マンドレイク14

 闇の中にいる。

 抽象的な心の闇でも、社会の暗部でもない。文字通りの暗闇――地下鉄の線路上。


 停止した地下鉄車両――内部に灯る乏しい明りに照らされる大量の人質&武装犯=立てこもり&金銭を要求――誰もが座席から立ち上がることを許されず/口も聞けず/微動だに出来ず。

 その中に、一人の子供が紛れていた。

 小奇麗な児童用ブレザー/皴一つない高級ズボン/品の良い顔立ち――いかにも低所得者層の交通手段といった風な地下鉄に見合わぬお金持ちブルジョアジー風のお坊ちゃま。


 両親=居らず/じいや=居らず/護衛=自ら振り切った――たった一人で駆け込んだ地下鉄のホーム/持たされていた少額決済用のクレジットカードで乗車券を購入/すんでのところで追いすがる使用人たちを撒いた=自由の味が知りたくて初めての犯行――ホントは毎日のように繰り返されるお稽古事のルーチンワークに嫌気が差した逃避行動。


 代償――地下鉄のハイジャックに巻き込まれる。ビックリするほどの不運――この試みを楽しみにしてたのにという悔しさ/この場に誰も自分を助ける者はいないのだろうなという心細さ=涙となって噴出。


「……んぐ」熱が目元に溜まる/溢れそうになるのを必死にガマン。「泣くな、僕。僕は男だ。男は泣かない。この程度、どうってことない」

「おぉ? このガキ、いやに身綺麗じゃねえか。ええ?」


 独り言を聞き取られる――小銃を抱えたハイジャック犯の一人が目の前にしゃがみ込む/顔を覗き込む――「坊主、名前は?」

「…………」

「何歳だお前? 6歳か7歳か8歳ってとこか? もう自分の名前くらい言えるだろ? あん?」

「……い、いやだ」精一杯の勇気を振り絞る――犯罪者風情に小馬鹿にされることが我慢ならず。「知らない人に名前なんか――」


 平手パァン――吃驚して固まった/あまりに問答無用――ふり絞った勇気が一瞬で霧散していく/再度尋ねられた。「ガキが大人に口答えすんなよ。名前は?」


「え……エドムント」反射的に返答――何も考えられず。「エドムント・アル・フッサール……」


「フッサール……」ハイジャック犯……仲間に目配せ。「ユダヤ人のにそんな苗字のやつがいなかったか?」

「いたぜ。それも資産家だったはずだ。ユダ公は蓄えてやがるからな」他の仲間が応答――舌なめずり。「いい金づるになるぜ。おい、交渉も芳しくねえしよお、いっそのことそいつ連れて逃げちまわねえか!」


 運転席の無線受話器を床にたたきつけるハイジャック犯/もはや用済みとばかりに踏みにじる――その隣で恨めしそうな表情を浮かべながら倒れている死体――この電車の運転士=交渉難航の見せしめに殺害済。

 絶体絶命のエドムント少年――もはや祈る以外に取り得る手段を持たず/座席にもたれかかりながら頭の中で反芻する――思わず声が零れた。「助けて、パパ……」


(どうかお静かに)にわかに囁き――隣の座席から。(今から助けます)


 いつからそこにいたのか――

 空席であったはずの隣座席に、一人の少女が座っていた。何の変哲もない服装――量販品店で投げ売りされてそうなパーカー/ジーンズ/目深に被った野球帽――ただの乗客にしか見えず/ハイジャック犯も気づいた様子はなし。(三秒後に。動かないように)


「……え?」エドムント――疑問符を浮かべながら思わず瞬き=ぱちくり。「だれ……?」


 瞬間、天地がひっくり返ったガックン!。パイプ椅子の背もたれに体重をかけすぎた時のように、ぐるりと視界が百八十度転換しながら後ろへ倒れ込む――ぼふ、と誰かが受け止めてくれた。


「ンフ。車体外装の切断は流石に時間かかるねぇ」機械仕掛けの掌から無数の工具をキチキチと蠢かせるぼさぼさ髪の少女――車両のフレームごと座席をそっと地面へ降ろしながら。「サブウェイ123って映画、知ってる? そんな感じだよね、ンフフ」

「ワケわからんこと言わんの、嵐ィ」自分を受け止めてくれた少女――ふわふわの金髪とやり過ぎな化粧メイク/この子も義肢。「よしよし、怖かったなあ。卉小隊ウンクラウトの芙蓉ちゃんが助けに来たからなあ、もう安心やでぇー?」

「え、なにその露骨なアピール、キモッ。っていうかそこで自分の名前だけ出すの? 引くわー、芙蓉さんたら利己的過ぎて引くわー。それともショタ好きだったっけ?」

「利己的て。よりにもよって嵐ィ、あんたがそれ言うんか。ゥチはなァ、この子にほんのささやかーな思い出話を土産に持たせたろ思ただけやでえ。MPB-Bの芙蓉さんいうおねーさんが親切にしてくれたって、食卓の席で資産家のパパさんに――」


 不意に沈黙――二人とも/しばらくして芙蓉が口を開いた。「帰ろかあ、エドくん?」


「え? でも、電車の中に……まだ……」

「どの心配しとるん? テロリスト? 他の人質? その二つなら、どっちも解決済みやで」――さらりと言いきる/しかし電車の中からは銃声の一つも聞こえず/にわかには信じられず。

「いえ、その」好奇心が首をもたげる――「もう一人、お仲間がいらっしゃったでしょう? お礼を言わせてくれませんか」


 芙蓉と嵐――互いに目を見張る/電車へと流し目。「だってさ、小隊長?」


 電車のドアが開く/中から進み出るもの――光沢の無い黒髪を湛えた少女/闇に溶ける色合い――薄らと血の滴り。


「勿体ないお言葉です、エドムントさん」ハイジャック犯のものらしき返り血を鱗のような腕で拭った――明らかに尋常の武装とは異なる機械義肢。


「私たちはMPB-Bの秘密工作班です。貴方の父君からの要請によって秘密裏に派遣されました。今回目にしたことはどうか、ご内密に」

「父が?」

「はい。貴方の父君はMPB-Bの重要なパトロン――」言いよどむ/さらりと言いなおす。「もとい、治安上重要な職務に就かれておられますので、その親族である貴方に関しては、武装警官隊の突入前に私たちが特別に救出を仰せつかりました」

「それって……」明らかな特別扱い/金持ちで権力者だから――罪悪感。「いいの? そういうの……」

「よくはありません。しかし、必要なことです」さらりと流す――淡々と説明。「貴方があのまま誘拐されていた場合、お父上はハイジャック犯へ向けて身代金を積むでしょう。犯罪組織に資金が流れ、より多くの市民を害するための武器・兵器の資本となり得ます」


 しかし、公の力はすべての市民に対して平等に行使されるべきというのが建前/ゆえにこその工作班――「ご理解頂けましたか?」


「分かった。分かったよ、でも……」ちらり、と車体へ目を向けた。地下鉄は全部で四両編成だった。自分が助け出された先頭車両以外にも、まだハイジャック犯は残っている。そして、助けを待つ人質も――「あなたたち、特甲児童でしょう? どうにか……できないんですか?」


エドムントさんヘル・エドムント、分かって下さい」自分より年下の相手に対し、敬称を外さない疾風――「これが私たちの仕事なんです。警官隊の突入前に、をすることが、私たちの……」


「僕、僕は……」絶句――世の中の理不尽を垣間見た/そして自分がその理不尽に救い上げられた側であることを知って。「……っ、連れてって、ください……」

「ありがとうございます――嵐、頼んだ」

「ういうい。ほんじゃーお坊ちゃん、一緒に行こうか。近くの連絡路に警官隊が詰めてるから、そこまではあたしの迷彩被膜の内側に入っててネ」


 途端、カメレオンのように周囲の景色と同化する嵐――暗闇の中ではもはや肉眼で見えるような状態ではなく/おそるおそる手をつないだエドムントの肉体までもが同化――「うっ、うわ……」


「んじゃ、疾風小隊長。

「ああ」疾風――そっけなく応答/いかにも口惜し気といった風体を崩さず。「我々もすぐに戻る」


 迷彩効果のせいで視認不可能と化した両足をそっと前に踏み出しながら、嵐に手を引かれ、エドムントは線路の上を歩きだした。

 自分だけが救い上げられた。その悔しさと罪の重さを噛みしめながら、涙をこらえて。



 *



「――で、いつまでその悔しそうな表情えんぎ続けるん、疾風?」

「顔が戻らん」ぐぎぎ、と指で無理やり眉間の筋肉をいじる――「やっぱり、こういうやり取りはお前に任せた方がいいのではないか? 芙蓉」

「普段どんだけ表情筋使っとらんねん……」呆れた様子――くるりと振り返る。「んじゃ、ホンマのお仕事、はじめよっかあ」

「嵐の仕込みはどれほど?」ぐぎぎぎ/まだ表情筋と格闘中/悲しそうに細められた目元が戻らず。

「さっき制圧した車両の連絡扉は完全に封鎖工作済み。けど、そろそろ他の車両のハイジャック犯たちも見回りで異常に気づくやろ」芙蓉――特甲両腕部に無力化ガスを充填/噴霧姿勢。「の安全は、まあもって数分やねえ」

「よし、では待機中の警官隊に突入指示を――」無線通信くさぶえ――前線指揮所へ直通連絡。《マティアス副長! 準備完了しました、行けます!》

《ああ、こちらでもエドムントご子息を確保した。警官隊は車両の前方50メートル地点に待機中だ。車両に到達後、フラッシュバン投入までは役30秒程度掛かると思われる。それまで、!》


了解しましたヤヴォール!》芙蓉と目配せ――いつでもOKという眼差し。「さんドライにーツヴァイいちアイン――行くぞ!」


 疾走ダッシュ――先ほど制圧した車両のすぐ隣車両へと跳躍ジャンプ――突入ガシャン!


「おい、この扉開かな……」ハイジャック犯の一人――封鎖された扉の存在に気が付くも、背後に闖入してきた疾風に意識を奪われる。「てっ、てめえ! どこから――」


 加速ジェット――鱗のようにびっしりと散りばめられた吸気口による空気の噴出によって突進/小銃を叩き落とす/返す腕で腹部を打突――瞬く間に意識を刈り取った。


「こっ、このやろ……」車両の逆側にいたハイジャック犯が小銃を構える/射撃――不発ガチン!「なにィ!?」


 嵐の事前工作――エドムントの救出前に出来る限りの銃器に対して無力化/持ち主がちょっと目を離した隙に車両の外からワイヤーを伸ばして銃器内部へ侵入/撃発機構を壊して破壊おじゃん――肝心な時に使えない銃器を抱えたハイジャック犯に疾風が近づく/懐から取り出された拳銃を向けられても涼しい顔/相手が発砲するより彼女のが電磁ハチスンナイフを取り出す方が疾い――投擲したナイフがハイジャック犯の腕を車体の壁に縫い留めた。「いいぃだっぁぁぁぁっ!」


 一方、後部車両――腕を縫い留められたやつなかまの悲鳴に誘発されたハイジャック犯の殆どが疾風の方へ殺到/手薄になった&外部への注意がおろそかになった車両へと武装警官隊の突入班が接近/フラッシュバン投入――破裂バァン!

 二正面作戦――数名のハイジャック犯が警官隊に気づいて引き返そうとするも、足がもつれる/視界が歪む/くしゃみと嘔吐が止まらなくなる――透過状態で車両内へ侵入していた芙蓉の無力化ガスアダムサイトによる援護=もはや戦闘どころではなくなった犯人たちをガスマスク装備の警官隊が次々に確保/どんどん前進/やがて疾風と同じ車両へ到達――困惑。


「こいつら、ほとんどノびちまってるぞ……?」


 疾風の姿=なし/脱出済み。

 芙蓉の姿=そもそも見えず/脱出済み。


 残された警官隊――困惑しながらも犯人の逮捕を粛々と実行/人質たちを助け起こす――全員が夢うつつの寝ぼけ眼/のちの証言=「急に眠くなって、気づいたらあんた警官らに助けられてた」


 目撃者=無し。

 警官隊への事前連絡=無し。



 卉小隊ウンクラウトの名前/働き/形跡――公式発表のどこにも、

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る