ありすと出会ってから僕は、図書館に行っても本を読まずに彼女と話すことが増えた。少しずつありすとの付き合い方をわかり始め、彼女に興味を持ち始めたからだと言える。

 そんなある日、ありすはこんなことを言い出した。


「私ね、少しずつ記憶が薄れていって最後には死ぬんだ」

 死ぬ、というわりに彼女は笑っている。

「えっと……それはいつもの冗談じゃないんだよね? 記憶が薄れていくって脳の病気?」

「わかんない。親に話したら他人からの評価が下がるから病院には行くなって……ねえ、こういうの何て言うんだっけ?」

「えーと、何だろ……世間体?」

「そう、それ。世間体が悪くなるから」

「あとどれくらい生きられるの?」

「君が小説家になる頃までかな」

 彼女は、また笑顔を見せた。

 僕はその時、彼女はまた嘘をついているのだと思った。

 博識の彼女が「世間体」という単語を忘れてしまうわけがないから。

 いつもと同じに楽しそうな笑顔だったから。

 

 しかし、それが嘘でないとわかるのはそれから一週間とかからなかった。

 つい数分前に話したことをすぐ忘れたり、今までの知識がなくなっていたりするようになったのだ。その姿は、彼女が演技しているとはとても思えない。

「知ってる? 鮮やかな紅葉の下には、人の死体が埋まってるんだよ」

「紅葉の下じゃなくて桜の下じゃなかった?」

「じゃ、これは? うさぎは寂しいと死んじゃうんだよ」

「それ迷信だよ……」


 また、彼女は悲観的なことばかり言うようになった。

「この世で一番嫌いなものって何?」

 急にまじめな顔になるありす。僕はその質問を深く考えずに答える。

「ピーマンかな」

 ありすは僕の発言に笑うでも呆れるでもなく、無表情で言い返す。

「私は両親が嫌い。あの人たちが私に与えた全てのものが嫌い」

 予想外の答えが返ってきて僕は言葉を失った。

 そんな僕をよそに、彼女はしゃべり続ける。

「私はこの世に必要ない人間。生きてる価値のない人間なんだって。ふふふ、いつか殺されちゃうかもね」

 彼女は、笑顔でそんなことを言う。僕は戸惑いながらも彼女の考えを根拠のない意見で否定する。

「そんなことないよ。この世に無駄なものはあっても、無価値なものなんて一つもないんだよ」

「じゃあ、人殺しや戦争もなにか価値があるって言うの?」

「それは……」

「それと一緒だよ。私はそれと一緒で何の価値もない。あーあ、親に殺される前に自分で死のうかな」

 彼女は笑っているが、とても悲しげな眼差しで僕を見る。


 日に日に記憶が薄れ、精神的に弱くなっている彼女を見ていると、僕はとても悲しくなる。しかし、それ以上に彼女になにもしてあげることのできない自分を不甲斐なく思った。なにを言えばいいか分からず、沈黙が流れる。

 ふと、僕はあることを思いつく。

「ありす」

「なに?」

「デートしよう」

「え?」

「僕たちは学校をサボって図書館で会うことはあったけど、どこかへ遊びに行くことはなかったよね」

「そうだね。あ、だから、私の記憶が消える前に思い出つくりを?」

「うん、まあ、そうなんだけどさ……」

「美術館がいい! 前から見たかった絵があるの」

 先ほどまで自分を卑下していたとは思えない明るさで話す彼女。

 ありすの勢いに押されながらも、明日図書館で待ち合わせてから美術館に行くことを約束させた。

 彼女は嬉しそうな顔で帰っていく。

 その後ろ姿を見つめながら僕は、何故か寂しさのような不安のようなものを胸の内に感じた。

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