マンドレイク13

「――ありがとう、手を握っていてくれて」


 果たしてようやくその口から紡がれた疾風の声音は、思いのほか正気を保ったものであった。息は荒く、青ざめた顔に脂汗を浮かべてはいるものの、眼の焦点はしっかと結ばれ、己の手を握っていてくれていた 黒人女性・・・・ へ向けて微笑みかける余裕すらあった。


「……辛い記憶ね。私には想像することしかできないけれど、二度と思い出したくない思い出であった事でしょうに」

「ああ、その通りだ。だから私は……いや、芙蓉も、嵐も、 辛い記憶を封印して・・・・・・・・・ 此処にいるんだ。新しい 人格改変プログラム・・・・・・・・・ によって――そんな記憶がまるで 最初から無かった・・・・・・・・ かのような、 新しい人格・・・・・ を植え付けられて――そして私は、幸せな人生を手に入れた。 新たな仲間芙蓉と嵐 に恵まれたことを思えば、国家へ奉仕する義務も苦にはならない。しかし、ああ、そうだ。私の記憶は消えてなどいない。眠っているだけだから―― 裏切られた絶望した 私が目覚めて、そして……」


 そして、 同士討ちとロート・ヴィエナの虐殺あんなこと を招いた。

 自己嫌悪に俯く疾風の頬を、しかし目の前の黒人女性は両手で優しく包み込んだ。戸惑う疾風に構わず抱きしめると、「貴方は悪くないわ」と呟きながら、その背をぽんぽんと叩き続けた。そして、という言葉が彼女の口を突いて出たのは、一分後の事だった。


「勘違いをしてはいけないのは、ロート・ヴィエナの人員を虐殺したのは 貴方じゃない・・・・・・ ということよ。そのとき、貴方は記憶が暴走して、何もかも分からなくなって、それを嵐さんとずっと 闘ってなだめて いたのだものね……」

「……それは」

「つまり、殺したのは恐らく 何故か自殺をした男貴方の知己 」であり、それは目的のある行動だったということよ。仲間を殺す一番の目的って、なにか……わかるでしょう?」

「…… 情報漏洩の防止口封じ 」疾風の呟き――苦々しく。「私が督戦隊を行ったのも、それが理由の一つだった。 仲間子供 が警官隊に投降することで山の地形や 地下道タコツボ の配置、そして何よりこの時間稼ぎの間に行われるはずだった別動隊による都市主要部への襲撃情報が洩れること……それだけは何としても避けねばならなかった」

「つまり?」

「………… ロート・ヴィエナあいつら の誰かが持っていた情報の裏に…… さらに・・・ 大きな計画が、潜んでいる?」

「……はい、よくできました。もう、自分の足で立てそうかしら?」


 抱っこから解放された疾風は、彼女の胸元を些か名残惜しそうに眺めながら、しかし、力強く首を縦に振った。


「そう。それじゃあ、私もそろそろお別れね。桜花くんも、伏龍くんも、きっともう貴方には見えていないのでしょうね。だっておそらく、どうするかはもう決めたのでしょう?」

「はい」疾風――彼女に背を向けながら。「目を、開きます」

「行ってらっしゃい。――そうね、あの子たちをいつも、私はこの言葉で送り出していたわ。が大怪我をして帰って来て、全てが狂ってしまう契機となった、あの日までは」

「……桜花という少年もたしか、誰かのことを話していました。同じ人物ですか?」

「ええ。今は 彼女・・ と呼ばなければならないのだけれど、でも、私にとってはいつまでも、だったわ」

「名前を聞いても?」



「秋月・コリンナ・フィンケ。貴方と同じ時、違う場所で闘っていた、もう一人の特甲児童」



 昔を懐かしむような笑みを浮かべながら語る黒人女性は、しかし心なしか――少しずつ、その身体が足先から ひしゃげ・・・・ 潰れ・・ つつあった。


「言い訳だけど……私もちょっと不甲斐ないところがあって、あの子の心に呪いを残してしまったまま逝ってしまったの。もしあなたが、いま、このときのことを、何かの拍子に少しでも思い出す機会に恵まれたなら、伝えてくれないかしら」

「なんと?」

「色々あったけど、でも、それでも、私を一度救ってくれたのは秋月くんだから―― 貴方は誰かの希望になれる・・・・・・・・・・・・ って、そんな風に伝えて貰ってもいいかしら」

「覚えていられたら、恐らく……」疾風――瞼を閉じながら。「いえ、必ず思い出します。もし、その人と話すことが出来たなら――必ず」

「そう、ありがとう。どうか最後まで……頑張って」



 女性はそう云い終ると同時に、脚の先から上半身までがグチャグチャにひしゃげながら、やがて肉片となって動かなくなった。

 そしてそのとき、疾風・クラーラ・アイヒェルの姿は、もはやこの世界から完全に消え去っていた――永遠に。




 *




 ――――――て。


 ――――やて。


 ――はやて。




 自らの名を呼ぶ声を受けて、疾風・クラーラ・アイヒェルは瞼を開いた。

 眼前には必死の形相で応急処置を行う芙蓉・エヴァ・ベルクマンの金髪が揺れていた。

 ふと横合いを振り向けば、嵐・ヨハンナ・ヤンセンがいつもの気の抜けた表情のまま、指先だけを神速の域で動かしながら、何かしらの携帯端末を操作し続けていた。


「芙蓉……」腹部を襲い続ける灼熱のような痛みに呻きながら、疾風は渾身の力を絞って声を発した。「……状況を、教えろ」


「えっ、うわっ、疾風ッ、目ぇ覚ましたんッ! あっ、大丈夫、大丈夫やからな! 絶対助けたるさかい、起き上がったりしようとしたらアカンで! 自分のお腹とか絶対見たらアカンからな! フリやないからなこれ! ホント助かるから絶対助かるから」

「……………………ありがとう。腹は……まあ……じゃあ……見ないよ」必死で止血処置を行っているらしい芙蓉への感謝の念もそこそこに、疾風は再度繰り返した。「……状況を、教えてくれ。指示が必要、だろう?」

「えっ、でも、うー……」躊躇するような芙蓉の態度――恐らく下手すると助からないレベルの大怪我を負った自分に対してリーダーとしての役目の遵守を乞う事への葛藤=やがて結論。「あ、嵐ィ、疾風がァ」

「うっさい」嵐のズバリとした拒絶/なぜか旧式のアナログ携帯電話のプッシュボタンを恐ろしいまでの指使いで連打=どうやらパスワードか何かを入力中。「全部のパターン打ち込んでるところだからそんな怪我人ほっときゃいいでしょ。下手に喋らせたら余計寿命縮むよ?」

「なんの……パスワードだ……」

「チッ、黙ってろってのに」舌打ち――恐らくこちらに喋って欲しくないがための所作=恐らくこちらの身を案じる要素と純粋に邪魔であるという要素が入り混じったような声色。「オクダイラとかいうあのアラブ人の携帯のログインパスだよ。旧式過ぎてわたしの特甲やPDAじゃアクセスできないから備え付けの入力機器でカチカチカチカチずーっとやってるけどたった四桁のパスがまったく解けやしない! 総当たり方式とかもーハックソフト使えば数秒で住む処理を指先でチマチマチマチマやり続けてもう十分以上経つよ。ねーもう諦めていい? いいよね?」

「ダメーッ嵐! 続ぇや! そのふっるい携帯からやったらこの通信障害下でもどっかに連絡とれるって言ったんはアンタやろォー! 脳内チップに紐づけられた通信チャンネルぜんぶ汚染されとるんやから、救急チームここに呼びつける手段ほかに無いねんで!?」

「もー無理だって。パス突破する前に疾風が死んじゃうって。連絡とるのとか諦めて、疾風担いでわたしたちが山下ればいいじゃん」

「だからアカンて! 今の疾風ホントマジで何で生きてんのか分かんないくらい腹に手榴弾の破片刺さっとんのやから、ちょっとでも動かしたらさらに出血して絶対お陀仏……あっ、疾風、今のジョークやからな! ジョーク! 気にせんといてなぁー☆」

「……嵐、携帯を貸せ」

「ヤダ」

「お前……」呆れ顔――を浮かべる余裕すらないため、疾風はどっちにしろ自分で打鍵など出来ないことに気付き、自嘲した。「じゃあ私の指示通りキーを打て。まず、〝1975〟~〝1990〟の全てを試せ。ダメだったら、〝1972〟もしくは〝0530〟だ」

「0530……?」芙蓉、怪訝そうに。「今日の日付やな。そういえば、何かの記念日やったか」

「テルアビブ空港乱射事件。日本赤軍内部呼称でいうところの、〝リッダ闘争〟だ。1972年5月30日……実行犯は日本人3名。コーゾー・オカモト、ヤスユキ・ヤスダ、そして……ツヨシ・〝オクダイラ〟」

「……オクダイラって、 日本人ヤパニシェ の名前やったんか」納得したような面持ちの芙蓉……しかし再度疑問符を浮かべた。「その前の数字は? 年号?」

「レバノン内戦だ。オクダイラ……ロネン・サイードが従軍し、家族を亡くしている。詳細な日付までは分からんから、総当たりだが……どうだ、嵐」

「ぜんぶ外れ。寝てろ馬鹿」

「辛辣だな……ああ、クソッ、駄目で元々だ、最後にもう一つだけ試してほしい入力方法がある。これが失敗したら、私はここに放置したまま二人で山を下れ。空港のMPB本隊に絶対に伝えて貰わなければならないことがある。救急チームを寄越すのは、その後でいい」

「そんな、疾風ぇ!」芙蓉の悲壮な叫び――リーダーとしての義務を果たそうとする姿勢へ向けて/仲間の身を慮るがゆえの優しさが零した慈愛。

「御託は良いからはやくパス寄越してよ」嵐の暴言――何処までも迅速に事を為そうとする姿勢/何をするにしても時間との勝負であるということを理解しているが故の非情。



 私は本当に、よい仲間を得たのだな――



 一瞬で感傷から復帰すると、疾風は伝えるべき数字と、もしそれが叶わなかったときに本隊へ伝えるべき伝言を全て口にしたのち、出血多量によって意識を断絶させた。


 パスワードは、疾風が意識不明に陥ってから約17秒後に解除された。

 入力された数字は、疾風の仲間の人数――かつて彼女がこの森で射殺した 新生赤軍派ノイ・バーダー・マインホフ・グルッペ 子供部隊の人数を、いくつかの普遍的な数式に当てはめて四桁数字へと変換したものであった。

 眠らせたはずの記憶とあいまみえることによって手に入れた―― 赤い血の ウィーンの歴史にかつて刻まれた、悲しい数字であった。






 そして、1年後――

 卉小隊は、闇の中にいた。


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