マンドレイク8
咄嗟に芙蓉へ無線通信を飛ばして、いくつかの符号を用いた簡易信号を送り合った――
特甲の指先から噴出した
ぐるりと周囲を見渡し、動く影を探した――追跡者の姿は認められなかった。
「ふああぁ……」嵐はまなじりに涙を浮かべながら、欠伸をひとつ――「……思ったより状況ヤバそうだねえ」
液状化させたワイヤーを振り払い、指先で自らの喉元に触れた……ほのかに
だが恐怖は無く。
そして混乱はあっても、困惑は無かった――こういうことも
「ンフフフ、手間のかかる小隊長だねぇ。まあ、
眠たげに細められていた嵐の瞼が、はじめて見開かれた。
濃緑色の
搦め手……それしかないが、しかしどうすべきか。
(なにせ
特甲の触覚に手ごたえ――索敵糸の切断を感知。
(――見えないケド、解ったなあ)
直上。半
「やっほ、疾風」初めて視線を上に向けた――液状金属の網目の向こう側へ、愛すべき小隊長の姿が見えた。「わたしのこと覚えてる?」
「いえ……やはり初対面だと思うのですが」疾風のいらえ――普段のしかめっ面が嘘のように思える程純朴そうな表情で首を傾げた。「
嵐の眼が愉快そうに細まった――「
「
「ごめんごめん。やっぱ
「え……?」網の中で身をよじっていた疾風が、まるでいま初めて聞かされた事のように困惑していた。「いつの間に……? そんな、何故……」
「ああ、心配しないで。何発か拳銃弾が埋まってるだけだから」不安を取り除くような語調でやんわりと伝える――拳銃弾の下りは余計だったかな、と思いながら。「出血もあんまりないでしょ? うまいこと縫ってあげたの、わたしなんだからね? 感謝して欲しいな?
「貴方が
説明すりゃ斬りかかってもいいのかい――思わずこぼれそうになった言葉を飲み込んで、代わりに別のいらえを返した。「
「あっ……ロシア語、話せるんじゃないですか、貴方っ!」
「あいさつ程度なら一般常識の範疇じゃない?
「ねとげ……?」ポカンとした顔――やがて何か勝手に察したのか、急にその表情が綻んだ。「よく分かりませんが、異人種間での意思疎通を促すツールというのは、とても
「そりゃ……どうも」嵐――趣味を褒められたせいか、まんざらでもなく饒舌になる。「良かったら疾風もウチの
「あっ、
先ほどまでの剣呑な空気からは一転、疾風の華やぐような笑顔――嵐はへらへらとした笑いで返しながらも、彼女が手首を返して
「で、さあ。仲良くなれたところでひとつ聞きたいんだけど――わたし、なんでさっき
「えっ、そんな。殺すだなんて……恐ろしい」疾風――すごく心外そうな顔で高電磁ナイフを翻し、
「激励?」嵐の視線が疾風の顔へと向けられた――アホを見る目。「
「はい!
曇りなき瞳で語られる朗々とした理想――溢れんばかりの血の臭い。
これが、
……んなわきゃねー。
どっからどうみてもご本様です本当にありがとうございました。
嵐は自嘲気味な笑い声をひとつ漏らすと、樹皮内に浸透させた液体金属の一部を流体状態のままで操作し、先ほど投網として拡散させた位置のさらに上方から染み出させ始めた。特甲を介した電気信号による遠隔操作を用いて、樹表に沿って垂れ落ちかけた雫の先端を針状に成形/そのまま樹皮内部を通すように糸状に成形を進める際、通常の切断糸より一回り程太く膨らませて内部に空洞を形作る/やがて管状の即席カテーテルと化したそれに対して、予め後ろ手に隠し持っていた
痛み止めとして芙蓉から預かっていたが、疾風が使用を拒否したために嵐が保管していた物――指先に片端を接続したカテーテルの内部に薬剤を注入し、液体金属の微細な振動によって管内を移動させて行った。
嵐の特甲に搭載された新型の
寝不足気味に細められた眼のうえ――ぼさぼさの前髪に覆い隠されたその奥で、彼女の眉間に恐ろしいほどの皺が寄っていた。額のさらに内側、頭骨の内部、己の大脳、さらにその深部へと埋設された
そして、嵐の特甲は比較的負荷の低いとされる
致命的な欠陥とはすなわち、この特甲には一切の
まるでこの新機構を試す事
「ンフ」
自らに纏わりついた捕縛糸のほとんどを溶断した疾風――その無防備な首筋へ狙いを定める
「楽しかったよ、疾風。ほんの僅かだったけど、むかしのキミと話すことが出来たこと……」
「むかし……?」自らを捕える最後の捕縛糸に刃を当てながら、疾風は不思議そうに問い返した。「やっぱり、お会いしたことが? いつか――
「うん」頷く――針がさらに首筋へ近づく。「やがて
「……?」
「わたしは
「なんのお話を……してらっしゃるのですか?」
「わたしの方が怨んでるんだから、疾風もあんまり
申し訳なさそうに小首を傾げた嵐――その濁った眼が見開かれると同時、後ろ手に隠されたその中指が中天を指して持ち上がると、疾風の頭上へ吊り下げられていた針糸が音も無く伸長し、獲物に食らいつく蛇の如き動きで無防備な彼女のうなじへ迫った。静脈注射など望むべくもないほど精緻さに欠いた不意の一撃は、果たして、疾風の視界に対する完全な死角から襲い来る、完璧な
一連の嵐の所作を怪訝そうに眺めつつ、自らを捕える網糸の全てを溶断し終えた、その刹那。
疾風のうなじへ迫る針糸は、ほんの僅かに首を傾げるだけの所作であっけなく回避された。まるで初めからその軌道を知られていたかのように。
「えっ」首筋を掠めて胸元へと通り抜けた針糸を
「えっ」疾風――カテーテル状に成形された液体金属糸を興味深げに眺めていた視線を持ち上げると、驚いたように問い返した。「もしかして私が
索敵糸――ほんの僅かな風圧に煽られただけで切断されるほど柔く極細な不可視の
嵐は歯噛みしつつ、小隊内における彼女の役職名を思い出しながら、己の迂闊さを呪っていた――
「さあ、やっと
彼女の足元で風が巻いていた――枝先がしなって青葉が振り落とされたというのに、まったく
小隊内における
「語る――」幹にもたれかかりながら嵐が問い返した。「――効率的な
「
「あー、
抗磁圧を解放――樹表内部に生じた抗磁圧の爆圧によって、四方八方へはじけ飛んだ液体金属――それらがまたも網の目を作る様にして、疾風を捕えんとして襲い掛かった。しかし、二度同じ手は喰わぬとばかりに振り上げられたナイフによる斬撃によって、目にも止まらぬ速さで寸断されてゆく液体金属群たちは、満足な結合を行う事も出来ず、飛沫として宙空へ散らばることしか出来なかった。しかし、その僅かな隙を狙いすまして、嵐は自らの特甲から直接噴出した牽引糸を、背後の木々へと伸ばしていた。
「ばいばーい」
またも糸手繰りの要領で、その場から逃避し始める嵐――そのさまを視て取った疾風もまた、音の無い歩みを維持したまま木陰へとその身をすべり込ませると、煙のように消え去った――嵐の張り巡らせた索敵糸を回避しながら、その背を追いかける腹積もりであることは、明白である。
卉小隊全員の特甲に増設された
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