マンドレイク5

「馬鹿な……」


 オクダイラは仰臥姿勢で小銃を構えると、器用に這いずり回って銃撃を躱しつつ正確な三点射を繰り返した。

 神業めいた回避と反撃――まるで 痛みを意に介していない・・・・・・・・・・・ かのような動きもその理由の一つではあるが、それ以上に問題となっているのは互いの射撃精度の差であった。相変わらず正確無比な射撃で頭上の射手たちに命中弾を送り込んでいるオクダイラとは対照的に、樹上から銃弾を撃ち下ろす謎の射手たちの腕はお世辞にも優れているとは言えず、さながら めくら・・・ 撃ちの如くそこら中を銃弾で耕しては、一人一人とオクダイラの射撃に晒されて手元の武器を取り落として行った。


 ただし、樹上から落ちて来るのは 短機関銃スコーピオン それのみ――いまだ射手の姿は見えず、血の一滴も降り注ぎはしなかった。

 観劇めいた銃火の舞踏を眺めながら、芙蓉は全てを察したうえでただその場に伏していた――流れ弾が彼女の頭上をぴゅんと通り過ぎて、背後の樹に突き刺さった。すべては木の葉の向こう側で きりきり・・・・ と鳴る糸繰りの音色が告げていた――探査装置が己の背後に降り立つ何者かの足音を捉えていた。


《通信を切った理由は何だ?》肩に触れる手――接触通信による強制的な回線接続。《無線を傍受されている可能性が?》

《ちゃう》芙蓉――振り返ることなくかぶりを振った。《 奴さん疾風を撃った奴 を前にしたら、ウチ、どんな見苦しいこと口にするか判らんかったから》


  無線通信くさぶえ による返答=最大濃度の抗磁圧防壁による密封のせいで、肉声の会話を行うことが不可能がゆえの声なき 囁きウィスパー ――《そんな理由で殉職したら笑い話にもならんぞ……馬鹿め》


 そして疾風は手に持った細い 液体金属フリュスヒメタル ワイヤーを芙蓉の腰部に結びつけると、彼女の細い肩を背後からそっと抱きしめた―― 特甲シルフ の冷たい感触を抗磁圧の被膜越しに首筋へ感じながら、芙蓉は腕の持ち主が浮かべているであろう表情に呼応するかのように、むず痒そうな笑みを浮かべた。


《やめえや。時間無いんやろ》熱に浮かされた呼気を感じた――頬に触れそうなほどの間近に近づく、 くちびる・・・・ の気配。《もうちょい我慢してえな、小隊長やろぉ?》

《あと60秒で17時だが、 畜生めゾー・アイン・ミスト ――危うくそれより前に死ぬところだ。お前も、 私も・・ 》荒い呼吸音を耳元で数度繰り返した後、疾風が前に進み出た――脇腹の縫合痕を赤く滲ませながら。《嵐のところで待ってろ。後は私がケリを付ける》

《なあ。あいつガスが効かんのと、ちゃう》疾風のうなじに滴る脂汗の軌跡を見つめつつ、芙蓉はズキズキと痛む頭部の痛みを堪えながら続けた。《 無視しとる・・・・・ んや。まるでウチらの特甲が 痛覚をOFFに痛みを無視 出来るように。奴さんのあの強さも、きっとその辺に理由がある……》

《分かった》疾風が頷く――《最後の手伝いを頼む、芙蓉。ガスを除いてくれ―― 私も抗磁圧防壁を解くヘルメットを脱ぐ よ》


 もはや時間は無かった――芙蓉は己の 飾り耳オーア へとそっと指を這わせると、祈る様に目を瞑りながら、自らの身に纏う 防護服ドレス を脱ぎ捨てた。


《抗磁圧を 開放・・


 瞬間、芙蓉を中心に渦を巻く抗磁圧の渦がにわかに勢いを増し――やがて竜巻のような苛烈さを得て凄まじい暴風を作り出し、周辺の大気を薙ぎ払った。

 エアロゾル化して空気中に滞留する無力化ガスは突如として発生した大気の奔流に巻き込まれて さらに・・・ 広域へと飛散し/逆に芙蓉を中心とした半径十数メートルの大気が濾過されて 安全地帯セーフエリア と化した――過負荷によって飾り耳が自壊する 焼熱ショート 音が芙蓉の耳朶を打ち、その逆風の最中に屹立する疾風の両脚の特甲が、俄かにその像を ぼやけ・・・ させ、 歪んで・・・ 行く――


《抗磁圧を偏向》――疾風の発した 無線通信くさぶえ の残響を耳に、芙蓉は自らの身体が後方へと引っ張られていることに気付いた。


 疾風の背中が遠ざかる――やがてその光景のさらに奥で、頭上の砲炎をすべて駆逐したオクダイラが脚部の大出血すら全く関心の外といった様子で小銃を疾風に向けて構える姿が見えた。


 ずりずりと引きずられていく――辿り付いた木陰に座り込んでいるのは、数本の銀糸を両腕の特甲から伸ばした嵐であった。半眼に細めた眠たげな眼で血まみれの芙蓉をちらりと一瞥すると、おもむろに欠伸をかきながらパチンと指を鳴らした。


陽動ヘイト集め おーわり」嵐の指パッチンと共に、芙蓉をここまで引きずってきていた 液体金属フリュスヒメタル ワイヤーが溶けた――「ンフフ、なんとか 標的タゲ が芙蓉から疾風に移ったみたいで良かった良かった。ところでさっきの 疾風と芙蓉抱っこ 、傍から見ると ビアン・・・ にしか見えないね?」

「しね」 芙蓉が悪態をつきながら頭上を見上げると、嵐の指先から伸びたワイヤーが木々の枝を支点に樹上へ広がっている。「ただの呼吸やろ。茶化すな、アホぉ」

広域散布リミッターの解除 中は芙蓉の周辺にしかまともな 空気・・ が無いからねえ」魚めいたジェスチャーで口を開閉=ぱくぱく。「芙蓉が撃たれるか疾風が窒息するかのデッドヒートだったけど、まーなんとか間に合ったかな。代わりのデコイ の準備もね」


 嵐が指先をほんの僅かに揺らめかせた――すると、さながら投網の如く伸び広がる銀糸の繰り糸の一本がしゅるしゅると巻き戻り、その先端に結びつけられた物が芙蓉の足元へ零れ落ちた――ロート・ヴィエナの構成員達の主兵装である 短機関銃スコーピオン =樹上から撃ち下ろす無数の射手たちの 正体小隊


「ンフフ、その一丁は護身用ね。武器くらい無いと不安でしょ?」嵐は指先の糸を全て液体化して払い落とすと、芙蓉の顔を覗き込むようにしながら立ち上がる。「それともぉ、別に怖くなんかないかな?  たかが・・・ 殺されそうになっただけだもんねぇ?」

 芙蓉――流石にイラッとした様子で。「……喧嘩売っとるんかあ」

自分で吸うのがイヤだった・・・・・・・・・・・・ から、 濾過機能ドレス を脱がなかったんでしょ?」嵐がけたけたと嗤った――ドブ川に浮かぶ藻類のように濁った色彩を、その濃緑色の瞳に浮かべながら。「抗磁圧防壁が最大出力になるまでの一瞬で、ガスが肌に浸透したら…… 人間の顔じゃなくなる自分の美しさが損なわれる から?」


「……あの距離じゃ、弾ァ逸らしきれるかも分からんかったし」芙蓉――否定せず。「まあ、胸に一発喰らって、そのまま 安らかに眠ったR.I.P. がほうがなんぼか 綺麗マシ かなあって」

「二度としないでよね。 非効率的・・・・ だから」嵐――平然とのたまう。「数秒でも 生き延びタゲ取り続け て他の メンバーPC 準備時間バフタイム 稼いでよ。 チーム戦ボス狩り の基本でしょ?」

「は?」芙蓉――畳みかけられる ネトゲMMORPG 用語の奔流に気圧され、『たぶんこれ大分酷い事言われとるよなあー』と感づきつつも、最大限好意的な解釈を無理やり頭の中で組み立てることで怒りを抑制――意訳=〝なるべく死ぬな〟「……うん、ごめんなぁ」 

「せっかく空港からの情報のおかげで勝ちの目が見えて来たってのにつまらない感傷で理屈に合わないことしないでよねホントあと少しでも準備遅れてたら初撃を 不意打ちアンブッシュ から 突撃チャージ に変える必要が」何故か急に地面を掘り返し始めながらぶつぶつと非難の言葉を吐き続ける嵐/そのあまりのねちっこさに青筋を立てる芙蓉――ふとその言葉にさらりと混ぜ込まれた 違和感・・・ に思い当たって、聞き返した。


「ちょぉ待ち。嵐、いま……」

「おっと、そろそろ時間ですねコレは……」嵐――木の幹からひょいと顔を出して戦闘の様子を伺う/先ほどまでの愚痴はどこへやらといった様子で――「さて、疾風はうまく やれた・・・ かな? 残り10秒……」

空港からの情報・・・・・・・ て――」


 芙蓉――問いの言葉を紡ぎながら、はた、と思い立った。 17時タイムリミット ――10秒前。


「いったい――」


 9――嵐の首が上を向いた/その視線の先に何か宙を舞う物の存在を視認――赤い水滴を伴いながら、放物線を描いてこちらへ飛んで来るその物体に、芙蓉の視線も釘付けとなった。

 8――ぼてん、と地に落ちたそれを嵐が素早く拾い上げた/そして嬉しそうに微笑みながら芙蓉へ見せつけてくる――手首の部分で切断された褐色の握りこぶし=恐らく疾風が戦闘中に斬り飛ばしたオクダイラの左手。

 7――その掌に固く握り込まれていた物=切り詰めた鉄パイプを金属製の蓋で覆った 手製手榴弾パイプ爆弾 ――火花の煌めきに隠れて見えなくなるほど短く燃え落ちた導火線=爆発寸前。

 6――「わぁ、〝キューリ〟だぁ」嵐――手指を引きはがしたパイプ爆弾の金属蓋を導火線ごとワイヤーで切り落としたのち、興味深げに断面を覗き込んだ。「骨董品だよぉ」

 5――「危な……」芙蓉――あっという間の爆発物処理速度について行けず、口から思わず警句が零れた。

 4――「だぁいじょーぶだってェ、こんな 玩具オモチャ みたいな爆だ……」嵐――舐め切った口調でパイプ爆弾の内部を覗き込むその表情が、俄かに凍り付いた。

 3――「嵐?」その表情の変化に不安を感じ取った芙蓉が問いかけるや否や、手に持ったパイプ爆弾を地面に空けた穴の中へ叩きつける様にして放り込む嵐――叫んだ。

 2――「抗磁圧を偏向!」その台詞に反応した嵐の 飾り耳オーア ぺたり・・・ と伏せた/同時に彼女の両手の特甲が きいいいん・・・・・ という異音を発しながら、その掌部全体へと不可視の力場を纏い始める。

 1――嵐の両手に形成された抗磁圧の 防爆筒グローブ ――穴の中に埋め込まれたパイプ爆弾をその両手でしっかりと掴み、覆い込んだ。


 0――くぐもった爆発音が嵐の掌部の内側から響き渡り、周囲の土が僅かに震え……そして静寂が訪れた。

 芙蓉=あまりの急展開に半ば言葉を失いながらも、おそるおそる口を開いた。「その……もうダイジョブなん?」


「前提が違う……」地に両手を突いた奇妙な姿勢で俯いたままの嵐/その唇をわなわなと震わせながら、何やらもごもごと呟き続けている。「それとも、 おとり・・・ のつもりかな、こっちは……?」


 その顔を覗き込んだ芙蓉が息を飲んだ。

 心底愉快そうに吊り上げられた三日月型の口端が形作る笑顔――限界まで広げられた瞼の縁からは、零れ落ちそうなほどにせり出して充血した目玉が躍っていた=人間として明らかにどこかが 壊れて・・・ いるのではないかと連想させるような狂笑――ほんの一瞬でなりをひそめて、元のぼんやりとした無表情が顔を出した。


「ンフフフフフ」嵐――いつも通りのねちっこい笑い声を零しながら、青ざめた様子の芙蓉へと向き直った。「やっぱり実戦は違うね。予想外の事は起こるし、 わたしたち・・・・・ もどっか おかしい・・・・ 。そう思わない?」

「脳への 過負荷フロー のこと言うとんのか」芙蓉――嵐の変貌を目の当たりにしながら、〝もしかして 先程のオクダイラを蹴った 自分もこのような顔をしていたのだろうか……?〟という思考が脳裏を過ぎった。「そんなん…… 特甲児童になった脳に機械埋め込んだ 時に教えられとった事やろ」

「そうじゃなくてさ……まあいいや。それより疾風だ」唐突に話を切る――「せっかく 遊撃小隊・・・・ の隊長さんから無線で敵の 戦闘能力カラクリ の正体を教えてもらったってのに、下手すると試合に勝って勝負に負けるようなハメになるかもしれないからね?」


 芙蓉――両目をパチクリ/まさか先程オクダイラに向けて飛ばした フカしが正鵠を射ていたとは思いもよらず。「まさか 空港・・ にも同じような アホ超人 が現れたのん?」

「なんとか 殺さず確保尋問 して色々聞き出したそうだけどね、どうやらオクダイラの身体は外部から 操縦・・ されている可能性が高いみたいだねえ。ラジコンみたいで面白い説だと思うけどさあ、ミサイルが発射 された後で・・・・・ ようやく手に入れた情報にしては、些かしょっぱい仕組みだったねえ」やれやれとばかりに肩をすくめる嵐=切羽詰まった状況に対する悲壮感=0%の 不謹慎ステキ な笑顔。「まあ、この情報を鑑みたうえで、疾風がオクダイラを 殺さずに済めば・・・・・・・ 弾頭の 大脳誘導装置 は起動しないワケだから、まだ 何とかなる可能性ワンチャン あるって……たぶん?」

「たぶん、て……そんな曖昧な……」

「オクダイラの 照準システムエイム 視聴覚目と耳 に依存していると分かったならば、ま、もう疾風に 負けの目・・・・ はないでしょ」嵐はミサイルの軌跡を目で追いながら、だらしなく緩んだ口端から笑い声を零しつつ立ち上がった。「んッフフフフ。問題は、その為の 後付け機能オプション がわたしたちの脳にどれだけの過負荷フロー をもたらすか……その予想がつかないことだよね。はたして今の疾風は、私たちの 知ってる・・・・ 疾風かな? それとも 知らない頃の・・・・・・ ?」


「知らない頃の――」芙蓉――ハッと息を飲んだ。 知らない頃の子供工場に来る前 の疾風――ニュース番組のテロップに並んだ、ある 渾名あだな ――「まさか、そこまで 巻き戻る・・・・ ことなんて、ありえへん……」

「そうかな? だって、あの おじさんオクダイラ は当時の疾風を知っているんだ。平時ならともかく、 抗磁圧偏向装置負荷を強いる追加装備 の使用を余儀なくされた状態で 記憶こころ の大事な部分に触れられたら――」

「…… 浮き上がる・・・・ ?」

「ンフフ。面白い例えだね、芙蓉」にやり、といやらしい笑みを浮かべる嵐――心底楽し気ないらえ。「わたしたちの脳内チップに適用されたのは〝ヘキサヘドロン・モデル〟だ。相反する二面性が三つで 六面ヘキサ 、プラトンが言うところの土属性ってやつだ。あそこでまだ動き回ってる オクダイラリビングデッド とは、案外似てるところが多いって思わない?」

「……何言っとるかぜんっぜん判らん」

「ンフ。まあ、あれだね。 接続官コーラス 、欲しいよね。ウチの小隊専門の」ぼやくような呟き――ほんの僅かな自嘲を込めた風な。「この負荷をぜんぶ接続官に押し付けられるんなら、こんな 場合によっちゃ共倒れしかねない全滅の危険性がバカ高い ような、危なかっかしい人格改変プログラムなんて必要なくなるんだけどナー……まあ、そんな適性持ってる子なんていないよね。 わたしたち卉小隊 みたいな外れ者以外には、きっとネ」

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