マンドレイク7

 一見して――疾風はその質問に対し、何の反応も返さなかったかのように見えた。

 オクダイラはわずかばかり怪訝に思ったものの、揺さぶり方が足りなかったのかと思い直し、さらなる言葉を紡ごうとして――次の瞬間。




 ひゅぱっ、と――白刃が閃いた。

 今の今まで苦虫を噛み潰したかのような表情を湛えていた疾風が、笑いながら高電磁ナイフを振りぬいていた――何の躊躇もないままに。



 オクダイラは、差し出した自分の右腕がにわかに宙を舞い、二の腕の半ばから切断されるさまを、どこか信じられないものを視るような面持ちで眺めていた。

 疾風の表情を伺ってみれば、その顔は先ほどと変わらず、生真面目で思いつめたような、堅苦しいさまを保っている。


「ごめんなさい。でも警告に従わなかったから…… こうしないといけないんです・・・・・・・・・・・・・ 。どうか喋らないで下さい」

「疾風、急に何を」

「貴方の手を握るのはもう 御免・・ なんです。でも、殺すわけにはいかなから――あ、 いま喋りましたね・・・・・・・・


 ひゅぱっ――またも無造作に振るわれたナイフが、今度はオクダイラの左腕を切断した。

 疾風は困惑するオクダイラの背後へゆっくりと回り込むと、右手に握ったナイフの切っ先をその背中へと突き付けた。


「左右の長さ、同じ方がキッチリしていて、なんていうか、 良い・・ ですよね」肩越しに見やった疾風の顔――思い詰めたような表情に、初めて 笑み・・ に似た色が浮かんでいた。「懐かしいなあ。私、結構気にするんですよ、こういうの。ね、覚えていますか? みんなで キューリパイプ爆弾 を作った時、私だけ妙に時間がかかってしまって怒られましたよね。確かですね、あの時、炸薬の中に釘を均等に配置しようとしていたんです。だってその方が、正しく作動するような気がして」

「…………」

「おじさん? ねえ、何か仰ってくださいよ。覚えていませんか?」

「ああ」オクダイラ――記憶の糸を手繰りながら、おそるおそる返答した。「たしか、そのようなことが……」


 ひゅぱっ――視界がほんの一瞬だけ 白く輝き何かが過ぎり 、そして 闇に染まった何も見えなくなった

 両の眼へわっと湧きだした熱――頬をだらだらと伝う液体の感触を鑑みて、 両目・・ を切り裂かれたのだと知れた……一閃の元に。


「眼球の水分までは焼き止められませんけど、失血死の心配はないのでご安心くださいね」暗闇の中に疾風の声だけが響いている――「というより、何で喋ったんですかあ?  喋るな・・・ って私言いましたのに。ねえ、 理由を教えて・・・・・・ 下さいよ――」


 暗闇に包まれた視界の中で、童女のような声音が反響している。

 丁寧で、敬意に満ち、しかし直截で、どこか背伸びしたような印象の残る語調――在りし日の 彼女疾風 の姿が脳裏をよぎった。

 真剣な態度で自らの講義を受ける彼女の横顔/ 教え子たちキャンプメンバー と語らう年相応の笑顔。少なくともあの頃の疾風であれば、このような真似をするはずも無かった――無い、はずだった。


 だが現に、彼女はいま、 わたしオクダイラ を拷問している!

 予想外の事態に脳裏を白く染めたオクダイラの眼前に――ふと、とある男の顔が浮かび上がった。


  モリクニゼペット だ。

 おそらく、彼が 彼女疾風 仕込んだ・・・・ 。そして、 例の事件ウィーンの森事件 が起きた。私があの地を離れたあとに――私の思いもよらぬ境地にまで彼女を 押し上げた・・・・・ のだ。そして、その行動の意味するところは――


 その瞬間、オクダイラはこの ウィーンの森山荘跡地 で起こった事件の仕組みを、大まかに察した――同時に、彼は 彼女疾風 の最も 触れてはならぬアンタッチャブル な場所へ触れたことを、心底後悔し始めていた。

 もしも彼の予想が当たっていたならば、彼女は――




「やあやあ」その時、俄かにかさかさと落ち葉を踏みしめる足音が迫り来た。「お疲れさまだね、 疾風小隊長・・・・・ ?」




 敬称を殊更に強調したねちっこい声音――オクダイラが今日初めて耳にするこの声は、恐らくまだ今日会話を交わしていない特甲児童の物だろうと推測できた。 迷彩模様・・・・ を全身に浮き上がらせることによって、彼の 視界を躱そうとした特甲児童。 透明・・ になれる特甲児童と共に、横腹に銃弾を喰らって死に掛けの疾風から私を遠ざけるために飛び込んで来た一人――結局、彼の照準を逃れることが叶わずと知ってか、いつの間にか何処かへ消え去っていたが。


 しかし――あの頭上からの めくら撃ち・・・・・ は恐らく、彼女の仕込みなのだろう。この意地の悪そうな声の主がどういった表情を浮かべているのか、その様子をはっきりと目にする機会は暗闇の中に失われたものの――もはや、オクダイラにとってそれはどうでもよい事だった。


 彼にとって重要なことは、 伝える・・・ ことだった。

 そしてその為に、彼は自らに残された 最後の武器・・・・・ の使い方を考えねばならなかった。両手両足を損ない、無明の暗闇に堕ち、そしてそもそもが、 鋼鉄犠脳体兵器 に身を捧げてもなお尽きぬ憎しみの火は、未だこの心臓を煮え立たせている。 あのとき1982年 、ベイルートに侵攻したイスラエル軍に追い立てられた 屈辱の日9月16日 。ユダヤ人たちがミニミ軽機関銃の銃口を並びたてた死の壁の向こう側へ―― サブラ・・・ シャティーラ・・・ の難民キャンプは取り残された。


 あの夜に打ち上げられた照明弾の光を覚えている。

 星が空を裂いて落ちて来るかのような、幻想のともしびを。


 まさか、あの光の下で そのようなこと・・・・・・・ が行われていただなどと。

 そしてまさかその場所に、戦火にまかれてはぐれてしまった己の家族が居合わせていただなどと。

 当時は、夢にも思わず。



 ――そして。


「お楽しみのとこ悪いけどさあ、それ以上の拷問はまずいって。膝の出血も酷いしさ、腿の内側の大動脈をちょちょいっと縛って止血を――」

「……止血? そんな、必要ありませんよ。だって、 この程度の制裁・・・・・・・ で死んでしまうようなひと、革命には必要ありませんから……」

「あっはは、革命て――」ぴたり、と笑い声が止まった。「――あの、疾風さん。ひとつ聞きたいんですけど?」

「なんでしょう」

「わたしの名前、わかる?」

初対面・・・ の相手の名前など、解るはずもありません。それより、貴方が何故 私の名前・・・・ を知っていたのかを、尋ねてもよろしいですか?」

「ン、フフ、フ……」乾いた笑い――「そりゃあ知ってるさ。仮にも同じ小隊のメンバーじゃ――」



 ひゅぱっ、という 聞き覚えのある音斬撃音 ――次いで耳に届いた「ひえっ」という情けない悲鳴が、オクダイラの記憶の残影を引き千切った。

 聞き覚えのある声。ほんのついさっき、いましがた、この周辺に歩み寄った――顔の思い浮かべられぬ特甲児童の声。


「仕留め損ねてしまいました……」疾風の呟き――少しばかり、トーンの高くなったような風な違和感を感じた。「面識もないのに、私の名を知っているひとであるならば――斬れば良いのでしたよね、たしか」

「疾風……? なにが、起こったというのだ……」

「ロネンおじさん。ちょっとだけお待ちいただいてもよろしいですか? ちょっと野暮用を済ませてまいりますので―― 総括・・ の続きはまた、私が戻ってから行いましょう」


 間を置かず、オクダイラの横合いに常にあった気配が、はた、と消え失せ――そして静寂だけが残った。


「そう、かつ……」オクダイラの呻き――信じられない物を耳にしたという体で。「馬鹿な、疾風がそのようなことをあえて行うはずがない。それは…… 日本赤軍なかま の手法ではない。 連合赤軍別の組織 のやり方ではないか……」


 オクダイラの脳裏に過ぎった顔貌―― 日本赤軍前・アラブ赤軍 出身者という、有能な日系人。少なからずともに同じ空間を過ごし、少なからず信頼をしていた男の、その経歴に――きっと、嘘があった。


「お前は何者だったんだ、 モリクニゼペット ――」一面の暗闇の中、身動きもできぬまま――ただ、過ぎ去った過去に向けて、問いを投げかけた。「――何を目的として、 訓練キャンプを開いた子供たちを集めていた ……?」


 いらえは無く。

 ただ、遠くから響く きりきり・・・・ という糸繰音だけが、この森で いま・・ はじまったこと・・・・・・・ の意味を教えてくれていた。




 おそらく疾風が仕掛け、もう一人が応じた。


 きっと彼女らは―― 仲間同士で闘いころしあい を始めたのだ。





 *






 一般的に人間の最大視野角は水平方向へ200度とされるが、これは静止状態における理論上の最大値というだけの話だ。

 歩行時の視野角は160度以下とされており、特に意識を集中して〝見れる〟視野角は46度にまで減少する――訓練による向上が可能であるという点を差し引いたとしても、肉眼による視覚の限界はこの近似値がせいぜいであるが――。


 この視野角の減少は 義眼機械 を用いた場合も大した変化はない。

 そしてその理由は、にあるとされている。


 いくら高性能な義眼を経由した大量の視覚情報を取得できたとしても――それらを演算し、活用するのは、 大脳・・ という名の代替不可能な 処理能力に劣る16ビット級 演算装置CPU だ。

 この軛から逃れるために人類が生み出した物――人体パーツの置換によって 機械化サイボーグ化 された人々に埋め込まれた拡張素子=脳内チップ。人体に対する〝後付け〟の部品である機械化義肢を大脳に〝操縦〟させるための補助装置――あるいはそれら機械化義肢を 電子機器デバイス に例えた場合の オペレーティングシステムOS とでも呼称すべき物体。


 機械科学と脳科学における偉大なる発明は、しかし――軍需産業との融合によって新たなる問題をつまびらかにすることとなった――特甲の開発によって。


 〝特殊転送式強襲機甲義肢〟――通称 特甲トッコー

 本来であれば車両や アームスーツロボットスーツ に搭載して運用せねばならないような強力かつ特殊な兵器を 歩兵・・ レベルで運用可能とし、さらに電子的な支援を享受可能な状況にあれば義肢を構築する素材である メリアー体造換素材 への情報転送によって 通常腕ふだん の装いから一瞬で 戦闘腕ぶき を身に纏う事が出来るうえ、しかも状況に応じて複数の兵装を自由に選択可能だという 近代戦対ゲリラ戦 における夢のような 兵器てあし ――世界各国への軍事支援派遣によって国際社会での地位を築く この国オーストリア にとって、喉から手が出るほど普及させたい もの・・

 傷痍軍人を始めとした不具者に対する国家補償兼復帰及び 強化・・ プランとして当然のように立ち上がったこの思索は、被験者たる成人男性の脳があまりにも人体の範疇から逸脱した能力を有する手足を 手足と認識できなかった・・・・・・・・・・・ ことによって頓挫することとなった。その関連技術は既存の機械化義肢に対する発展を促し、軍用機械義肢のパフォーマンスを向上する結果とはなったが――しかし、戦争における 革命・・ は未だ成らずとされた。


 ただし、その失敗を母として生み出された者たちがあった。

 人体機能を逸脱した腕部を手足と認識できないほど脳が 常識・・ に凝り固まっていない者達―― 児童こども を用いることによって。



 ――特甲児童。

 人には過ぎた力を与えられ、そしてそれに適応することを求められた者たち。


 時にそれは、 人面植物の根殺しの音色 を解き放つことにも似た災禍を引き起こす。

  錯乱の扉マンドレイク ――その旋律を。





 ………………

 …………

 ……





ゼペットは、どうやって死んだ・・・・・・・・・・・・・・ ?」


 がつん、と頭を殴りつけられたかのような衝撃――その質問を耳にした途端、疾風の脳裏を、猛烈なまでの 痛み過去 が襲った。


「それ、は…… 射殺・・ と、発表されて……」

「メディア向けの公式見解ではそうだな。だが、それは真実の一端に過ぎないと私は考えている。あの狡猾な男が、果たしてあのような場所でただ撃たれて死んだりするものだろうか? 何か予想外のことがあったんじゃないかと私は見ているんだがね……」

「……そのようなこと」

「ウィーンの森事件。世間では、きみとゼペットの二人で行われたゲリラ作戦であるとされている。ただね、あの森は 訓練キャンプ・・・・・・ だった。当然、他に在るべきものが、あの報道からは抜けていた。それは意図的なものなのか、それとも まだ知れ渡っていない・・・・・・・・・ のか――それがね、少しばかり気になっていた物だから、もしもきみに出会うことがあれば、常々尋ねたいと思っていたんだよ……疾風」

「何を、ですか」――脳髄で警鐘が鳴らされている。全身の細胞が伝えていた。 限界ピーク だと――これ以上にこころ を揺さぶるようなことがあるならば、きっと、何もかも――





「あの訓練キャンプで君と同じ釜の飯を食っていた子供たち――きみの 同志なかま たちは、 何をしていたどこへ行った ?  まさか・・・ 覚えていない・・・・・・ とは言うまいね?」




 ――何もかも、思い出してしまった。疾風の意識は、その直感を最後に、 脳の深い場所・・・・・・ へと沈み込み始めたそして、それと入れ違いになるように、浮上しつつあるものがあった。


 埋めておいた方が ずっと・・・ 良いもの――彼女たちに適用された 人格改変プログラム・・・・・・・・・ の中で眠り続けていた 過去の記憶むかしの自分 が、いま、数年ぶりに瞼を開いた。



 疾風・クラーラ・アイヒェル。

 メディア上ではもっぱら、彼女はこう呼ばれている―― こども赤軍チャイルズレッドアーミー ・疾風、と。




 オーストリア史上最悪と云われる 児童犯罪者・・・・・ の、それが通名であった。

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