255倍楽しむ方法 前編
五月下旬 大学構内 部室
初のバンド練習及びバンド飯の数日後。
午前中の授業を終え、次の授業までの時間つぶしに部室へやってきた。
「お、お疲れ~」
案の定いらっしゃる月無先輩。一人でゲームをしている。
大抵の場合はここに来れば月無先輩がいるので、ついつい足を運んでしまう。
……それにしてもこの人、前々から気になってたが、校舎の方で見かけたことがほとんどない。
確か学部は同じはずだったが、いつ授業に出ているのだろうか。
以前一度しょっ引かれた時のように、出席票だけ提出して授業は出ないタイプか。
「そういえばこの前の初バンド飯はどうだった? 楽しかったでしょ!」
「はは、いじられましたけどね」
「白井君いじりやすそうだから。愛されてるね!」
いじりやすそうなのかと主観と客観の差に若干戸惑うも、悪い気はしなかった。
入り口のすぐ横にあるソファーに腰をおろし、先輩がゲームをするのを見ながら会話を続けた。
「先輩、いつ授業出てるんですか?」
「んー? 学科の授業は出てるよー。全学部共通のは出席票出すだけのもあるけど」
それで単位が取得できるのだろうか。
内容が頭に入ってないとテストで点が取れない気もするが。
「だってテスト科目ほとんど選択してないし! レポート提出のばっかりだね~」
「なるほど……月無先輩そっちの方が得意そうですもんね」
いつもの喋りを見るに、字数などで困るようなタイプではなさそうだ。
音楽もあれだけ理論的にわかるのだし、要領はいいのだろう。
今の今まで気にしていなかったが、こうしてゲームをしながら思考を独立させて普通に会話するのも、ここまで高次元で両立出来る人は少なそうだ。
「失礼かもですけど……本当に頭いいんですね」
「特待生ですから! ジェネ女出身ですから!」
「それは関係ない気が……」
やっぱ言動からはとてもそうは見えないんだよな。
子供っぽいのは確実だから……どうにも納得できぬ。
「あ、あと一限は絶対授業入れないかな。必修は仕方ないけど。あたしの朝はゲーム音楽なくしては始まらないからね!」
この前言っていたことか。
それをゆっくり弾く時間がないと一日が始まらないと。
「じゃぁ朝はいつもゲーム音楽弾いてるんですか?」
「そうだよー。この前スタジオで会ったじゃん。バンドの練習もするけど、ゲーム音楽弾いてからじゃないと元気でないよね!」
「いい一日はいいゲーム音楽から、ですね」
「うむ! 師の教えがちゃんと頭に入っているようじゃな!」
本当に好きだから続く、むしろ、続ける気もなく自然に続く習慣なんだろう。
ゲーム音楽を愛するあまり、何でもこなせるようになったと考えると、それはもうこの人にしかない才能だ。
趣味とはいえど努力となれば、多少なりとも苦痛が伴う部分もある。
月無先輩にはそれがないように見えるし、そう思ってもいなさそうだ。
そんなことを口にすると、月無先輩は真面目な口調で言った。
「そうねー。目標があっての努力は多分苦痛じゃないんだよ。全く辛くないわけじゃないけど、本当に好きならね。苦しいだけなんだったら、多分その目標設定がダメなんだと思う」
もしかしたら、こういう考え方が言動につながっているのかもしれない。
バンド飯の時に「意外と厳しい」と聞いたことを思い出す。
いつもの様子からでは全く予想もつかないような一面が垣間見えた。
「でもあたしみたいなんが真面目なことばっか言うのもね。ゲームばっかしてるから偉そうなこと言える立場じゃないし」
そういう意味では損をしている気がする。
才能のない人にとっては、僻みの対象になってしまうこともありそうだ。
バンド飯の時に聞いたエピソードもそういったものだった。
それを思うとこの話題は、先輩としても居心地のいいものではないかもしれない。
よく喋る月無先輩だからといってズケズケと踏み込むものでもない。
切り替えるために少し気になった話題について訊いてみた。
「音楽の研究してるって聞いたんですけど、どんなことしてるんですか?」
すると先輩は、はて、といったような仕草をしたあと回答した。
「研究? ……あ~、スーちゃんから聞いたのかな」
「スーちゃん……あ、春原先輩のことですね。そうです、バンド飯の時に」
春原先輩の名前がすぐ出てきたあたり、他の人にあまり話さないことのようだ。
「そうそう。白井君のこと褒めてたよ~。スーちゃんリスみたいで可愛いよね!」
確かにと同意するが本題に戻りたく、研究のことについてもう一度訊いた。
「なんか色んな音楽聞いて研究って聞きましたけど……」
すると先輩はゲームをする手を止めて話し始めた。
「そうだね~。いろんな曲聴くのも結局ゲーム音楽のためだよ。またゲーム音楽かって、白井君は思うかもしれないけど」
ゲーム音楽のため……。
しかし特に意外とも思わなかったので、相槌を打って話を続けてもらった。
「白井君って、ゲーム音楽聴く時に作曲家って気にする?」
「有名な方はわかりますけど……。気にしたことありませんね」
作曲家の話……自分はその名前で曲やタイトルを把握していることはあまりなく、有名な方を知っているという程度、10人にも満たないと思う。
「まぁそうだよね。じゃあさ、曲の元ネタって気にする?」
曲の元ネタ……いまいちピンと来ないがどういうことだろうか。
あの曲に似ているなとかそういう感覚だろうか。
「そうそう、そういう感じ。あたしね、曲聴く時に結構それを気にするんだ。パクりだとかそういうことじゃないよ? ルーツってヤツね」
作曲家の方々にはどんな音楽が根底にあるのか、ということらしい。
しかしそれを言われても、やはりまだはっきりしない。
「も~ニブいな~白井君は! つまりこういうことだよ! 傾聴せよ!」
わざとらしくそういうと、先輩は解説を始めた。
「色んなジャンルを聴くのは、作曲家のルーツを探るためでもあるの。この人はどんな曲聴いてきたのかな~、とか。この曲はこの曲の影響受けたのかな~、とか!」
なるほど、と相槌を打って聞きに徹する。
「それで、それがわかった時がすごく嬉しいの。この曲が元ネタなんだとか、このジャンル好きなんだこの人とか。そうするとどんなテーマや思いを込めて曲を作ったのかだけじゃなくて、このジャンルに思い入れがあるんだろうな、このフレーズ使いたかったんだろうな、このアーティスト好きなんだなってのが見えるの」
確かにそれは色んな音楽を元から詳しくないと気付きようがない。
「もしかしたら元ネタ曲のよさを知らしめたいのかも、とかまで思っちゃったり! ルーツに目を向けるとより曲に深く触れられて、それがわかるような気がして。なんだか作曲家の方々と曲を通して対話してるような気持ちになれちゃうの」
自分には到底できない聴き方な気がする。
……というか誰にできるんだこんな聴き方。
「ゲーム音楽だけ聴いてたら、そんなこと何一つわからないでしょ?」
確かに……そう返すと先輩はまた続けた。
「ゲーム好きだからって、ゲーム音楽だけ聞いて、好きな音楽はゲーム音楽です。それじゃゲーム音楽しか知らないだけと思われちゃうじゃん。別にそれは全然悪いことじゃないし、普通なんだけどね」
……こう言うと悪い響きだけど、カラオケでアニソンしか歌わない人みたいな感じかな。否定する気はないけど確かにそう見えるかも。
「でもあたしはゲーム音楽の魅力をできる限り全部知りたいからさ、曲の深いところまで聴こうと思って。研究っていうのはそういうこと。ルーツが全然わからない作曲家もいるんだけどね。でもそれが今度は本当にゲーム音楽にしかない表現だったり技法だったり、ゲーム音楽独自の部分にもつながってるから面白いよね」
研究の目的はゲーム音楽を十全に楽しむためで、全てがそれに向けられている。
これはゲーム音楽に対する月無先輩なりの礼儀とも思える。
ただ曲の良し悪しで終わらせるだけでなく、もっと深く知って楽しんでこそと、尊敬を持って接しているのか。
「だからあたしは何でも聴くね! 音楽自体も大好きだしね!」
しかも何よりすごいのは、そのために調べたり聴いたりしたジャンルなどの知識が、音楽に詳しい他の先輩方にすごいと認められるレベルに達していることだ。
並々ならぬ時間を注ぎ、微細にわたりあますことなく楽しむことに没頭する。
色んな聴き方があるだろうけど、そうしてゲーム音楽を楽しんでいるのだろう。
バンドを始めて、色々と教えてもらって熱を持ち始めていた感触はあった。
そのおかげで月無先輩のゲーム音楽愛が感覚として理解できてきたからか、研究という行為のすごさがよくわかった。
「ま~でもあたしが作曲家の立場だったら、ここまで言われたら絶対引くね」
「え」
急に自虐が始まった。何事かと思う。
「多分こんな風に聴かれることまでは考えてないよ~。基本的にはあたしが好きでやってるだけの聴き方だし」
……うん、まぁ極端ですよね。
普通何も考えないで聴く方が多い気がしますし。
「だから他の誰にもこんなことする必要があるとは思ってないし、話したのも白井君が初めてだよ。ただ、深く知ろうとすればもっともっと好きになれる方法があるっていうだけ!」
確かに強要するにはハードルが高すぎる。
この人ほど情熱がなかったらどう考えても出来ないし、大抵の人は理解できずへーと聞き流してしまいそうだ。
そう思ったが、ゲーム音楽への興味なのか先輩の聴き方への興味なのか、どちらか定かではなかったが、実際にどういうものなのか不思議と興味が湧いた。
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