幕間 初体験
人生初のバンド練習、ついに迎えたその日。
練習が始まる一時間ほど前に個人練習にスタジオに来ると、同じバンドの人もすでにそこにいた。
「お、白井やる気あるね~」
「お疲れ様です、八代先輩。直前に確認しようと思って」
三年生でドラムの八代先輩だ。
やる気があると取っていただけたようで幸いだ。
日焼けしたボーイッシュな見た目にジャージ姿、そして快活で親しみやすい性格。
そのおかげか、美人とはいえ対面しただけで緊張するようなこともない。
少しばかりやりとりをし、スタジオに置いてある自分の楽器を廊下に持ちだした。
「よく練習してるってみんなから聞いてるよ。バンド練始まるまで確認したいことあったら今のうちに聞いておきな~」
なんだか部活熱心な新入生と広まっているようだ。
でも実際覚えることが多く、練習する他なかっただけ……でも確かに新入生では一番スタジオに顔を出しているか。
八代先輩に曲に関していくらか聞いて、不明瞭な部分を減らしていった。
「あ~そこのリズム難しいよね、食ってるし。ちょっとここで合わせてみようか」
小さいスピーカーにつなぎ、廊下で合わせてみることになった。
廊下には電子ドラムがあるので、八代先輩はそれで演奏し、それに合わせる。
これがまた一人で弾くのと勝手が全く違い、思ったより上手くいかない。
月無先輩が言った通り、合わせると問題が出てくるというのがよくわかった。
「こういう曲初めてでしょ? 最初は弾くだけでも大変だろうし、十分出来てるよ」
「そうですかね……。すいません、もう一回お願いしていいですか」
自分の中でうまく折り合いをつけて開き直ることにしよう。
八代先輩も笑顔で申し出を聞き入れてくれた。
練習前に少しでも体験できたのは本当に僥倖だ。
「お、他の奴らも来たね。そろそろ中に移動しよっか」
八代先輩と何度か合わせているうちに、バンドメンバーが揃った。
自分のバンドは他に女子しかいないことに改めて緊張する。
新入生は自分の他に一人。
ソプラノサックスだったか……自分と同じくすごく緊張している。
「よし、じゃぁ早速準備して始めよう」
スタジオに入るとそれぞれセッティングを始めた。
「まー最初だからね、気楽に。一年の二人も今日は出来なくても大丈夫だからね」
気負い過ぎてもよくないけど、せめてダメと思われないように頑張ろう。
セッティングが終わると、皆それぞれ楽器を構えた。
「じゃあ合わせてみるか! とりあえず一番のみで、行くよ~」
ドラムのカウントから曲が始まった。
出だしはミスらなかったが、途中でおぼつかなくなる。
自分のタイミングで曲を練習している時とは全く違い、思考が奪われる。
サビの出だしのコード……あ。
考える暇もなく、あれよあれよと曲は進むし、何よりリズムが完璧には合わない。
廊下で教えてもらって大分マシにはなっていたが、これが相当難しい。
ついて行くのがやっとの中、あっという間に初合わせは終わった。
「白井弾けてるじゃん!」
すぐさま八代先輩が声をかけてくれた。
初合わせにしてはうまくいった方、なのかもしれない。
その基準がわからないため実感がわかないが、不評ではないようだ。
「普通最初は曲にならないからね。よかったよかった」
曲にはなっていたと思うので、確かにまだよかった……と思おう。
他の方を見ても同じように思ってくれた印象だし、客観基準が圧倒的に足りてない自分には、その表情と言葉だけでもありがたかった。
「もう一回お願いしていいですか」
とにかく回数をこなしたい、その要望を先輩方は嫌な顔一つせず快諾してくれた。
合わせる毎に問題は出てくるが、どんどん良くなっているのも実感できた。
……あぁ楽しいなこれ。
わからないことだらけだが、初のバンド練習の特別感に高揚が収まらなかった。
「最初の練習でこれだけできれば大丈夫だね~。一年二人ともすごいよ」
管楽器のことはからきしだが、先輩方の反応を見る限りもう一人の一年生も中々よいとのこと。
それを聞いて安心したような顔をしていたし、自分も釣られて安心した。
目が合うと互いによかったーと示しあった。
「あ、めぐるだ。お~い」
八代先輩がドラムスティックを持ったまま、扉に向かって手を振る。
自分は背を向けている方向だったので振り向いてそちらを見ると……。
「お、隠れた」
誰もいない。
スタジオのドアについている覗き窓から見ていたのだろうか。
「白井のこと心配して見に来たのかもよ~。弟子が出来たってよろこんでしたし」
……そういえば弟子認定されていたな。
もしかしたら見に来てくれたのはそういうことしれない。
折角だから後でアドバイスもらっておきなと促され、練習を再開した。
§
二時間の練習が終わるころには、かなり合わせて弾けるようになっていた。
和音の押し間違いも減り、練習中も回数をこなすたびに上達が実感できた。
当初の不安もいつしか消え、いいようもない高揚感と確かな充足感が残った。
「じゃぁ今日はこれで終わりにしようか。次はまた来週のこの時間なので、やる曲増やします」
八代先輩が再び仕切り、片付けが始まる。
その途中でバンドの先輩方それぞれからお褒めの言葉を授かった。
「さすがめぐるの弟子だねー。最後の方ほとんど完璧だったじゃん」
「いやほんと全部月無先輩のお陰です……またしっかり練習し直しておきます」
「アハハ、真面目だね~あんた」
八代先輩は掛け値なく褒めてくれた。
実際には弾くというよりコード通りに和音を押すだけで、ごまかしている個所もあったけど、月無先輩の言った通り意外とそれでなんとかなった。
直接の指導がなければ、間違いなくこうはならずに無様を晒していただろう。
「あ、めぐるだ。白井片づけ終わったら行ってあげな~」
後ろを見ると、扉についた覗き窓から月無先輩がひょっこり顔を出していた。
早々に片づけを終わらせ、廊下に出た。
「よっ、白井君! 今日初合わせでしょ? 外で聞いてたよ!」
やっぱり聞いていてくれたようだ。
「ありがとうございます。教えてもらえてなかったら多分全然ダメでした」
「そうかな~。でも初日でこれだけできるとは思わなかったよ! 元からかなり弾けるから大丈夫だとは思ってたけど、予想以上!」
素直に褒めてくれる言葉が本当に嬉しかったが、舞い上がりそうな気持ちを抑え、再び月無先輩の指導のおかげと返した。
「それもあるかもだけど、やっぱりちゃんと練習したからでしょ。採譜とかは確かに手伝ったけど、鍵盤は最初全然合わなくて当然なんだから」
「そういうもんなんです?」
「そういうもんなんです!」
月無先輩曰く、バンド初心者の鍵盤は普通、周りの音を聴いている余裕などなく、技量に関わらず大なり小なりズレるものだと。
むしろいない方がマシというレベルでズレることもあるそうだ。
慣れと練習量でカバーする他なく、一回目で出来ることがそもそも珍しいと。
もしかして先輩もそうだったのか、と訊くと微妙な顔をして言い澱んだ。
……あ、なるほどあなたは違うんですね。
「で、でもちゃんと出来てて安心したよ! これから多分バンド飯でしょ? あたしはもう帰るから、またね!」
そう言って月無先輩は帰ってしまった。
本当に見るためだけに来てくれたようで申し訳なくも思ったが、去り際に手を振りながら見せてくれた笑顔がそれを払拭してくれた。
入れ替わりのように他のメンバーがぞろぞろとスタジオから出てきた。
「あれ? めぐる帰ったん?」
「あ、はい。今もう行っちゃいました」
「そっかー。バンド飯一緒に来ればよかったのに。アドバイスもらえた?」
……すっかりそれを忘れていた。
まぁいい、今度時間がある時に聞いてみよう。
「よし、じゃぁ初練習も終わったし初バンド飯行くぞー!」
§
あれこれと会話をしながら皆で駅まで歩いていく。
ギターやらを担いだいかにもバンドという集団は駅前で何度も見たことがあったが、自分がその中の一員になるとは思ってもいなかったので不思議な感覚だ。
店に入ると、人数が多いので二つのテーブルに分かれて座った。
自分の正面には先輩二人。
八代先輩と、二年生のアルトサックスの先輩だ。
二つのテーブルにそれぞれ一年が一人ずつ、といった具合。
「初練習お疲れさま。緊張したか~?」
席に着くと、早速と八代先輩が話かけてくれた。
「あ、はいお疲れ様でした。あんなもんで大丈夫なんでしょうか?」
バンドにおける鍵盤の優劣の物差しがないので少し探る気持ちで聞き返した。
月無先輩はすごすぎて参考にならないシリーズなので、基準としてはアテにならないというのが実情だ。
「十分すぎるほどでしょ。めぐるだってそう言ってたんじゃないの? ね、スー?」
「うん、大丈夫」
二年生の方はスーと呼ばれているようだ。
そう言えば飲み会でも同じテーブルだった割に話すことはなかったし、練習中に喋っているのもほとんど見なかった。
確か代表バンドの一人でもあったはずだし、今日の練習だけでもその実力の高さはすぐにわかるほどだった。
「あ、この子ちょっと人見知りだから。ほら、スー、自己紹介」
「……
無口というより少し人見知りのようで、小動物のような印象だ。
楽器が異様に大きく見える程小さく、150cmもないのではないか。
改めてこちらも自己紹介を返すと、春原先輩も言葉をつづけた。
「うん、知ってる。めぐるちゃんから頑張ってるって聞いてるよ」
聞き及んでいるようだ。それにしても多方に知らしめられている。
感謝の言葉を並べつつ、拡声器かあの人はと、独り言のようにツッコんだ。
「あはは、めぐるよっぽど嬉しいんだよ。それにあの子簡単には人のこと認めないからそこは安心していいよ」
……意外な事実だ。
これまでのゲーム音楽の話などからイェスマンでないのはわかっていたが、とりあえず褒めるものかと思っていた。
「めぐるちゃん結構厳しいから。でも嘘はつかないよ」
練習直後にもらった言葉も本音であったようで、安堵する。
「メニュー決めてなかったね。ほら二人とも早く決めよ」
隣のテーブルはもうすでにオーダーを取っているところだった。
とりあえずと適当に安いメニューから選び、オーダーを取り終えて話を再開した。
「でも厳しいなんて意外ですね。とりあえず肯定から入るタイプかと思ってました」
「音楽に対してすごい真面目だからねー。オススメしたらどんどん聴くし。ゲームばっかしてるようで何だかんだ一番練習してるでしょ。ジャンルとかも私よりもう詳しいんじゃないかな」
月無先輩はほぼ全ジャンルにわたってやたらと詳しいらしく、話せないジャンルがほとんどないレベルだとのこと。
多方面に詳しいのは知っていたが、ゲーム音楽以外は普通に聴くくらいなのかと思っていた。
八代先輩も多岐にわたって詳しいことは知っているので、その人がそういうなら本当にそうなんだろう。
「研究してるって言ってた」
春原先輩曰く、研究のために色んなジャンルを聞きあさるらしい。
音楽の研究と考えてみてもその場ではピンと来ず、相槌を返すだけに終わった。
「スーなんかめぐると同学年で一番仲いいから色々知ってるでしょ。めぐるのこと白井に教えてあげなよ」
ニヤリという表情で八代先輩がそう言うので、ちょっと期待して目を向ける。
「……個人情報は渡せないです」
「アハハ、そっかー」
事務所の許可が下りない。
警戒されているようではないが、まだ完全には心を開いてくれていないようだ。
多少残念な気がしたが、そりゃそうですよね、と笑って返した。
§
食事が終わり、雑談している間にふと気になっていたことを訊いてみた。
「そういえばなんですけど、他に鍵盤っていなかったんですか? 月無先輩の言い方だと他にもいたように見えるんですけど」
月無先輩はまるで見てきたかのように鍵盤初心者について語っていた。
部活動以外で見る経験があるのか疑問だったので、推測した内容から話をふる。
「あ~、いたよー。……他の部に逃げちゃったけど」
一応いたと。……逃げちゃったとはなんだろうか。
八代先輩は声のトーンを少し下げて話を続けた。
「今の二年生なんだけどね。三年は元からいない。めぐるとの実力差が嫌になったみたいだね」
確かに自分も同期にあのレベルがいたら気が滅入りそうだ。
相槌を打っていると、春原先輩がそれに続けた。
「めぐるちゃん真面目だから。練習しなくなったその子にちょっとキツく言っちゃったの。けなしたりはしてないけど。それでその子、ついていけないって」
なるほど、さっき厳しいと言っていたのはそれもあったのか。
それにその人が辞めてしまったのは、軽音楽部自体が音楽に真摯に打ち込めないと居づらい環境というのも理由の一端だろう。
「実際めぐるなんも悪くないんだけどね。才能以上に努力もしてるけど、他の人には中々そうは見えないみたいでね。めぐるも努力を否定するようなこと言われたみたいで結構落ち込んでてさ。だからこの話はめぐるにはタブーだよ」
自分も怠ればそうなる可能性はある。
才能に嫉妬する気持ちも少しわかる。
それでも、月無先輩がどれだけ努力しているかはよく知っているから、妬むようなことはあり得ないだろう。
やり始めた以上手を抜くつもりはないが、今の話を聞くと身が引き締まった。
「だからめぐるちゃんがここまで褒めるの珍しい。白井君は大丈夫だと思うよ」
同じ学年で代表バンドの春原先輩が言うなら間違いないか。
このまましっかり続けていこうと、気持ちを新たにした。
「しかし白井もめぐるのこと好きだね~」
突拍子もないことを言われた。
え、としか言葉が出ずに困惑すると……。
「あはは、冗談だよ。でもめぐるの話ばっかだったからさ」
……からかわれたのか。
思い返せば飲み会の時でも八代先輩には同じようにされた。
「めぐるちゃん彼氏いないよ。よかったね」
「……そういうのではないです」
春原先輩もちょこっと乗ってくる。
後輩いじりに若干狼狽するが、大学生らしい話題なのかと、それを実感した。
……月無先輩はそういうものに興味がなさそうな気もするが。
他愛のない平和な会話が続き、第一回バンド練、及びバンド飯は幕を閉じた。
最後の方は春原先輩も普通に話かけてくれて、情報の収穫も多かった。
次に練習する曲も決まり、いじられたりもしたが充実した楽しい時間。
この部の一員であることをここで初めて、本当に実感できたような気がした。
隠しトラック
――気になるめぐる ~スタジオ廊下にて~
「お、やってるやってる。まぁヤッシー先輩とスーちゃんもいるし大丈夫だよね!
ふふ、ミスってるミスってる。でも落ちないで頑張ってるな! うまいうまい。
初回でこれだけできれば十分だね! ……おっと、気付かれた。危ない危ない」
「……ホーンの一年生の子も結構吹けるわね。夏井ちゃんだっけ。スーちゃんとあんまサイズ変わらなくて可愛い!」
「おぉ、どんどんよくなってる! やっぱピアノ習ってただけあるね。
うん、あたしももっと練習しないとな。弟子に負けてらんないねこれは」
「そういえばこのバンド、他のメンバー誰だっけ……。あ~トリオか。まぁ下手じゃないからいいか! ヤッシー先輩とスーちゃんもいるし大丈夫だよね!」
「ずっと立ってると疲れちゃうな。聴きながらゲームでもするか!」
―――数十分後
「お、通しで曲やってるってことはこれで今日終わりかな。しかし白井君も夏井ちゃんもどんどんよくなるな。偉い偉い。師匠嬉しいぞ! 教えた甲斐があるぞ!」
「よし、覗こ。お、終わるとこだ。
ヤッシー先輩やほー。スーちゃんもやほー。
お、夏井ちゃんやほー! ふふ、あたしが誰かわからないようだね……。
めぐる先輩だぞー。
お、白井君片づけ終わった。
ふふ。こっち来たこっち来た」
「よっ白井君!」
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