サブカルチャー・ミュージック 前編
六月中旬 都内某所
じめじめとした湿気の多い季節。
毎年のことだが何かをしようにもやる気が起きない季節……。
しかし休日を無駄に過ごすのも何かと思い、午後には特に予定もないまま電車に乗って繁華街に繰り出していた。
実家は都内と言えど西の彼方、こういった都会を歩く機会はほとんどなかった。
天気は悪くないが、蒸すような感覚と人ごみに早々に嫌気がさす。
楽譜でも見るかと当座の目標を定めて、以前鍵盤を購入した楽器屋に逃げ込んだ。
楽譜コーナーに足を運び、何の気なしに見ていると、ふとあるものが目に入る。
「お、ゲームミュージック。……俺も大分影響を受けたなぁ」
そう書かれた仕切りを無意識に目に留めてしまうあたり、月無先輩との時間が自分の大部分を占めていることに気付く。
良い機会なので月無先輩に最初に借りたCD、FFのピアノコレクションズを探してみると、棚にはⅦ以降のものが並んでいた。
「Ⅳ~Ⅵはプレミアついててまず売ってないとか言ってたっけ」
アルバムを通して聴いた限りで難しいものが多かったが、非常によく出来たアレンジばかりだったので弾きたいと思っていた。
月無先輩は楽譜も今度貸すと言っていたので買う気はないのだが。
手に取ったのはⅦのもの。
これに収録されている『星降る峡谷』、コスモキャニオンの曲が弾きたくてしょうがなかった。
「聴いた通りでこれはそこまで難しいところもないな。今度借りたら絶対弾こう」
つぶやきつつ続けてペラペラとめくっていると、やたら黒いページが目に入る。
「なんだこれ音符多っ……。あ、『闘う者達』か」
聴いた印象以上に譜面で見ると凶悪だ。
こんなに和音多かったのか、アルペジオこんなに複雑な動きしていたのかなど、一目でその難度がはっきりわかる。
「弾くもんじゃなくて聴くもんだな」
そう言い訳しつつ、他の楽譜を一通り見るも、それなりに難しい。
部活に没頭している間は、凝ったアレンジのものを弾いている余裕はあまりないし、少し名残惜しいが見切りをつけよう。
それによく考えたらゲーム音楽が弾きたければ、月無先輩に頼んで原曲に忠実なめぐるノートを見せてもらった方が早そうだ。
多分喜んで貸してくれるだろうし。
そんな結論に行きついた時点で、楽譜コーナーにいる意味は失われた。
「……長居したし何も買わないのも。何か買お」
結局、鍵盤用のダンパーペダルを買って楽器屋を後にした。
部の共用品で
帰るにしては何かもったいないような、その程度の時間しか経っていなかったので、通り沿いをぶらぶら歩く。
するとまた違う楽器屋の看板が目に入った。
チラッと覗いてみるくらいの感覚で店の入り口に来たところで気付いた。
「……ギター専門店じゃん」
やっちまったという気になったが、ここで引き返すのもなんか変かと思って意味もなく入店。
とりあえず一周して出ようと店内を回っていると、まさかの事態が生じた。
「ん? あぁ白井か」
知り合いにエンカウント、しかも氷上先輩だ。
音楽理論等を教えてもらったこともあり既に世話になっているし、もちろん尊敬する先輩の一人だが……怖い。
ただの会話でも圧迫感があり、スリップダメージを受け続けるような感覚がある。
「ギター専門店に用があるのか?」
観念するような気になって、これまでのいきさつをかいつまんで説明する。
「フッ、安心しろ。俺も同じようなことをしたことがある」
罵倒も止むなしと思っているところに、まさかの同体験が語られ安堵した。
そしてこちらの手に掲げた楽器屋の袋を指差し、氷上先輩は言った。
「必要機材を買ったんだろ、それ。お前シールドはいらないのか?」
「あ、そういえばそうでした」
ミキサーと鍵盤をつなぐシールドケーブルはいつも部の共用品を使っているので、確かにこれも必要だ。
……しかしシールドの選び方など全くわからない。
月無先輩に聞いてからにしますと言ったところ、制止がかかった。
「ギターと同じものでいい。第一に月無が使っているのは俺のおさがりだ」
「え、そうなんですか?」
「あぁ。スタジオで練習中に欲しそうにしてたからやった」
「月無先輩パネェ……」
よくそんな勇気あるな……ってかやっぱヤベぇなあの人。
「白井も持っといた方がいい。高いものでもないし買うなら俺が一緒に選んでやる」
教えてもらった時も思ったが、この人実は結構後輩に甘いんじゃないか。
とはいえ実際助かる話だし、今はお金にも少し余裕があるので是非とお願いした。
「まぁ……。俺と同じものでいいだろう」
シールドコーナーに掛けてあるそれを手に取り、無言ですたすたとレジに向かう。
言葉も発することなくそうするので、よくわからずについて歩くと、氷上先輩はレジにそれを置き財布を出した。
何か言ってくれよ……ってまさか。
「氷上先輩?」
「いい、今日は俺が買ってやる」
「いやそれは悪いです、ほんとに! 自分で出しますから!」
「だからいいと言っている。丁度さっきの買い物でポイントがたまったところだ」
く、くそ! ツンデレ!
鋭い眼光に身じろぎし、結局押されるまま奢ってもらう。
機嫌を損ねない程度に感謝の意を言葉にして品物を受け取った。
楽器屋を出て、とりあえず駅へ向かって歩く。
「本当にありがとうございました。必要な機材揃いました」
「まぁ気にするな。運がよかったと思っておけ」
いちいち威圧感があるので体力は減るが、話しかけられて嫌というわけではなさそうなのでこちらから話を続けた。
「今日はこのあと用事あったりするんですか?」
「……いや。楽器屋に来る時は一人で一日過ごすと決めている」
「え、じゃぁ俺すごい邪魔しちゃったんじゃ」
「別に気にするな。部の後輩だし、お前は中々見所があるからな」
「そんなことは……。ありがとうございます」
やはりすごく後輩想いのいい方だ。
言葉の裏に色々と見えてくる気がする。
「白井はこのあと用事はないのか」
「あ、特には……。暇なので適当に来ただけなんですよね」
「……喫茶店でも寄るか。まだ部でわからないこともあるだろう」
「え? あ、はい」
……やっぱりさっきからただのツンデレじゃんか。
秋風先輩が言っていたことがよくわかった。
確信した途端になんだか親しみやすさがこみあげた。
――
「バンドは順調に進んでいるのか」
……え、何、父親?
話の振り方に不器用さを感じるが、今のところ思い当たる問題もない。
補足を入れつつはいと答えた。
「まぁ八代と春原がいるから大丈夫か。コードとかの勉強も捗っているのか?」
……何だろうこの、尋問みたいな感覚。
しかし単純に素でこういう喋り方なだけなようだ。
氷上先輩から教えてもらったことが非常に助かった。
それが練習に活きたことをできるだけ具体的に答えると、言葉の上での反応は変わらなかったが、少しだけ嬉しそうな顔をした。
「でも難しい曲はやらないって決めてくれていましたし、それで助かっている部分もありますから」
そうした先輩達の配慮があることは確かだ。
しかしこちらの言葉に対し氷上先輩は意外そうな顔をした。
「お前が最初にやっていた曲、そこまで簡単でもないぞ。八代が上手く考えているんだろうがな。選曲に関しては八代の引き出しの多さに助けられているんだろう。簡単な曲ばかりでも上達しないからな」
なるほど、難しすぎず、簡単すぎず、一年生に合った曲を選んでいたのか。
そこまで考えてもらっていたとは思いもよらなかった。
「最初のバンドはとりあえず簡単なのをやるっていう方が多いんだがな。白井には多少レベルアップを意識させる気だったのかも知れんぞ。効果もしっかり出ているだろう、実際」
「はぁ……。確かに実感はある程度。でもよくそんなところまでわかりますね」
「代表バンドのところに春原を貸してくれって言いにきたからな。八代のことだ、しっかり後輩のためになるようなバンドにしたかったんだろう」
言われてみれば、最初の曲のお陰でバンドの基礎となるコードの勉強を始めた。
その次その次と曲が決まるたびに、不可能の範疇に踏み込まない程度に、課題は着実に増えていた。
思い返してみれば偶然と考えるには出来過ぎている。
「でもよくそんな曲の選び方できますよね」
正直に驚いた。
自分には到底できないし、気付きもしなかった。
「三年の中でも一番色々聴いてるんじゃないか。傾倒しているものはなさそうだが八代は何でも聴いているぞ」
広いジャンルの知識あってこそのものだろうか。
知っていれば知っているほど、色々な立ち回りが出来るということか。
「この部活にいる以上やりたい曲だけやるわけにもいかんからな。色んなジャンルは知っておいた方がいい」
部活でやる限りそうであるかもしれない。
氷上先輩曰く、例えば代表バンドはブラックミュージックがメインになるが、元からブラックが好きな実力者が揃うこと自体まずあり得ないという。
大抵の場合は部活を通じて好きになっていくものだったり、意図的に触れていくことで自分の引き出しになっていくと。
さらに、好きな曲だけをやりたければ他の部活の方が居心地がいいらしい。
そういう点では軽音楽部は、他と少し毛色が違うところがあるかもしれない。
「八代先輩も似たようなこと言ってました。遊びでやるなら他の部の方がいいって」
「部活自体が実力主義をうたっていれば自然とそうなる。合宿ではやりたい曲だけやる機会もあるがな」
軽音楽部は実力主義、学内の音楽系の団体で最もハイレベルであるという対面とプライドがある、と氷上先輩は言った。
他大学との交流を行う唯一の部活でもあり、その対面を保つためにも、ライブで行う曲は好みだけでは選べず、それが部全体の根底にある。
以前に比べればその風潮は緩和されたが、代表バンドの存在からそれが完全になくなることはないとのこと。
「まぁそのせいか、合宿のお楽しみライブはやたら盛り上がるぞ」
「お楽しみライブ? ってなんですか?」
知らない単語だったので訊いてみた。
合宿では夏のバンドのライブともう一つ、個人の趣味を好きなメンバーで好きに演奏するライブがあり、そこで本領を発揮する部員がいる程に盛り上がるらしい。
その人が本当に好きな音楽、それが見られるいい機会でもあるとのことだ。
「面白そうですね。氷上先輩もそういう機会で何かやるんですか?」
「去年は……フュージョンをやろうとも思ったんだが、時間がなかったし、出来るメンバーが揃わなかった。だからというわけではないがアニソンをやったな」
え、嘘ん。
「アニソン……ですか?」
「そうだ。何かおかしいか?」
そういえばみんなアニオタって言ってたな……。
「フッ意外か。アニソンはいいぞ」
「アニメも結構見るんですか?」
「そうだな。切るものもあるが基本的に何でも見るな」
「……プ○キュアも?」
「プ○キュアもだ」
ガチじゃん……。
そういえば切るという言い方もアニメ好きの人がよく使っている気がする。
「まぁ自分から話題にはあまりしないがな。別段隠すことでもない。白井は見ないのか、アニメ」
「昔はよく見ていましたけど……最近はあまり。バンド始めてからは全くですね」
少し残念そうな顔をしたので申し訳ない気になったが、理知的で威圧感のある印象とのギャップが際立ってちょっと面白い。
でも先輩から振られた話題を一回のやりとりで終わらせてしまったのは、後輩としてはマズかったかもしれない。
「まぁアニソンも合宿くらいでしかやる機会がないからな」
あ、気にしてなさそう……ならいいか。
「やっぱり普通のライブとかではみんなやらないんですか? 言い方失礼かもしれませんけど、そういう、サブカル的なのって」
ある程度風潮は緩和されたと言っていたが、人によるかもしれない。
特にサブカルチャーに関連する音楽はデリケートな気もするし、それが好きだという氷上先輩の意見は是非とも知りたかった。
「そうだな……。別にやってはいけないということもないし、やっている部員もいるが、少なくとも俺は絶対にやらないな」
そういえばそうヒビキさんが言っていた。
でもその時なんか気になったことがあった気がするんだが……。
少しためらうような気持もあったが、理由を訊いてみることにした。
何かピンと来るかもしれない。
「やらないのって何か理由があったりするんですか?」
「理由? ……」
「あ、いやなんかすいません、差し出がましいですよね」
「いや別にいい。まぁ理由はある」
無言の間があったので言いたくないのかとも思ったが、そうではないようだ。
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