飲み会⑤ 運命的な出会い


 飲み会開始から数時間。

 未だ喧騒はやまず、どのテーブルも雑談に花を咲かせている。


 折角だからバンドメンバー全員で語らおうと、巴バンドのテーブルに戻ってからしばらく時間が経った。

 部の仲間同士で語らう時間の楽しさは相当に密度の濃いもので、時間の経過はすっかり頭から抜け落ちるほど。何でもない会話だとしても、一秒でも情報を逃せば損をする、そう思うくらいに楽しい時間だった。


 午前三時過ぎ、フロアの入り口付近にあるトイレへと立った。

 遠巻きに聞こえる楽しそうな声と少し隔絶された空間。

 それに少しばかり淋しさを感じて、手を洗って素早く戻ろうとした。


「わわ!」


 危ない!

 …………って、あれ、月無先輩?


「大丈夫ですか?」

「う、うん大丈夫。ありがと……」


 たまたま向かいの扉、女子トイレから出てきた月無先輩とぶつかりそうに……。


「あ、す、すいません!」


 慌てて支えたので体を抱きとめる形になってしまった。


「……って、白井君こそ大丈夫!? 指とか怪我してない!?」

「い、いや大丈夫です! 先輩こそ」


 咄嗟に体勢を整えると、月無先輩は真っ先にこちらの心配をしてくれた。

 でも突然のことに思考がまとまらず、反射で出る言葉しか返せない。


「あ、あたしは大丈夫! ……はぁよかったぁ。白井君がピアノ弾けなくなっちゃったりしたら大変だったよ~……」


 心配してくれることは嬉しいが、それよりも腕に残った感覚ばかりが気になってしまっていた。……こういう偶然って現実で起こるもんなのか。


「フフッ、でもよかった、白井君で」


 ……まったく意図が理解できないけど、この状況でそのセリフは追い打ちのように感じてしまいますよ。

 

「ヒビキさんとかだったら潰されてましたね」


 こうして冗談で押しとおすしかできなくなってしまうんです。


「……フフッ。そうだね!」


 はぁ……なんとか平静を保てた。


「そ、そうだ白井君さ」

「なんでしょう」

「……ちょっとそこで話さない?」


 そう言って、月無先輩は入口の先の階段を指差した。

 上の階、客間ではないフロアに繋がる誰も使わない階段。


 MVPの労いだとか、ゲーム音楽バンドがいよいよ活動可能になったことだとか、話したいことはたくさんある。

 意識してしまうようなもの以外でも、二人でしか出来ない話はいくらでもある。


「いいですよ」


 そう返して二人でそこに移動した。


「フフッ、ちょっと狭いね」


 二人分と少しくらいの幅の階段。

 その一段に、間を空けて腰を下ろした。


「夏バン始まるね」

「え? あ、はい」


 月無先輩は話を始めたが、狭い階段に並んで座った途端、今の状況に対する疑問ばかりに思考が持っていかれていた。


「え? じゃないよぅ! ここからが軽音の本番なんだからさ!」

「あ、……もうすでに最高に楽しいですけどね」


 気の抜けた返事に突っ込まれて、やっと会話に意識が引きもどされた。


「夏休みは部活漬けだし、合宿だってあるし! 六泊だよ六泊! それに学園祭とか、またグラフェスもあるし! 細かいライブだっていっぱいあるから!」

「とくに合宿めっちゃ楽しみですね」


 話題の具体性に助けられて気を取り直した。

 しかし色んな先輩からその楽しさは聞き及んでいるし、エピソードを耳にするたび羨ましいと思うくらいだ。


「フフッ! 事件もいっぱい起きるからね!」


 ……あぁ何か言ってたな。

 インパクト強いのがある度に夕飯の時間に発表されるだとか、事件簿みたいなのに乗るだとか。


「どんなのがあったんですか?」

「う~ん……『マウントパンチ土橋』とか巴さんの『スーちゃん捕縛』とか~さっきの、藍ちゃんの『来いよアニオタ!』もその中の一つかな!」

「あと『めぐる無双』でしたっけ?」

「むー、それはいいの!」


 こうして冗談交じりに月無先輩と話している時は本当に落ち着く。

 多分、軽音生活には他にも楽しいことだらけのハズなのに、こうしている時が一番楽しいと錯覚するほど。


「フフッ! ……でもね」


 でもね、そう言って、少し口ごもるようにして言葉が途切れた。

 

「……夏バン始まったらさ、明日からは毎日皆がスタジオ来るしさ」


 自分も思っていること、月無先輩がそれを言おうとしていると予想が付いてしまった。

 

「夏休み始まってからさ! 昨日までほとんど毎日だったからさ」


 直接的な言葉が出せないのは自分も同じ。

 夏休みが始まってから今日まで、ほとんど毎日のように会っては二人で練習したり、ゲームしたり、そしてゲーム音楽に触れたりした。

 恥ずかしすぎて思い浮かべるだけでも憚られる言葉だけど、二人の世界というものが確実に存在している。

 そしてそれがどれだけ楽しいかは互いによくわかっている。

 少し誤魔化すような言い方にしか出来ないけど、自分から言ってもいい気がした。

 

「これからも毎日……がいいです。俺は」


 ……同じようなことは何度か言ったが、マジで恥ずかしいセリフだなこれ。

 月無先輩は言葉を紡げずいるし、距離が近いせいで顔は見れないが、きっと通じていると思う。


「ゲーム音楽する時間は減らしませんよ」


 月無先輩にとって一番大事なそれをダシに使うのもよくないけど、こうでも言わないと間が持たなかった。


「……フフッ! そうだね! あたしも! ……あたしも毎日がいいなぁ」


 むぅ……しんみりした言い方しないでくれ。


「さ、さっきさ! もう二十歳になるんだしって、ちょびっとだけお酒飲んでみちゃって体温上がっちゃって! ここ涼しいしさ! ははは、暑い暑い」


 月無先輩はそう言って顔をパタパタと扇いだ。

 ……この人なんでこんなに誤魔化すの下手なんだろう。

 まぁ全部アルコールのせいと流してあげよう。

 それに、自分だって同じ。人のことは言えないか。


「あ! そ、そういえばさっき本当に大丈夫だった!?」

「……何のことです?」


 恥ずかし紛れか、何かを言うが、咄嗟に思い浮かばず聞き返した。


「さっきお手洗いから出た時さ、倒れそうになって。倒れそうになって……」


 いや思い出して自爆してんじゃん……切り替えるのが下手すぎるぞ。

 忘れていたのに腕の感覚が蘇ってしまうじゃないか。


「ゆ、指とかさ! ピアノもゲームもできなくなったら大変じゃん!」

「ほんとに大丈夫ですよ、ほら」


 手をグーパーして見せた。


「よかった!」


 そう言って、月無先輩は手から目を離さず言葉を続けた。


「結構指開くんだね」

「……一応めぐる先輩と同じ鍵盤奏者なんですけど」

「あはは、そうか当然か」


 そして今度は、月無先輩が手を大きく開いて甲を見せた。


 長く綺麗な指。

 自分よりも細く、自分よりも少し上に沿った女性らしい指。

 少し深めに切りそろえた爪は鍵盤奏者である象徴。

 まるでピアノを弾くために授かったかのような、美しく均整のとれたそれに何故だか見入ってしまった。


「ってかメチャメチャ開きますね、指」


 クソみたいなラブコメならここで「綺麗だ……」なんて呟いちゃうクソテンプレ展開だろうけど、そんなヘマはしない。

 ……正直ここまでの展開だけでもう処理限界なんです。


「ちょっと自慢なんだ! きっと神様がゲーム音楽やるためにくれたんだよ」


 そうそう、そうやって笑顔でいてください。


「だからきっと、ゲーム音楽とあたしが出会ったのも運命なんだよ!」

「ハハ、そうかもしれませんね」


 結局ゲーム音楽に結びつくのもいつものことだけど、こうして月無先輩らしくいてくれた方がいいし、何よりそれを語る笑顔が一番いい。


「いや~多分最初からだったよ! 途中で気付く前からだったの。大好きなの」


 そういえば始まりはFFⅣだって言ってたっけ。

 その前からゲームはしてたんだろうし、そこで自覚を持ったってことか。


「意識したことってそれまでなかったからね。気付いちゃったら急にさ」

「それまでは聴き流してたってことですか? 意外」

「……フフッ! そうそう」


 状態異常のアレは別として、月無先輩の楽しそうに語る声は自分にとって最も心地よく、いつも聞き入ってしまう。

 共感を示したりすると更に嬉しそうに加速するのがまた好きで、自由に謳歌する様に見入ってしまう。


「それでもここまで好きになるなんて思わなかったけどね」


 はぁ……そう言ってもらえるゲーム音楽が羨ましいわ。


「だからやっぱり毎日話したいな!」

「……さっき言ったじゃないですか、ゲーム音楽する時間減らさないって。ゲーム音楽バンドだってもう始まりますし」


 夏バンドとの兼ね合いが死ぬほどキツそうだけど……この人のためを思えばって、正直思っていたりする。


「……そうだよね! フフッ!」


 ……至近距離でこの笑顔は殺人的だろう。


「あ、あのさ」


 惚けてしまっているところに、再び何か言いだそうとした。


「本当に、指、大丈夫?」

「……なんかやたら指気にしますね。大丈夫ですって」


 再びグーパーして見せる。

 しかし何かおかしいな今日の先輩。


「……男の人の手ちゃんと見るのって初めてでさ」

「はぁ、お兄さんいるじゃないですか」

「お、お兄ちゃんのそんなに見たりしないでしょ!」

 

 単純な興味か……まぁそう思っておこう。


「手のひら大きいね」

「そうですかね? 小さくはないと思いますけど」


 何かに思考を取られぬよう、自分の手の情報に集中した。


「フフッ。あ、でもあたしの方が指長いかも! ……ほら!」


 大きく開いて手のひらをこちらに向けた。


「ほんとだ。ってかめぐる先輩が長すぎるんですよ」


 本当に羨ましい、ピアニスト然とした指。

 指の隙間から覗く先輩の瞳に焦点を当てぬよう、それに少しばかり注目した。


「……でも合わせてみたら多分同じくらいかな?」


 考えないように、思考の外に追いやったこと。

 月無先輩の言葉はそれを想起させるようなものだった。

 自分が気にし過ぎなのもそうだけど、流そうとしたりしても、月無先輩がそうさせてくれないことは何度かあった。


 意図がわからないほど鈍感なつもりはない。

 かといってここで手をスッと差しだせるほどの余裕も持ちあわせていない。

 何も出来ずにいると、大きく開いた月無先輩の指が、少しだけ俯いた。


 ……。



「……はい。あ、ほんとだ、合わせたら同じくらいですね」


 パッと合わせて、名目だけを確認して、すぐに立ち上がって背を向けた。


 期待はずれなことをしたかもしれないし、怒らせてしまうかもしれない。

 それでもこれが今の自分には限界だったし、火傷のように熱い手のひらに残った感触がさっきまでの全てを上書きして、全神経が持っていかれた。


「フフッ! ありがと!」


 すぐ後ろからそう聞こえた。

 救いのようなそれは、裏表のない、いつもの月無先輩の言葉だった。


「俺、先に戻りますね。また何か言われるだろうし……」


 意気地も度胸も男らしさも皆無なのが本当に情けない。


「うん、あたしもうちょっと涼んでく」

「ハハ、お酒抜かないとですもんね」


 そうして階段を下りた。


 上に残った月無先輩に少しだけ目を向けると、両手を合わせてそれを見つめていた。



「ふっふっふ。話は全て聞かせてもらっ」

「やめなさい」


 ……マジかこの人達。


「何やってるんですか二人とも」


 フロアに降りて振り返りざまに出会ったのは清水寺の二人、清田先輩と水木先輩。

 ……まさか聞かれていたのか。


「白井、本当に聞いてはいないからね。このアホはともかく」

「お花摘みに参ったら何か聞こえたから!」


 結構バツが悪いし、空気読めよって思うところはあるけど……


「ちょっとは発展したかなってな!」

「進展だろ……それじゃ白井ホモじゃん」

「え……ホモなの?」

「ホモじゃねぇですよ」


 現実に引き戻してくれるようで正直言ってありがたかった。

 水木先輩には以前に自分も邪魔してしまったし(夏編①『氷上弦の語られざる進展』参照)、怒る筋合いもなければ、怒る気も毛頭ない。


「なんかごめんね白井」

「いや全然。むしろ助かったというかなんというか」

「助かったの!? 白井君変な奴~」

「意味察してやれよアホ」

 

 ……笑うしかないくらいの話の通じなさがまた逆に助かる。

 アホの清田先輩のおかげというのも地味に癪だが。


「じゃぁ白井君はもう私に逆らえないな」

「いや意味が」

「ほら頭が高ぇぞ一年。敬え」

「……酔ってんですか?」

「ほーらこうべを垂れろ~ぺしぺし」


 やっぱただのサイコかもしれん。

 背伸びして頭ぺしぺししてくるし。


「……白井、無視していいよ、素面しらふでこれだから」

「あ、はい。やっぱマジヤバいっすねこの人」

「先輩だぞ!」

 

 しかし月無先輩が戻るタイミングを失いそうだ。

 早いところテーブルに戻ろう。


「白井君は私に対する尊敬の念が足りないな~。アホだと思ってやがるぜ」

「だってアホじゃないですか。俺もう戻りますよ」

「白井も藍の扱い方わかってきたな」


 そんなやりとりをして、軽音楽部の日常の輪に戻った。


 繋がりそうで繋がらない……多分繋げようとすれば繋がってしまうような気がしたけど、どうすることが正解なのか全く分からない。

 きっと今日はお酒が入ったせい、そう思って切り替えた。






 隠しトラック


 ―― アホの清田 ~飲み会にて~


「あれは……何かあったな!」

「ほんとやめなよ……。ウチのことならまだいいけど」

「白井君は私に対して敬いが足りてないからな!」

「あんたも氷上さんナメきってるじゃん」

「ハッ。はじめさんはすっかり嫁気取りですか。氷水がよぉ」

「……藍ってほんと人煽るよね」


「何してるの? 藍ちゃん達」

「あ、めぐるちゃん! ふっふっふ、話は」

「だからやめなよほんとに。ごめんねめぐる」

「フフッ、別にいいよ、聞かれてても。どうせ藍ちゃんだし」

「な、ナメられてる。この私が……ってなんか余裕なかんじ」

「うん、嬉しいことあったから」

「眩しい……。ってこの三人で私だけじゃん何もないの!」

「……あるわけないじゃんアホだし」


「フフッ。……あたしと白井君はそういうのじゃないよ」

「「そーなの?」」

「うん。いつも言ってるじゃん。師弟だって」

「ふ~ん。でもいいよね、二人ともなんか楽しそう」

「うん! 楽しいよ! 通じる話いっぱいあるからさ」

「あ、わかる。ウチもそう。いつまでも話してられ」

「ハッ!! 嫁気取りで余裕ですねはじめさんは」

「あんたほんと残念だね……」


「いいもんいいもん……私にだっていつか運命の人が……」

「来ないよ」

「あ! 藍ちゃんならさ」

「え! 誰誰? 私にもいる!?」

「うん、いるじゃん。バカの林田君」

「絶・対! ……ヤだ!!」

「「だよね~」」

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