鍵盤上の果てなき冒険
七月下旬 大学近郊 川沿い
八月も近付くといよいよ夏本番。
朝七時……BGMにするには煩いセミの声、二度寝することもかなわず渋々起床。
どうせなら今、と着替えを済ませて買い物に24時間営業のスーパーへ向かった。
起床タイミングをセミにずらされたのは不服だが、早朝の空気は悪くないし、川沿いを歩くのも気分はいい。
スーパーに到着すると、適当に安い食材を購入して早々に買い物を済ませ、帰路に着いた。
スピーディーに効率よく時間を消化する感覚に、こういうのもたまには悪くないなんて思っていると……。
「お~い」
……ん?
声がする方向を見ると……。
「おはよ~!」
なんと月無先輩。しかもパジャマ姿。
そうか、この通りだと言っていた。
近くとは知っていたので驚きはそれほどでもなかったが、月無先輩の自宅の前を通っていたようだ。
二階のベランダからブンブン手を振っている。
「ここ、あたしん
……いや見ればわかりますよ。
高級住宅街に近いので中々の家。
東京の端にある実家と比べると悲しくなる。
挨拶を返すと……せかせかと洗濯物を干し終えて、ニコッと笑って屋内に消えた。
しかし後で学校で会うとはいえ、朝一で会えたのは少し嬉しい。
そんな風に思いながらとりあえず待機してみると、玄関のドアが勢いよく開いた。
「おはよ! あ、買い物帰りだ?」
説明するほどの事情もないのでただ肯定した。
もう帰るところだったし……何をすればいいのやら。
ってかパジャマ姿可愛すぎるんだけど。
「白井君朝ご飯食べた?」
それも含めた買いものだったので、まだと答えると先輩は嬉しそうに続けた。
「じゃぁうちで食べていきなよ!」
……え?
今何と仰ったかこの人は。
「食べてないんでしょ? あたしも今からだからさ」
マジか。僥倖すぎる。
しかし実家とはいえそう簡単に男を家にあげるもんじゃないだろう……無防備というか心配になるというか。
あ、でも親いるか。むしろそれはそれでマズい気もする。
っと、グダグダ悩んでも仕方ないし、されるがままお邪魔することにした。
「そこ座ってて~」
リビングに案内され並べられた椅子の一つに座って、とりあえず見まわしてみると、アップライトピアノが目に留まった。
ずっと弾いてきたものだろう。
真新しいものではないが綺麗に磨かれている。
人の家をあまりじろじろ見るのもよくないので、とりあえずピアノに焦点を当ててぼーっとしていると、台所の方から先輩が声をかけてきた。
「白井君って朝はパン派? お米派?」
なんか嬉しいぞこのやりとり。
一応米派なのでそう伝えてみる。
「お米派か! でもお米炊いてないからパンでいいよね」
……ふぅ、稀に見るレベルの無意味な質問だったな。
いつも通り基本的に選択の自由はない。
しかしよく考えたら先輩にやらせるのは悪いな。
「手伝いますよ」
「ん~? いいよ~座ってて。客人はもてなすのが月無家の流儀!」
ということらしい。
なるほど、好みを訊いて無視するのも月無流ではもてなしの内と。
たまに言葉の認識が違う。
「ジャムとかいる人?」
「あ、いいですよ何でも」
「じゃぁめぐる流ね。ジャムないし」
え、何? 煽り?
……しかしあれこれ注文をつけるのも悪いし、好きにしてもらおう。
それにしてもこの人、めぐるノート然り、自分の名前つけるの好きだな。
そして出されたのはこぼれんばかりにマーガリンが塗られたトースト。
絶妙な焼き加減でジューシーでこれは旨い……けどなんか違う。
「あ、料理できなそうとか思ったな」
「い、いやそんなことはないです」
実際料理上手いのは知ってますから、うん。
ご両親は不在らしく、今は先輩だけとのこと。
親エンカウントは怖かったけど、二人きりというのもすごく緊張する。
「あたし着替えてくるから適当にくつろいでて! ピアノ弾いててもいいよ!」
食べ終わるとそう言って二階に駆け上がっていった。
とはいえ人の家のピアノを、持ち主が見ていないところで弾くのも……とピアノに目を向けると、楽譜用の棚があるのに気付いた。
少し気になったのでピアノの横のその棚を見てみると、ゲーム音楽の譜面はもちろん、他のジャンルの譜面も中々のラインナップ、めぐるノートもある。
……これは!
プレミアでまず手に入らないと聞いていたFFⅣ~Ⅵのピアノコレクションズ。
Ⅶ以降は楽器屋で見たことあるけど、現物を拝めるなんて。
すごい、超見たいけどプレミア品を勝手に見るのは憚られる。
そんな風に逡巡していると、ドタドタと階段を駆け降りる音が聞こえてきた。
「お待たせ~。あ、楽譜棚見てるの?」
「……これってプレミア付いてる奴ですよね」
「そうだよ~、折角だから見てみる?」
すると先輩は嬉々としてそれを棚から取り出した。
「おぉ、CDついてる。なんかスゴい」
「このⅣのピアコレが初めて買った楽譜なんだ!」
ということは相当年代物だろうけど、すごく大切に扱われているのがわかる。
「やっぱりⅣが一番好きなんですか? 前ゼロムスが一番好きって言ってましたし」
「そうだね~。Ⅳが一番好きかな。曲もゲーム自体も」
そんな風に会話を続けながら、楽譜をめくっていく。
「弾いてみる? Ⅳのピアコレ簡単だし」
「……俺、初見早くないんですよね」
折角の申し出だけど初見(弾いたことのない楽譜を見ながら弾くこと)は苦手。
自分で弾くより、先輩の弾く姿が見たいので訊いてみると、快諾してくれた。
話にも出たし、ゼロムス戦、『最後の闘い』が聴きたいと言うと……。
「あ、それなら原曲の方がいいね」
と言われる。そこにアレンジ楽譜があるというのに。
「複雑なところ全部簡略化されてるからね~」
曰く、初期のピアノアレンジは入門のように簡単なものが多いと。
Ⅶ以降のように人気や知名度が上がってからは、ガッツリとしたクラシック寄りのアレンジになっていったということらしい。
「多分需要が確立されてなかったからなんだろうね。昔のゲームのは生産数も少ないからサントラも楽譜もプレミアだらけだし」
ドンキーコング2のサントラの相場が20万前後というのは聞いたことがあった。
事実、音楽として確立される以前はサントラというもの自体が少ない。
「だからすごいよね~FFって。まだ全然ゲーム音楽が一般的じゃない時代にこうやってアレンジして楽譜出すんだから」
芸術方面に力を入れるスクエアならではの発想なのかも……。
なるほど、だから一番最初のⅣは入門編と。歴史のようなものを感じる。
そんなゲーム音楽事情を聞いたところで、先輩はピアノの前に座った。
「お願いします!」
「いいですとも!」
そんな定番のやりとりをして、先輩は鍵盤に手を置いた。
そして始まった演奏、FFⅣ『最後の闘い』……ではなくオープニングテーマ。
一瞬何故かと思ったが……なるほど、これアレだ。
ゼロムス戦の再現だ。
全滅状態から始まって立ちあがっていくシーン。
「やっぱここからじゃないとね~」
先輩は楽しそうに弾きながら喋る。
ピアノの素晴らしさだけじゃない、思いもよらぬサービスにこちらも嬉しくなる。
「あんちゃん! わたしたちの魔力を送るわ!」
「おぉ、セリフまで」
なんと完全再現。
戦闘開始前のキャラクターのセリフ、主人公にサブキャラ達が想いを託すシーン。
すごいけど……全部憶えてるとか相当ヤバいなこの人。
「我が弟よ! お前に秘められた聖なる力をクリスタルにたくすのだ! ゼロムス! 正体を見せるがいい!」
しかし先輩テンション高いな。
今のセリフはゴルベーザか。ってことはもう戦闘開始……。
え、いやなんでこっちずっと見てるんですか先輩。可愛い。
「クリスタル使って!」
……え、あぁそういう。俺にも参加しろと。
なんだこの茶番。
「……キュピーン」
「ゼロムスの真の姿を照らし出した!」
おぉ、ついに最後の闘いに。
……すごい、イントロから完全再現だ。
よっぽど好きなんだろう、流石としか言いようがないほどの弾きこなし。
左手の複雑なアルペジオも、右手のメロディも、縦横無尽に鍵盤上を駆け巡る、バンドサウンドの重厚感に劣らない卓越したアレンジ。
バラードを弾く姿はなにものも及ばぬ美しさだったけど、激しい曲を弾いている時の眼差しも気高く美しい。
先程の茶番からは打って変わって真剣そのもの。
一番好きだと言ったこの曲への愛は
最初に手にしたこの人への憧れが蘇るような思いで、改めて見惚れてしまった。
曲のクライマックスの壮大な変拍子フレーズ、見事なそれを決めて、綺麗に完結するようにされたアレンジで演奏は終わった。
そして先輩はおもむろに口を開いた。
「……我は……滅びぬ」
「……まだやるんですかそれ」
「ギャアアアム! ふふっ!」
いや可愛く笑われても断末魔まで再現するとこはあんまり見たくなかった。
「でも本当にすごいですね。ここまでアレンジできるもんなのか……」
「これはよく弾いてるしね~。目覚めの一曲に」
「目覚めの……。そういえば超低血圧とか言ってましたよね」
「うん、でも大体これ弾けば起きる。これとかビッグブリッヂとか。朝イチはアツいバトル曲に限るね」
朝から血の気が多いな。
いい一日はいいゲーム音楽から、なんて言ってたが本当にゲーム音楽から一日が始まるようだ。
「白井君FFわかるからさ、嬉しくってつい完全再現目指しちゃいました!」
くそう可愛すぎる。
……というかこういうこと平気で言わんでほしい。
「他の人の前じゃ絶対やんないけどね。頭おかしいと思われる」
あ、自覚はあったんですね。安心したぜ。
でも俺がそう思わないとも限らないんだぜ。
「でもこうやってさ~、テレビ画面じゃなくて鍵盤の上でゲームに触れられるのってすごい楽しいよね」
確かにそれはゲーム音楽を弾くことの大きな魅力かもしれない。
先輩と会ってなかったら、こういうことは思いもしなかったかもしれない。
「ピアノ始めた頃はボス戦が難しくて弾けない! って嘆いたりね。ふふっ」
「強くて勝てないって感じですね」
「そうそう! ピアノでもそうやって一つずつクリアしていったんだ!」
月無先輩はこうして、鍵盤の上でもまた冒険をしているのだ。
ただ曲を弾くだけじゃないし、ただ聴くだけでもない、周回プレイは
異常なほどに見えるゲーム音楽愛も、全部が繋がってるからこそなんだろう。
今弾いているアップライトピアノにしても、数々の楽譜にしても、道具というより一緒に冒険する戦友のように思っているからここまで大切に使えるのかもしれない。
「あ、そうだ!」
何かひらめいたようだ。
目が輝いている。
まさか意図的に例の状態異常に入るわけでもあるまいが、何だろう。
「今日わざわざ学校行かなくてもいいじゃん、うちで練習しよ!」
な、なんてこったい。最早僥倖を超えた何か。
「楽譜っていう教材がいくらでもあるし、コードも載ってる奴ならバンドの勉強にもってこいだよ!」
なるほど、この宝の山なら確かにそうだ。
FFは単純じゃないコード進行も多いし、色々と勉強になることは多そうだ。
めぐるノートも全部揃ってるし。
「やっぱりゲーム音楽ならテンション上がるしね~。今日はゲーム音楽漬けだ!」
「……状態異常にならんでくださいよ」
「……それは保障しかねる」
「いやそこはしろし」
結局その後は月無邸で練習をすることになった。
色んなゲーム音楽の楽譜も見れたし、先輩の言うとおり本当に勉強になることが多く、音楽に詳しくなるほどゲーム音楽の作りがどれだけすごいかよくわかる。
状態異常は二回ほど発生したが、それでもこれ以上なく有意義な時間、今までになく平和で楽しい時間。
何より、月無先輩が一緒に旅をしてきたピアノと楽譜達に触れること、それがなんだか先輩が辿った軌跡を追うような感覚にさせた。
弾きながら語る先輩のエピソードが、そこにどれだけの想いがあるか物語ると、それならこれだけ好きになるのも仕方がない、そんな風にも思えた。
隠しトラック
――めぐる劇場 ~月無邸にて~
「めぐる先輩」
「ん~?」
「一つ質問していいですか」
「ん? いいですとも」
「セリフほとんど憶えてるんですか? やったゲームの」
「いやそんなことはないけど。FFⅣとかはほんとに何回もやったからさ」
「あ、そうなんですね」
「でも他のも結構憶えてるかも。好きな場面なら」
「おぉ例えば」
「『……泣くぞ。すぐ泣くぞ。絶対泣くぞ……ほら泣くぞ……』」
「おぉ、ジェクトだ」
「『……だいっきらいだ』」
「おぉすごい、ティーダのも憶えてるん……」
「『はは……まだ早いぜ』」
「あ、これも全部やるんですね」
「クスッ……『全部……終わらせてから……だよな』」
「じゃぁ全部見てます」
「『わかってるじゃねぇか。さすがめぐる様の弟子だ』」
「素が出てますね」
「むー! そこは『初めて……思った。あんたの弟子でよかった』でしょ!」
「いや憶えてませんし」
「ていうか途中で変な合いの手入れないでよ! 笑っちゃうから!」
「たまたま成立しちゃったもので……」
「泣けるシーンだよね~。アレは堪えられなかった」
「ここに来てっていうのが感慨深いですよね」
「でもあたし、ジタンまではみんな好きだけどティーダとユ」
「ちょ! やめましょう怒られる。ッス」
「そだね。ッス」
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