基本は道路に落ちてる

 四月下旬 大学構内 大講堂地下 軽音楽部スタジオ廊下


 大講堂の地下を横にぶち抜く通用路。

 軽音楽部スタジオの廊下に当たり、楽器を練習するのに十分なスペースがある。

 電子ドラムや小さなスピーカーも置かれていて、そこで実際に音を出して個人練習をする人も多いようだ。

 軽音部員の間では「廊下練ろうかれん」と言われている。


 午前の閑散かんさんとした空気の中、昨日買ったばかりの鍵盤で廊下練を始めた。

 今日の目標は鍵盤のわかる限りでの機能確認と、バンドでやる曲の練習だ。

 手に入れたばかり楽器、これから先の長く共にする相棒を、存分に弾いてみたかったというのもある。

 実家のショボい電子ピアノとは違う、高級な一つ一つの音色に一喜一憂した。


 ひとしきり内蔵されている音色を試し、バンドでやる曲の音取おととり(耳コピ作業)を始めてしばらく経つと、廊下入り口の大きなガラス扉に人影が。

 なんと月無先輩がやってきた。


「お、やってるな! 練習熱心なのはえらいぞ!」


 わざわざ練習を見に来てくれたのだろうか、頭が上がらない。

 月無先輩はアレなところはあれど、実際すごく人として出来ている。


「曲の練習? 音取り?」

「あ、音取り中です。でも何弾いてるか全然わからないとこ多くて……」


 なにぶん楽譜を見て弾くのが習慣だった。

 バンドサウンドの曲をコピーするのに四苦八苦、自力で完遂かんすいしたくともどうにもならないのが実情だった。


「よし、ちょっと聴かせてみ」


 ヘッドホンを取り上げて曲を聴くと、なるほどね、とすぐにヘッドホンを外した。


「これね~、ピアノ半分くらいアドリブだよ」


 ……え? 絶望的なワード。

 アドリブなんてしたことないし見当もつかない。


「って言っても大丈夫。コードをとって、それどおりに弾けばいいから。こういう曲は音符でいちいち楽譜描いてたら日が暮れちゃう。あたしが教えてあげるよ!」


 どうやら自分のここまでの作業はほぼ無意味だったようで、バンドでの鍵盤楽器はまた手法が異なるとのこと。

 コードというのは、平たく言えば和音とそのパターンのこと。月無先輩はそれを使った伴奏の手法だったりと、裏技のように効率的な方法を色々と教えてくれた。


 目からうろこのような内容だったが、月無先輩曰く感覚がわかってしまえばある程度ならすぐ出来るとのこと。

 要は慣れることが重要で、一曲ずつ丁寧にやっていけばいいと。


「この曲ちょっとコード難しいし、簡単なのからやろうか。バンド練って次いつ?」


 自分のバンドが集まって練習する日はかなり先だ。

 メンバーの都合上、中々揃う日がなく、スタジオ練習の割り当てはライブまでの期間の後半に集中している。


「おっけ~、ライブまで時間も大分あるから、簡単な曲で慣れるようにしよう! 最初はメジャーとマイナーの区別も難しいし~。パワーコードってのでやってみよう」

「PARコード?」

「プロアクションリプレイじゃないよ……。君も意外と通だね」


 お、通じた。さっすがゲーム女。

 しかしコードというものの有用さは十分わかる話だったが、自分自身のキャパシティが心配だった。

 技術的な問題はあまりないが、初めての知識には少し身構えてしまう。


「長い目で見たら今のうちにやった方がいいよ。白井君弾くのは上手いんだから」


 ……嬉しい。

 そして先輩は鞄からノートを取りだした。


「じゃ~ん」


 じゃ~んと言われましても……。

 ポケモンのデコ〇ャラシールが貼ってある以外、ただのノートにしか見えない。


「あたしが書きためたゲーム音楽の譜面だよ!」

「へ~すごい! ……ん?」


 ノートの表紙にはタイトルだろうか、何か書いてある。


「めぐるノート④?」


 声に出すと先輩が意外そうに返した。


「あれ? あたしの名前知らなかったっけ? めぐるっていうの」


 思い返せばそれを知る機会が不思議となかった。


 なんだその可愛い名前。

 月無つきなしめぐる。……なんだその可愛い名前。

 しかし自分の名前をノートにつけちゃうあたり、子供というか無邪気というか。


「ま、まぁノートのネーミングはおいといて……」


 おっといけない顔に出ていた。

 少し恥ずかしそうなあたり、人に見せたことはないのだろう。


「練習に丁度よさそうな曲が何個かあるから、それコピーして渡しあげる! 何がいいかな。ちょっと見てみる?」


 そういって先輩はめぐるノート④を渡してきた。


 中身はとても素人の仕事とは思えないしっかりした楽譜。

 それには大量のゲーム音楽が敷き詰められていて、④と見る限り他にも何冊もあるのだろう。

 よく自力で、しかも手書きで書きためたものだと感心した。


 ペラペラとめくっているとポケモンゾーンに差し掛かった。

 全作やっていて知っている曲も多いので、めくる手を遅くして一曲ずつ見ていると、先輩が口を開いた。


「ポケモン好き? じゃぁポケモンから選ぼうか!」


 先輩がその中から丁度いい曲を選んでくれるという。


「これが一番丁度いいかな! あたしのすっごい好きな曲!」

「『209番道路』? さすがに道路の名前では覚えてないですね……」


 ○○タウンや○○戦のような、すぐに記憶とリンクする固有名詞ならわかるが、無数にある道路の名前で曲を把握している人はまずいない……というか怖いわ。

 楽しみ方の次元の違いを思い知る。


「ダイパの曲だよ、これこれ。やったことあるなら絶対わかるよ」 


 すると先輩は鍵盤の前に座り、それを弾き始めた。


 聴いたらすぐにわかった。

 思い出深い好きな曲、ポケットモンスターダイヤモンド・パールのフィールド曲の一つ。

 優しく綺麗なイントロと壮大なメロディがすごく気に入っていた。


「わかりました! これいいですよね。ズイタウンの横の道ですよね。タマゴ割りまくった場所だから憶えてます。スマブラXでも使われてましたよね」


 シリーズ定番の歩数稼ぎ用の道、いわゆるタマゴロードもとい廃人ロード。

 自分もそこで散々往復して、散々聴いた曲なので強く残っていた。


 そんなこともありついつい話が盛り上がる。


「そう! そうなの! タマゴロード! 白井君も同じ経験してたんだね!」


 ――おや、めぐるのようすが……!


 ……やべぇよやっちまった。

 曲の思い出に気を取られていたからか、ここ数日状態異常の発作はおさまっていて油断していたからか、とにかく最高に迂闊だった。

 話題を振って、しかも曲の良さについて触れれば、何十倍のしっぺがえしを食らうことは自明の理であるのに、あろうことか手助けする形になり、見えていたハズの不意打ちを自ら食らいに行った。


 始まってしまったのだ。

 修羅の饗宴きょうえん、いや廃人の狂宴が。



「で、この曲のすごいところはどこかって、とにかく奇麗でいいコード進行してるおかげでいくら聞いてても飽きないところね!日が差し込むかのようなピアノの最高に綺麗な下降フレーズから始まる壮大な進行!ちなみにこの曲のイントロのコード進行は『名曲に聴こえる』で有名なの!カノン進行って呼ばれてるものの亜種なんだけどね、スケール通りに降りていくだけですごく単純なんだけど、すごく雄大で大自然って感じで、北海道にあたるシンオウ地方のフィールド曲には本当にぴったりだわ!次につなげるところで部分的に転調するんだけど、そこでもしっかりホーンがマーチング的なフレーズで盛りたててくれるの!ポケモンの曲は初代からずっとこの辺がとにかく上手いの!行進曲のテイストが道路の曲に盛り込まれててね、これは歩く時の曲なんだっていう意味がちゃんとあるの。その辺は実用音楽的なアプローチと言っていいわ!実はすごく考えられて作られてるような気がするわよね。209番道路はそれだけじゃなくて聴きあきないよさが詰め込まれてて。これがもし淡々とした曲だったら途中でさすがに飽きちゃったかもしれないわ……あたしの4Vエンペルト♀はこの曲のお陰で生~以下略~」


「な、なるほど……!」


 先輩は語ってしまって黙らない!

 こちらの応答はすべてすりぬけ、言葉の流星群が全てを飲み込む。

 虫の抵抗レベルに応答はしたが先輩は全然聞いていない。


 ……もう以下略でいいか。

 オーバーヒートするのを待とう。


 §


「……」


 どうやらゲーム音楽状態から自然回復したようだ。

 無言の微妙な時間が流れる。


「……め、めぐるのこんらんがとけた!」

「中々醒めねぇなぁ、と思ってました」


 以下略してこっちも遮断したが長い闘いだった。


「と、とにかくこの曲はコード勉強の基礎にぴったりなの! それに途中でリズム変わるからその練習にもなって本当に丁度いいの!」


 ということらしい。

 知っている曲なら身が入りやすいと選んでくれたんだから非常に助かる。

 それに、後輩想いから起きた悲劇と思えば……仕方なくはないんだけどね。


「知ってる曲なので弾いてみたいですし、勉強のためにも是非お願いしますね」

「うむ! よく通った道にも意外に大事なものが落ちてるってことさ!」


 なんか上手いこと言ってごまかされたような気もする……。

 そしてコピーを取りに行ってそれを受け取って、またしばらくコードの基礎知識について教えてもらった。


 それにしてもこの人、やはりゲーム自体もガチでやり込むタイプのようだ。

 しかし続けて話を聞くと、他のシリーズではタマゴロードに使われる曲があまり気に入らず、往復作業に関してはどうしても途中で飽きてしまったそうだ。

 それを聞く限り、音楽が先輩のゲーム観すら左右しているのが事実で、『209番道路』の素晴らしさが、一人の悲しいモンスターを産んでしまったということだ。


 §


 練習を切り上げ、授業に向かい移動中、また例の謎ワードが出た。


「いいかい白井君。ゲーム音楽はそれだけで楽しむのはもちろんだけど、曲の意味と場面との調和を楽しみながら聴くともっと素晴らしいのだよ。ゲーム音楽するっていうのはあらゆる面からそのよさを感じることなのだよ」


 ピンとくるにはまだ経験が足りないが、言わんとしていることは以前よりわかる。

 そしてふと、話は変わるが疑問に思ったことを訊いてみる。


「そういえば先輩、今日は一日中ゲーム音楽するとか言ってませんでしたっけ」


 買ったシンセサイザーで遊びつくすようなことを言っていたはずだ。


「あ~、そう思ってたんだけど、白井君昨日メールくれたじゃない。明日はシンセ使ってバンドの曲練習してみるって。大事な弟子だからね! 折角初めて自分のシンセ使って色々やるんだから、そりゃそっち優先で見に来るってワケ! 初めての音取りとか戸惑うだろうしってね」


 ……こういうことを無自覚に言うんだよな。

 勝手に弟子認定されていることにツッコむことすら忘れて惚けてしまった。


「およ? フリーズした。何か返してよ~……」

「あ、あぁ、本当に助かりましたありがとうございます」


 取り繕ったかのように出た言葉だったが、先輩は満足したのか、ふふーと笑った。


「うむ! じゃぁあたしこっちだから、またね!」


 最早チートだろその笑顔と思いつつ、立ち去る先輩を眺めて立ちつくす。

 校舎ではなく部室棟に向かうあたり、あの人授業出てるのだろうか等ともよぎったが、そんなことも含めた全ての思考を奪われてしまっていた。






 隠しトラック


 ――悶える白井 ~教室にて~


 ――三限、必修科目、英語の授業中


 びっくりしたぁ……。さっきのあれなんだよほんと可愛すぎるだろ。ってかあの人なんで自分の可愛さと発言にあんなに自覚ないの? このままだと勘違いする一年蔓延まんえんまったなしだろ!


 彼氏とかいんのかなぁ……。


 しかも名前めぐるって、名前も可愛いとか反則にも程があるだろ! その上めぐるノートって! ネーミングセンスヤバいけどあれはあれで可愛すぎるだろ!

 

 落ちない男いんのかよあれ……。

 

 あ、でもゲーム音楽の話したら一発アウトか。あれは俺でも引くし。いや俺は別に嫌じゃないしあれはあれで可愛いんだけどな……。


「……い君。」


 あとマジでゲーム音楽するって何だあれほんと意味わからん。独特な言葉使いもまた可愛いけどあれだけはほんとわからん。do game music? マジでわからん。するってなんだ、するって。


「……らい君!」


 まぁいいかそんなことどうでも。そのうちわかるだろ。

 いやしっかし可愛かったなマジで。あんな可愛い笑顔する人見たことないっての。


「白井! 答え聞いてんだよ!」

「は、はい! 5です!」






*作中で名前が出た曲は曲名とゲームタイトルを記載します。

『209番道路』― ポケットモンスター ダイヤモンド・パール


月無先輩の本名登場です。

先輩は音楽理論もそれなりに詳しい。

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