時期尚早 前編


 六月中旬 大学構内 スタジオ廊下


 ライブまであと約二週間と迫ると、追い込みのためかスタジオもその廊下も部員で賑わう日が増えてきた。

 一年生がそこで練習する風景も恒例となり、もちろん自分もその中の一人だ。


 大講堂脇の石段を下り、ガラス張りの大きな扉からスタジオ廊下を覗くと、自分と同じバンド、春原先輩と一年生の夏井なついが練習をしていた。

 お疲れ様ですといつも通り挨拶した。


「あ、白井君。おはようございます!」

「おはよう。白井君も練習?」

「はい、明日やる曲の練習をしに」


 明日はバンド練習の予定。少し訊きたい部分があったので、春原先輩がいたことは僥倖だ。

 すると、スタジオ内からカッコいい曲が聞こえてきた。

 そういえば今日の午前中は代表バンドが練習に使うと部全体に連絡があった。


「あれ、スー先輩なんで廊下にいるんですか?」


 彼女がそこに参加していないのはおかしい。


「今休憩中。私はその間なっちゃんに教えてたの」

「教えてもらってました!」

「多分今はジャムやってるんだと思う」


 聞き慣れない言葉だ。

 アドリブで合わせることで、セッションなどとも言うらしく、先程から聞こえていたのはそれか。


「折角だから二人とも見ておけば? 参考になるかも」


 そう言われてスタジオ扉の覗き窓から夏井と二人で中を見る。

 背伸びをする夏井に、わかっていたかのように春原先輩が台座を用意した。


 スタジオ内で行われていたそれは圧巻の光景だった。

 ドラム、ベース、ギター、鍵盤、四点の音が詰まることなく混ざり合い、打ち合わせなしとは到底思えないような重厚さ。

 これでライブに出てもいいのではと思うような音の奔流だった。

 自然な流れでトランペットが加わると、今度は順々にソロを回し、個々の技術を否応なしに見せつけられる。


「カッコいいですねー……」


 隣でそれを見る夏井も同じような感覚だろう、うっとりと声を漏らす。

 自分も同じく、息をするのも忘れてその演奏に引き込まれていた。


 セッションが終わり、その余韻に浸っていると、春原先輩が口を開いた。


「みんなすごいよね。気分転換でたまにやるんだ」

「すごかったです! 私もあんな風に、おとと……」


 台座に乗っていたことを忘れてはしゃぐ夏井がよろめくので、さっと支えた。


「ご、ごめんなさい白井君! ありがとうございます……」


 嬉しい気持ちが伝わったのだろう、夏井のその様子を見て、春原先輩は慈しむように微笑んだ。


「私そろそろ練習戻るね」


 そう言って春原先輩はスタジオに入っていった。


「本当にすごかったですね……。私達もあれくらい出来るようになるのでしょうか」


 余韻を思い出すように、夏井は生まれた憧れを口にした。


「あそこまでは無理な気が……。アドリブであれまでってほんとすごいよね。全然想像つかん」

「でも死ぬ気で頑張れば! ……ふぅ、憧れます~」


 その後少し感想をやりとりしていると、今度はライブでやる曲の演奏が始まった。


「見学しててもいいですかね?」

「んー……。少しくらいならいいんじゃないかな」


 他のバンドの練習をじろじろ見るのもよくないが、見たくてしょうがない気持ちはわかるので、結局欲求が勝って先程と同じく二人で覗いた。


「カッコいいです~……」


 ドアから一番近い場所で演奏していた秋風先輩がこちらに気付き、いつもの優しい微笑みを向けてくれる。


「はぁ~……。吹先輩素敵です……」

「わかる。女神スマイル」

「わかります!? スー先輩も月無先輩すごく可愛いし、このバンドずるいです!」


 非常によくわかるが、可愛いという共感を口にするのはなんとなく恥ずかしい。

 小さな感想を二人で口にしつつ、一曲目が終わったあたりで気付く。


「鍵盤取りに入っていいかな……。中に置いてあるんだよね」

「……入りづらいですよね」


 そんな風に逡巡していると、スタジオの扉が開いた。


「白井君鍵盤だす? いいよ入って」


 月無先輩が気付いてくれたようで、スタジオに招きいれられた。

 ボーカルの方がいなかったが、軽音楽部のオールスターが会するその場はこれ以上ない緊張を感じさせ、場違いと思う程の印象さえ与えた。


 挨拶をして、出来るだけ早く自分の鍵盤を運び出した。

 扉を閉めると、その様子をおそるおそる見ていた夏井が声をかけてきた。


「すごいですね白井君……」

「え、何が?」

「だって代表バンドですよ! オールスターですよ! 私だったら窒息しちゃいそうです……」


 本来ならそのはずだ。

 自分は巡り合わせの幸運から交流がある人がほとんどだが、他の一年生からすれば話しかけることすら躊躇われてもおかしくない。


「みんな優しいから大丈夫だよ。ドラムの土橋どばし先輩とトランペットの……」

冬川ふゆかわ先輩ですか?」

「そうそう、その二人とは話したことないけど、他の人達は結構話すから」

「え、すごい! まさか……氷上先輩ともあるんですか?」


 まさかって。何だと思われてるんだ一体……。

 話せば怖い人じゃないとフォローをいれつつ肯定した。


「すごい……。白井君、もう完全に軽音部員じゃないですか」

「いや夏井もなんだけどね」


 もしかしたら天然のきらいがあるかもしれない。

 同じバンドなのでこれまでも話したことはあったが、思った以上にいちいち反応が面白い。

 代表メンバーの人を話題にしつつ楽器の準備をした。


「白井君は何の練習ですか?」

「この前決まった曲あるじゃん。あれのソロ部分が難しくて」

「あ、オルガンのですね。決まるとカッコいいですよ!」

「ハハ、決まればね。夏井は?」

「私もソロの練習なんです。原曲でもソプラノソロだし、折角だから一曲吹こうって、スー先輩が」

「あぁあの曲か。決まるとカッコいいな」

「決まれば、ですけどね。ふふっ」


 課題に関しては二人とも同じようなもので、それぞれ練習に入る。

 一年同士ながら何か意見出し合えればと、今日はいつものヘッドホンではなく小さいスピーカーで音を出すことにした。


 指が転んだり、音がはずれたりすると互いに自然と笑いがこぼれた。

 時間が経つにつれだんだんとミスが減り、互いに互いの演奏がよくなってきているのがわかる。

 ほとんど感想程度だが、客観的意見がその場で得られるのも大きかった。

 聞こえてくる代表バンドの演奏を手を止めて聴いたりしつつ、練習を続けた。


 §


「あ、この曲」


 聞こえてきたのは以前春原先輩が練習していた曲だ。

 テナーサックスソロのインスト曲で、ほとんど最初から最後まで吹きっぱなし。

 アドリブ含め個人の技量が最大限に試されるような、そんな曲。


「夏井夏井、これスー先輩のソロ曲だよ」

「あ、TOP(ティーオーピー)ですよね。知ってます! すごい頑張って練習してました」


 自分しか知らないつもりだったが、夏井も知っていたようだ。


「TOPってバンドなの? これ」

「はい、タワーオブパワーです。スー先輩に教えてもらってから毎日聴いてます! 

 白井君も、今度、是非!」

「おぉ、聴きたい聴きたい」


 そうしてしばらく聞こえてくるその曲に耳を傾けた。

 非常にカッコいい、……どころではない。意外ではないが正直に驚いた。


「え、スー先輩こんなに上手かったの」

「……上手いなんてものじゃないですよ。私、プロ以外でここまで上手いサックス奏者見たことないですもん。しかもこの曲テナーですからね。アルトもテナーも一流です。あと私あんなに息続かないです……」

「そこまですごかったのか……」


 上手いのはもちろんわかっていたが、相当に図抜けているらしい。

 自分の場合は無知なりの印象だったけど、色んな人の話を聞くうちに、代表バンドのメンバーがどれだけ高いかを思い知る。本来なら接することも敵わないレベルの人達なのかもしれない。


「……でも全部じゃないにしてもよくあんなにアドリブ考えつくよね。全く同じように吹けるような曲じゃなさそうだし」

「そうなんです。それが信じられないんです。私、吹部あがりだから譜面通りにしか吹けなくて」

「あ、俺も同じ。譜面ないとダメ派だった」


 クラシック上がりの自分もその点に関しては同じ悩みを抱えていた。

 やはり未だに譜面で音符をたどる方が楽だ。

 コードの知識を得て採譜することはかなりできるようになったし、コードの知識がアドリブに通じるのもわかっている。

 それでも、春原先輩のソロやさっきのセッションは、全く違う技術が必要に聞こえる。


「ある程度は決めて他全部アドリブとかなんですかね。それとも毎回同じように吹けるように練習してるんですかね」

「わからん。でもあんなん譜面に起こせないよね。譜面あっても見ながら演奏とかできなそうだし」

「ですよね。譜面なくても皆さんソロできそうですよね」


 ソロをどうやって作るのか、その手法は皆目見当がつかなかった。

 既に考え過ぎてる気もするし、これ以上は思考のドツボにはまりそうだ。


「考える程わかりませんね……。やはり私達には早かったというわけですかね」

「やる曲の分弾ければいいんじゃね」

「ですよね!」


 部活は基本的にコピーバンドなのでまぁ出来なくても困らないだろう。

 とりあえずそう結論づけて話題を切り上げた。


 思ったより夏井と話しこんでいたようで、代表バンドの練習も既に終わっていた。

 片づけを終えた先輩方が出てくると、夏井は見てわかるくらいに緊張していた。

 部長のヒビキさんがいつもの調子で絡んできて、数分の会話を楽しんだ後、代表バンドの男子三人はスタジオを後にした。


 残った方々でこの後どうするか話す中、月無先輩が自分に声をかけてくれた。


「白井君まだ練習していく? していくならスタジオの鍵渡しておくけど」

「そろそろ切り上げようかと思ってました。昼食べたいですし」

「お、じゃぁ部室行こう部室!」


 昼食べたいと言ったのが聞こえなかったのかこの人は。

 問答無用で部室送りが決定された。


「吹先輩達はどうします? 部室いきます?」


 ……どんだけ部室に引きずり込みたいんだこの人。


「うーん、今日はホーン会議かな~。結構まだ課題あるから~」


 とのことで、管楽器の三人も反省会を行うらしい。

 それぞれの行き先が決まったところで、どうすればいいか困る夏井に気付く。


「わ、私はどうすれば……」


 その様子を見て、部室に来るかと誘う前に春原先輩がフォローを入れた。


「おいでなっちゃん。一緒にご飯食べよ」

「いいんですか!?」

「うふふ、一緒に食べましょ~」


 そうしてホーン隊の方々+夏井と別れ、自分は月無先輩に連行された。

 さすがに昼食は食べたいと抗議したところ、購買でパンを買うことは許された。


 §


「よしじゃぁ早速ゲームしよ~ぜ~」

「え、パン食べさせてくださいよ……」

「む~……」


 どんだけゲームしたかったんだこの人は。


「だってさー。最近白井君練習してること多くて。その邪魔は絶対できないし」


 そういえばそうだ。あまり部室にも顔を出していなかった気がする。

 仲の良い先輩達と過ごす以上に部室を優先したのも、もしかしたらそれが理由なのかもしれない。

 それを思うと少し悪い気がした。……実際全く悪くないのだが。

 いじけるような先輩が可愛くて、それなら、とゲームをしてからにした。


「他にゲームする人いないんですか?」

「ん~……。あんまりいないかな。あと欲しいのは歯応えだよね。ヒビキさんとはたまにギルティやるけど」

「ギルティ・ギアですか。ちょっとだけなら」

「お、じゃぁギルティやろう! ギルティ!」


 格ゲーは得意ではないが、ギルティはキャラが好きで結構やっていた。

 さらっと戦闘狂のような発言をする月無先輩を満足させられるかは別として、今日は付き合ってあげよう。


「やっぱりポチョムなんですね……」

「やっぱりって何よやっぱりって」


 一緒にやったゲームの記憶からなんとなく推測していたが、月無先輩が選んだキャラは案の定、筋肉要塞のポチョムキン。重量系かメカにしか興味がないのかこの人。

 自分は癖がなく使いやすい主人公キャラのカイ。ギルティは操作が複雑すぎて基本的な動きしかできないし、いくつも特性の違うキャラを憶えていられないので他に選択肢がない。


「お、ヤサ男。ぶっ潰す」

「物騒ですね」


 イケメンキャラ嫌いなのか。

 そんな風に対戦が始まり、一戦、二戦と続けてするもやはり勝ち目は全くない。


「いやそこでスタンエッジ撃ってもデコピン間に合っちゃうよ」


 飛び道具は冷静に全て弾かれ、


「それ単発で撃ったら6P対空からヒートエクステンドまで入っちゃうって」


 安易な攻撃はエグい確定コンボの的になり、


「あ、そこポチョバス届くよ」


 間合いを取り間違えれば必殺の投げ技の餌食になる。


 楽しいのは間違いないが、操作性の難度もあって実力差がハッキリと出る。

 十戦くらいしたところだろうか、ピヨったところに一撃必殺技を喰らって心が折れる音がしたので、さすがにパン食べさせてくださいと申し出た。

 先輩はいつものようにむーと抗議するがここは心を鬼に、無視してパン喰らう。


「手加減してくださいよー」

「久しぶりに白井君とゲームできるから~、ついテンションあがっちゃって!」


 そう言ってくれることはとても嬉しかったが、サンドバッグの気持ちにも少し目を向けて欲しいところだ。

 そんなことを思いながら二個目のパンの袋を開けた時、忘れていたことに気付く。


「ん、どうしたの?」


 春原先輩に訊くことがあったのだ。

 夏井とも話題にしていたソロについて。

 しかしタイミングがいい、バンドの曲だから春原先輩に訊くつもりだったが、月無先輩に訊いた方が早いかもしれない。

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