友情エムブレム
7月中旬 大学構内 大講堂地下 軽音楽部スタジオ
「フフッ! コードバッキングかなり上手くなったね! 基礎的なのはほとんど出来てるよ」
こちらの弾く様子を見て月無先輩が褒めてくれた。
レベルアップを実感するたび、日々の指導に感謝する。
「なんかすいません、毎日見てもらって」
本来なら金を払って教えてもらうような内容だし、一人で練習するのが当たり前。
甘えているつもりはないし、いいよいいよと先輩は返すが、無償でほとんど毎日見てもらうのは恵まれすぎている。
「あたしも楽しくてやってるしね。ゲームも付き合ってもらってるし」
いやいやだったり義務感的なものではない、と暗に言ってくれた。
鍵盤が自分と月無先輩の二人だけという軽音事情もあるが、こうして良好な師弟関係が結べているのは本当に嬉しいことだ。
「ちょっと休憩しよう! そろそろスーちゃん来るし」
今日は春原先輩が来るとのこと。
先日スタジオに置いていった楽器を回収するためだそうだ。
「あ、飲みもの買ってくるの忘れてた。コンビニ行く?」
「じゃぁ俺買ってきますよ。スタジオ人いなくなっちゃいますし」
自らパシられるのも弟子の務め。
二人で行きたい気持ちはあるが、スタジオを無人にするのはマズいので要望を訊いて出発した。
「ありがとね! いってらっしゃい~」
飲み物だけなのでコンビニまで行かずとも、ということで自販機のある食堂の方へ向かった。
すると、前方から歩いてくる小さな影。春原先輩だ。
少し歩く速度を速めて挨拶をする。
「お疲れ、白井君。ふふ、今日も一緒に練習してるの?」
パシられている最中と冗談を返すと、春原先輩もついてきた。
スタジオには月無先輩がいるのに、なぜこちらに同行……?
「どうなの? 最近」
……そういうことか。
月無先輩がいないところでないと訊けないこともあると。
しかしどうと訊かれても何を返せばいいのかわからない。
「……進展ないの?」
そういうことだとはわかっていたが……。
これといって進展はないし、そういうものでもないと伝えた。
「ふ~ん……。まぁめぐるちゃんあんなだしね」
「あんなって……。師弟は師弟です。あとゲーム仲間」
線引きは重要。
変な気も起こさないとしっかり決めたし、今の環境がベスト。
春原先輩は少し期待外れそうな顔をしたが、実際そうだから仕方ない。
自販機で飲み物を買って折り返し、戻る途中、再び春原先輩が質問してきた。
「白井君とめぐるちゃん、ゲーム仲間ってだけなの?」
何だろうか、よくわからない。
どういうことかと訊き返した。
「それだけじゃない気がするから。弟子とかゲーム仲間以上」
勘が鋭いというかなんというか。
大抵の部員は師弟関係だから仲がいいくらいに思っていそうだが、春原先輩はそれ以外の理由に気付いている。
もちろんそれはゲーム音楽なのだが……自分から言うべきことではないとブレーキがかかってしまう。
無言の間を持てば余計に怪しませるし、かといって迂闊なことは言えない。
「な、何か変なとこありますかね」
時間を稼いでみた。
具体例が出ればそれをダシに逃げれるかも。
「変じゃないけど。めぐるちゃん、白井君入部してからいつも楽しそうだから」
「そ、そうなんですか」
自意識過剰になりたくはないが、愛するゲーム音楽について好きに語れる日常は、月無先輩にとって心待ちにしてたものなんだろう。
周りから見た月無先輩の変化がそれに起因しているのは間違いない。
「前はどんなかんじだったんですか?」
しかし時間稼ぎの糸口はつかんだ。
「あ、話逸らした」
バレました。
本当に勘がいい。小動物の本能か。
「まぁいいや。前も楽しそうだったけどね。でも一人で何かやってるって感じだったから、自分の話あんまりしなかったよ」
なるほど、同じ学年の春原先輩からすれば特にそうか。
雑談でも人の話を聞いたりそれに乗る方が多く、月無先輩発の話題は少ないと。
「だからそれかなって」
……何かあるのは確信していて、具体的な単語が結びつかないだけ。
春原先輩は全部気付いてそうだ。
「話題っていっても白井君のことばっかだけどね」
嬉しいやら恥ずかしいやら……。
いやめっちゃ嬉しいしめっちゃ恥ずかしい。
余程弟子が出来たのが嬉しいんじゃないかと、当たり障りのない誤魔化しをしたところでスタジオに着いた。
「おかえり~。あ! スーちゃんおはよ~」
笑顔で月無先輩が出迎えた。
座り込んでしていた作業を中断し、春原先輩に飛びかかるように抱きつきナデナデ……春原先輩もよくされるがままにしてるな。
「お茶置いときますね」
お茶を床に置き、もう一度目を向けると春原先輩がじっとこっちを見ている。
……あぁ、やめさせろと。
「めぐる先輩、その辺で……」
「……ハッ。可愛すぎてつい」
どういうことだ一体。
そしてグッジョブと春原先輩は親指をこちらに立てた。
「いや~夏休み入るとスーちゃん分が足りなくてさ」
なんだその謎成分。春原先輩にしかない癒しがあるのはわかるが。
まぁ小さい彼女のこと、ぬいぐるみのように扱われるのは慣れているのだろう。
本人は嫌ではないけど、同じく小さい夏井に標的が移ればなんて思っているらしい。
「練習してたんでしょ? 邪魔しないから続けて。私も個人練するから」
そういって管楽器置き場になっている一角からサックスを取り出した。
「じゃぁコード弾き(和音主体の伴奏的な弾き方)の練習もう一回しよっか」
そうしてこちらも再開した。
自分と月無先輩、二つ並べた鍵盤であれやこれやと実演指導。
課題をその場で弾いて提示してくれるので、本当にわかりやすいしためになる。
そして月無先輩がコード弾きをするとふと、それを伴奏にして春原先輩がアドリブで合わせる。
同学年で一番の親友、二人の呼吸は正に阿吽で、打ち合わせなしとは思えないほど完成度の高いセッションに脱帽した。
次は白井と、自分がコード弾きをすると、緊張してリズムがガタつき上手く合わずに笑いが起きる。
春原先輩も交えた練習は楽しく平和に過ぎていった。
楽器の音が途絶えて出来た無音の間、その一瞬を待っていたかのように春原先輩が口を開いた。
「二人とも仲良いね。楽しそう」
こちらを微笑ましく思うのか、そう言った。
少し照れくさいが、楽しいのは事実だし、嫉妬の眼が怖くなるほど幸せな環境だ。
「楽しいよ! 実際あたしが楽しくてやってるんだよね。はは」
先程も聞いたことだが、これ以上嬉しいことはない。
ゲーム音楽抜きにした関係でもこうして思ってもらえるなら一層身が入る。
「ふふ、そっか」
控えめに笑って、春原先輩は練習を再開した。
§
あれこれと教えてもらっている最中、ふと聞こえる。
春原先輩のサックスが発生源なのだが、耳を持っていかれる。
自分が気付くのだから月無先輩が気付くのも当たり前で、鍵盤を弾く手が止まる。
月無先輩がこっちを向くと、自然に目が合った。
同じことを思っているのだ。
そして春原先輩に目を向け……。
「スーちゃん、それ……」
「うん、スマブラのやつ」
春原先輩が吹いていたのはスマブラDX版の『ファイヤー・エムブレム』のテーマ曲、そのアツい冒頭部分。
まさかの展開に驚いたが、確かにスマブラは部室でやるし、部室族の春原先輩が知っていてもおかしくはない。
「ふふ、めぐるちゃんこの曲好きでしょ? これ流れるといっつも鼻歌歌ってるから」
「え、そ、そうだった……?」
……鼻歌は無自覚なのか。いつもしてるぞ確かに。
「ゲーム音楽好きなんでしょ?」
そして突然、春原先輩は核心を突く質問をした。
一番行動を共にしている春原先輩ならわかってても不思議とは思わないし、こうしてふっている以上偏見はないだろう。
だけど隠さなくなったとはいえ……指摘されるのは初めてのハズだ。
「……うん! 大好きなの!」
思いすごしだったようだ。
面を喰らったのか少しだけ間があったが、晴れやかな笑顔でそう言った。
「ふふ、やっぱり」
全て合点が行ったという表情で、春原先輩は微笑んだ。
謎に思うような部分、それが全部つながったのかもしれない。
「って、スーちゃん『ファイヤー・エムブレム』吹けるの!?」
一件落着に間髪いれずに月無先輩が思い出した。
「曲名わからないけど、よく聴く曲だけね。この曲オーバートーンの練習になるの」
「ほんと!? じゃぁ一緒にやろ!」
「え、今?」
「今!」
急速に上がったテンションで無茶ぶりを始める。
おもちゃをもらった子供のように微笑ましくて笑って見ていると。
「白井君もやるんだよ! 今コード譜書くから!」
なんと巻き添え……無茶っしょ。
そして譜面台に五線譜ルーズリーフを置いて何やら書き始めた。
急な展開についていけず、春原先輩の方に目を向けてみると……困惑の色。
「できた! じゃぁ白井君ピアノでコードバッキングね! リズムわかるよね!」
……早。
ってかコード譜ならある程度すぐ読めようにはなったといえ、いきなり合わせるとか難易度高くないスか。
しかも合わせるにしてもドラムはいないし、というか月無先輩は何するんだ。
「あたしベースとドラムやるから!」
そう言ってシンセサイザーのセッティングをいじって……ドラムとベースの音でいきなりフレーズ完全再現。
「……な?」
「いやすごいけど」
っというかこの人、全部のパート憶えてるのか……怖っ。
左手だけでドラム再現するとか信じられない特殊技能だわ。
「ふふ、めぐるちゃん、いきなりはキツいよ」
「あ、そ、そうだよね! テンション上がっちゃって~」
ナイス抑止。
やるにしても練習する時間は欲しい。
結局三人でスマブラDX版、神殿ステージの裏曲『ファイヤー・エムブレム』を練習することに。
単純ながらもストレートにカッコいい、そんな曲のよさもあって、合わせているだけでも気分が高揚する。
皆でゲームをするように、バンドで合わせて楽しむにはうってつけに思える曲。
コード進行も基礎的なもので自分もすぐに慣れ、段々と息が合ってくると月無先輩は本当に嬉しそうにした。
春原先輩もそれが嬉しいのか、身長に見合わぬ大きな楽器を下ろすこともなく楽しそうに付き合ってくれた。
後半の歌メロのパートをピアノで弾き語りできるのはちょっと引いたけど、存分に愛するゲーム音楽を楽しむ月無先輩が見れたのは特別なことだった。
「ふふ、本当に好きなんだね。グラフェスのソロ案出した時から多分そうだと思ってたけど、こんなに嬉しそうなめぐるちゃん初めて見た」
予想はしていたが予想以上、そんな風に春原先輩は言った。
この前の合同ライブの練習時点から、好きなのはやはりわかっていたようだ。
「うん! 合わせるのって初めてだし!」
ずっとやりたかったこと、バンドでゲーム音楽。
編成的には十全でないし、月無先輩はドラムのフレーズをシンセサイザーで。
それでも少し願いが叶ったことがこれ以上なく嬉しかったのか、満面の笑みでそう答えた。
「それに、スーちゃんに受け入れてもらえたのが……本当に嬉しくって」
同学年であり、春の代表バンドでも二人だけだった二年生、軽音楽部でも一番立場が近い親友。
先輩達とはまた違った目線から受け入れられたのはやっぱり特別なんだろう。
三人で楽しんだ『ファイヤー・エムブレム』は一緒にやったゲームの音楽、ただそれだけの曲。
日常に埋没するはずのBGM、本来そういうものなのに、その曲はゲーム音楽の差し出がましさを象徴する懸け橋になった。
「それでねスーちゃん……よかったらなんだけど」
お、もしかして。
「夏合宿のお楽しみライブでね。ゲーム音楽、やりたいんだけど……一緒にやらない?」
ちゃんと自分から、少し途切れ途切れでも、初めて言いきった。
「うん、いいよ。曲、いいの多いもんね」
「やった! ありがとう!」
快諾するだけでなくゲーム音楽自体を認める言葉。
言葉数は少なくとも、月無先輩が最も求めているものに違いない。
「吹先輩とヤッシー先輩ももう決まってるんだ!」
「ふふ、そうなんだ」
はしゃぐ姿にまた微笑む。
親友が本当に好きなものを初めて遠慮なく謳歌する姿は、春原先輩にとっても嬉しいことなのだろう。
「でも……」
春原先輩が逆接だけ口にして、少し間をとる。
「最初に誘ってほしかったな」
そう言って反応を待つ。
多分からかっているんだろうけど、月無先輩は真に受けて白状した。
「うぅ~……。今までは事故的なアレだったから……」
「事故?」
軽く事情を説明した。
奇跡的に今日はならなかったが、状態異常のことも含む今までの経緯。
「ふふ、そうだったんだ。じゃぁ自分からっていうのは私だけなんだね」
春原先輩は全部把握すると、少し嬉しそうにした。
一番の親友が見せた大きな進歩、それに立ち会えたのを祝福してくれているのだ。
「暴走状態っていうのも見てみたいな。今度やってね」
「そ、それは」
そんな風に、信頼が
元から親友の二人、その友情が更に深まったのは表情を見れば明らかで、それは自分自身のことのように嬉しく思える出来事だった。
――
帰り道、仲の良さが窺えるやりとりをしながら自分の前を歩く二人。
小さな春原先輩に合わせるように、いつもより少しだけゆっくり歩く月無先輩。
不揃いでも同じペースで進む二人の歩幅。
そんな言葉ではない思いやりは、二人の信頼と友情の象徴のようにすら思えた。
―― 隠しトラック
小動物の本音 ~某駅前和食チェーン店にて
「スー先輩、正直思うんですけど」
「どうしたの?」
「……いいんですか、されるがままで」
「……別に?」
「いんだよねー? スーちゃん可愛いから仕方ないもんねー? ナデナデ」
「……ぶっちゃけうっとおしくないです? 今とか」
「な、なんてことを! 先輩だぞ! 師匠だぞ!」
「ふふ、慣れてるから」
「ねー、慣れてるもんねー。よしよししてあげるねー!」
「めぐる先輩……うっとおしくないって意味ではないですよ多分」
「え!? ス、スーちゃん……」
「……」
「し、白井君……」
「いや俺の方振られても」
「ふふ、めぐるちゃんなでて」
「な、なんだよかったー! うりうりー。はー可愛い」
「……大人だ」
「見た目は小学生なのにね!」
「失礼すぎる」
ファイヤーエムブレムの曲の正式名称は『出会いのテーマ』です。
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