幕間 御門巴はまどろみ願う

 部屋に響くアラームの音。

 何度目かわからないスヌーズ機能で先延ばしにされた起床時間。

 最早形骸化して意味をなさないそれを、何分かおきに黙らせて未だ惰眠を貪る。


 軽音楽部三年生、御門みかどともえは眠り姫。

 彼女は必要と思ったこと以外働かず、欲求に忠実に動く。

 髪をとかしつけたり、朝食をしっかり食べたり、そうした一日の始まりといった規律は彼女の中で優先順位が低く、今日の意図的な寝坊で犠牲にしたのもそれ。


 誰かが階段を上る音、アラームよりも遥かに聞こえづらいはずのそれが、彼女にとって本当の目覚まし。

 そして自室のドアが開く音、それが一日の始まりを告げる音。


「……おはよう、とも。早く準備するわよ」


 同じく軽音楽部三年生、冬川ふゆかわかなで

 高校からの同級生で、家も近い彼女は事実上の世話役。

 上がり込んで直接起こしに来るのも日常茶飯事で、御門家にはもう一人の娘のように可愛がられている。


 大きく欠伸をして、眠そうな目を擦りながら巴が間延びした返事をする。


「おはよ~。今日はどこ行くんだっけ~」

「……あなたが映画見たいって言ったんでしょ」

「あ~、そうだった。でもあれつまんないらしいよ~」


 映画を見に行く約束だったのだが、前情報によって巴の中で台無しになったそれは、巴にとって既に興味対象ではない。

 

「……はぁ。中々起きてこないからそんなことだと思ったわ」


 冬川にしてもそれは予想通り。

 対極のようであれ、互いの考えをよく知っている。

 映画に行く理由が失われた結果の寝坊であるとすれば、冬川にとって憤る理由もないし、それが二人の日常。


 これくらいで腹を立ててはキリがないというもの事実だが、つまらないとわかっている映画に付き合わせるのも悪いと巴が判断したことも、冬川は理解している。

 巴にしてもそれは言わなくとも伝わること、と認識している。


「今日はのんびり過ごそ~。折角の休日だし~」

「でももう起きなさい。10時よもう」

「え~、まだ10時じゃん」


 もう10時とまだ10時、同じことを指す言葉の差が二人の性格の違いを強調する。


 ちなみに巴は何にも予定がない日は本当にずっと寝ていられる。

 寝る子は育つと言わんばかりに成長した胸、冬川は規則正しく生きる自分が何故それを持たざるのか、少しだけ不服。

 若干そのせいもあって、必要以上の自堕落は許さないと決めていたりする。


「起きなさい。ほら、着替え手伝ってあげるから」


 でも結局甘い。

 ユルユルマイペースな巴の世話役、それに甘んじることは嫌ではないようで、実のところ一方的な依存ではなく共依存に近い関係。


 しかしそれも、互いを絶対に裏切ることがないという信頼あってのもの。

 友達というより家族に近く、むしろ家族より近い関係と言える程に遠慮もない。


「くし貸して」

「……ん」


 寝ぐせでボサッとした頭を冬川が撫でつける。

 これもほとんど日常で、髪の流れまで知る仲といったところ。


「あ~奏が嫁に来てくれればなぁ~」

「何で私が嫁なのよ」


 こういう冗談もお決まりだが、何故か冬川はこれを根本否定しない。

 距離が近過ぎて感覚が麻痺しているのか、特に大学に入ってからはこうである。


 身だしなみを整え着替えが終わると、巴は枕元の小さなラックに手を伸ばした。


「今日はどのメガネ~。メガネ~……」


 歌うようにして着用するメガネを選ぶ。

 いくつも所持した色とりどりのメガネは巴の趣味の一つで、日によって替えたりもする。


「……これは?」


 冬川が選んでみる。


「う~ん、今日の気分じゃないな~。これにしよ」


 提案は却下されるも、巴が選んだメガネは冬川がプレゼントしたもの。

 意図したものかはわからないが、冬川はそれが少し嬉しかった。


「はい、じゃぁ下行くよ」


 一応の身支度を終わらせ、二人で階下に降りる。

 巴の両親は仕事で家を空けていて、一人娘であるので、今は二人だけ。

 なんと冬川は巴の母親から合い鍵を渡されている。

 

 朝食を済ませ、本来の予定開始からかなりズレた時計を見て冬川が言った。


「映画行かないならどうするの?」


 どうせ今更行ったところで上映開始には間に合わない。

 すると巴が少し考えて答える。


「ん~。じゃぁデ~ト~」


 家でダラダラ過ごすと言えばさすがに怒らせそうなので、外出する意志は見せる。

 とはいえこれも日常茶飯事、特に予定がなくとも二人でどこかに出かけたりもするので、結局いつもと変わらない。


「はぁ……。今月入って何回目かしら」


 しかし冬川はそれが不満でもない。

 大学生の間しか出来ない過ごし方だとも知っている。

 冬川は可能な限り巴を尊重するし、それが自己犠牲的だとも思っていない。


「じゃぁ服見にでも行く~?」

「そうね、それもいいかも。夏服新しいの買いたいしね」


 巴の服はほとんど冬川が一緒に選んでいたりする。

 身だしなみの一環としてオシャレも欠かさない冬川は、実はこれが結構好き。

 自分と全く違うスタイルの巴をコーディネートすることは、服選びのバリエーションを考える楽しみが二倍になるようなことでもあるのだ。


「じゃぁ奏に似合うメガネも選ぼ~」

「それはいらない」


 巴は冬川になんとかしてメガネをかけさせたいが、これだけは毎回却下される。


「じゃぁそろそろ行きましょうか」

「うん行こ~。……あ、ちょっと待ってて」


 行く直前で何かを思い出し、バタバタと階段を駆け上り部屋に戻る。


 戻って来ると、冬川もすぐにその変化に気付いた。


「よし、じゃ行こっか~」


 巴の左耳に光ったのはおそろいのピアス。

 誕生日の近い二人が、高校生の時にお互いのプレゼントに一緒に買ったもの。

 外出する時は必ず身に付ける、友情の証のようなもの。


 それを絶対に忘れずにつけるのが嬉しくて、冬川は自然と微笑んだ。


 §


 ひとしきり街を歩き、大きな公園でのんびり過ごす。

 公園の中心にある池を眺めながら、二人でベンチに座ってなんともない会話をする。生産性はまるでなくとも、こうした時間が二人には一番落ち着く時間。


「ごめんね奏、今日映画行くのやめちゃって~」

「……別に気にしてないわよ」


 巴は冬川に対してワガママ全開のようでも、一応の謝罪はする。

 言わずともわかっていても、たまにこうしてお互いを確かめ合う。


「しかし奏は注目集めるよね~。今日は何回くらい目線攫った~?」

「ともだってそうじゃない。あなた、しっかりしてればいいだけなのに」


 高身長かつ稀代の美女と言える冬川は当前であるが、巴も相当なグラマー美人。

 そんな二人が並んで歩いていれば、そこだけが非日常に映るのも仕方ない。


「ライブでのアレが日頃からできれば一番モテるんじゃないの?」


 掛け値なしにそう思っている、それを伝えた。

 巴をライブで見た人間は、その魅力に否応なしに惹き込まれるし、実力にしても実際のところ群を抜いている。

 めぐると同等かそれ以上の天才であり、もし全く練習しなかったとしても実力だけで代表バンドに選ばれただろう。


「じゃぁやっぱしっかりしない~」


 遠くの景色に目をやりながら、巴がそう返した。

 そして冬川にもそう返ってくるのがわかっていた。


 自身の容姿や才能を驕ることはしない巴だが、それ以上にあまり触れられたくないのが本音なのだ。

 自覚はあるし客観も把握しているが、それほど前向きではない。

 ステージ外では普通でいたい、変わりたくない、今の生活も変わってほしくない。

 冬川はそんな巴の心根を誰よりも深く知っているが、知っているからこそたまにこうして喚起する。


「そう。今はそれでいいかもしれないけど……」

「……わかってるよ~」


 二人の学年を考えれば、ただの現実の話。

 話題こそ軽音生活に根付いたものであれ、二人にとってはそれだけじゃない。


「あ、ほら犬きたよ、犬。かわいい~」


 都合よく話題の切り替えを促すように、巴に犬が寄ってきた。

 二人が座っているベンチがあるのはドッグランのような一画で、リードを離して好きにさせる飼い主も多い。


「お~、よしよし。いい子だね~、ゴモラ~」

「絶対名前違うからそれ」


 呆れつつも笑いを堪え、冬川はバッグからカメラを取り出した。

 偶然出会った可愛いものを逃さないよう、常に携帯しているのだ。


「いぇ~い」

「普通にしてて」

「はい。ッス」


 Wピースカメラ目線を諭して撮り続ける。

 巴は動物にかなり懐かれやすいが、冬川はまったくそうでなく、巴が横にいない時はまず寄ってくることはない。

 しかし写真を撮る時はしっかり巴も写すあたり、妬ましく思うよりもむしろ感謝しているようだし、何だかんだ言ってもフォルダ内には巴の写真が多い。


 部活にしても親友のことにしても、いずれ手の届かなくなる大切な今を残すことが、冬川の部活動生活の過ごし方でもある。


「すいませ~ん、うちの犬が」


 飼い主が駆け寄ってきた。


「いいんですよ~。可愛いワンちゃんですね~」

「ふふ、ありがとうございます。よかったわね~、ソドム。お姉ちゃん達に相手してもらえて~」


 そう言って飼い主は去っていった。


「……名前半分当たってたわね」

「……どういうセンスしてるんだろうね」


 たまたま昔、二人で見た映画で出てきたそれと一致したのがおかしくて、二人は声を上げて笑った。

 そしてまたベンチに座り、なんともない会話を続けた。


「そういえばなんだけど、なんで白井君って決めたの?」


 ふと、思い出して冬川が質問した。

 明確な理由は巴の口からは語られていないし、本当の深層に辿りつけない。

 冬川にしても、めぐるを誘わない理由が思いつかないのだ。

 以心伝心のような二人であれ、今までにも何度かだけ、こうしたことがあった。


「ん~……。なんとなくかな~」

「……そう。ともが決めたことだから否定はしないけど」


 あからさまな誤魔化しであることは冬川にはわかっているし、通用しないことも巴はわかっている。

 通用しないことがわかっていながらこう言う理由、冬川は巴のそれを尊重した。

 いつかわかってくれる、そう信じている巴も、直接的な言葉はつなげなかった。


「でもね~。……こうして奏と思い出作れるのっていつまでかわからないじゃん~。だから今だけはこうしていたいんだ~」


 二人の関係は、少し白井とめぐるの関係に似ている。

 いつもの平和と幸せが変わらず続くことを、巴は願っている。


「軽音の皆も一緒でしょ」


 冬川は少しだけ、巴の考えを理解した上で言った。 


 まどろみの中で平穏を願う眠り姫、御門巴が見る夢。

 その中心に冬川はいるし、冬川の中心にもそれがある。


「次で最後だね~」

「……そうね」


 二人の愛する明晰夢、引退までの残り僅かなそれ。


「今までで一番楽しいといいね~」

「フフ、そうなるんじゃないかしら?」


 最高のフィナーレを迎えたいという気持ちは二人とも同じ。

 巴がそれにあたってめぐるでなく白井を選んだ理由、今は誰も知る由がない。

 それでも巴がそれを望むなら、どんな理由であれ、させてあげるというのが世話役であり親友である冬川のスタンス。

 いつしかそうなってしまった関係も、冬川にとっては期限付きの愛する日常。


 そして巴にしても、いつか終わる夢を自分なりに謳歌したいと願っているだけ。


「眠くなってきた。奏、膝枕して~」

「何言ってるのよ……。私が起こしに行くまで寝てたくせに」

「いいからいいから~」

「……ハァ」


 結局拒否権などはないし、冬川もそれを享受する。

 

「私がわがまま言うのは奏だけだから~」

「……他の人にはしちゃダメよ?」


 そうして眠り姫はまどろみにしずむ。

 ずっと一緒の世話係、その膝の上で見る夢に、幸せそうに寝息を立てた。 






 隠しトラック

 ――まさかの ~公園にて~


「……おはよ~奏~」

「フフ、起きた? おはよう」

「結構寝ちゃってた?」

「20分くらいじゃない?」

「そっか~、ありがとね」

「まぁいつものことだしね」


「首痛い~。奏は肉ないから固い」

「もう絶対してあげない」

「冗談だよ~。あ、さっきの飼い主さ……」

「……もう一頭いるわね」

「絶対ゴモラだねあれ……」

「やめて笑わさないで」


「あ、ソドム来たよ~」

「……もうダメ」

「奏ってツボ浅いよね~。お~ソドムよしよし~」

「……やめて名前言わないで」

「奏もう限界だね~。声震えてるよ~」


「すいませんまた~。ほらソドム行くよ」


「何か可愛いドッグタグつけてたね~」

「……やめて」

「どうしたの~?」

「……G」

「じ~?」

「……大文字でGって書いてあった」

「ブフッ」


 流石の巴も耐えきれなかった。

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