幕間 秋風吹のありがてぇ一日
都内某所の高級住宅街。
その一角に彼女は住んでいる。
とはいえ普通の一般家庭、育ちは良いが飛び抜けて裕福というわけでもない。
そんな家庭で育った
家柄以上の気品を備えたのは彼女自身の素養によるもので、決して大仰な教育や環境があったからではない。
日本人離れした容姿だが外国の血は遠く、一家でも不思議と彼女だけがそう。
一目でわかる優しい性格を一層強調するかのように、閉じた糸目が象徴する。
軽音楽部で女神のように扱われる彼女、実は割と地元でも有名。
地名もあってか本人のあずかり知らぬ所で『自由の女神』なんて言われている。
「わかったわ~。じゃぁ今から行くね~」
待ち合わせ相手のめぐるから電話を受けて家を出る。
めぐると春原、三人で秋風の地元で遊ぶようだ。
駅での待ち合わせ、そこに向かって歩く秋風は衆目の目を攫う。
とはいえ日常的なものであり、気に留めていない、というより気付いていない。
意外と彼女は興味のない物事にはまるで無関心だったりする。
それでもオーラは振りまくし、見ているだけで幸せになれると評判。
通勤途中で見かけた際には、仕事が上手く行くなんて現地の人に噂されている。
信号で待つ途中も、隣のサラリーマンに二度見される。
「何で
歩道の向こうにいるババァなんて目に入った途端に合掌して頭を垂れている。
駅に着いてめぐる達と合流する。
めぐるは秋風のことが大好きで、最も仲の良い先輩の一人。
姿が見えた時からわかりやすく喜んでは手を振って、天真爛漫な笑顔で出迎える。
春原もめぐるほど直接的な意思表示はせずとも同じ。
控えめな笑顔で控えめに手を振って、彼女なりの素直な喜びを表現する。
秋風はそんな二人を溺愛しており、二人に囲まれることが至上の喜び。
コンプレックスの三白眼をイジられようと、めぐるだけは許してしまう。
普段目は閉じていても、入れても痛くないほど可愛がっているのだ。
しかしながら、下に見るようなことは一切ないが、無自覚にペット認定する悪い癖があり、曰くめぐるは猫で春原はリスと。
気に入った可愛い後輩はみんなそうで、白井は犬で夏井も子犬。
実際、めぐるなんかの懐き方は周りから見てもペットのそれである。
「お待たせ~二人とも~」
「おはようございます! 晴れてよかったですね!」
雨の予報は見事に外れ、絶好の行楽日和。
何故だか秋風にとって大事な日はほとんど雨が降らず、学校や部の行事も天候に恵まれる。
たまに話題にもなるが、晴れ女を超えた何かということで結局「やっぱ神なんじゃね?」に落ち着く。
「じゃ行きましょうか~」
三人が向かうのは秋風行きつけの喫茶店。
大中小と綺麗に並んで歩く身長差はまるで表彰台。
ちなみに秋風と春原は30cm近く身長差がある。
女神と美少女と愛らしい小動物、三人は否応なしに注目を浴びる。
めぐると春原にしか興味がない秋風、嬉しくて周りが見えないめぐる、視線に気付いてもガン無視春原と、三者三様で街を歩いていった。
女神の降臨を告げるかのように、ドアについたベルの音が店内に響く。
「こんにちは~」
「お、いらっしゃい。今日はお友達も一緒だね」
顔なじみのマスターに迎えられ、三人が席に着いた。
雰囲気の良いその喫茶店は、秋風が高校生の頃から通う店。
めぐると春原も何度か連れられて来ていて、三人で遊ぶとなったら大体ここで落ち着いておしゃべりするのが定番。
「久しぶりに来ましたね! やっぱりここ落ち着いていいなー」
隠れた名店といった感じだが、実際のところ店はかなり有名。
女神が通う店として噂が広まり、客足が集中し過ぎたこともあったところに、不可視の大いなる意思による平定が行われ、今の状況となったのである。
以降は忙しすぎもなく売り上げはしっかりと、最高の経営状態を保っている。
「好きなの頼んでね~」
餌付け……というわけではないが、秋風はあまり後輩にお金を出させない。
遠慮したところで「いいのよ~」で全部返され、固辞する意志はかき消される。
金持ちというわけでもなくバイトもしているが、お金を使う趣味が音楽以外になく、むしろめぐる達にこうすることが趣味なところがあるので、めぐる達も毎回ありがたくそうさせてもらっている。
ちなみにバイトは家庭教師。
登録先からオファーは目茶苦茶来るが女児童以外は絶対に受け持たない。
世界一ありがてぇ授業とか言われている。
「じゃぁお紅茶三つと~、モンブラン三つね~」
「スーちゃんにはてっぺんの栗あげるね!」
「ありがと」
この店のモンブランは絶品。
てっぺんの栗は春原に全部与えられる。
めぐる曰く「木の実は全部スーちゃんに」。
完全に小動物扱いだが、実際に春原は栗が好きなので気にしていない。
紅茶も相当にいい茶葉を使っていて、リピーターがついて然るべき味が楽しめる。
これは秋風が通い始めて以来、マスターがガチで紅茶について勉強したから。
ケーキと紅茶がテーブルに揃うとめぐると春原が幸せそうな顔をし、またそれを見る秋風もにこやかに微笑んだ。
「じゃぁみんなグラフェスお疲れ様でした~」
「お疲れ様でーす!」
「お疲れ様です」
三人が集まったのは、先日の合同ライブの打ち上げでもあった。
その様子を見たマスターが声をかけてきた。
「ライブだったんだ? じゃぁ今日は僕がおごろうかな」
気のいいマスターである。
この店の安寧は秋風によってもたらされたようなもの、その感謝もあってのこと。
「いいんですか~? それなら甘えちゃいますね~」
三人がそれぞれ礼を言う。
微笑ましい光景に周りの空気も和んだ。
そうして三人は幸せそうに喫茶店でのひとときを楽しんでいった。
「このお店のBGMいいですねー。パーシー・フェイスですか?」
めぐるがマスターに話かけた。
「お、よく知ってるね。ムード音楽好きかい?」
店でかけられているのはムード音楽。
BGMらしいBGMでも気にするあたりめぐるらしい。
「他にも色々流すんだけどね、今日は秋風さんが来てくれたからね」
秋風が一番好きなジャンルで、穏やかなイメージに合う、管弦楽主体のポップス。
来店に合わせてプレイリストを替えてくれた模様。
「気を遣わせちゃって申し訳ないです~」
「ははは、いいんだよ。いつも来てくれるからね。貸切とはいかないけど、ここにいる間はね」
秋風がいる時は、何故だか彼女が世界の中心であるかのように回る、そんな時がしばしばある。
女神だから、なんて冗談よりも彼女の人となりがそうさせるのだ。
「やっぱり吹先輩大人気でしたね! みんなありがたがってました!」
「うん、宗教みたいだった」
合同ライブの一幕。
ステージ上の秋風の前には他大の生徒含むありがたかる民が集結していた。
秋風、春原、冬川のホーン三人娘は去年の夏からファンを確立していて、春原や冬川にも一定数いるが、秋風ファンの光景はライブにあって異様な様である。
「なんでかしらね~。でもみんな楽しんでくれればそれでいいのよ~」
実際とんでもなく美人でスタイルも理想そのものなので、この上ない眼福である。
下心を彼女に向ける者はいないが、色々とありがたがられているのだ。
「でもめぐるちゃんもすごい注目されてたよ」
春原は
代表バンド初参加のめぐるは否応なしに注目を集めていた。
「そ、そうだった? あんま覚えてないや。ハハ」
めぐるはその様を実はあまり憶えていない。
わりかし緊張していたし、宗教団体の面白さや他のところばかり見ていた。
「ふふ、じゃぁ白井君見てたの?」
春原が結構きわどいことを言う。
秋風が若干ピクッとなる。
「え? そんなことないよ。前にいるって気付かなかったし」
春原のカマ掛けは外れた。
「ソロが終わって、たまたま目が合ってその時気付いたんだ」
「へ~、たまたまなんだ」
「な、なんだよう」
めぐるの真意は明らかではないが、その時気付いたのは本当にそう。
しかしめぐるのことを知っている人からすれば、いつも超然と鍵盤に集中しているめぐるが、ライブ中に観客と目が合うこと自体が特殊だとわかっていたりする。
そして秋風はめぐると春原のこの会話を黙って聞いていた。
「でもめぐるちゃん、飲みの時寝てたから知らないと思うけど」
含みを持たせて春原が口を開いた。
「噂になってたよ。あの笑顔は誰に向けたのか、って」
ソロ後の満面の笑みのこと。
軽音部員で直接それを見た人は少なかったが、他大の生徒には見られていた模様。
打ち上げの合同飲みで、「期待の新人が向けた笑顔の先は?」と話題にされていたのだ。
上手いことそれが男避けになってはいたが、めぐる本人は全く知らない。
秋風が膝枕で寝かしつけていたし、迂闊にちょっかいをかければ、三白眼の女神の裁きが下ることも周知されていた。誰だって過呼吸に陥りたくはない。
「そうね~、私も気になるな~」
そして秋風がここで乗る。
一番気になるところを引きだすタイミングを待っていたかのように。
「ヤッシー先輩ですよ! その時そこにいたので」
めぐるは平静を保って誤魔化した。
内心バクバクだが多分大丈夫だろうと思う出来。
しかし残念ながらつい数秒前の発言と既に整合性がついていないので、誤魔化したのは完全にバレている。
「うふふ、そうかやっちゃんか~」
秋風は追及することなく、そういうことにしてあげる。
白井に釘を刺すようなことは何度かあったが、実はそうするつもりがあったわけでもなく、めぐると白井が仲良しなのは本当に嬉しく思っている。
溺愛するめぐるがとられるようで少し淋しいのも事実であるが、めぐるのことが一番大切な秋風からすれば、それがいいならそれでいい。
別に「調子にのんじゃねぇぞ裁くぞ」とか思っているわけではない。
春原は「早く認めればいいのにどんだけ純情なんだよ」くらいに思っている。
二人の微妙な距離感はこうして周りに見守られているのである。
「それはそうと、夏バン、白井君のことよろしくおねがいしますね! ビッグバンドでしょうし、曲も難しいでしょうから!」
話題転換のために切りだすも、直接的に白井の話をしていたわけでもないのに名前を出しちゃうあたり完全な自爆である。
とはいえこれは事実で、秋風と春原は白井と一緒の夏バンド。
豪華メンバーで大編成のホーンバンドなので白井にかかるプレッシャーも甚大だ。
「うふふ、大丈夫よ~。めぐちゃんも、しっかり指導してあげてね」
「はい! そりゃ毎日鍛えまくりますよ!」
「……ゲームの話じゃないよ?」
「……わ、わかってるってばぁ」
そして墓穴を掘ったことに気付いたか、切り替えるためにめぐるがハッと閃く。
「そういえばこの前こんな写真送られてきましたよ、カナ先輩から!」
「あ、それは見せちゃ」
春原の制止を振り切ってめぐるが秋風に見せた写真。
酔っ払った秋風とその腕の中で眠る春原と夏井。
先日の飲み会での一幕である。
「もうこれ超可愛くって! あたし壁紙にしようかと思っちゃいました」
秋風は固まって何も言わない。
醜態というより、ただ神々しい写真だが、酔ったところは見せたくないもの。
ちなみにめぐるのスマホ壁紙はFFⅣのゴルベーザである。
「……恥ずかしい」
少しだけ顔を赤くして少し俯く。
いつも暢気に己のペースを崩さない秋風が見せる素の女の子らしい反応。
マスター含むその場の全員、恥じらう女神のあまりの可愛さに言葉を失った。
「それ、他の人に見せちゃダメよ~」
すっと戻って何事もなかったかのように釘をさすが、表情にはまだ恥ずかしさが残っている。
「み、見せません見せません! ね、スーちゃん」
「うん、もっとありがたいもの見れた」
「も~」
めぐるも春原も、これ以上ないありがたいものを見た、そんな一面だった。
三人穏やかに話す至福のひととき。
秋風は音楽も好きだが、こうして部活の後輩と過ごし、その営みに触れることを大学生活の一番の楽しみにしている。
甘やかしすぎることなく後輩を優しく見守り、癒し、時には導いたり平定したりして、三年生としての責務を全うしているのだ。
そしてそれは後輩達にもしっかりと繋がっている。
人並みに恥じらう、女の子らしい面も明らかになり、これからますます後輩に愛されていくに違いない。
めぐるや春原だけでなく、軽音学部にとってもありがたい存在。
秋風吹の一日は平穏に過ぎていった。
隠しトラック
――生殺与奪 ~街中にて~
「吹先輩吹先輩」
「なぁに、めぐちゃん~?」
「やっぱりマスターも吹先輩の信徒なんですか?」
「めぐるちゃん吹先輩ファンのこと信徒って言うよね」
「だって信徒は信徒じゃん!」
「うふふ、よくしてもらってるのは確かかな~。あ、こんにちは~」
「吹先輩」
「なぁに~?」
「今の人知り合いですか?」
「うぅん、いつも挨拶してくれるだけよ~」
「……腰90度でしたよ?」
「丁寧な方よね~」
「めぐるちゃん、気にしたらキリがないよ」
「うふふ~」
「吹先輩……」
「私も流石に気になった」
「どうしたの二人とも~」
「あっち、道路の向こうのおばあちゃん……」
「手合わせてますけど……」
「あら本当ね~。たまに見る方だわ~」
「長生きできるとか思ってるのかもですね!」
「うふふ、元気でいて欲しいわね~」
「……目開けてみたらどうですか?」
「死んじゃうわよ~」
「ブフッ」
珍しく春原が吹き出した。
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