7月15日③
ライブは終わってしまった。
人もまばらになり、催しの閉幕を物語るホールに立ち尽くす。
ライブの余韻に浸る、周りはきっとそうして過ごしているのだろうけど、自分だけは全然違うことに頭を支配されていた。
謎なんてなかったが謎が解ける感覚。
最初からそうだったのに、そうでないフリをしていた。
否応なくそれを認めてしまうと、どうしようもなく辻褄が合った。
入部したのも、そう。
熱心にやったのも、そう。
色んな人に出会って、その人達に認めてもらえたのもそう。
バンドをやってその楽しみを知れたのもそう。
ライブで夢中になる感覚を手にしたものそう。
……ゲーム音楽を本気で好きになれたのも、そう。
全ての物事の始まりと中心は月無先輩だった。
たった三か月、大学に入って以来、全ての根底にいた。
ただ一つ知ったのは、一番最初にみたPRイベントはきっかけで、思い込みだったということ。
……これ以上は気持ち悪いな。何に浸ってるんだか。
全てを一旦認めたうえで、自嘲するように切り上げた。
「白井、外出るぞ?」
現実に引き戻すように、椎名が声をかけてくれた。
「俺ら飯食いに行くけど行くっしょ?」
「あ~、今日ちょっと疲れたわ。先帰る」
折角の誘いだったが、何故だか同行する気になれなかった。
「あ、そうわかった」
同輩にお疲れと返し、ホールを出た。
屋外に出ると、まだ人はたくさん残っていた。
「あれ、白井は一年で夕飯食べに行かないの?」
八代先輩が声をかけてくれた。
「あ、なんか今日はいいかなって。先に帰ることにしました」
単純に気分の問題なのでそうとだけ返す。
「ふ~ん……。私も帰るし、一緒に帰ろうぜ~」
八代先輩も帰ることに。
正直一人にしてほしいと思う気もしたが、それを伝える名分がなかった。
帰りの電車内はほとんど喋らなかった。
満員に近い電車だったからか、八代先輩と話す余裕もなかった。
駅を出て、帰りの道を歩いていると、八代先輩が問いかけた。
「他大もすごかったでしょ」
そうは確かに思ったが、今はどうでもよかった。
返事が淡白になってしまい、失礼に気付きすぐさまそれを改めた。
「……うちが一番よかったけどね」
正直にそう思う。
一曲目の時点でそう思ったし、確信している。
でもそれすらもう過ぎたことのように思える。
簡素な受け答えでできた無言の間、暴くかのように八代先輩は口を開いた。
「……あんた、めぐるに惚れた?」
見事に看破された。
いつものように誤魔化しても、今は本当の意味で誤魔化しにしかならない。
触れて欲しくない気もあったが、打ち明けたい気もあった。
とりとめのないことをまとめる余裕もなく、観念するように言葉にした。
「……元からです」
ただ肯定するだけでよかったのに、何故かそう出た。
「アハハ、やっと認めたかー」
八代先輩は嬉しそうに笑った。
言えたこと、そしてその反応からか、少しだけ気が楽になった。
「いいんじゃない? 好きになっても。それに、しょうがないでしょ。ライブであんなことされちゃ」
色恋に現をぬかす、自分にとってはそう思えることを八代先輩は掛け値なしに肯定した。
「最後のソロ、あれゲーム音楽でしょ? あの音色」
曲自体がではなく、音色とフレーズ。
多分、それを意識したものなのは誰にでもわかった。
「でもそれじゃないか。その後だよね。私は横にいたからわかったよ」
やっぱりそうだよなぁ……。
「めぐるがライブであんな笑い方するの、始めてみたよ。あの子、ライブ中いっつも鍵盤に完全に集中してるもん。……しかもあれ、白井に向けたものでしょ」
紐を解くようにして八代先輩は続けた。
言葉を返せないでいる自分に、わからせてくれるように。
「あれで惚れない方がおかしい! あんたは悪くないよ」
そう言って八代先輩はアハハと笑った。
また少しだけ気が楽になった。
「でもいいのかなって思っちゃいます」
肯定の言葉が欲しくて出たようなもの。
「何が?」
抽象的だったか……それともわざとか。
八代先輩は曖昧にぼかすのをやめさせるかのようにそう言った。
「……迷惑じゃありませんかね」
本音ではある。
「だから何によ」
それもそうか……。
漠然とそう思っただけかもしれない。
「白井は潔癖すぎるよ。なんで悪いことみたいに思ってるのかね」
「そう、なんですかね」
「そうだよ。それに悪い方向ばっか想像してない?」
そんなつもりもなかったが、結果としてそうとられるものだったかもしれない。
実際、好きだと認めるだけで全てを壊してしまうような気がしていた。
月無先輩に対する裏切りのようなものとさえ思っていた。
「でもやっぱり部活をやる上で余計なことは……」
「余計って何よ」
八代先輩の声色が変わった。
「それだけは言っちゃダメ。あんたが余計だとか無駄だとか思うのは勝手かもしれないけど、めぐるのこと何も考えてないよそれ」
「い、いえそんなつもりは……。ゲーム音楽の邪魔になると思うし……」
それも理由の一端だった。
「それも言い訳。本当だとしても、今それを言ってもめぐるのことを思ってのことじゃない」
厳しい言葉が続いた。
でもこれが間違った自覚を正してくれるものなのはわかった。
重ねるようにしてきた自分の気持ちへの言い訳、堆積して凝り固まったそれを剥がす、その手伝いをしてくれている。
「あんた結構わからずやだから言っておくけどね……。あ、絶対本人に言っちゃダメだよ」
何だろうか、八代先輩しか知らないことのようだ。
不安も期待も入り混じった感情で、続く言葉を待った。
「あの弁当、作ったのめぐるだよ」
……え? 言葉が全く返せない。
「昨日めぐるから言ってきたのよ。ご褒美とか言ってたけど」
確かにそんなメッセは貰ったが、すでにそれももらっていたとは……。
「あの子のことだから恋愛感情とかは本当にないのかもしれないけど、特別に想ってなかったら絶対そんなことしないよ。白井が余計なことなんて言ったら、あの子の気持ちはどうなるのよ。……これ以上は私からは言えない、ってか何もないけど」
やはり言葉が返せない。
ここまで言わせてしまった申し訳なさもあるが、何より素直に受け止められない。
自分が月無先輩にとっても特別な存在、それを認められる自信がなかった。
今までの関わりを思い返せばわかる気もしたが、そうする気にもなれなかった。
「だから好きになるのは何も悪いことじゃないんだよ。で、迷惑でもないし、余計でもない。そっからどうするかじゃないの?」
ただ、本当に自分の感情を認めるだけ、それだけでいい。というか精一杯だ。
「……わかりました。変な言い訳はやめにします」
「わかればいいの!」
八代先輩はいつものようにアハハと笑った。
何度も助けられてるなぁと口にはせずに改めて感謝する。
そしていつもの調子に戻って、八代先輩は言葉を続けた。
「……で、コクんの?」
……からかいの段階が上がっただけかもしれん。
でももう答えは決まっていた。
「それはしません」
「……そっか」
理由は言わなかったが、なんとなく伝わったと思う。
これでいい。むしろ、これがいい。
「まぁフラれたりしたらあんた軽音やめそうだしね」
「……冗談じゃない冗談はやめてください」
いやほんとに。それどころで済めばまだいいくらいだ。
「八代先輩、本当にめぐる先輩のこと大好きですね。よく見てるっていうか……」
多分他のどの人よりもずっと親しいし、一番微細を知っている。
「そうね。一番可愛がってるかもね。私以外の三年だってみんなそうだよ。でも私は白井のことも好きだよ」
「え!?」
あっさりと言うのでそういう意味じゃないとわかっても、驚いた。
「アハハ、照れなくていいよ。めぐる一筋だってわかってるから言えるんだし」
素直に嬉しかった。
含意が違っても、そう言葉にすることの見本のようだった。
しょうもない悩みだったかのように笑い飛ばしてくれた。
「なんか今まで悩んでたのが馬鹿らしいです」
「だからいつも言われるでしょ、真面目すぎって」
この人には本当に敵わないな。
何から何までお見通しだ。
「本当にありがとうございます……。感謝してもしきれません」
「アハハ、何それ。でも私は嬉しいよ。やっと認めたのが」
そう言われるとスタートラインに立ったというような気がした。
「好きなものは好きって、言っていいんだよ。あんたもめぐるも」
何の気なしに言った言葉だとしても、それがどれだけ大切かよくわかる。
月無先輩だって、自分の好きな音楽を堂々と好きと見せつけたんだ。
たった三カ月とはいえ、蓋をするように言い訳した気持ち。
素直になることが重要だったと、八代先輩に教えてもらえたのは多分いいことだ。
この先のことはまだいい。今はそれだけで本当に十分だ。
「白井、夕飯は? 食べに行く?」
「あ、何も考えてなかった」
折角なので一緒に行こうかと提案してくれた。
「じゃぁ今日はもうめぐるの可愛さについて語る会だね」
「……いきなりハードルガン上げしますね」
走り高跳びくらいにまでいきなり上がる。
しかしまぁ誰かに聞かれたい話題でもないし、八代先輩以外にも話す気はない。
「じゃぁ~。私の家来る?」
ちょっと待て。
走り高跳びどころじゃなくなった。棒か、棒だな。
「いやだって、めぐる一筋なんでしょ。ならいいじゃん」
「いやそうは言ってもですね」
普通女子の側から絶対ダメだろこんなの。
「気にし過ぎだと思うけどなぁ。今度どうせ清水の社で卓呑みするつもりだったし」
「八代先輩が気にしなさすぎなんですよ……。モテるっていう自覚ないでしょう」
「あら嬉しい」
ダメだ、何を言っても暖簾に腕押しというか、自分がおかしいのかと錯覚するほど気にしていない。
しかしどういう意図があるわけでもなく月無先輩について語り合おうということらしい。
全部吐き出せって言ってくれてるのかもしれない。
「……でも面白半分ですよね」
「いや面白全部だけど」
……全部かぁ。
「白井が下心で動かないのは知ってるからさ」
信用してもらえてるのは嬉しいが……。
「ピザとろうぜピザ」
あ、手料理的なアレではないんですね。
そんな感じで若干ガッカリしつつも観念して八代宅へ。
何でもないのはわかりつつも一人暮らしの女子の家に上がる緊張は凄まじい。
家に上がるなり適当にくつろいでてと言われてもどうすれば……。
品評するような目線はよくないと、どこに目をやればいいか困ったが……ふと目に入ったダンベルがすぐに現実に引き戻してくれた。
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