マンドレイク3
疾風・クラーラ・アイヒェル。健康優良児。
小学校時代の周囲からの評価=模範的生徒。
学業成績――優。
運動能力――きわめて優。
持ち前の正義感の強さ――不公平や悪徳を見かければ例え上級生が相手でも整然と抗議/喧嘩になろうとも決して意見を覆さない=子供には不相応なほどの鉄の意思。
ある日、いじめっ子グループから助け出したクラスメイトから受けた質問――「疾風ちゃんはどうしてそんなに強くあれるの?」
疾風の返答――「それが正しい事だから、そうしているだけ」
正しさ――当時の疾風の行動基準。
根拠――両親の教育の賜物。
教え――『世界は間違ったことだらけだ。誰も彼もがその間違いから目を逸らしている。決して見て見ぬふりだけはしてはならない』
幼い疾風の疑問――『
父母――厳かに頷いた/床板を剥がした下に格納されていた短機関銃の機関部を確認し終えて/下部に弾倉を叩き込んでコッキングハンドルを引きながら/ガシャン。
『資本主義だ』
両親の思想=反帝国主義・反資本主義・現オーストリア共産党シンパ・元
両親の活動=国内で活動する左翼テロリストたちの支援・住居の提供・資金洗浄・その他諸々とにかく非合法。
両親の教育=間違いを正すには行動せねばならない――たとえどのような手段に訴えようともとにかく行動あるのみ/確信犯。
疾風――それらの思想を自宅外で吹聴することはせず/大っぴらに犯罪行為には加担せず/制服を来たブタども=警官たちの目を欺きながらいつか必要な時に己の清い経歴を革命の礎として活用するためにという父からの厳命。
10歳の誕生日。休日なので、以前から予定されていたキャンプに行くことになった。
前日に準備を終えているので時間的には余裕のあるゆったりとした朝/時間を有意義に使うべく去年の誕生日に両親から与えられた『資本論』を熟読していた疾風――両親から不意に今年の誕生日プレゼントは何が欲しいかと尋ねられる。
面食らう疾風――私有財産という概念を堕落の象徴と捉える両親が疾風の自由意思による物品の購入を認めるなどと。
しばしの思考――もじもじ/びくびく/普段のきりりとした態度を引っ込めて、か細い声で答えた。「〝ピノッキオ〟を観てみたい……です」
当時公開していた最新のフル3D劇場アニメーション/誰でも知ってる有名作品のリメイク/クラスメイトがやたら話題に出す/凄く感動できるとウワサの超大作――年相応の興味が湧くものの、両親にはねだれず――○ィズニー映画=資本主義社会の親玉である米国を代表する娯楽文化。
両親――疾風の予想に反してあっさりとその要望を受け入れる/
初めての長編映画――約二時間もの間、空想と夢想にどっぷりと浸って堪能する/スタッフロールの間も夢心地のまま呆けていた/せっかく買ってもらったキャラメル味のポップコーンに手を付けることもすっかり忘れたまま。
そのままデパートで買い物――衣服や食料品を購入/家族水入らずのショッピングタイム=おそらく人生初。
繋いだ――右手を父と/左手を母と。
満たされていく――革命に向けて研ぎ澄まされていた己の精神が堕落していく/思想も使命も何もかも疾風の頭から消え去って行くかのような錯覚/それでもずっとこんな時間が続いてほしいと思った――そんなことはあり得ないと事前に知らされていたとしても。
買うべき物を買い終わった後、父は車を北西へ走らせた――自宅とは反対方向へ。
やがてウィーンの森へ差し掛かると、車を止めて徒歩で進んだ。
日は既に暮れかかっていて、乱立する樹木によって陽射しを遮られた森はいかにも暗くて恐ろしく――しかし恐怖など全く抱いていないかのように振舞った/両親に弱い子だと思われたくなくて。
これからずっと、週末にはキャンプへ行くのだと父は言った。
立派な革命闘士へと成長する為の、〝訓練キャンプ〟へ。
………………
…………
……
数年後。
ある過激派左翼テロリスト集団が市内に置いて要人暗殺を目論むも、ずさんな計画が祟って失敗――治安機構に追い立てられた彼らのうち数人がウィーンの森へと逃げ込み、そのまま州境を越えての国外逃亡を企てるという事件があった。
しかし、警官隊が森へ突入した直後……彼らは突如として逃亡を取りやめ、殆ど山岳地帯とも言えるウィーンの森各所へ潜んでのゲリラ戦闘を開始し始めた。
自殺としか思えない行動――しかし幾人もの警官が負傷し、そのくせテロリスト側の逮捕者は皆無のまま数日が経過するという大事件に。
ついには山岳・森林地帯での
事件発生から四日目――ついに逮捕者が現れる/マスコミがこぞって飛びつく/強引なジャーナリストが救急搬送の為に担架へ載せられる逮捕者の姿を無理やりカメラに捉えた。
『いやだあ……』全身を銃弾で撃ちぬかれて血まみれの少女――虫の息。『死にたくないよぉ……』
口の端に血泡を浮かべながら、酸素マスクの下でうわごとのように呟き続ける――『父さん』/『母さん』/『死にたくない』/『ごめんなさい』/『しにたくない』
「ゼペットおじさん……」喀血――やがて意識を失う直前に残した最後の呟き=「わたしのてをにぎっていてください――どうか父さんと母さんのように、離さないで……」
担架から零れ落ちた腕――ぐにゃりと曲って力なく垂れ下がっていた。
救急隊員に突き飛ばされるジャーナリスト/邪魔だと罵られる/その拍子にカメラが地面に落ちたというのに、それを拾い上げもせず茫然と立ちすくんでいた。
その日の夜、警察は事件の収束を発表した――テロ集団主要メンバーの国外逃亡は許したものの、その逃亡幇助を行った国際指名手配犯とその協力者の正体が判明したことを添えて。
国際指名手配犯――元日本赤軍
その現地協力者――ウィーン市内在住の女子小学生/疾風・クラーラ・アイヒェル=コードネーム=〝ピノッキオ〟
発表内容――共に射殺。
*
――タタタ、タタタタタ……
乾いた発射音の反響をBGMに、疾風の意識は現在へと帰還する。
古い記憶の残響に心をざわめかせながら身じろぎすると、相変わらず痛む脇腹の傷に誰かの手が這っていることに気が付いた。
「ンフフ」地面が笑い声をあげた――木の葉と土の境目に濃緑色の眠たげな瞳が浮かんでいる。「ボロボロだねぇ~疾風。銃で撃たれるってどう? 痛い? それとも何か別の感想が浮かんだりする? 案外気持ちいいとか?」
「馬鹿言え」調息しつつ返答した。「最悪に痛くて苦しいだけだ、糞ったれ。お前も一度試してみるか? 銃を持った相手の前に通せんぼしながら〝撃たないで!〟って叫び続けて、他の警官たちが駆け付けるまでの時間を稼ぐ作戦のリーダー兼実行担当者を?」
「疾風が気絶してる間に何回か
「いや、いい。頭が回らなくなるのは困る。増援が来ないのなら、じゃあ、私達がこの場を預からなきゃならないってことだからな……」疾風――失血で覚束ない思考を口に出すことで纏めようとする/その瞳に意思の光が再来する――質問。「状況は?」
「んー、人質を助けたんで芙蓉と一緒にそっちへ向かう前に一応は銃器だけ取り上げておこうかなーって感じで意識無くしたテロリスト達のボディチェックしてたらいきなりKSE通知が来たんで急いで駆けつけたら疾風が死にかけてたから芙蓉が撃ちまくりながら突っ込んだら馬鹿みたいにヤバい反応速度で避けられて反撃まで貰いそうになったから二人で迷彩を起動してまあ敵を疾風から引き離しつつ牽制&牽制の状態にまでは持ち込んだんだけどなんかわたしの迷彩被膜は見破られるし芙蓉の透過防壁もかなり純度を高めてる状態だから目が見えないしでらちがあかなくって本部に連絡したらなんか空港の方で最新型のSAMが見つかったとかでこっちの指揮どころじゃないからお前らで何とかしろってこの作戦の指揮取ってるBVTの何とかって人が言ってて――」作業に従事しながらここまで一息でまくし立て/縫合処置を終えた嵐が面を上げて疾風の顔を覗き込んだ。「――まあ、それじゃあ疾風と相談しようかってことになったから、牽制は芙蓉に任せてわたしだけ迷彩越しに物陰に隠れながらここまで這って来た。指示ちょーだい?」
疾風――しばしのあいだぽかんとした様子で沈黙/やがておそるおそる口を開いた「空港で何が見つかったって?」
嵐――きょとんと首を傾げながら「だからSAMだって。物資輸送トレーラーに偽装された
「しかしマスターサーバーの電子的監視下にあるミリオポリスで、誘導ミサイルのような精密兵器など起動できるはずが……」
「ンフフ。だから本隊も真っ先に〝頭部を隠したテロリストが敵の中にいないかどうか〟を狙撃隊に探させたらしいんだけど、見つからなくってねぇ」
その言葉を聞いた途端、疾風が目にした光景に疑念の意が渦を巻き始めた――彼は戦闘中に
疾風――震える声で「……芙蓉は、今?」
「ゲリラ戦闘中だろうね。まあ
《やーっと目ぇ覚ましたんかァ! ッはぁ~……このダァホ! 聞こえとるんかぁ、疾風ぇ! こーのねぼすけぇ!》ほどなくして返答――耳に痛い訛りの端に、ほんのわずかに安堵の空気が混じっている。《アンタはそこでゆっくりしときぃや。怪我の落とし前は代わりにウチがきぃーっちり付けたるかんね!》
《あ、ああ、それは、迷惑掛けたな、悪かった……》思いのほか直截的に投げかけられたいたわりの言葉に怯む疾風/しかしハッとして目的を思い出す《――っと、そうじゃない。芙蓉、どういう状況だ? 〝オクダイラ〟はどうしている?》
《ああ、なんとかなりそうやでぇ? 透過防壁の純度を上げとるから、今あんま目ェ見えんけどなあ。アホ共から拝借した
《時計――》疾風は脳内チップを介して現在時刻を受信した――16時57分《――芙蓉、状況を伝えてくれ。今すぐに木陰の〝オクダイラ〟の姿をよく見てくれ。何をしようとしているのか確認してくれ。頼む》
《透過防壁の純度を下げろっちゅーことぉ?》
《ああ、急いでくれ。私達もすぐに――》疾風が立ち上がる――縫合箇所が鈍い痛みを発していた。《――向かう。その男の身体能力は異常だ。絶対に何かカラクリがある。三人で抑え込んで……〝殺さず確保〟だ。出来れば……確かめなければならないことが……》
《殺すな? うーん、難しいんとちゃうかなあ》間延びした様子の芙蓉の声――少し困惑気味に。《今音響探査に引っかかったんやけど、たぶんあのオッサン――自殺する気やで》
《なに?》
《じりじりとはじけるような音が聞こえとんのや――たぶん黒色火薬かなんかやから、奴さんきっと、ついさっき
〝パイプ爆弾〟――〝夕方5時までが私の持ち回り〟――〝ユダヤ人たちが金に飽かして我々の住まう地を奪い取ろうとする会議が行われるはずだった場所へ送り付けて〟
オクダイラ――空港での事件に関与――しかしロート・ヴィエナとの連絡員として作戦を外れたものだとばかり――恐ろしい予感が鎌首を擡げる――もしかすると彼はまさかまだあちらの作戦に
サーッと血の気の引く感覚――「自爆とか馬鹿だねー」と半笑いの嵐の目の前で、疾風は猛然と駆け出しながらその四肢を《転送》した/BVT・MPB両隊をも交えた共同通信回線に強引に割り込んだ。
《全員よく聞け! BVTからいきなりやってきて指揮権奪ったクソッたれ野郎共もだ!》通信回線全体に響き渡る疾風の怒声/口汚い口調/本隊で回線に耳を傾けていた全ての情報官達の電子的視線がこちらへ向くのを確認して、続きを叫んだ。《こっちで相手している〝オクダイラ〟が
置換された手足で駆け出した/完全に修復された推進機構を起動して吹き飛ぶように加速した/脇腹の痛みだけがじくじくと疼いて先ほどまでの戦闘の惨状を伝えていた――焦燥感と使命感に糧に振り払った。
《――あと三分以内に
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