幕間 冬川奏のクールな愛情

 月無先輩がバイトの日は独りで練習、今日もスタジオに足を運ぶ。

 一日くらいサボってもいいかと思う気持ちがあったりもするが、サボって何をするというわけでもないので結局こうして来てしまう。

 月無先輩とよく一緒に練習するから、鍵盤を下宿先に持って帰ってもまた大学に持ってくる羽目になると、この前学習したところ。来た方が効率がいいのだ。


 昼飯時、コンビニでも行くかと一旦スタジオを閉めた。

 大講堂から正門に向かう道を歩いていると……黒髪ロングの長身の方が。

 性格を表すようにピンと伸びた背筋、遠目に見ると改めてそのスタイルの良さに驚かされる。

 

冬川ふゆかわ先輩、お疲れ様です」

「お疲れ様、練習?」


 たった今それを一旦切り上げたところと説明すると、意外な展開になった。


「私も行こうかしら」

「あれ、スタジオ向かってたんじゃないんですか?」

「とも待ってただけだからね。誰かいるかなって思って」


 なんでもまた巴先輩の追試待ちだと。

 時間つぶしに、スタジオに誰がいるかと覗きに来ただけのようだ。


「苦労しますね」

「ハァ、本当よ……。別にいいんだけどね、慣れてるから」


 ため息をつきつつも嫌というわけではなさそうだ。

 いつもセットで見かけるが、本当に仲がいい証拠なんだろう。

 巴先輩は悪い人ではないけど、高校からずっとあの調子で付き合えてるあたり、冬川先輩の面倒見のよさは人一倍のように思える。


 コンビニの前まで来てふと気付く。


「あ、でも巴先輩と後で合流するならご飯食べにいったりしないんですか?」


 自分はコンビニで済ます気だったが……。


「大丈夫よ、ともの分まで買っておくから」


 ということらしく、気にせず入店。

 冬川先輩は巴先輩の食べ物の好みもしっかり把握しているようで「本当は体によくないんだけどね」などと言いながらカップラーメンを買ってあげていた。

 冬川先輩はモデル体型に似つかわしいサラダなど。

 二つ買っているということはもう一つは巴先輩の分か。


「野菜も食べさせなきゃだから」


 ……母親みたいだ。


 一緒に歩くだけで緊張するほどの美人で、見た目もたたずまいもクールビューティーそのものだが、こうした面倒見の良さと話せばすぐにわかる「いい人」感は、冬川先輩にしかないすごく魅力的なギャップだ。


 買いものを済ませ大学に戻ると、巴先輩用ラーメンの給湯器が必要ということで、夏休みで人影も皆無な学食へ。


「給湯器ないですね……」

「夏休みってこと完全に忘れてたわ……」


 そして結局部室に向かった。

 日用品がなんでもあるのはこういう時便利だ。

 しかし部室に行ってしまうと、快適さ故か移動する気が失せるので、午後の練習は自然消滅しそうだ。


 部室に着き、給湯器に水をいれてやっと一息。

 移動距離はそれほどでなくても、あちこち回る感覚に少し疲れた。

 ため息をつくと、ソファーに座する冬川先輩が言った。


「ごめんね、白井君。つき合わせちゃって」


 しまった、気を遣わせてしまった。

 そもそも巴先輩に待たされている人の前で見せる態度ではなかった。

 咄嗟に無問題と返して、切り替えるために今日のことについて訊いてみた。


「巴先輩って、追試何個あるんですか?」

「三つって言ってたかしら。テスト科目全然真面目にやってなかったから。語学は絶対やりなさいってあれほど言ったのに……」


 先日一科目あって、今日が二つで終わりだと。

 単位取れていないとは知っていたが、なんか流石だ。


「むしろ頭はいいんだけどね。私なんかよりずっと」


 意外な話だが、高校の時は国立受験を目指すほどだったらしい。

 しかし超名門女子高出身の月無先輩といい……。


「なんで頭いい人に限って単位取れてないんでしょうね……」

「……めぐるもジェネ女なのにね」


 わかってくれた。

 まぁ部会で単位の話になった時にも目立った二人だ。


 しかし二人とも春の代表バンドだったし、練習にかける時間も人一倍だったろうから、授業に身なんか入らないだろう。

 一年生ながらに思うが、ぶっちゃけ中堅私立の文系大学生ってそんなもんだ。

 真面目に学業も取り組んでいる冬川先輩の手前ではあったけど、冬川先輩も気持ちはわかるといった感じで、喚起はしても強制はしないといったスタンスのようだ。

 昼食をとりながらそんな話題を続けた。


 §


 最初はやはり緊張したが、冬川先輩と話すのは意外にも落ち着く。

 ……多分ツッコみに使う体力が必要ないせいだけど、起伏の少ない会話は坦々と進む心地のよいものだった。


「めぐるとは毎日一緒にやってるの?」


 そしてふと月無先輩の話題に。

 

「バイトない日は大抵……ですね。色々教えてもらってます」

「そう、偉いわね」


 ……やっぱどこか親っぽいんだよなこの人。


「でも練習といっても半分遊び感覚だったりしますけどね」


 鍵盤で一緒に遊ぶというか、特にゲーム音楽に触れつつ教えてもらう時はそんな感覚があったりする。


「いいことよ、それ。とももそうだけど、得な考えだと思う」


 遊び半分でやるな、くらいに思われるかと思ったけど、むしろ良いとのこと。


「そうじゃないと長く続かないもの。部活だしね。ちゃんと身になってるならそれが一番いいんじゃないかしら」

 

 大学の部活だし楽しむことが前提、と考えているそうだ。

 実力ある人じゃないと言えないことだけど、思った以上に理解のある方だ。

 以前にも優しい言葉を掛けてくれたし、クールな印象とのギャップのせいか話すたびにそれが強調される。

 

「よくカラオケ付き合わされるけど、ボーカルの練習だと思えばね」


 歌うことが好きなら確かに遊びが練習に直結するか。

 そのカラオケで冬川先輩もトランペットの練習をするらしい。

 確かに効率的だし曲に合わせてやれるけど……想像すると結構シュールだ。



「あ、通話。連絡するの忘れたわね」


 巴先輩から着信。

 追試が終わったようだ。


「うん、部室。……白井君いるわよ。……浮気って。お昼買ったから早く来なさい」


 ……どんな会話してるんだ一体。浮気ってなんだ。


「ハァ……。今から来るって」

「ほんと仲良いですよね」


 今まで話した時も、この前喫茶店にみんなで行った時も感じた。

 友達以上というか、相棒というか、少し羨ましい関係のような。


「……そうね。あんなだけど、悪い子じゃないから」


 いい人なのはわかる。なんか放っておけないのも。

 というか無自覚かもしれないが、冬川先輩は何の話をしてても結構巴先輩の名前を出すし、第一に考えているように見える。

 やはり一番の理解者……ならばと巴先輩が来る前に訊きづらいことを訊いてみる。


「夏バン……何で巴先輩は俺を誘ったんですかね?」


 すると少し考えて冬川先輩は口を開いた。


「私にも理由言わないのよ。とものバンドだし、ともがそうしたいならって思うんだけどね。一応三年生で話し合ってる時にめぐるは取り合いになるよねってなって、氷上君が白井君の名前出したのはあるけど」


 取り合いを避けたって事なんだろうか。

 でも一位を目指すのであれば、取り合ってでも月無先輩を選ぶのが自然だし、成長を期待してもらっているとしても、実力が離れすぎている。

 月無先輩の余りというわけではないと言ってはもらったけど、結局見当はつかない……冬川先輩でもわからないなら考えても仕方ないか。


「気にしなくていいわよ……あ、でも」

 

 でも? 何か心当たりがあるのか。


「めぐると仲悪いってことはないからね。とも、めぐるのこと大好きだから」


 心配していたわけではないけど、事情に一番近い人がそう言ってくれて安心した。

 理由の見当はつかないが、つきものが落ちた感覚だ。


「ふふっ、白井君って本当にめぐるのことばっか考えてるのね」


 迂闊……引っ掛かっていたことが看破されている。

 でも冬川先輩も巴先輩第一だし、似たようなところがあるのかもしれない。

 控え目な優しい笑顔が、そういう共感を示すようにも思えた。


「ともにからかわれないようにね。夏バン、身が持たなくなるから」

「……善処します」


 八代先輩で慣れているっちゃ慣れているが……巴先輩はもっときわどいライン攻めてくる感じがあるから、迂闊なことはしないようにしよう。


 話の区切りで出来た間に、廊下から聞こえる音。

 ……足音でダルそうなのがわかるってのもすごいな。


「終わった~。奏褒めて~」


 部室に入ってくるなりソファーに座る冬川先輩になだれ込む。

 さすがだ……というかライブステージ外で背筋が伸びてるのを見た記憶がない。

 お疲れ様ですと挨拶すると、何故かわざとらしく怒ったような表情を作った。


「ダメだよ白井君~。奏は私のもの~」


 あぁそういう……定番のジョークなのか。


「奏も浮気しちゃダメだぞ~」

「……何言ってるの」


 いきなりペース全部持っていかれてるな。

 ……でも冬川先輩も普通に受け入れてるからいつものことなんだろう。

 多分無意識なんだろうけど頭撫でてるし。


「お昼食べよ~。お湯ある?」


 ……ほんとマイペースだな。

 月無先輩も話聞かないけどあれは半分わざとだ。

 巴先輩の場合、素でこんなかんじだ。


「シーフード! 今日はカレーの気分だったのに~」

「……あなたいつもそれじゃない」

「たまには違う日もあるよ~。それでも私の嫁か!」

「なんで私が嫁なのよ……」


 完全においてけぼりだな、うん。

 っていうか嫁は否定しても根本は否定しないんだな。

 愚痴のようなことは零すけど、やっぱり全く嫌だとは思ってなさそうだ。


「わかってないなぁ~奏は」

「……じゃぁ自分で買ってらっしゃい」

「あ、食べます。自分、シーフード大好きッス」


 ……声に圧が乗っかるだけで確実に黙らせられるのほんとスゴいな。

 言ってること完全に親だけど。


 単位の話ばかりだが、あれこれ話しながら三分経過した。


「いただきま~す」


 少し残念だが巴先輩がメガネを外そうとする。


「あ、メガネとっちゃうの残念?」

「早く食べなさい」

「はい。ッス」


 ……もう気にしないようにしよう。でも正直外しちゃうのは残念。


 多分食べながら話さないように冬川先輩にしつけられているんだろう、その後巴先輩は完食まで無言だった。

 猫背女子がカップラーメン食べてる姿ってなんかいい、いいものが見れた。


「ごちそうさま~。……寝る」

「何言ってるのよ楽器屋付き合ってくれるんでしょ」

「頭使うのってカロリー使うから~。ちょっとだけ休ませて~」


 今結構高カロリーなもの食ったばっかりだろうに……。

 そして冬川先輩の膝を問答無用に借りて、本当に寝始めてしまった。


「……苦労しますね」

「私の前だけ、だけどね。本当はもうちょっとしっかりしてるんだけど、今日は疲れちゃったのかしらね」


 ……結構甘いぞこの人。

 でも付け込まれてるというよりは、信頼でこうなってるんだろう。

 寝ている人を話題にするのも、とは思ったが一つ気になったことを訊いてみた。


「そういえば今楽器屋行くとか……。巴先輩って楽器やるんですか?」

「私の用事よ。ともはフルート吹けるけど今はやってないわね」


 なんでも止めるのがもったいないくらい上手いとか。

 冬川先輩にそこまで言わせるなら相当なんだろう。

 しかし……これゲーム音楽企画の問題を解決出来ちゃったんじゃないか?


「どうしたの?」

「あ、いえ何でも。楽器もって本当にすごいですね。歌だってぶっちぎりだしパフォーマンスもカッコいいのに」


 微妙に虚を突かれてしまった。

 まぁ自分から言うことじゃないし、上手いこと話を逸らそう。


「そうね。……本当はあんまり部活ノリ気じゃなかったんだけどね」

「……ステージ上であれだけノリノリなのにですか?」


 全然想像がつかない。

 本当に歌が好きで、自己表現的にやってるものだと思っていた。

 

「ふふっ、色々あるのよ」


 あぁ、これ以上は余計なこと訊くなよと。

 確かに突っ込み過ぎると失礼だ。


「でも、ともがこんなに部活を好きになると思わなかったし、私も嬉しくてね」


 諌めつつも割と自由にさせている感じがあるのはそういうことか。

 ものすごく深い愛情があるんだろうし、無意識に、慈しむようにして膝の上の巴先輩を撫でている。

 可愛いもの好きなんて話は聞いたけど、多分巴先輩のことが一番可愛いんだろう。

 少し羨ましい関係というか、信頼関係の一つの理想形のように見えた。


「そういえば可愛いものが好きとか……」


 結構話せたので意を決して訊いてみた。

 何故か訊かなきゃいけない気がする。


「好きだけど……」


 好きだけど、そう言って止まる。


「……イメージ壊れるじゃない」

「……なるほど。すいませんでした」

「うん、わかって」

 

 クールなイメージ守るため……というより、巴先輩がユルい分しっかりしないと、みたいにも思っているのだろう。

 思いっきり可愛がりたいけど規律とイメージ的にそれはできない、二律背反のような苦しみがあるのかもしれない。

 

 その後数十分、巴先輩が起きるまで色々話した。

 冬川先輩は話せば話すほど、情の深い優しい人だとわかったし、副部長として信頼できる責任感の強さも見えた。


 クールだけど可愛いもの好き、印象とは真逆な極度の世話焼き、ギャップの塊のような人。外見からして一目惚れして然るべきレベルなのに、そんな要素まで持っていたら確かにモテないわけがない。

 午後練習は自然消滅したが、夏バンドで一緒の冬川先輩のそんなところが改めて知れたのは僥倖だった。




 隠しトラック

 ―― 母 ~部室にて~


「あれ、サラダ結局食べてませんでしたね」

「いつものことよ。ともは野菜全然食べないの」

「……好き嫌い多そうですね」

「多いわよ。偏食はダメっていっつも言ってるんだけどね」

「……まぁでも生野菜って人によっては結構キツいですし」

「確かにそうなんだけどね。ドレッシングあってもダメな人はダメだし」

「コンビニのサラダって結構おいしいんですけどね」


「ハァ、……私が料理得意だったらよかったんだけどね」

「苦手なんですか?」

「何故か上手くいかないの……やっぱりダメよね料理できないと」

「いやなんかもうむしろギャップとしてアリでは……」

「アリなわけないじゃない」

「す、すいません! ッス」


「ともに色々食べさせないとって思ってたまに料理するんだけど上手くいかなくて」

「はぁ……」

「とくに野菜だけはって思ってサラダ作るんだけどね」

「サラダくらいなら……」

「毎日作らないと逆にお金かかるから、結局コンビニのサラダに逃げちゃうのよね」


「……あの言いづらいんですけど」

「何?」

「母親っぽいって言われませんか?」

「……言われる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る