幕間 三白眼の女神

 部室での壮絶な一幕の後、秋風先輩と月無先輩と夕飯を食べに行くことに。

 女神のような美人と美少女、そんな二人と並んで歩くのは男の憧れだ。


 ……しかし秋風先輩は日本人離れした容姿のため色々デカい。

 靴のせいか背も自分より高いので、しょうもない自尊心を守るため後ろを歩くことにした。

 ……170cm(自称)の辛い現実を目の当たりにしたくはないのだ。


「ふふ~、どこ行きますか? 吹先輩!」

「うふふ、めぐちゃんの好きなとこでいいわよ~」


 まぁ、嬉しそうに秋風先輩の腕に組みつく月無先輩が可愛いから、それを後ろから見てるのも悪くない。


 駅前の和食屋に入り、テーブルに着く。

 そしてなんと秋風先輩が奢ってくれるとのこと。

 楽器も買ったことで、入学早々に節約生活を余儀なくされていた自分には、非常にありがたい話だ。


 初対面の先輩にいきなり御馳走してもらうのも気が引けたが、もやしとパスタ以外にありつける喜びが勝ったので、是非そうさせてもらうことにした。

 ぶっちゃけもう安くて長いだけのヤツらには、早くも辟易していたところだ。


「しろちゃんもめぐちゃんもなんでも頼んでいいよ~」


 久しぶりに肉をがっつりと食べたい……が、値段的にも流石にそれは遠慮がなさすぎるだろうと、高そうなとんかつコーナーはスルー。

 開くのは『家庭の味』と銘打たれた、特徴的なメニュー名の多い定食コーナー。

 それを卓に広げていると、正面に座る月無先輩があるメニューを勢いよく指差す。


「あたしこれ! 『鶏肉の母さん煮』! あたしお母さん似だし!」


 ……失礼ながら最早バカなんじゃないか。


 そう思いつつそのメニューを見ると、うん、確かにおいしそうだ。

 そんな視線を察したのか、月無先輩が言った。


「白井君もこれにする? これおいしいよ! これにしよう!」


 ……いや俺の意志は?


 元から年相応でない子供っぽさが散見される月無先輩である。

 秋風先輩の前だとその母性に当てられるせいか一層それが強調され、最早幼児退行している。

 むしろ子供っぽさを越えて、バカっぽくなる気さえするのは母さん煮のせいか。


 しかし今回はそれに少し助けられた。

 奢られる立場のオーダーの決めづらさもあるし、その提案にのってやろう。

 値段も手ごろなので丁度いい。


「うふふ、おそろいね~。じゃぁ店員さん呼ぶね~」


 月無先輩への秋風先輩の目は、可愛がっているペットを見るような目だ。 

 ……あだ名的にも自分がすでにそれに数えられてはいないかと一瞬不安になる。


「お二人はよく一緒に夕飯食べるんですか?」

「そうだよ! ね~」

「そうね~、練習の後はバンドで行くけど~……。それ以外でもめぐちゃんとはよく一緒に食べるかな~」


 二人は顔を合わせて笑った。

 くそっ、いちいち可愛いんだよこのやりとり。


「バンドでも行ったりするんですね」


 自分の場合、中々日程が合わず、ライブまでの学内スタジオ利用の割振りも後半に集中している。

 つまり、まだバンド練習未経験だ。

 バンドでの交流はいかなるものか、いろいろと聞いてみることにした。


「バンドめしってヤツだよ! 大体どのバンドも練習終わったら行くかな~」

「このお店か~、隣駅まで歩くかのどっちかだね~」


 バンド飯……なるほど、何か部活という感じがする。

 そういえばさっき月無先輩が言って即刻却下されたのはなんだろうか。


「そういえばさっきの二郎っていうのは何ですか?」

「ん? あ、二郎? ラーメンだよ!」

「めぐちゃんあれはラーメンじゃないよ~」


 ラーメンだよという月無先輩に、ラーメンじゃないと秋風先輩が即座に反応。

 ……何か特別な創作料理か何かか? 謎だ。


「バンド飯じゃいかないけど、ヒビキさんとかとたまに行くんだ! おいしいよ!」

「めぐちゃんあれは食べ物じゃないよ~」


 バンド飯ではいかず、部長とかと行く、おいしいのに、食べ物ではない。

 なぞなぞだろうか、意味が全くわからない。

 なるほど、「ラーメン」や「おいしい」は何かの隠喩か。


「初めて食べる時はかなり死ねるけど慣れればクセになるから!」

「めぐちゃんあれは食事じゃないわ~。いくさよ~」


 ……戦? IKUSA? 食事ではなく戦、命の危険もあるらしい。

 クセになるというのは銃を撃つ感覚か何かだろうか。

 金を払って戦争する文化でもあるのかもしれない。


「白井君も今度一緒に行こうね! ヒビキさんに言っておくね!」

「ちゃんとルールも教えておくのよ~?」


 どうやらルールがあるらしい。

 選択の自由も訓練兵である自分にはないようだ。


「吹先輩もまた行こー? 結構前に行ったきりですし!」

「う~ん、いいけど事前に日程決めてね~。コンディション調整があるから~」


 あまり乗り気ではなさそうだったが、秋風先輩もその戦を嗜むらしい。

 調整とは装備点検や戦地偵察のことか。

 事前準備を怠れば生きて帰ってこれる保証はない、そういうことに違いない。


 隣の卓に座っていたオッサンが意味深に頷いていた。

 若いのに戦の心得がわかっているな、とでも思っているのだろう。


 月無先輩は情報源として役立たず、秋風先輩も意味深なばかりで要領を得ない。

 なるほど、この二人の態度はこれ以上は自分で調べろという暗喩。


 ……戦はすでに始まっている。

 戦地への心構えを得たところで、秋風先輩がふと言った。


「しろちゃん、この前氷上君の洗礼うけてたでしょ~」

「え? 洗礼?」


 何を言ってるんだろうか。

 この女神といい洗礼といい、この部活は宗教的な性質が強いのか?


「途中まで外で見てたんだよ! 軽音名物『氷上の洗礼』!」


 ……あ~アレか、確かに洗礼だわ。

 二人が言っているのは、自分が先日廊下練習をしていた時の話。

 威圧感丸出しの怖いメガネお兄さん、氷上先輩がしてくれた、ありがた怖い音楽レクチャーのことだ。


「そうだったんですか? 正直めっちゃ緊張しましたよ」


 ……声かけてくれればいいのに。


「大丈夫、氷上君後輩大好きだから~、怖いお兄さんじゃないよ~」

「アニオタだしね!!」

「こらこら~」


 実際のところ氷上先輩のアドバイスは非常に助かったし、練習効率も上がってその日だけでもかなり上達したと実感できた。

 それを伝えると月無先輩がわざとらしく文句を垂れる。


「むー、白井君はあたしの弟子なのにー」


 ……ほんと子供みたいだな今日のこの人。

 冗談めかしくも、むーと可愛く膨れる月無先輩。

 氷上先輩の言葉を借りてフォローを入れておくか。


「でも先輩からもらった譜面見て氷上先輩言ってましたよ。月無はやっぱりすごいなって。俺は理論等はある程度は教えられるが、鍵盤のことはやっぱり、あいつにちゃんと教えてもらえって。実際もう感謝しきれないくらい助かってます」

「よ、よせやい」

「よかったね~めぐちゃん」


 月無先輩に限らず、すでに結構な数の先輩にお世話になっている。

 初心者の身でも路頭に迷うことなくいい環境で練習させてもらっているのは、本当にありがたいことだ。


「氷上君も真面目でよくやるって白井君のこと言ってたし~、めぐちゃんにしろちゃんみたいな後輩ができて本当によかった~。私ともよろしくね~」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。秋風先輩にもすでに世話になりまくってますが……」


 改めての挨拶が終わるのを待っていたかのように、注文がテーブルに揃った。 


 秋風先輩は育ちのよさが窺える気品に溢れた丁寧な食べ方だった。

 一方月無先輩は……こちらも失礼かもしれないが意外なほど綺麗な食べ方だった。

 それにしてもおいしそうに食べるので、同じメニューを食べる自分も釣られて余計においしく感じた。

 大学に入って以来一番楽しい食事になった。

 

 §


 秋風先輩が会計を済ませている間、月無先輩が笑顔で言った。


「吹先輩優しいでしょ~。こんなにいい先輩いないよ!」


 今日だけでも随分と世話になったし、そのオーラとたたずまいも相まって、神聖視して然るべき存在かと思うくらいに秋風先輩はいい人だった。

 怒ったりもしなそうですよね、と言うと月無先輩は含みを持たせて言った。


「怒らないけど……。あの人の目は開かせちゃいけないよ?」


 ……乙女座の黄金聖闘士ゴールドセイントかなんかか。

 やっぱりほとんど神なんじゃん。


「じゃぁ行きましょうか~」


 会計が終わったようで、三人揃って店を出た。


 電車通学の秋風先輩を見送りに、大学の近くで一人暮らしをしている自分と、実家が近所で徒歩で通学している月無先輩の三人で駅まで歩いた。


「それじゃぁしろちゃん、めぐちゃん、またね~」


 と、別れる際、強めの風が吹いた。

 目にゴミが入ったようで下を向く先輩に声をかけると、それを取る際に思い切り見開いた右目とこちらの目が合い……思わず凍りついた。


「取れたわ~、大丈夫。じゃ、またね~」


 ……秋風先輩はそそくさと改札へ向かっていった。

 月無先輩はこちらの異変に気付いたのか、改札に手を振りながら、顔は秋風先輩に向けたまま、言葉だけをこちらに向けてきた。


「……見た?」

「……見ました」


 ……心底驚いた。

 極端な三白眼だったので、怖いと思ってしまった。

 目という事前情報がなかったら声を出してしまっていたかもしれない。

 開かせてはいけないとはこのことだったのか。


「ネタにしちゃダメだよ。怒らないけどちょっとだけ気にしてるから!」

「しません……。絶対に」


 神の怒りに触れる勇気はない。

 しかしそそくさと帰って行ったのは、あの目を見られたくなかったのか。

 無論、そんなことをするつもりもないが、あの人だけは怒らせまい……。


 ……いやでも待てよ?


「でも気にしてるのにさっき月無先輩、目を開かせちゃいけないよとか……」


 ネタにしちゃダメだよといいつつ、ネタにしていた気がしたのだが。


「いやだってさ、あたし吹先輩と仲良いでしょ」

「はい」

「で、白井君あたしと仲良いでしょ」

「は、はい」

「会う機会多いんだから事前に知っておいた方がいいでしょ」

「……あ~、はい。助かりました」


 確かに事前情報無しで、間近で両目を見開かれたらショック死しそうだ。

 大袈裟だがそれくらいの迫力はあった。

 驚き過ぎていたら傷つけてしまう可能性があったことを考えると、月無先輩の冗談めかしい忠告は役に立ってくれた。


「でもちょっと気にしてるっていうのも可愛いよね。吹先輩、完璧超人だからなんか余計に!」


 先輩として完璧な振舞いがあったからこそ、たしかにと共感できた。

 それもチャームポイントかと、神聖な存在が親しみやすくなったような気がした。


「吹先輩だけじゃなくて、ヤッシー先輩とか氷上さんもみんないい人だから! あたし以外の先輩達とももっと仲良くなれるといいね!」

「確かに会う人みんないい人ですね。俺、運がいいのかも」


 実際みんな本当にいい人だ。

 それだけでいい部活だと思えるくらいに。

 ……というか一番よく喋る月無先輩が、一番曲者な感じがする。


「仲良くなっておくと~、いいことあるかも!」

「いいこと? 具体的にはなんでしょう……」


 何か実例があるのだろうか。


「いやだって夏バンとか。先輩と仲良い方がいいバンド入れる可能性あがるじゃん」

「あ、確かに」

「頑張ってないと認めてもらえないし~、仲良くないとそれ以前だし~。白井君は心配ないかもだけど割とこの部活そういうもんだから!」


 なるほど、媚を売るとは違うが、夏のバンドやらでバンドの組み替えがあることを考えれば、立場を得ておかないといけないのは事実か。


「ま、そういうことだ! 頑張りたまえ! でも先輩達は君の努力もちゃんと見ているぞ!」

「……やれるだけやります」


 自分の努力の程は人から見てどうなのか、それはあまりわからない。

 少なくともすでにそれなりに認めてもらえているのは嬉しいことだった。


「それじゃね! あたしこっちだから、またね!」

「あ、お疲れ様です、また」


 部活に関しても色々と思うことがあるかもしれない。

 練習するだけでなく、交流という面もあるか。

 そんなことを頭にとどめつつ、今日の三白眼の女神とのエピソードを思い返しながら帰路についた。





 隠しトラック

 ――隣のおっさん ~和食屋にて~


「隣の席は大学生か……。元気そうな子と……。後輩っぽい少年と……。 

 ふっ、若いな。 

 もう一人は……、な、なんだあの母性はッ……!

 全てを慈しむような目、包み込むようなオーラッ! 

 まるで聖母のような存在感ッ!

 い、否応なし! 否応がないッ! 

 この私が! 見ているだけでこの私が! 癒されているだとッ!


 部長に怒られ部下の責任をとり取引先に謝りに行く不条理な毎日を送り出世もできずに歳ばかりが重なり職場の若い女性社員からも後ろ指を指されて過ごし未だ独身のこの私が! あんな! 大学生の! 小娘一人に! 癒されているだとッ!?


 しかもよく見たら元気そうな子の方もかなり可愛いぞ……。

 こ、これは癒しの相乗効果!? 

 無邪気に遊ぶ子供を見守る聖母なのか!? 絵画なのか!?」


 ――数分後


「二郎? 今二郎と言ったのかこの子は。

 二郎暦10年をゆうに超えるこの! 私の! 前で! 昨今の物見遊山な大学生による秩序の乱れが由々しき事態と認識しているこの私を前にして!


 ふっ、いいだろう……。

 見せてみろ、君たちの二郎力じろうちからをな……」


 ――数分後


「こ、こいつら……。やる……! 

 元気そうな子の素直に二郎が好きな気持ちはこの私にも伝わった……。


 何よりこの聖母、いや女神だ……。言葉数は少ないが、わかっている。

 ふっ、負けたよ君には。立派な二郎戦士じろうバトラーじゃないか。

 押しつけるんじゃなくて、導くんだな……。


 どうやら私は10年以上の歳月を経て二郎はこうあるべしと固執し、食べることと秩序を守る義務感ばかりで楽しむ気持ちを忘れてしまっていたようだ……。


 初めて食べた二郎……。うまかったなぁ。……明日も頑張ろう」


 秋風は自覚なしに人々を救済していた。

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