幕間 八代希の密かな想い

 大学構内の大講堂地下、軽音楽部のスタジオ。

 そこに一人ドラムを叩く影あり。


 三年生である八代やしろのぞみは同学年の誰よりもストイックに練習に励み、日々の鍛錬を怠らない。

 入部段階では初心者でありながら、高校時代に陸上で鍛えた根性と持ち前の運動神経で、実力主義の軽音楽部で実力的な信頼を得るに至った。

 快活な性格で分け隔てない振舞いから人柄的にも人望は厚く、日に焼けた褐色肌が男子勢のコアな人気も集めている。


 そんな八代は白井とめぐるの師弟関係を微笑ましく思っており、今日も今日とてその姿を見ようと思っていたようだが、あいにくと二人の姿は見えず。

 少しガッカリしつつも、かといってやることは変わらないと練習に励んでいた。


「ふ~。休憩しよ。……しかし遅いなアイツ」


 スタジオで待ち合わせ、相手は遅刻。

 代謝のよい体から滴る汗を拭きながら、そんな風に愚痴をこぼした。

 

「シャツ換えよ」


 陸上のきわどい格好に慣れているせいか羞恥心に欠けているところがあり、スタジオでも人がいなければ平気で着替える。

 要は「減るもんじゃないし」を地で行くタイプ。


 シャツを着替えたタイミングでちょうどよくスタジオのドアが開いた。


「……本当にすいません」


 入室と同時によどみない動きで神妙に土下座をするその人物は、部長のヒビキ。

 そして冷ややかに目をやる八代と、部の長としてあってはいけない光景。


「理由は?」


 多少の威圧を込め、八代が問いただした。

 一応のチャンスはやるようだ。


「……朝から二合いっちゃって。……ヤバいと思ったが食欲を抑えきれなかった」

「……ブフッ。……よし、許す」

「あざす」


 心の広い八代は返答が面白ければ許したりする。

 全体に迷惑をかけなければ、大抵の場合こうして水に流すのが彼女のスタンス。


「もうちょっと早ければ着替え見れたのにね」

「クソ! 米!」

「アハハ、キッモ!」


 部を引っ張る立場として互いに信頼がある二人。

 こんなやりとりを気兼ねなく出来るくらいには仲が良く、男女としての意識はほとんどない友情があったりする。


「まぁ呼び出したの私だしね。悪いね、わざわざ来てもらって」

「いいってことよ。方針は俺らである程度決めた方がアイツらもわかりやすいだろ」


 八代がヒビキを呼び出した理由は夏のバンドの話。

 白井(鍵盤)、林田(ギター)、椎名(ボーカル)の一年生三人と組むに当たって、経験の長い三年二人で指標を立てておこうということだった。


「で、曲なんだけど~」


 コピーする曲の候補をいくらか出していく。

 バカ騒ぎして楽しむバンド、漠然としたテーマはあれど、最小限の楽器編成では意外とそれに合致する候補曲は出てこないもの。


 いいと思ってもホーン(管楽器)が入っていれば編曲必須。

 鍵盤が一台じゃ足りなかったり、はたまたいなかったり。

 ギターが二本以上入ってる曲もやりづらいし、ボーカルの合う合わないもある。


「これもいいんだけど~……この編成でやったらスカスカになりそう。白井の負担もあるし、クオリティ下げるくらいだったら見送った方がいいかもね」


 八代は真剣な眼差しで、ステージ上の出来栄えをイメージしながら曲を吟味した。

 ただ楽しむにしても、それは無様を晒していいことには繋がらず、不完全で不出来なライブも望まれない。

 実力主義の軽音部員という以上に音楽好きとしてのプライドがある八代は、自身が演奏するものに妥協をよしとしない。

 融通はきくし、完璧に演奏することよりも楽しむことに重きをおいてはいるが、本気で取り組むことが本気で楽しむことにつながるとの確信がある。


「定番だけどハイロウズどうかな『日曜日よりの使者』とか。林田とか最高に合いそう。あれ鍵盤も楽だし」

「いいな、俺も好きだし皆楽しめるしな」


 しっかりと部員のことをよく見ている八代は、それぞれのことも考えられる。

 メンバーの個性や技量をも考慮に入れて、ベストな選曲が常に出来るのは彼女の最も優れた点の一つ。


「大体まとまってきたな。サンキューな八代、ほんと助かるわ」

「何よ改まって」


 そして同学年からも信頼されている。

 理想的なバンドマスタータイプの八代には、部長のヒビキですら一目置いている。

 春の代表バンドでこそなかったが、部内カーストの最上位にいるのは確実であるし、ヒビキが八代の発言を促す場面があるのもそれが理由。


「やっぱお前部長やってもよかったんじゃねって未だに思うわ」

「……それはないでしょ。グラフェス見てやっぱ私の立つステージじゃないって思ったし。平部員の方が性に合うしね」


 八代は実は部長候補だった。

 いわゆる上層部にあたる人間しか大々的には知らないことであるが、選出にあたって名前は出ていた。

 八代本人が、実力不足、女子部長は例がない等の理由を挙げて自ら辞退した。

 

「まぁ現場の人って感じだしな。助かってるわ」

「だから何なのよ改まって。私は好きにしたいってだけなんだし」


 まとめ役は彼女の性質であるが、部長のような立場に立つのは好きでない。

 高校の陸上部では仕方なく部長をやったが、大学ではヒビキがいたので遠慮なく辞退できたのが実情。


「いやでも白井とか、お前のバンドじゃなかったら上手くいかなかったろ。鍵盤事情結構心配あったからな」

「どうだろうね。まぁめぐるが教えてあげるの前提だったからね」


 白井が春のバンドで最高の体験を出来たのは八代の配慮が非常に大きい。

 バンドの鍵盤奏者が大成するには、技術以上に適応力と器用さが必要なもの。

 的確なめぐるの指導があったとはいえ、八代の選曲とバンドの指揮がなければ、柔軟性に欠ける白井にはもっと不自由があってもおかしくなかった。


「それでも白井自身の頑張りってすごくデカいよ。そこを認めてあげなきゃ」


 八代が白井のことを誰よりも評価しているのも、その様子をしっかり見ていたからで、夏のバンドを一緒にやることに関しても、それがなければ受けなかった。

 何より、愛する後輩であるめぐるの指導をこなし、期待に応えたことは八代にとっても嬉しいこと。

 めぐるに応えることは八代に応えることでもあったのだ。


 そしてめぐると白井、二人の名前が出揃ったことでヒビキがふと尋ねた。


「……あの二人って付き合ってんの? 周りほとんどそう思ってんじゃね?」


 夏休みなので噂が広がるような機会はないが、そう睨んでいる人も多い。

 ヒビキはエグいイチャつきを目の当たりにしているし、何より合同ライブ『グラフェス』で見せためぐるの笑顔、それが決定的な証拠と認識されている。


「アハハ、それはないよ、ないない」


 八代が一笑にふす。

 ヒビキからすれば釈然としないが、二人に近い八代がそう言うならそうなのだろうと割り切った。


「ふ~ん……。まぁ月無あんなだしな」


 めぐるのその手のスタンスは代表バンドメンバーや親しい人は知っている。

 時間の無駄とまで切り捨てるほどに恋愛に興味がないし、八代と同等以上にストイックなめぐるが音楽以外にかまけることはないだろうともわかっている。


「そうそう、だから言ったじゃん、白井は苦労するって」

「……お前このこと言ってたの? 預言者かよ」


 三か月前のオール飲みでのこと。

 部活にしろ関係性にしろ、大体の予測はしていたというのが実のところ。


「なんかお前が一番部活楽しんでる気がするわ」


 愛する後輩に慕われ、本来は新入生のお試し期間のような春のバンドでも強い結束を得て、涙を流すほどの体験をした八代。

 同じ三年の立場からすれば、一番いい思いをしているようにも見えていた。


「アハハ、そうかもね。後輩みんないい子で嬉しいよ」


 いつものように笑って、それでも少し噛みしめるように、八代はそう言った。

 自身の人柄と面倒見のよさから得た結果でも、決してそれを驕ることはせずに後輩に感謝を述べた。

 

「それに嬉しいのよ。めぐるがあれだけ白井に熱心に教えてるのとか見てると」


 そしてそれが後輩に受け継がれているところを見れば、それが一番の幸せ。

 めぐるにしても、後輩への接し方のモデルは他の誰でもなく八代であり、一年の頃に八代に世話になった経験が活きている。

 

「月無も変わったよな。清水寺トリオにアドバイスしてるの見た時ビビったわ」


 その結果として同輩同士でもわだかまりがなくなっていったり、複雑に絡み合う部員同士の事情のどこかで、八代の想いがよい方向に進めている。

 実際のところ、部が上手く回っていくことに他の誰よりも貢献しているのだ。


「ね、音楽の話はしなかったもんねめぐると他の二年。ちょっと心配してたけど、引退までにそういうとこ見れてほんと嬉しいよ」


 三年冥利に尽きる、そんな言い方で八代は振り返った。

 本来泣くようなキャラでなくとも、春バンドの打ち上げで泣いてしまったのは、得られた結果が予想を遥かに超えた嬉しいものだったせいでもあった。


「全員が楽しめる部活の方がいいからね」


 そして何気なく、心からの願いを口にした。


 三年になればよぎる引退という二文字、制限時間を自覚した上での八代の想い。

 後輩達、同輩達、身を置く軽音楽部にしてもそう。

 愛する全てが上手くいくよう、八代はそれを最優先にする。

 時には自己犠牲的であろうが、その先に待っているものが望むものなら迷わず奮闘する。

 誰よりも深い愛を持って誰よりも楽しむ、それが八代の軽音での過ごし方なのだ。


「だからあんたが部長の方が私は助かるってわけよ」

「なんだ急に改まって」


 平部員の方が気兼ねなくそれに尽力できる、部長であるヒビキにも感謝している。

 どこかで一度言っておくべき礼は、飾ることなくこのタイミングで選んだ。


「お兄さん勘違いしちゃうぞ」

「アハハ、すんな気持ち悪い」


 ちなみに冗談めかしく言っているがマジである。

 定番のやりとりであるがヒビキにチャンスは本当にない。

 飄々とかわしつつ、鉄壁を誇る八代。ヒビキもそれは察していて、最近は「あわよくば」的な考えも捨てたらしい。


「でもお前あれだぞ、一年勘違いさせんなよ。特に椎名とか」

「あ~……」


 八代は分け隔てないせいで割と勘違いさせやすいので、ヒビキが釘を刺す。

 ちなみに八代にフラれた男子は部内に二人ほどいる。

 思春期の抜けきらない大学生男子には毒のような存在で、白井にしてもめぐる一筋じゃなかった危ないところだった。


「私より弱い男ダメだしすぐわかるっしょ」

「誰が勝てんだよそれ……」


 フィジカルモンスター八代に敵う人間など男子でもほぼいない。

 もちろん運動の話だが、多分殴り合いでも八代が一方的に勝つレベル。


「私部内恋愛とか基本的に嫌いだしね。軽音男子はまずないね」


 というのが八代のスタンス。

 男女関係でバンドに亀裂なんて、特に学生バンドではよくある話だし、実際に八代はそれで台無しにされたこともある。

 大抵の場合懸念材料にしかならないそれは、いいものにはなりづらいのだ。


「その割に白井と月無は認めてるんだな」

「影響なさそうならいいじゃない?」


 とはいえ白井のように本気すぎてヒくレベルだと少し話は変わるし、悪い影響を及ぼさないならオッケーだとも思っている。要は軽率なのが嫌いなのだ。

 毒にならないならば喜ばしいというのが本音で、二人の関係の行く末はむしろ一番の楽しみにもなっている。


「何か微笑ましいし。ちょっかい出したくなるよね」

「わかる。なんだろうなあの感じ」


 八代だけでなく三年みんな同じように思ってたりする。

 くっつきそうでくっつかない距離感は周りから見てやきもきするようでも、面白い観察対象に違いないのだ。


「それになんか白井には感情移入しちゃうっていうかね~」

「……そういややけに気に入ってんな」

「初心者だしさ、それにめぐるみたいなのが同じパートにいるでしょ?」


 八代には土橋がいるように、同パートに絶対的実力者がいるからこそ、全力で応援したくなる。

 初心者同然で入部したこと、同じ境遇が自分を重ねる理由にもなる。


「自己投影みたいなもん?」

「あ~、そんな感じかな。あいつ真面目だし何か可愛くなっちゃうのよ」


 ひいき目に見るつもりはなくとも、一年生で一番気になる後輩に違いなく、特別視しているのが事実。

 そして実力ばかり気にするのではなく、単純にバンドを楽しんでほしいとも思う。

 春に同じバンドで世話を見たという以上に、白井には思うところがあるのだ。


 それについて語る目とまんざらでもない言いように、ひょっとしてなんてヒビキは思ったが、八代の性格からしてそういうものではないと見切りをつけた。


「見本になれるかわからないけどね。トップになれなくても本当に楽しかったし、白井にもそう思えるようになってほしいんだよね」


 圧倒的な実力だった陸上とは違い、軽音楽部では常に上がいる。

 それでも本当に楽しかったし、実力以上の評価や順位に縛られない醍醐味を八代は一番よく知っている。

 そしてそのために必要なこと、人によっては耐えがたいを白井が実直に実践しているのは、より目をかける理由にもなる。


「お前ほど後輩想いな奴いないなほんと。普通自分のことばっかだろうに」


 実際今の軽音三年生は特殊。

 一つ上のOBは後輩に目をかける人は少なかったし、もっと上となれば勝手にやれというスタンスで、わざわざ練習の世話を焼くなんてこともあまりなかった。

 今の三年生が後輩を大事にするのはその反動もあるが、八代はその特殊の筆頭。

 白井やめぐるは本当に先輩に恵まれているのだ。


「でもまぁ私が楽しみたいってだけだから、ほんとに」


 そして結局、部員が楽しく過ごせることが、八代にとっての幸せに繋がる。

 どこまでも後輩に尽くすのはそれが嬉しくてしょうがないからなのだ。


 愛する人達と部活、八代にとってはそれが大学生活の全ての中心になっている。


「最後のバンド二つともいいバンドだしね。多分一番幸せだよ」


 何気なく、さりげなく、おしつけがましいこともせず自分に素直に。

 そんな八代だからこそ人を惹きつけるし、そんな彼女なりのやり方で、最高の形で軽音生活を謳歌しているのだ。





 隠しトラック

 ――製造工程 ~軽音楽部スタジオにて~


「なー八代よ」

「……何?」

「俺部長だよな」

「いやだから何?」

「カッコいいよな?」

「ライブ中はね」

「なんでモテないん?」

「腹でてんじゃん」

「アンタも氷上と同じこと言うねぃ!!」

「面倒だなぁもう」


「部長なればモテると正直思ってました」

「私は部長なってもヒビキは彼女出来ないと思ってたよ」

「……お前結構辛辣だよな」

「気遣われるよりマシでしょ。……あ、タバコ辞めたら?」

「それな~……。大将にも言われる」

「じゃぁなおさらじゃん」

「そう簡単なことでもないんだってばよ」

「だってあんたの場合カッコつけでしょ。逆効果じゃん」


「確かにカッコつけだったが……」

「何か理由あるの?」

「イライラ落ち着かせたりするためにタバコ吸うとするだろ」

「うん」

「しばらくはそれでいいんだよ。最高。でも当たり前になると今度はタバコ吸わないこと自体がイライラの原因なるっていう悪循環に陥る」

「へ~、そういうもんなんだ」

「そうやって出来上がったのが俺」

「あんたって意志の弱さ凝縮したみたいなとこあるよね」

「だからお前辛辣なんだって」

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