マンドレイク4

「懐に爆弾抱えたあのけったいなオッサンが……犠脳体兵器ィ?」


 脳内に吹き鳴らされる無線通信 くさぶえの内容に驚愕の声を漏らしながら、芙蓉・〝エヴァ〟・ベルクマンは暗闇に染まった己の視界を回復すべく、透化防壁の純度を僅かに落とした。

 透明化した全身が薄らと色彩を帯びるにつれ、両目の瞳孔が紫色の光を帯びる。色を得た角膜と水晶体が光エネルギーの屈折を再開すると、網膜を通して得た視覚情報が芙蓉の脳内へ伝達されていく。ぼんやりとした像がやがて形を結び、脳内チップによる映像強化補正によって目の前の光景が見えて来る。


 瞬間――飛んできたのは数発の小銃弾だ。


「のわぁーっ!」


 大きく身をよじって回避行動を取った芙蓉の側頭部を、ぞっとする風切り音が撫でてゆく。

 金糸のような煌びやかさを誇る自慢のブロンドヘアーの一部が、「ぞりっ」というえげつない音を立てて千切り飛ばされた事を知覚する/リップに艶めく唇が驚愕に歪んでわなないた――「嘘やん!?」


 叫びながらその場から離脱する芙蓉の背中に追撃の銃弾が降り注ぐが、今度の一連射は全て狙いを違えて虚空へ消えて行く。芙蓉が透過防壁の純度を引き上げて完全な透過状態と入ったからだ。こうなれば肉眼による視認は物理的に不可能になるため、何らかの探査機能を有した装備を持たない人間に芙蓉の姿を捉えることは出来ない。

 その代り、〝見えない〟という状態は芙蓉に対しても当てはまる。眼球までもが透過されてしまうため、視覚野が光を拾えずに一切の視野を失うのだ。その代り、特甲に内蔵された音響探査機構や振圧探査機構に依る索敵で周囲の状況を探る必要があるのだが――


(あかんて、ホンマあかん。眼ェ見えんし、それにあのオッサン全くあの場所から動こうとせんから、次の動作が読めん)暗闇と化した視界の中へ想像 イメージによる映像を投影しながら、芙蓉は口中で呟いた。(導火線が燃えとる音がするから、位置を見失う事だけはあらへんけど――相手がどっちに銃口を向けとるかもわからんような状態で迂闊に近寄れるかいな、ボケ……)


 ほんの数分前の交戦時には、ここまで一方的に撃たれたりはしなかったのだが――


 被弾した疾風を助けるべくなかまと共に突っ込んだ時の情景を思い浮かべながら、芙蓉は臍を噛んだ。

 というよりむしろ、あの時は銃撃が嵐の方へ集中していたからこそ、 自分芙蓉 が思うさま牽制に動けたのか――しかしその嵐とて、周囲の地形情報を取り込んで己の体表へ迷彩模様を生成する隠密兵装を展開していたはずであったのだが、何故にあれ程までに敵は迷いなく銃撃を行えたのかが甚だ疑問である。芙蓉の纏う透過防壁ほどの視覚的・電子的隠密性は有さないまでも、迷彩被膜を纏った状態の嵐を純粋な肉眼で視認するのは困難を極めるはずだった。芙蓉のような特甲児童であれば、脳内チップとそれに接続された特甲による恩恵を経て、視覚に依らぬ探査装置を走らせたうえで直感的にその位置を看破することも出来なくは無かろうが――しかして、あのオクダイラという男は特甲児童では無い。犠脳体兵器のAIとして抜き取られた大脳からの遠隔操作によって動く 死体ゾンビ ――まだその身体が生命活動を止めていないというだけの 生きた死体リビングデッド であるのだ。たとえ 機械化サイバネティクス 手術によって探査装置を体に内蔵していたとしても、それを十全に扱えるはずの〝脳〟を有していないはず――はず、なのだ。


(うう……)芙蓉は涙目になりながら透過された髪先へ指を伸ばした。義肢の触覚機能が伝えてくるのは、銃弾によって千切れ、無惨にほつれた自慢のブロンドヘアの感触だった。(ころす……)


 芙蓉は、乱れ、ささくれ立った心をようやく落ち着けると、音響探査の感度を最大まで引き上げた。導火線の立てるバチバチという燃焼音が反響して、暗闇に像を作り出す。己との間に存在する遮蔽物によって乱反射する音響パターンから逆算して、森林に乱立する木々の位置を一つ一つ確かめて行く。

 奴がどんな方法でこちらを視認しているかはもう考えない。ただ、100%の透過状態において相手がこちらを視認出来ていないという事実だけを受け止める。ならば、奴を殺さず確保するころす瞬間まで透過防壁の純度を下げなければいい。そうすれば自分は安全だ――二度とこの身体を傷つけさせたりなどするものか。


(うううーっ)


 木の葉の落ちる音。鳥のつんざめく声。吹き抜ける風鳴りの共鳴。限界まで増幅された自然音を探査したことによって、過負荷により脳が焼き切れる……直前で、探査精度を引き下げた。がんがんと痛む頭の中に、己の周囲の地形情報と、その間を通り抜ける自然風の予測パターンが作成されている。

 芙蓉は、己の特甲に内蔵された〝機構〟へと起動を命じた。肩部に貯蔵された化学物質が混合され、二の腕へ走る配管を通じて掌部へと蓄えられていく。同時、肩部全体の装甲を兼ねる抗磁圧偏向装置が 飾り耳 オーア に干渉し、頭部全体を覆う抗磁圧のヘルメットをほどき・・・ 引き延ばしていく ・・・・・・・・


(いくら 脳の無い人間 幻覚効果を期待出来んかて、 嘔吐剤無力化ガス その物に対する生理反応は無視出来んはず――)芙蓉は己の特甲の最大効果範囲を目算しながら、あらかじめ決められた制限を破る事に決めた。(除染作業とかえらいことになりそうやけども、緊急事態やからな!)


 やがて芙蓉の掌の噴出機構から無力化ガスが解き放たれた。薄く引き伸ばされた抗磁線を媒介に誘導された霧状の嘔吐剤が、あらかじめ予測を立てておいた風の通り道へ合流し、四方八方へと拡散していく――隊内において 安全確保クリアリング の役割を担当する芙蓉・エーファ・ベルクマンの本領発揮/イタリアかぶれの自称〝エヴァ〟/かつて子役モデルとして名を馳せた際の芸名を未だに自称/ファッションモデルめいたステップを踏みながら優雅にその両腕を閃かせる=波打つ抗磁圧の扇を振るって優雅に毒素をまき散らす―― 彼女の特甲 ギフトがもたらす最悪の プレゼントGIFT は、設計上の射程・効果範囲である半径5mという軛を軽々と越え、僅かな自然風に寄り添いながらその範囲を拡大していく。


(疾風、嵐! もしもそっちまで届いとったらゴメンなぁー! ちぃーっとばかし くしゃみと鼻水が止まらなくなる人間の顔じゃなくなる かもしれへんけど、あんまり効果も長引かんさかい!)


 薄く広く/決して逃す事無きように――犠脳体兵器やジャンボジェット機など どうでもよい・・・・・・ が、仲間を撃ち殺そうとした者に/己の大切な髪型を損なった者に、これ以上好き勝手される事だけは我慢がならなかった。

 拡大する汚染効果範囲を目算しながら、 精製可能限界リミッター いっぱいまで混合されたそれをまき散らし終えると、やがて芙蓉は息を殺して探査装置へと意識を集中させた――数秒後。


「ゲホッ!」


 探査に感あり/嘔吐剤の呼気吸入に由来するえづき――やがてそいつの身体が どさり・・・ と地に倒れる音が聞こえて、やがて げほっ・・・ ごほっ・・・ くしゅん・・・ と、激しい催涙効果の発生を知らせる声がとめどなく響き渡った―― やつ・・ の無力化を知らせる待ち望んだ探査結果に、芙蓉の口端が知らず知らずのうちに持ち上がった=(ざまぁみさらせ!)


《芙蓉! 芙蓉ーっ!》無言のガッツポーズ――の最中に疾風からの 無線通信くさぶえ =《毒性の気体が森中に拡散している! お前か!?》

《せやでー? あ、皮下浸透するから 飾り耳オーア の出力調整してなァ。全身覆わんとマズいでぇー》

《もうやっている! だが芙蓉、キサマ正気か!?  広域散布モードは抗磁圧のヘルメットを脱いだら ――》

《あーあーあー聞っこえんなー♪》芙蓉=両耳を塞いでその場でステップ――タンタン/タカタカ/くるりと一回転しながら自発的に通信遮断――ポーズを決めながら透過防壁の純度を下げた――「……ぜぇんぶ解っとんねん、んなモンはァ」


 電子音――《抗磁圧を偏向》


 やがてその薄紫色の瞳が色彩を取り戻した時、彼女は全身に ドレス・・・ を身に纏っていた。エアロゾル化して散布された嘔吐剤の大気を波動状の抗磁圧防壁によって 押しのけ・・・・ 分離し・・・ 濾過ろか することによって装着者の 呼吸を確保する・・・・・・・ ――無色透明な抗磁圧の 防護服ドレス


「苦しいかァ、オッサン。全身の皮膚で吸いこむ毒ガスの味はァ」


 苛立たし気な言葉と共に歩みを進める芙蓉の視線の先に、うつ伏せになって蹲るオクダイラの姿があった。シュマグ越しの頭頂を地に接し、腹痛に悶える病人のような有様で荒い息を繰り返している。その左手に握りしめられた手榴弾の導火線の先に、黄色い火花がしゅうしゅうと弾け、起爆の為の残り時間を耳障りな破裂音と共に知らせていた。


「疾風はなァ、もっと苦しかったねんぞ。アンタら理想主義者どもに いいよう・・・・ に使われて、両親を含めたそいつら全員が 逃げる為の時間を稼ぐためだけ・・・・・・・・・・・・・・ に森へ置き去りにされて――放り込まれた先の《子供工場》でテロリストの子供やねんて噂ァ流れた時は、テロで親ァ無くした餓鬼どもからあやうく くびり殺される・・・・・・・ 寸前まで虐められて……」


 風に散った木の葉が不意に彼女の肩にそっと舞い落ちる――その直前で ひゅう・・・ と風を切って彼女の周囲を木枯らしのようにくるくると舞い踊り、やがて離れて行った。


「あのアホはな、抵抗一つせんまま蹴られ続けとったよ」やがてオクダイラを見下ろせる位置にまでたどり着いた芙蓉は、特甲の右足を大きく持ち上げた。「……こんな風になァ!」


 やがて金属製の義肢が恐ろしい勢いで蹲るオクダイラの横腹に突き刺さった。めり込んだつま先が彼の内臓を押し上げ、胃の内容物を大地へ吐き戻させた。そして。


 ――衝撃で横にごろんと転がって仰向けになったオクダイラの腕の中で、砂まみれになったAKがその金属製の銃身を彼自身の顎先へ突き付けていた。


「痛いな。しかしその時分、私は別の場所にいたから知った事ではない」ごほっ、と彼は咳き込みながら、ゆっくりと引き金を引いた。「ところで何故私を銃で撃ち殺そうとしなかった?  その理由を教えてもらいたくて・・・・・・・・・・・・・・ 、君が近寄って来るのを待っていたんだ」


 芙蓉が驚愕からその両目を見開いた――そして次の瞬間、慌てて軸足を捻った芙蓉のつま先が僅かにAKの銃身を掠め、そのまま力一杯振りぬかれた。

 死の矛先は横合いに弾き飛ばされ、オクダイラのシュマグの切れ端を掠めてその背後の木々にいくつもの弾痕を穿った。至近距離での小銃の発砲音と無理な体勢での蹴撃によって怯んだ芙蓉の軸足を、AKを手放して自由になったオクダイラの右手が掴み、思い切り引っ張った。ガクンと体勢を崩して尻もちをついた芙蓉が「きゃん!」という悲鳴を上げるのとほぼ同時、パイプ爆弾を握り込んだオクダイラの左腕が彼女の側頭部をしたたかに打ち付けていた。


 金色の髪を出血で赤く染めた芙蓉が、力なくその場に横たわった。オクダイラはその様子をじっと見つめながら、不思議そうに己の左手と芙蓉の 飾り耳オーア を見比べていた。


「さっき一瞬姿を現そうとした時に撃った弾は、斥力によって逸らされていた」弾丸によって千切り取られた芙蓉の毛髪を、オクダイラの褐色の指が巻き取って弄んだ。「しかし今殴りつけた時の抵抗は、驚くほど少なかった。何故斥力を弱めた? もしかして| この毒の大気を防ぐためには弱めないといけないのか《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 》? そして迂闊にもこうやって私に殴り倒されかねないような状況でわざわざ近づいてきたという事は、 私が死ぬことを阻止しようとしたな・・・・・・・・・・・・・・・・ ?」

「な……に……?」

「私が犠脳者だということを誰から聞き出した? それだけは確かめておかねばならない――獅子身中の虫がいるのならば、除かねばならない」


 おもむろに立ち上がったオクダイラの右足が、今度は横たわる芙蓉めがけて力一杯振りぬかれた。横腹にめり込んだ靴の痛みに呻き声を上げながら、芙蓉はこの男の有する異様な疑心と好奇心について考えていた――半ば解説めいた疑念をつらつらと並べ立てる彼の口調は、この毒霧の中ですら澱みが無い。


「空港の 同志様PFLP や、ダァホ……」出まかせを吐いた――この男に感じた違和感の正体を知りたくて/というよりは、単純に仲間を苦しめた男に対して恭順のような姿勢を見せるのは絶対に御免だと感情が叫んでいたゆえに。「ザマぁみさらせ……〝17時〟に死のうとしとることも含めて、ぜぇんぶ教えてもらったで……」


「なんたることだ」


 オクダイラが天を仰ぎ見た――汚染されたはずの大気を 胸いっぱいに吸い込みながら・・・・・・・・・・・・・ 、催涙効果で真っ赤に腫らした両目からボロボロと涙を零した。


「やはりまだ 不完全・・・ か、統制が……ごほっ」オクダイラは弾き飛ばされた銃器の元へしっかりとした足取りで歩み寄り、土埃を軽く払いながら芙蓉の方へ向き直った。「とりあえず さようならマアッサラーマ だ、名も知らぬ特甲児童」


 突き付けられた銃口の暗闇の中に、 腔施ライフリング の禍々しき螺旋が見えるかのようだった。特甲児童への訓練課程で銃器の取り扱いに関する基本知識を身に着けている芙蓉には、やがてあの暗闇から飛び出した弾丸が 回転のジャイロ 効果によって高い精度を保ちながら自らの急所へ向かって直進するであろうことを十全に理解していた。頭部への打撃による衝撃でアドレナリンを放出した芙蓉の脳髄は彼女自身の主観意識を最大限に加速しつつあり、その思考時間にほんのわずかな いとま・・・ を与えていた。すなわち、この特甲の 濾過機能ドレス を停止して、抗磁圧の 防壁装甲 を再展開するべきかどうかについて。そして彼女はその選択肢に対して何の躊躇も無く決断を下した。


 ―― ドレスは脱がない・・・・・・・・


「……顔は止めてんか」懇願ともとれる言葉――髪の生え際から伝う血を指で掬い取ると、戦闘用の被服に覆われた自らの胸元に つん・・ と触れながら微笑んだ。「射止めるんなら、ハート ぉ狙ぃ? オトコやろ……」

「構わんが」オクダイラの表情がにわかに歪んだ――理解出来ないものを目の当たりにしたような渋面で、銃口の先をほんのわずかに下へずらした。「狂ったか」


 芙蓉―― 血液ラメ に彩られた特甲の 指先ネイル を唇に這わせながら、蠱惑的な微笑みを浮かべつつ呟いた――「特甲児童は 狂ってなんぼ・・・・・・ や。手足を 切除されもがれ て脳に 機械チップ を埋め込まれた時からずっと――ウチらは死にもの狂いでオッサンのよーな 犯罪者テロリスト 取り締まるぶっころす ための 研修訓練 積んで来よんのや。そ為なら自分の身ィ危険に晒してでも 仲間ァ助けろ・・・・・・ いわれとるから――こうしてウチはアンタに姿を見せとるんよ、 囮として・・・・


「な――」


 オクダイラはその言葉に怪訝な表情を浮かべ――直後に彼の後方から飛来した数発の拳銃弾が、彼の左足を貫通して地面に突き刺さった。


「――に、ぃ?」


 弾着の衝撃で膝を折ったオクダイラは即座にその場で振り返り、己を襲った銃撃の砲炎へ向けて正確無比な三連射を見舞った――硬質な着弾音が樹木を震わせ、機関部を砕かれた 短機関銃スコーピオン が生い茂る枝葉の陰から零れ落ちた。


「……芯を捉えた。射手も無事ではあるまい」足を撃ちぬかれたというのに、何の痛苦も感じさせぬ声音でオクダイラが嗤った。「枝から落ちて来たところを――」


 そして再度照準を覗き込んだオクダイラの右膝を、横合いから飛び来たった銃弾が撃ちぬき、破壊した。


 オクダイラは裂けた筋肉の内側に覗く己の大腿骨を見下ろしながら、相変わらずその表情に驚愕の色ひとつ浮かべぬまま あえて・・・ 体勢を崩すと、そのまま地面をごろごろと転がって銃弾の掃射を逃れ、やがてぴたりと動きを止めた拍子に出来上がった伏射姿勢から砲炎の位置に正確な射撃を見舞った――またも落下してきたのは撃ちぬかれた短機関銃のみであり、さらに枝葉の向こうに新しい砲炎が煌めいた=2ヶ所、3ヶ所、4ヵ所――


 ――やがて見渡す限りの銃火が閃き、樹上のいたるところからオクダイラへ向けて降り注いだ。


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