろ姿は対象的でなんだか和む。


「フフ、あんなこと言っててもカナ先輩、巴さんと一緒にいたいんだよ」

「あ、やっぱりそうなんですね。あの人見た目と中身一致しなさすぎな気が……」


 そう返すと、少し考えるようにして、上目遣いでこちらを見て言った。


「……男子的にはそういうとこグッっとくる?」

「……一般的にはそうかもですね」


 今のあなたの仕草の方が個人的には……無自覚め。


 コンビニに入るなり、月無先輩はアイスの什器じゅうきにダッシュ。

 客があまりいないからと言って目立つ行為は避けてもらいたい。


「どれにしよっかな~」

「200円以内にしてくださいね。その一角はアカン」

「むー……ダッツ……ダメ?」

「……今日だけですよ」

「ほんと!? ありがとう! 嬉しいな~……抹茶!」


 ……ちくしょう次も買ってあげちゃいそうだ。


「白井君いっつもそれだね。ハードクリーム」

「……いや確かに固いけど」

「え、マジで言うんだよ。ハードアイスクリーム」

「……マジか。ボケかと思った」

 

 見た目からソフトクリームのパチモンって呼んでたが……衝撃の新事実。


 昼食も一緒に買って、溶けないようにと早足で大学に戻ったはいいが……


「あっつぅ~。スタジオに辿りつくまでに溶けちゃうよ~」


 暑さにすぐばてて、移動速度は結局普通に。


「学食寄ってきますか。涼しいですし」

「そうだね、食べてから戻ろっか」

 

 夏休みで閑散とした学生食堂。

 空調は利いているが、営業はしていない。

 運動部なんかがミーティングで使っているのを見かけるくらいで、今日はそれもなく見事にがらんどう。

 

「ふっふーアイスアイス~。……あ、ゴチです」

「いえ、どうぞお納めください」


 そして満面の笑みでカップアイスを一すくい。

 ほおばるや否や歓喜の声を漏らしてそれを味わった。

 こんな幸せそうな顔をしてくれたら三百円程度安いものだ。


「あ……ひとくち食べる? 白井君が買ってくれたの独り占めしちゃアレだし」

「え……じゃぁちょっとだけ」

 

 他にこの場に誰もいなくてよかった……。

 そしてもらったはいいが、味なんて全然わからない。

 なんとなくプラスチックのスプーンでよかったとか意味わからんことばっか思い浮かぶ。


「あ、あたしもひとくちもらっていい? ……ハードクリーム」

「……どうぞ」


 これ男子勢に見られたら死ぬな。

 秋風先輩に見られたらもっと死ぬ。

 そんな風に幸せすぎるアイスタイムが過ぎ、昼食もついでに食べてしまうことに。

 自分も月無先輩も大抵こういう時はそうめんか蕎麦。麺類が好きなのは二人共通だ。

 

 ずるずると麺をすすり、ふと思い出す。

 ……冬川先輩と巴先輩のこと。

 二人の三年生としての想いを想像すれば、このままではいけないと……。


「フフ、何考えてるの?」

「え? あ、いや……」


 食べる手がいつの間にか止まっていたせいか、突っ込まれてしまった。

 でも穏やかな時間に水を差すようで中々言いだせない……度胸のなさがここでもブレーキをかけてしまう。

 首をかしげてこちらを見る月無先輩の瞳に、罪悪感をあぶり出されるような気にさえなった。


「変なの! フフッ」


 でも今しかない、そうとも思える。

 この笑顔を曇らせることになっても、言えれば必ずまた晴れるハズだ。


「あの、ちょっといいですか?」

「うん。やっぱり何かあったんだ」


 ……言いだしづらいけど、今言わなきゃいけないこと。


「冬川先輩と巴先輩、ゲーム音楽バンドに誘いませんか?」


 色々な理由があったのに、それ以上は言えなかった。


「うん、わかってるよ。あたしもそうしたい」


 何故だか迷いのない言葉のように思えた。本心で言っている。


「そうしたいし……したくない理由もないんだよね」


 ……でもこれは嘘だ。何故だかそう思えた。

 月無先輩が自分に嘘をつくのは初めてかもしれない。

 そして、これを言わせてしまったのも自分。


「……今日誘おうかな。今日しかないよね、もう」


 ……何を言えばいいのかわからなかった。

 鈍感を演じてそのまま肯定しても、結局ことは運ぶだろうし、自分が気にし過ぎと周りには言われるかもしれない。


「白井君もやっぱりいてくれた方がいいと思うよね、カナ先輩と巴さん」

「……はい。オールスターですし……」


 反射的な答えしか出来ない自分に情けなさが込み上げる。


「フフ、白井君、巴さんに気に入られてるしね」


 言葉と笑顔、それとは裏腹に怯えているようにも思えた。

 

「そういうことではなくて……なんというか……」


 月無先輩は何も言わず自分の言葉を待った。

 言葉を出そうにも、言い訳を探すような感覚と何も変わらない。

 それでも今言えることは……月無先輩だよりになってしまうが……


「本当にただオールスターってだけです! ゲーム音楽をやるなら考えられる最高のメンバーでやりたいですし……」


 まだ逃げ腰なのが情けないけど……


「……俺、憧れてる人いるんで! 気に入られてるからとか、そういう理由で巴さん達誘いたいわけじゃないです」


 言えてしまえばどんなに楽か。

 昨日の春原先輩のアドバイスを何も有効活用できちゃいない。

 二人の間でしか通じない行間を込めて、理解してくれることに頼ってしまった。


「そっか!」


 悶々とするこちらを尻目に、月無先輩は晴れた笑顔でそう言った。

 直接的に言ったわけじゃなくとも、わかってくれてはいる。


「フフッ、そっか~白井君は好きな人いるのか~」

 

 顔面が思いっきり紅潮するのがわかった。

 空調の利いた場所だ、暑さのせいでもない。

 憧れの人と言ったはずだけど、訂正する必要は感じなかった。

 察しているだろう月無先輩も似たようなもので、恥ずかしまぎれに食べかけの蕎麦を一気に啜った。

 これでよかったのだろうか……自分の限界だからこれ以外にできなかったけど、納得してもらえたのだろうか。


「早くスタジオもどろ。練習始まる前に言わなきゃ!」

 

 善は急げだ。早く食べ終わ……


「ブフッ」

「うわ吹いた!」

「……失礼」


 色々焦ったせいかむせてしまった。薬味め。

 

「女子の前で蕎麦吹きだすとか。ウケる。……はいティッシュ」

「あ、ありがとうございます。……でもめぐる先輩、俺の前でカロリーメイト吹いたの忘れてません?」

「……はて? ……フフ、アハハハ、あったね、そんなこと!」


 よかった、いつもの笑顔に戻ってくれて。蕎麦吹いてよかった。


 気付けば練習開始間際の時間、急いで片付けて二人でスタジオに戻った。


 §


 スタジオに降りる階段の途中、ピアノの音色が聞こえてきた。


「あれ、誰か弾いてる?」

「巴さんだと思うよ。あの人ピアノも弾けるし」

「え、マジか」


 廊下入り口のガラス戸越しに、確かにその姿が見えた。

 

「フフ、白井君の鍵盤使われてるね!」

「あら。まぁ置きっぱでしたし」


 それにしても……胴に入った弾き方でなく遊びで弾くような感じだけど……上手くね? 

 天才タイプなのはわかるけど何故か軽く凹むわ。


 扉を開いて廊下に戻ると、巴先輩は弾く手を止めてすぐにこっちに声をかけてきた。


「あ~遅いぞ二人とも~どこでイチャついてたんだ~!」

「フフッ、学食でお昼食べてました! ここ暑いじゃないですか」


 お、月無先輩の対応力の向上が見られる。


「だね~。あ、白井君ピアノ勝手に使っちゃった。ごめんね?」

「あ、いいですよ全然。……ってか上手いですね」

「あはは、上手くはないよ~。でも昔習ってたからさ~」


 そんな風に他愛のない会話をしていると、


「前のバンド片付け終わったみたいよ。めぐる、準備始めましょう」

「あ、はい!」

 

 ぞろぞろとスタジオ内から人も出てきて、廊下が賑わう。

 ……ゲーム音楽バンドに誘うタイミングを失ってしまった。

 ともあれとりあえず準備を手伝い、自分はどうしようかと考えていると、巴先輩が声をかけてきた。


「白井君、後半練まで部室でのんびりしよう~。ここじゃゆでだこだ~」


 そうだ、巴先輩も自分と同じく後半練習の時間まで暇……。

 断る理由はないのだが……。


「フフッ、巴さん一人だと起きないから白井君一緒にいてあげれば?」


 月無先輩自らそう言ってくれた。


「今日のうちのバンド練、昨日の練習とやることもそんなに変わらないし、とものこと頼んでいいかしら?」


 冬川先輩も過保護っぷりが窺える言い方でそう促した。

 それならまぁいいだろうか。

 夏バンドでの話もあったし、部室で涼む気でいたし、丁度よかった感もある。

 

「じゃぁ部室行きますか。涼みに」

「行こう行こう~」


 しかしゲーム音楽バンドについてはどうしたものか、なんて思いながら鍵盤を片付けていると、月無先輩が囁いてきた。


「巴さんのこと、白井君から誘っておいて! あたしカナ先輩誘うから!」

「え、俺が?」

「うん、タイミングなくなっちゃうから、役割分担」

「……御意です」


 多分特に意味はないのだろう、効率的に作業を分配しただけ。

 任務を受領して片付けを続けていると、巴先輩が月無先輩に何やら耳打ちして、

 

「そ、そういうのじゃないですし!」


 ……はぁ、また何か言われたな。

 でも嫌そうでもないし、巴先輩もニヤニヤではなく慈しむ様な笑顔。

 反応が可愛くてからかっているのだろう。


 中半練習の開始時刻には他のメンバーも揃い、自分と巴先輩はスタジオを後にして部室に向かった。


「ま~めぐるがヤキモチ妬いたらしっかりフォローしてあげるんだぞ~」

「……はい」


 むぅ……巴先輩はどこまでわかって言っているのだろうか。

 しかしそれを聞けるわけでもない、気にしないように進行方向にわざとらしく目を向けた。





 隠しトラック

 ――その頃の二人 ~スタジオ廊下にて~


 冬川&巴、廊下でダベり中


「帰ってこないな~あの二人~」

「あなたが邪魔するからでしょう?」

「え~、そんなつもりないのに~」

「受け取る側からしたらそうじゃないんじゃない?」

「あ~でもめぐるって案外ヤキモチ妬きなのかな~?」

「どうでしょうね。その割には自由にしてる気がするけど」

「あ~……スーが昨日言ってたもんね」

「うん。白井君じゃなかったらってちょっと思った」

「白井君苦労するよね~。文句言うタイプじゃないけど~」

「全部許しちゃう気もするけどね」

「あはは、奏と一緒だ~」

「……ハァ」


「ね、賭けようよ」

「何を?」

「いつ二人が付き合うか~」

「……悪趣味よ、それ」

「いいじゃん~。あの二人可愛いんだもん~」

「わかるけど……そういうのじゃないって白井君いつも言ってるじゃない」

「言い訳な~。……実はもう付き合ってて隠してるだけかも?」

「それはないでしょ。めぐる絶対隠せないし」

「あ~……全部言っちゃうもんね。嬉しいことは特に」

「フフ、素直でいいところなんだけどね」


「でもめぐる変わったよね~」

「そう?」

「うん、可愛くなった~」

「前から可愛いじゃない」

「もっとだよ~もっと~。二年になってからもっと明るくなったし~、一年の時よりも楽しそうだし~」

「確かにそうかも。希達もそんなこと言ってたわね」

「恋すると変わる?」

「そうなのかもね。でも、ともだって最近そっちの話増えたよね」

「あはは、あの二人のことだけだよ~。他は興味ない~」

「……他は氷上君くらいしか話題にあがらないものね」

「うん、どうでもいい~」


「やっぱ恋する乙女はいいね~」

「羨ましいってこと?」

「いいや~? そういうのじゃないけど。見てて幸せになるじゃん~」

「めぐるくらいでしょ、そういう目で見れるの。……彼氏作らないの?」

「またまた~わかってるくせに~。奏こそどうなんだよ~」

「ハァ……あなたの世話してたらできるわけないでしょ」

「素直じゃないな~。……私が自立したら?」

「それは……するの?」

「……しない~」

「そこはしなさいよ」

「あはは。でも私も恋しよっかな~」

「え……するの?」

「ふふ、しない~」

「……もう」

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