マンドレイク2
己の全身に巻きつけられた成形炸薬の重みに慄きながら、その女性はかつてない恐怖の只中にいた。
しがない銀行員だった彼女――突如として乱入してきた強盗たちに銃を突き付けられ/札束をズタ袋にしこたま放り込む手伝いをさせられ/ついでとばかりに人質として攫われ/石畳に跳ねてガタガタ揺れる車中で身体中に爆弾を巻きつけられ/警官の妨害を受けた強盗たちが森に紛れての国境通過を逃走経路として選択してからは、起爆スイッチに繋がるコードを犬のリードのように引っ張られながら/ほとんど山岳地帯と変わらぬウィーンの森を延々歩かされている――おそらく本日一番不幸な一般女性。
そしてようやく助けが来たと思ったらその警官はまだ子供で/しかもなんか銀行強盗団の中に何故かいるアラブ人と顔見知りで/どんなコネだよと思いながら話を聞いてたら何だかどっかで聞いたことある名前が耳に飛び込んできて/ああそうそうあの事件何年も前に凄いニュースになったよね当時めっちゃ特番組まれてお気に入りの番組見られないじゃんマジ犯罪者○ねよコンチクショウとか口汚く罵ってたら実は犯人が10歳かそこらの子供だと分かって滅茶苦茶驚いたり世界の無慈悲さ悲しんだりした覚えが――――ってあの犯人かよマジかよ冗談でしょ労働児童にしたってなんでまた警官に採用されてんの/っていうか採用していいのか前科持ちじゃないの/そして助けに来てくれたのはありがたいけどなんか丸腰で銃突きつけられて懐柔されそうになってるっぽいしアンタ何しに出て来たの――……
乱回転する思考は平静を欠き、折に触れては過去と現在の情景がリフレインしてふらふらと視界が揺れていた。強盗集団の首魁と話し込むその労働児童の顔貌が数年前のテレビ放送に流された報道写真と重なり合って、その顔かたちの成熟具合は時の流れという概念を否応なしに連想させる。かつてのスキャンダラスな報道写真では担架に運ばれる彼女の四肢は地面へ向けてだらりと垂れ下がって、情動を持て余した学生たちが治安機構の過剰対応がなんとかかんとかとか街中でデモやったりしてたような――古い記憶が次々と呼び起されては、海馬の奥底へと沈殿していく。やがて記憶は映像となって頭蓋を透過し、果たして目の前で回り出した。ゲバ文字を掲げた集団が怒声を上げながら練り歩く街角に彼女は立ち、掲げた赤旗には世界の矛盾とそれを国家に訴えた少女の勇気について象徴的な文字列でつづられていて――
かつての熱情に浮かれた過去を翻って、そのうちにはたと気づく。
あたし今、幻覚視てない?
ぐらり、と足元が揺れた。地面が九十度傾いて己に伸し掛かって来ると、いつの間にか頬は地面と接していた。転んだ、という事に気付くだけでも数秒掛かった。
ぐわんぐわんと脳が揺れて、視界がぎらぎらと輝いては瞼の裏で瞬くように火花が散った。ああ、人質に取られた恐怖でついに頭がおかしくなってしまったのか――どこか他人事のように己の前後不覚を省みながら周囲を見回した彼女の視界に、同じように頬を地面に押し付けた男の姿が映った。散瞳し口端から吐瀉を零しつつ横たわるのは、己の身体に巻かれた爆弾のスイッチを握っていた男である。
え? これも幻覚?
震える両腕を地に立てて周囲を見回せば、自らを囲っていたロート・ヴィエナなる集団のいずれもが、ひざまづくか倒れ伏すか、そうでなくてもくしゃみや咳で顔を真っ赤にしている者がほとんどだった。まだしも頭に手を当ててふらつきながら両脚で立つことに成功している者もいれば、短機関銃を取り落として木の根元に向けて嘔吐をしている者すらいる。程度の差はあれど、己を含めてその場のほぼ全員が尋常でない状態に陥っていた。
いったいなにが。
胡乱な思考回路に問い掛けていると、ふと耳元に掛かる声があった。
「あんなぁ、リゼルグ酸ジエチルアミド言うねん。〝LSD〟と同じ成分いうたら判るかなあ」独特なイントネーション――恐らくポーランド訛り。「アダムサイトとかの無力化ガスに混ぜて
どくん、どくん、どくん、どくん。
いや増していく拍動の痛みに意識の殆どを奪い取られながら、彼女はその〝透明な影〟が囁く言葉に想起される物体に思いを馳せていた。
LSD――やたらと有名な幻覚剤/自然崇拝者や一部の芸術家が〝精神世界〟とのコンタクトに用いた薬物――この声も幻覚なのか/今目の前に立つ透明な影も/やがてその影がゆっくりと色を映していく姿も。
えらくふわっふわとボリュームに富んだ
いつの間にか目の前に立っていた――お姫様抱っこの要領でひょいっと己の全身を抱え上げられた。
十代の少女の細腕には似つかわしくない筋力――その両腕が至る所に排水パイプのような機構を這わせた異形の形を得ていることにはたと気づいた。
機械化義手――それも単なる人体の模倣に留まらぬ意匠/連想される言葉=〈特殊転送式強襲機甲義肢〉=通称〈特甲〉/その使用者たち――<特甲児童>
金髪の少女の両手足=いくつも連なる〝穴〟の存在/殺虫スプレー等の吹き出し口に酷似――もしかしてばら撒いたのは何らかの〝
「さて、テロリスト達がお花畑視とる間に、安全なところまで逃げんとなぁ」前後不覚に陥ったロート・ヴィエナたちを見回しながら――「言うて、こーんな鉄火場でキめたら、悪酔いで彼岸花咲かせる奴が大半やろぉけども……」
胡乱な思考のまま少女の言を聞き取る女性の視界には、いよいよ幻覚が悪意をむき出しにした形を形成し始めていた。周囲に転がるテロリスト達の悪意が形を伴って己の全身に襲い掛かって来るかのような恐怖と不安がいや増して、怖気が全身に走ってかちかちと歯が鳴り始めた。くしゃみと咳の合間に恐慌を来たす女性の様子を見て取り、紫色の特甲児童は「あちゃー」とばかりに苦笑している。
「うーん、バッドトリップが酷いなあ。混合比率考え直さんとあかんねえ」森の奥へそそくさと小走りで駆け込みながら、宝石のような瞳が見下ろしてくる。「〝ヒ素〟なんかたくさん吸わせるよりええかと思って、別の成分混ぜ込んで水増ししたけど……心の方に変な障害残っても可哀想やしねぇ……」
ふと背後で、パラララ、と乾いた連続音が鳴り響いた。がくんがくんと揺れる視界の端に、ロート・ヴィエナの一人が短機関銃をこちらに向けて乱射する姿が映っていた。がくがくと揺れる銃身は危なっかしくふらつき回り、紫の特甲児童の足元で濡土が弾丸を喰らって跳ね上がった。
「うわっちっ! やっぱ効き目に個人差あるなあ!」駆ける速度を増しながら特甲児童が叫ぶ――「嵐ィー! 出番やでぇーっ!」
瞬間――
中空を裂いて一筋の〝線〟が木々の間を飛び回った。虚空を奔り回るように伸びた銀色の光がきりきりと音を立てて木々を這い回り、舞い落ちる木の葉に触れてはぷっつりと分断していく光景が、薬物によって過敏化した女性の耳目に反響していた。
きり、きりきりきりきり、ヴィィィィ、めきっ、みしみしみしみし――ずしぃん!
恐ろしくも耳障りな音――それが聞こえたと思った次の瞬間には、女性の視界から銃を持ったテロリストたちの姿は消えていた――周囲の樹木がいくつも折り重なって倒れ込んで、女性と特甲児童の二人を護る盾となったのだ。そして恐ろしい事に、その音は未だに続いている。
みしみし/ずしん/ずしん/ずしん/ずっしーん!
「ンフフフ……芙蓉ー、おわったよー」ふと、木々が喋った。「液体金属ワイヤーを幹に巻きつけた即席トラップだけど、いっそのこと〝電鋸結界〟とでも名付けようかな? ンフフフフ、任意の方向に大木を引き倒せるギミックもうまく作動した事だし、今頃テロリストたちは倒木で作った魔法陣の中に囚われの身なのだ。しかもねえ、ちょいと地面の中の配電線を見つけたから大木に巻かれたワイヤー部に触れると電流が流れて指が絡み付くように改造し……て……?」
揺れる木の葉の境目から舞い落ちる倦怠的な文言が幻覚のソレなのかどうかも区別がつかないが、いい加減に摩耗した女性の精神は既に驚愕の感情を表すことをすら放棄している――もはやぷるぷると震えながらたまに呻き声を上げるだけの存在と化した女性の前で、またもや視界に揺らぐ色彩の歪みが文言を弄した。
「ねぇー、大丈夫なのぉ、この人ー? めっちゃ涎垂らしてるけど」
木の葉が揺れるに合わせて、樹木の幹がゆらゆらと波打って言葉を放ち続けている――ふと茶色かった幹の一部へ不意に色彩が浮かび上がって/というより〝今まで茶色の幹に偽装していた何かが別の色彩を体表に浮かべた結果として〟/その濃緑色の少女は姿を現した。
眠たげな眼をしたモスグリーン色の髪の少女/全身を同じ色の戦闘スーツで覆う/かろうじて人間の四肢の枠内に収められなくもない――しかしおびただしい数の工具類が生えた異形の腕をぶるんっと振って、その指先から伸びた銀色の糸を振り払った。
「大丈夫……やと思うねんけど、うーん、ちょっと一人にするんも怖いなあ」――紫色の特甲児童=〝芙蓉〟と呼ばれた少女……冷や汗交じりに「いきなり土とか食べ始めて窒息しそうな挙動っていうかー」
「んー、あー、疾風に加勢しないとだし、でも地べたに放っとくのもねー」――濃緑色の特甲児童=〝嵐〟と呼ばれた少女……自分の思考をぶつぶつと口に出しつつ「気絶したまま吐いたら窒息する可能性も微レ存……」
「……せや。嵐ィ、アンタが今まで居ったところに縛り付けとくんはどう?」
「んフ?」
「ほらほら、あそこらへんの足場にぃ」芙蓉――大樹に揺れる木の葉の隙間に覗く、がっしりとした巨大な枝を指差しながら、「
「……ンフフ、悪くないかも。木の葉に隠れて見つかり辛いし、流れ弾の心配も薄いし……」嵐――指先からワイヤーをしゅるしゅると伸ばしながら、「横向きに固定しておけば吐瀉物も喉に詰まらずに零れ落ちるし……完璧かもね?」
嵐の十指から飛び出したワイヤーが、大樹の幹や枝へ巻き付いていく。やがて芙蓉の腕の中で苦悶する女性の元にまで糸が伸び来たり、その五体にぐるぐると巻きついて捉えはじめた。やがて根元のしっかりした枝を支柱に女性の身体を吊り上げると、嵐自身も木の幹へと手を掛けた。異形の腕から生えた鉤付きの工具のいくつかを樹表に突き立てると、クリフハングの要領でひょいひょいと樹上へ登ってゆく。
「ういうい、簀巻き簀巻き~」徐々に全身の自由を奪われていく女性の耳朶を、いやに楽しそうな軽口が叩く。「……ところで〝簀〟ってなんだろね? 絨毯?」
終いには顎先にまでワイヤーが巻き付いて、喉がしっかりと開くように頭部を持ち上げられる始末であった。後ろ首がきりきりと痛むが、呂律の回らない舌ではそれに対する不満すらも吐き出すことは出来ない。いい仕事したとばかりに額の汗を拭う眠たげな少女の笑顔が、いやに腹立たしく思えた。
「ンフフ。では、わたしはこれにて失礼つかまつるので……おねーさんもごゆっくり。後で迎えに来るからね~」
やがて嵐は木の幹に巻いたワイヤーの一本を手に取ると、両手の中に握り込んでスルスルと地上へ降りて行った――何故か天地を逆に頭を下に向けつつ胡坐をかくように糸を足で挟んで「スパイダマッ」とか呟きながら――ふざけてんのかコンチクショウという罵声すら嘔吐感に上塗りされて、女性は樹上から胃の腑の中身を眼下へ零した。
……しかしあの二人、どこかで視たことあるような――。
記憶の糸を手繰り寄せようにも、脳髄に渦巻くケミカル反応は未だに彼女の過去と未来を耕し続けている。
流転する視界はいよいよもって正気のいらえを取り落とし、やがて彼女の思考からは言語すらも締め出されて原初の世界にインタラクトし始めた。
まあいいやもうなるようになれクソが世界滅べ。
数秒後、彼女は考えることを止めて、もう一度嘔吐することにした。おろろろろ。
*
*
ダダダ! ダダダ! ダダダ!
木々を足場に三角飛びで跳ね回る最中に、鼻先を掠める銃弾の音色が疾風の耳朶を打つ。
木の幹に腕を掛けて咄嗟に跳躍軌道を下方に向けて変更すると、潜り込んだ頭頂のすぐ上をまたもや三発の
(9発回避。まずは無傷)大木を盾に呼吸を整えつつ、親指、人差し指、中指という順に指を立てて射撃回数を数えながら、疾風は己の思考が研ぎ澄まされていくのを感じていた。(……いや、12発か。足裏に弾丸を掠めるなど、流石に初めての経験だな)
薬指を立てつつ、木の幹からそっと顔を出した――様子を伺う間もなく幹越しに三発撃ち込まれて、亀のように頭を引っ込めた。
(5射、15発……)小指を含めて全ての指を立てた
無防備に空中へ飛び上がった疾風が
それを防いだのは、彼女自身の機転と体術。そして地形――森林というこの戦場であった。木々は空中に舞う彼女の足場となり、同時に銃弾を防ぐ盾でもある。
(……もう一度!)
推進装置による加速を得て飛び出した彼女の残像を銃弾が撃ちぬく。幹を蹴って飛び退り、枝を握り込んで慣性の方向を変える。木の葉を吹き散らしながら木々の合間を飛び回る疾風を、しかし銃弾の軌跡は執拗に追いかける。疾風は回避軌道に思考の八割を割きながらも、ブレる視界の中に佇むオクダイラの姿を捉え続けていた。疾風が一度木の幹に隠れた際に姿勢を変えたのか、鎖骨を抑えながら蹲るマインホフの隣で膝立ちの姿勢を取っている。銃床を肩に当て、疾風の動きの先を読みながら、正確な照準で次々と弾丸を送り込んで来る。
だが、当たらない。
疾風の動きの不規則性は、もはや普通の人間の動体視力が捉えられるレベルには無い。金網越しに飛ぶ蠅を撃ちぬけと言われるようなものだった――特甲という規格外の装備を己の一部とした者だけが可能な、それは一種の神業だった。生身の四肢を犠牲に、機械の手足を受け入れた者の宿業だった。大脳に仕込まれた機械チップが統制する人外の四肢の存在は――しかし、子供にしか手に出来ぬ悪夢の玩具だ。成熟した大人の脳はこの手足を手足と認識できない――だからこの兵器の運用には、疾風たちのような子供が必要となるのだ――〝特甲児童〟が。
それゆえに通常であれば、自動小銃を装備したテロリスト程度、制圧はお手の物、の、はずであるのだが――むしろ異常と言えるのは、それでも疾風の動きの1秒後を読んで射線を置くオクダイラの射撃技術の方だった。疾風が0.5秒ごとに軌道を変えて飛び跳ね回っていなければ、確実に命中弾をねじ込んでいただろう。
(おかしい)弾丸を数えながら思考する疾風の脳裏に、むかしの記憶が流れてゆく。(確かに銃の腕の凄い人ではあったが、これほどまでに人間を止めたような腕前ではなかったはずだが――)
そう思考しつつ、殆ど人間を止めたような体捌きでついに三十発目の銃弾を交わした疾風は、ひときわ巨大な木の幹の根元に着地し、殆ど幹に両足を埋めるかのごとき脚力を発揮しながら膝へ力を込めた。その視線が、オクダイラのAKから弾倉が落ちるさまを捉えた。
(今!)
驚くべきことに、足場として踏み切った巨木が音を立てて軋んだ。
それこそ弾丸のような速度で突撃する疾風の口中で、かつて目の前の人物から教わった銃知識が反響する。
「
次の弾倉を取り出そうとしていたのか――片手を懐に入れたままのオクダイラは、もう片方の手に保持したAKを突き出して、トリガーを引いた。不意打ち気味に放たれた31発目の弾丸が疾風の額目がけて飛来し――
――不意に空中で横に逸れ、ほんのわずかに顔を背けた彼女の側頭部を撫でる様な軌跡を描いて、森の奥へと消えて行った。
特甲の一部である
「ロネンおじさん!」手に持った武器が全弾を発射して無力化された確信を得た疾風が、殆ど叫ぶようにして勧告しながら右手を振りかぶった。「貴方を拘束させてもら――」
「疾風」オクダイラの表情がやれやれといった様子の苦笑いに歪んだ。「銃を持った相手の前に飛び出すものじゃないな。大抵の場合、すごく撃たれるぞ」
オクダイラが懐から左手を取り出した――もはや装填の間に合わぬAKの弾倉ではなく、見覚えのある小型の銃を握りしめて――Vz61/別名〝スコーピオン〟短機関銃/由来――射撃の反動抑制に用いる可変式ストック=サソリが尾を擡げる動きを連想させる挙動を持つため/元はチェコで戦車兵の護身用に開発された銃器だが、その利便性から冷戦期の東側諸国で次々採用/小口径弾の採用によりフルオート射撃時にも銃口の操作が容易=高い命中精度/そして何よりも、旅行用のポーチに収まってしまう程の携帯性から共産系テロリストが愛用――〝ロート・ヴィエナ〟たちの
膝をついて射撃していたオクダイラ――脇に倒れ伏していたマインホフ――彼が落としたはずの短機関銃が地面に見当たらない――おそらく疾風の視線が切れた瞬間を狙って素早く拾い上げ、ストックを折りたたんで大型拳銃程度の大きさになったそれを
銃口が疾風の方を向いた/反射的に前足で地面を蹴り飛ばした/飛散する濡れ土を被ったオクダイラが鬱陶しそうに目を細めた/地を蹴った反動で急停止した疾風の全身目がけて.32ACP弾のシャワーが襲い掛かる/咄嗟に推進機構の逆噴射で後方へ弾け飛んだ疾風の視界が暗がりに飲み込まれた――高G圧による
「――――かひゅっ」
衝撃――吹き飛んだ先の木の幹に背中から叩き付けられた疾風の口から、肺の中の空気が1cc残らず吐き出された/全身を駆け巡る痛みが生の実感を告げていた――四肢の痛覚をOFFにして
「かふっ、はっ、はっ、ひゅぅ」気管が口笛のように甲高い音を立てて酸素を取り込んでいくのを感じながら、銃撃の防御によって指を数本喪失した左手で脇腹と腰部の傷を探った。音も無くたらたらと流れ落ちる液体の熱に触れて、撃たれたという実感がようやく意識へ追いすがって来る。「ひゅぅーっ、ひゅぅーぅ……」
「至近距離で短機関銃の掃射を喰らったというのに、まだ息があるとは」ざし、と土を踏みしめる音に視線を上げると、さきほど目元に被った泥を綺麗に拭い取ったオクダイラが新しいAKの弾倉を手に佇んでいた。「化け物だな。特甲児童という兵科は」
オクダイラは語りながらAKを右腕で保持/特徴的な歪曲フォルムが有名なバナナ型マガジンを銃下部へ装着/そのまま左手を銃右側面に這わせてチャージングハンドルを引きよせた/初弾が薬室に装填される「ガシャン!」という音が響き渡ると、銃口が疾風の額を照準した。
「斥力を発する装備を有しているのか? しかしどうやら無事なのは頭部だけか?」銃口がゆっくりと下へ向く/照準が頭部から胸部へと移動する。「その紛い物の腕で胴体を守り切れる自信があるなら腕を振り上げると良い。その時はきみの下半身がちぎり取れるまで、
疾風は己の両腕を視た。推進装置の一部である腕部全体の網の目状の亀裂は、ひび割れと欠損を交えて、ステンドグラスのように幾何学的な模様を構成していた。
腕に力を込めた――まるで動かなかった。装甲に穿たれた穴からいくつもの配線が零れ落ち、駆動系がショートしていた。
「ところで疾風、腕が使い物にならなくなったのなら代わりに
どくん、と心臓が跳ねた。
地獄的な提案の言葉を脳髄の底に埋めつつ、疾風の思考はだらりと垂れ下がった両腕のことを思い出していた。警官たちの怒号と記者たちの怒声がぶつかり合っていた。救急隊員たちが呼びかける言葉を意識の外で受け流しながら、疾風はそのとき両親の手のぬくもりについて思い出そうとすることに必死だった。
思い出せなかった。あの夕日の中で握りしめた両手のぬくもりはあの森の中で既に冷め切っていた。だから彼女は残った記憶のいらえに縋るようにあの運命の始まりに観た幸福の象徴で彼の名を呼んだ――ゼペット、ゼペットおじさん、と彼を呼んだ。
私はピノッキオだった。
この世に生まれ落ちて動き出して心を求めたひとつの人形だった。
重ね合わせた――手のぬくもりを己の一部と思いたくて、赤い情熱の業火を人間の真実だと叫んだ。枯れ落ちたその身が燃え盛って焼き尽くされるその時まで、それがこの世の正義だと信じて突き進んだ。
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