何でもない一日 後編
中編のあらすじ
月無兄はめちゃキモい。
「っとまぁこんな感じの人かな。ぶっちゃけあれはマジでキモかった」
「きょ、強烈ですね。はは……」
夏井が言葉を失うレベルのエピソードが語られた。
度を超えたゲーオタというのは間違いないだろう、独りで古今東西ができるくらいずっとロングヘアヒロインの名前を挙げていたそうだ。
「でもめぐちゃんのお兄さんって確か、うちのOBよね~」
「そうですよ! もう随分前のですけど!」
衝撃の事実が発覚する。
春原先輩も驚いているあたり、あまり知られていないのか。
「あれ? 言ってなかったっけ。だって部室にあるゲームも大抵お兄ちゃんが持ってきた奴だよ。あたしが持ってきたのも多いけど」
「そうだったんですね……。もう自分ん
スタジオにあるクロノスでない方の鍵盤も実は兄のだそうで、軽音に遺したものはかなり多いようだ。
「私もお会いしたことはないんだけど~……。当時の代表バンドでも群を抜いて上手だったとか聞いたな~」
やはり血は争えないということか。
エリートの血がうらやましい。
「兄妹そろって代表バンドってすごすぎです……」
「うふふ、じゃぁ私と一緒に夏バンドでめざしましょう~」
夏? 何の話だろう。
「え、本当ですか!? 私なんかが!?」
あぁ、夏のバンドの話か。
今やっている春のバンドの部内ライブ、通称『
夏バンドという名とはいえ半年間の長期スパン、いわば軽音学部の本番だ。
そして秋にもう一度ある他大学交流ライブは、現在の部長の選出で決められた代表バンドと違い、九月にある合宿のライブ後に、部内投票で代表バンドが決まる。
要は代表バンドは春と秋にそれぞれ決められる。
秋風先輩はそのことを話しているのだろう。
「うふふ、元から誘うつもりだったわよ~」
「あたしとスーちゃんも一緒だよ! 吹先輩の最後のバンドだから頑張ろうね!」
「ふぅぅ……。ありがとうございます~……」
そんなに嬉しいのか、夏井は泣きそうになっていた。
……そういえば自分は何も考えていない。
誘いも特に来てない。結構羨ましい……!
「でもほんとはまだ声かけるの早い。内緒だよ」
なるほど、確かに今のバンドに集中できなくなったら本末転倒だ。
話によると普通は今やっているバンドが終わってから声かけが始まるようだ。
三年生にとっては最後のバンド、好きなメンバーで好きな曲をやるのだろう。
今回のこれは秋風先輩主導で、仲の良いこの三人が誘われたのだろう。
「しろちゃんはまだ決まってないの~?」
「はい。まだ全然ないですねそういうの」
どう考えても皆月無先輩をとりたがるはず。
月無先輩も二つ掛け持ちするだろうから、自分が決まるとしたらその後か。
言ってしまえば余りもの、まぁ仕方ないか。
「でも白井君なら絶対いいバンド入れるよ! 師匠が保証するよ!」
「ですかね……。だといいなぁ」
今のバンドもすごく楽しいし充実しているが、夏はどうなるのだろうか。
とはいえ一年生の身で欲を言うつもりもないし、ましてや吟味する立場でもない。
まだ全く見通しのない話でもあるので、雑念は振り払って今を頑張ろう。
「うふふ、三年生でも掛け持ちする人多いから、私と一緒になるかもね~」
「え?」
それ以上は訊かなかったが、もしかしたらそういう話があるのかもしれない。
正直言えばすごく気になるけど、折角今切り替えたのだから、可能性の話として割り切っておこう。
「夏バンはほんっと楽しいよ! 合宿もあるし! プールあるよプール!」
「……それマジですか?」
ちょっと期待しちゃうよ? 俺。
「めぐるちゃん、あのプールは人投げ込む用」
「……マジですか」
もう少し夢見させてくださいよ……。
合宿の話をそれから色々聞いたが、期待せずにはいられないほど楽しそうだ。
ちなみにプールは一年生を投げ込むためにあるとのことで、秋風先輩が一年生のころは氷上先輩が投げ込まれたらしい。
今年は誰かなと言いながら春原先輩に流し目をむけられた時は嫌な予感しかしなかった。
「楽しいよ~、一週間もあるから事件も沢山起こるし!」
「あったね。めぐる無双事件」
「それは勘弁して……」
……なんか大体予想はつくが何かあったんだろう、おそらくTV画面内で。
色々あったそうだが、一番気になったのはマウントパンチ土橋というタイトル。
部内で起きた事件に名前をつけるのは軽音の風習らしい。
「そんなに楽しいなら早く行きたいですね」
「私も今から楽しみです!」
「ファファファ、せいぜい妄想して楽しみにしておくといい! 何が起こるかわからないからね! みんなの意外な一面が見れたり!」
その笑い方で言われると無に飲みこまれたりしそうで怖いんですが。
「お楽しみライブもあるから~、やりたい好きな曲あったら、しろちゃんもなっちゃんも人集めてみるといいよ~」
「夏バンに支障きたさないようにね」
そういえばそんなのもあると氷上先輩も言っていた。
……自分の中ではこれが結構重要な気がする。
いや、自分というか月無先輩か。何か予定はあるのだろうか。
月無先輩を見ると、少し考えるような顔をしているし、やはり何か思うことがあるのだろう。
§
夏バンの話を色々と聞いたり、ぷよぷよを再開してまた盛り上がったり、部室での時間は穏やかに過ぎていった。
何でもないようなこんな一日があってもいいかもしれない。
授業だったりバイトだったりと、少しずつ人が減って部室は空になり、自分も六限の授業に向かった。
道中、隣には同じく六限に向かう月無先輩がいた。
「ねぇ白井君、ちょっと相談があるんだけど」
「俺にですか? なんです?」
相談、とはなんだろうか。
二年生が一年生にすることなんてまずないだろうに。
「合宿でさ、お楽しみでさ。……一緒にゲーム音楽やらない?」
何故だろう、何かが込み上げた。
「……ど、どうかな! 鍵盤二台でさ」
誘ってくれたこと以上に嬉しいものがあった気がした。
「絶対やります。こちらこそお願いします」
「そっか、やった! 本当に嬉しい!」
それはこっちのセリフなんですよ、と口にはしないが心根ではそう思う。
「……まだ他は誰も誘えてないし、曲も決まってないんだけどね!」
それはこれからなんだろう。
これからというのは算段を立てることではなく、もっと大切なこと。
「豪華なメンバーにしたいよね! 軽音オールスターみたいなの!」
自分も是非そうしたい。それに、そうなる予感がする。
先輩次第だけど、上手くいく気がする。
「なりますよ、絶対」
「な、なるかな。頑張らなきゃなぁ……」
多分この頑張るには色んな意味が含まれているんだろう。
先輩自身もわかっているだろうし、自分も理解しているつもりだ。
互いにそれがわかっているから、余計な言葉は言わなかった。
「仲間集めみたいで楽しみですね」
「ふふっ!じゃぁあたし達が主人公だね!」
自分はナビ役のような感じもするが、そう並べてくれるのはすごく嬉しかった。
ゲーム音楽をする仲間を求めて、先輩の第一歩は今日踏み出されたのかもしれない。
夏の話、合宿の話、そしてゲーム音楽の話。
これから先に待つ部活動生活はどうしても楽しみだったし、まるで冒険に向かうような感覚になっていた。
「隠しキャラもいるかもしれませんね」
「……バカとか?」
「コマンド受けつけなそう……」
隠しトラック
――気になる夏井 ~帰宅途中の電車内にて~
「スー先輩」
「ん?」
「やっぱあの二人って、何にもないんですかね……?」
「……ないんじゃない?」
「一年同士でこの前、ノータッチで行こうって取りきめしたんですけど、今日の様子見てるとどうしても気になっちゃって」
「仲はいいよね」
「ですよね! ……でも何にもないのかなぁ」
「あの二人はあれでいいんだよ」
「そう……なんですかね?」
「二人とも真面目だから。それに……」
「……?」
「吹先輩がいるから」
「あ~……。なんか下心浄化してるとかっていう話ですよね」
「それもあるけど、多分白井君が死ぬ」
「へ~、死ぬんですか~。……え!?」
「めぐるちゃん溺愛してるから」
「あ~。でもそこまで……」
「なっちゃんはまだ知らない」
「私の知らない何かが……」
「夏バンドで見れるかもね」
「み、見たいような見たくないような……」
「ふふ。夏バンドも楽しみだね」
「はい! でも今のバンドがすごく楽しいので。最初のライブ終わるまではそっちを全力です!」
「うん、偉い」
「えへ、ありがとうございます! 撫でられちゃいました~」
「な……なんだこの可愛い二人組は……!」
春原と夏井は同車両のオッサンどもを知らぬ間に籠絡していた。
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