眠り姫の深層

 八月上旬 大学構内 軽音楽部スタジオ


 夏のバンド、記念すべき一回目のスタジオ練習。

 いよいよ始まる第二のバンドライフ。

 今日は軽音の歌姫、もとい眠り姫、巴先輩とのバンドの曲決めだ。

 夏休みの間、スタジオ時間割は前中後と三つに区切られ、本日の巴バンドは午後一時スタートの中半練の時間。


 楽しみな気が逸って一時間も早く来てしまったが、同じく一年の夏井と二年生の春原先輩が既にスタジオ廊下にいた。


「お疲れ、白井君。来るの早いね」

「お疲れ様です。何か早く来たくなっちゃって」


 春原先輩と挨拶を交わすと、夏井も元気よく同意した。

 

「私、初めてスタジオでメンバー揃うのが楽しみで!」

「ふふ、だから私達も早く来ちゃったんだ」


 ちびっ子コンビはよく一緒にいるから、逸る夏井に春原先輩が合わせたんだろう。

 しかしこの二人が揃うと和むというか平和というか。


「曲決め楽しみですね! どんな曲やるのかなぁ」


 選曲に関しては一部知っている。

 夏井も春原先輩も同じく一部のみ知っていて、それ以外は未だ全然のようだ。

 基本的には最後のバンドになる三年生が曲を決めるので、委ねる形になる。

 三人で色々と予想をしつつ、会話を弾ませた。


「あ! お疲れ様です!」


 夏井が立ちあがって廊下の入り口に向かって挨拶……氷上先輩だ。

 自分もすかさず挨拶をした。


「早いなお前達」

「ふふ、楽しみで早く来ちゃったんですって」

「フッ、そうか」


 少し緊張する一年二人に対し、春原先輩は二年生の余裕。

 春の代表バンド同士の会話は何故だか格上のやりとりに見える。

 三年の先輩が来たということで、改めて曲は他に何をやるのか訊いてみた。


「前に聴かせた曲以外は俺も聞いてないな。……その日を楽しみにとか言ってたが、巴の考えてることはわからん」


 ……マジか。

 まぁ氷上先輩は巴バンドの選曲にあまり口出しする気がないのか。


「あ! 吹先輩! お疲れ様です!」

「お疲れ様~。みんな早いわね~」


 そして女神こと秋風先輩も降臨。

 夏井と春原先輩がわかりやすく嬉しそうにした。


「……俺の時と反応が違わないか」

「ひっ」

「あ、いや怒ってるわけじゃないぞ」


 ……ドンマイっす。


「ドンマイです氷上さん」


 あ、春原先輩は言っちゃう子なのね。

 

「うふふ。夏バン長いから、なっちゃんは氷上君に慣れなきゃね~」


 そして夏井がおそるおそる氷上先輩と目を合わせ……いや黙るなよ。


「……飲み会で俺を質問責めにした時の威勢はどこへ行ったんだ」

「……お、お酒の席でしたので」

「なっちゃん素面だったけどね」


 氷上先輩にまで質問責めとかハンパねぇな。

 ……そうだ、まだ時間はあるし、秋風先輩にも訊いてみよう。


「曲ってどんなのやるんですか?」


 すると、口元に指を当てて少し考えるようにして、応えてくれた。


「う~ん、私も全部は聞いてないのよね~。ともちゃんの好きなの~としか聞いてないかな~」


 ふむ、予想はしていたが秋風先輩も同じくと。

 期待とも不安とも違うが、眠り姫の選曲はどんなものなのだろうか。


「投票一位目指すかもわからないのよね~」


 確かにそこも不明瞭。

 気にするほどでもないけど……謎は深まるばかりと。


「でもそれだけがモチベーションじゃないからね~。楽しんでやろうね~」


 流石女神、ごもっともです。

 気負い過ぎてもよくないし、いずれにせよ実力的についていくこと以外は考えてもしょうがない。


 そんなこんなで普通の雑談が始まり、しばらくすると土橋先輩も到着。

 開始時間近くになると、巴先輩と冬川先輩もやってきた。

 ……猫背でダルそうな巴先輩と、姿勢よく歩くだけで美しい冬川先輩、正反対の性格がよくわかる。


「お~揃ってるね~。皆おはよ~」

「もう昼でしょ。時間ギリギリまで寝てるんだから」


 早速のマイペースと、それを諌める言葉、その場の空気もより和やかになった。

 ちなみにベースで二年生の正景先輩は日程が合わず今日は欠席だけど、誰も触れないあたり流石だ。


 前半練のバンドがぞろぞろとスタジオから出てきて入れ替わり。

 挨拶だけでなく思い思いにやりとりをしている中、どんな曲をやるのかと訊かれた巴先輩が「内緒~」と言っているのが聞こえた。


 輪を作るようにして床に座ると、巴先輩がゆる~く号令。


「じゃぁ曲決めはじめよっか~」

「合宿ライブは五曲やるとして、三つか四つは今日決めちゃいましょうか」


 冬川先輩が進行の補佐をして、いよいよ曲決めが始まる。

 すでに全員が周知している曲から二曲はすぐに決まり、じゃぁ次はこれ、と巴先輩が初めて流した曲……。


「ブッ」


 氷上先輩がいきなり吹き出す。

 何事かと思ったが、イントロですぐに察した……アニソンだ。多分。


「これやりたくってさ~。カッコいいよね~」

「確かに名曲だが……」

「まぁまぁ~とりあえず聴こうぜ~」


 氷上先輩を制止して全員で傾聴。

 露骨すぎるわけではないが、アニソンだとわかる曲。

 曲自体はすごくいいし、是非やってみたいと思うのだが……なんて思っていると秋風先輩が口を開いた。


「いいじゃないこれ~楽しそうね~」

「お~吹が気に入ってくれた~絶対楽しいよこれ~」


 ……くっそ、なんてユルいやりとりなんだ。力が抜ける。

 一旦聴き終わると氷上先輩が真っ先に声をあげた。


「何で急にアニソンなんだ」


 いやその通り。

 偏見はないけど、サブカル絡みである以上少し気になる。


「アニソンだったんですか? これ」

「絶望先生だよ~。曲いいんだよ~これは『ほれっ・ぽい』って曲~」


 夏井の質問で明らかになったタイトル。

 アニメの名前は知っているが、曲は初めて聴いた。


「でもアニソンどうこうじゃなくって単純にやりたかったからさ~。皆どうかな~」


 曲自体は皆気に入ったようだし、何より楽しそうだとノリ気。

 少なくとも「うわ、アニソン」等とバカにされるような曲ではないし、完璧に決めればきっとライブ映えする曲だ。

 問題があるとすれば……。


「口出しする気はなかったが……アニソンか」


 アニソンを愛しアニソンに全精力を注ぐ氷上先輩が若干渋る。

 好きだからこそ演奏する場を選ぶという考えのこの人が関門だろう。

 月無先輩しかり、好きな人ほど気にするものだ。


「ダメかなぁ~」


 選曲に関してあまり話してこなかったのはこれが理由だったのか。

 やりたいし単純に好きだけど、アニソン。メンバーで偏見を持っている人はいないが、曲の良さとは関係なく、カテゴライズがひっかかるのは事実だろう。


「氷上はこの曲好きじゃないのか?」

「……もちろん好きだ。絶望先生は曲なくして語ってはいけない程OPもEDも神だ。OPに大槻ケンヂを起用した上で筋肉少女隊をもじったグル~以下略~」


 土橋先輩の質問に答える限りでは、氷上先輩は元々相当好きそう。

 むしろめっちゃやりたいけどやっていいのか、そんな葛藤がありそうだ。


「ならいいんじゃないか? これくらいのテンポの曲が一曲あった方がセトリに緩急もできる」

「まぁ確かにそうだが……」


 土橋先輩はノリ気なようで、選曲としての有用性の話にすでに移っている。

 曲はいいしセットリストにも一曲は欲しいタイプの曲だが、逆接が抜けないあたり、氷上先輩はすんなり受け入れることは出来ないようだ。


「曲が気に入らないってわけじゃないなら、一曲くらい許してあげてくれないかしら? 氷上君が部でこういうのやりたがらないのはわかってたんだけど……」


 冬川先輩がフォローを入れると、氷上先輩に視線が集まった。


「まぁ一曲くらいならとは思うのだが……。バンドの方向性が見えてこない」


 なるほど、方向性。

 方向性の違い(笑)みたいによくネタにされるが、モチベーションがメンバー間で乖離していたら上手くいくわけがないのは事実だ。

 それに、氷上先輩からすれば本気で好きな音楽だからライブではし、やる意味に妥当性が欲しいんだろう。


 その言葉に一同思うところがあるような反応をする中、巴先輩が答えた。


「私は、最後のバンドはただ楽しくやりたいんだ」


 本音だとすぐ伝わる、迷いのない言葉に聞こえた。


「……皆で頑張れて皆が楽しめて~。そんなバンド。この曲もアニソンとか関係なしに好きだし、すごい楽しいと思ったからさ~」


 裏表は全くなく、取り繕うようなものでもない、巴先輩なりの芯だった。


「ガチで代表目指すとかなら別だったかもだけど~、皆で楽しめる曲やりたかったからさ。女子全員でコーラス回したりしたらすごい楽しそうだしさ~」

「うふふ、楽しそうね~」

 

 ……秋風先輩はもうやる気マンマンだな。

 でも不明瞭だった胸中が明らかになったようで、それには他のメンバーも納得しているようだし、どうだろうか。


「ふむ……まぁそういう方向ならいいか。やりたいものが一致しているのが一番だな。がっつりホーン隊いないとできない曲だしな」


 おぉ、氷上先輩攻略。

 本音ではやりたくてしょうがなかったんだろうな。

 それに、言いだしづらさがあったのも察した上で尊重したのだろう。


「ありがとうね~ヒカミン~」


 懸念は去ったと、巴先輩は安堵の混じった笑顔を見せた。


「……まぁ巴のバンドだからな。巴に選曲は任せるって言っ」

「お~? 素直にやりたかったって言えよ~ツンデレ~」


 そしていつもの調子に戻った。

 ……しかし何で皆して氷上先輩に当たり強いんだろう。

 一件落着と場が和むと、春原先輩がふと口を開いた。


「ふふ。これ、上手くやれたら部内で流行るやつですね」


 ライブ後にも覚えていられるキャッチーなフレーズはしばらく流行ったりする。

 最初のライブの後も一年の間で、代表バンドが演奏したラリー・グラハムの『Pow』が流行ったものだ。

 『ほれっ・ぽい』にしても、夏井なんかすでにサビのメロディを口ずさんでるし、エンターテイメントとして見てもいい選曲かもしれない。


 方向性に関しても、合宿での投票一位、つまり次の代表バンドを目指すわけではないのは意外だったけど、楽しみたいという巴先輩の考えには全面的に同意だった。


「あと一曲はまた今度決めましょうか。今決まってる三曲を練習していってから決めた方がよさそうだし」

「そうだな。統一性あるようでないから後から探った方がまとまるだろう」


 冬川先輩の仕切りに氷上先輩が返して、曲決めは一区切りとなった。


 §


 スタジオでのバンド練習は三時間、曲決め自体は一時間もかからず終わってしまったので、後は自由に個人練習なりと各自過ごす。

 スタジオ内では土橋先輩と氷上先輩がドラムとギターでガッツリ音を出しているので、自分はいつもの如く廊下で、決まった曲の耳コピをすることにした。


 ……しかし集中しようにも先程からちらちらと目に入る。

 廊下に置かれた電子ドラム用の丸椅子でくるくる回転する巴先輩が。


 コンビニに行った他の女子勢に買いものを任せ、何故か廊下に残ってこちらの様子を見たり見なかったり。

 まぁ音取りは後でも出来るし、先輩を無視して自分のことに集中するのも何か居心地悪いから話かけよう。


「巴さんって、アニソン好きなんですか?」

「別にそういうわけじゃないよ~。あれはただ好きな曲ってだけ~」


 あら、そうだったのか。

 

「アニメ見るには見るけど~、ヒカミンみたいに何でも見るとかいつも見てるってわけじゃないかな~。映画の方が多い~」

「なるほど……」


 アニソンとか関係なく、本当に単純に曲が好きってことか。


「ヒカミンがオッケーくれてよかったよ~。すっごくやりたい曲だったからさ~」


 氷上先輩も持論はともかく好きな曲だったろうし、いいことだろう。


「いい曲ですもんね」


 そう返すと、嬉しそうに笑ってくれた。


「アニソンだからダメなんてもったいないしね~。そんなの関係なしでいい曲はいい曲だから」


 何の気なしに、本心から思っているであろうその言葉は、とても大切な考えのように響いた。

 レッテル貼りで何か言われる筋合いはないと、音楽そのものの良さに目を向ける、自分にとって大事な教訓かのように。


「俺もそう思います。本当に」


 そして結局繋がってしまうが、月無先輩にとっても必要な言葉に思えた。

 自然体でこう言える巴先輩はやっぱりゲーム音楽バンドに誘いたいものだけど……それは自分の領分じゃないか。


「どしたの何か考え込んで~」

「……え、あぁそうでした?」

「うん~。……さてはめぐるのこと考えてたな~」


 エスパーかよ。

 しかし白井=めぐるのことばっかりみたいな風潮どうにかならんものか。


「ま、うちのバンドの時はこっちに集中してね~」

「そ、それはもちろんです。必ず」

「私だけを見て! 的な~」

「それは違う気が」


 ちょいちょい反応に困るブッコみ方してくるのも慣れんといかん。


「私のわがままに付き合ってもらう以上、楽しくやれるように頑張るからさ~」

「……? わがままなんて誰も思ってない気が」

「まぁいーのいーの」


 最初は自分勝手なマイペースさかと思ってたけど、そうではない。

 氷上先輩や秋風先輩、他の先輩方がバンドを一任しているわけだし、バンドマスターとしての巴先輩は、バンドメンバーのためを思う信頼できる人だ。


「そうだ、一つ言いたいことがあったんだ~」


 何だろうか。

 そのためにここに残ったのだろうけど。


「一曲は白井君に考えて欲しいんだよね~。セトリ」

「……え、俺がですか!?」

「うん~。一年生にもさ~。なっちゃんはもう一つの方で色々出すだろうし~」


 自分が選曲……なんという重荷。


「ふふ、難しく考え過ぎないでさ、好きな曲あったら言ってね~」


 いや難しいですって……オールスターに近いメンバーで自分が選曲って、身の程ってものがあるでしょうに。


「……他の先輩方もそういう考えなんですかね?」

「いや~? 誰にも言ってないよ。だから次の曲決めの時、あったら言ってね~」

「はぁ……わかりました」


 釈然としないままにそう返事を返すと巴先輩は満足そうにした。


 今日の曲決めで真相が見えたような気がしていたが……まぁ深く考えるほどのことでもないのか。

 巴先輩の考えは相変わらず見えづらいけど、多分一年にも積極的に参加してほしいってことなんだろう。


 自分が知る中で最高のボーカル、軽音の歌姫に歌ってほしいと思う曲。

 いくらでもありそうだけど、だからこそ本気で考えるべきかもしれない。

 

 ……悩みってほどではないんだろうけど、また考えることが増えてしまった。




 隠しトラック

 ――三~五面くらい楚歌 ~スタジオ廊下にて~


 コンビニから冬川、秋風帰還


「お~おかえり~」

「ただいま。はい、ともの分」

「ありがと~」

「あれ、夏井とスー先輩はどこ行ったんですか?」

「ちょっと散策してくるって」

「あはは、お子様二人は仲いいね~」

「スタジオ、氷上君達が使ってるし~、廊下でいいわね~」

「そうね。ちょっと行儀悪いけど」

「あ、じゃぁ俺椅子持ってきますね。外出たとこにありましたよね」

 

 白井退席


「何の話してたの? わざわざ残って」

「ん~? 特に何も~」

「そうなの?」

「でもま~白井君といったら一つしかないでしょ~」

「……はぁ。夏バン長いんだから潰さないであげてよね」

「だいじょぶだいじょぶ~。潰すの私じゃないし~」

「……そうね」

「……二人とも何で私を見るのかしら~?」

「だって~」

「……ねぇ?」

「うふふ、しろちゃんも可愛い後輩よ~」


「でもアレだよね~。めぐる泣かせたら吹だけじゃ済まないよね~」

「そうね~……カナちゃんも黙っちゃいないよね~」

「事情によるんじゃないかしら……。でも希とかもね」

「ヤッシーはお姉ちゃんだもんね~。……退路ないね~」

「うふふ、前途多難ね~」


 白井帰還


「お~白井君お帰り~」

「あ、はい。椅子、これでいいですよね」

「ありがとね」

「ありがと~」


「……な、何ですか皆して」

「生き延びてね~白井君~」

「うふふ、頑張らないとね~色々~」

「何ですかこの状況……冬川先輩?」

「そうね……命かかってると思って」

「……死にたくねぇっす」

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