閑話・エアザッツシュピーゲル1



 爆発の衝撃で未だに脳が揺れていた。脳内チップの発するKSE信号――仲間に打撃が与えられたコレーゲ・シュラーク・エアライデンの表示がチカチカと眼前に明滅して離れない/憮然とした表情で瓦礫の下から這い出す伏龍なかまの姿を視界の端に捉えながら、阿鼻叫喚の地獄絵図をぐるりと見渡して状況把握に努めていると、横転した車体から煙を上げる大型トレーラーの陰から桜花なかまの飄々とした笑みが顔を出した。「ようやくお目覚めかい、。敵さんが来るぞ、すぐそこだ」


 煤と埃で汚れた翠色みどりいろの前髪をうっとおしそうに払い上げると、秋月と呼ばれたは咄嗟に周囲を見渡した。民間人を轢き殺しながら空港ロビーに突入した車両集団のうち、特憲コブラの銃撃を受けた先頭車両が横転。しかし慣性は止まらず、周囲の設備をなぎ倒しながら――


 床に投げ出された拳銃を拾い上げる=空港警備に従事していた空保フルークの装備/持ち主は見当たらず――いや、瓦礫の下に血だまり。


「下がれ、秋月」猛獣の唸り声に似た呟き――伏龍・ラング・グナイゼナウの警句は、油断のない視線を大型トレーラーに向けながら発された。「横転したトレーラーはいわばだ。そのうち盾の裏側からの援護射撃に押されて、テロリスト連中が押し寄せて来るぞ」

「そうとも。ここで応戦することに意味はない。義務もだ」小鳥のさえずりを思わせる響き――桜花・クリストファー・デリンガーの警句は、やれやれとばかりに肩をすくめながら発された。「あんま気張るなよ、 そういうの、もう必要ないんだぜ」


 マガジンを抜いてシュカッ背面小孔を確認=15発/スライドを僅かに引いてジャコッ薬室を覗く=空っぽ/元に戻してコッキングジャキンッ――グロック19の主は何ら抗うことも出来ずその命を散らした/その事実を示す装弾数を自らの視覚野インターフェイスと同期させる――俺は/私は=こうはならない。なってやるものか。憎悪が丹田を通して全身へ行き渡る/機械化された両足が肩口の大きさに開かれる/機械化された両腕が肩口の高さに持ち上がる/僅かに前へ傾く身体をにじり出した左足で支えた=アソセレス・スタンスで構えた拳銃がテロリストの登場をいまかいまかと待ち受けている。


「秋月……!」――いらだつ伏龍。

「秋月ーィ?」――呼ばわる桜花。


 秋月――無言のまま視線で応える=だまれ。

 やがて銃口の狙う先に動き――自動小銃や短機関銃で武装したテロリストの姿。秋月はトリガーにかけた指を引き絞ると、サイト内に捉えた上半身目がけて銃撃を――




「たぁ――――ッ!!」




 絶叫――黒い影が秋月とテロリストの間に割って入り、射線を遮った。秋月は咄嗟にトリガーから指を話して銃口を持ち上げるが、叫び声に反応したテロリストの一人がこちらを向いて銃撃を敢行した。発砲音が断続的に響き渡り、ばら撒かれた小銃弾が闖入者をズタズタの肉塊に――変えなかったキィン!

 黒い影が棒状の何かを振るうとキン!甲高い金属音が連続して響き、キンキンキン!やがてカキィン!――静かになった。弾切れとなった小銃を抱えたまま、テロリストはポカンとした顔で黒い影を見つめている。影は少女だった。黒く見えたのは鴉の濡れ場のような色を湛えた頭髪で、振るわれた棒状の物体はシュヴェーアト


日本刀……ヤパーニシェス シュヴェーアト?」――伏龍が茫然とした様子で掲げられた剣を見つめている。「とでも? 手品にしても、何かタネがあるはずだ。人間にできる芸当じゃない」

「へえ? ってことはあのコ、日本人ヤパーナー?」――桜花が興味深そうな目付きでその背を眺めている。「うわー、初めて見たかも。アジアの少数民族だろ? いや、だっけ? てっきり僕らの名前キャラクター・ネームだけ残して絶滅したもんだと思ってたけど、ふうん?」


「そこの方、退避を!」眼鏡をかけた日本人しょうじょの呼びかけ――使命感の宿る凛とした叫びが、秋月の耳朶を打った。「銃など捨てて、はやく後ろへ逃げて下さい! わたしが護りますから!」


 余計なことを――そう言い返そうとした瞬間、黒い少女の全身が光に包まれる。エメラルド色の転送光――見慣れた光景。自らも纏っていた光/灯=希望の――特殊転送式強襲機甲義肢てあし


《転送を開封》――黒い少女の両腕と両脚がひも状に分解され、新たなフォルムを形作る――日常生活用の義肢が対戦闘用の義肢へと変貌していく光景を前に、秋月は目を奪われた。想起されるのは遠い記憶だ。かつてこんな風に命を助けられたことがあった。に。

 その姿に自分は希望じごくを見た/その背を追って地獄きぼうへ足を踏み入れた――混濁した記憶が走馬灯のように駆け巡り、自分がいま何を視て何を感じているのかが曖昧となる。確かなことはひとつだった。状況は推移する/危険は過ぎ去ってなどいない/はやくこの少女の警句に従って逃げるべきだ――もはや抗磁圧の鎧不可視のボディアーマーなど望むべくもない我が身を流れ弾が食い破るその前に。


「すぅぅぅぅ」呼気を吸い込み――吐く。「はぁぁぁぁぁ」


 あらゆる葛藤を意識の背後に押しやりながら、混乱する脳内を初期化リセット――深呼吸ひとつでそれが出来るよう訓練された=正確には深呼吸と連動して作用する脳内チップの戦闘用思考制御リカバリシステムによる補助――かつて自分がのはしくれであったことに感謝しながら取り戻した正気を存分に生かして背後へ転進ダッシュ――それと同時、白い影が秋月の真横を駆け抜けていった。


狼火ろうかェはまぁーた先走って! あーもう、チームワークが大事だっていつも自分で言ってるクセに、自分ばっかり敵の的になろう目立とうとするんだから……ああぁぁ、もう!!」風のように疾駆するシュタタタタ白髪の特甲児童――先ほどの黒髪の特甲児童より幾分か幼く見える少女が、いらいらと愚痴を垂れ流しながら大地を蹴ったシュパァン!。途端、その矮躯は凄まじい跳躍力を発揮して宙を踊る――そして手近な壁面へと足裏を這わせると、あろうことか――「風狸ふうり! あんた、今度はちゃんとあたしたちのことフォローすんのよ! まぁた逃げ出したりしたら、マジ承知しないんだからね! マ・ジ・でェ!」


飯綱いづなァ、待つのん! ペース、ペース落として……」一歩一歩大地を踏みしめるかのような足取りどしん、どしん、どしん――いささか重々しい音を響かせながら叱咤の声に追従するのは、間延びした声を上げる茶色の影――「ていうか、。射角が取れる場所を探してただけだし。飯綱はいっつもピリピリしてるし。狼火ねーちゃんだけだし、のこと分かってくれるのんは……」


「わっせ、わっせ」のしのしと小走りする茶髪の特甲児童――背丈の割に横幅の大きなシルエット=比較的珍しい重装甲型の特甲+背中に負ぶった箱笈はこおい型金属背嚢。「ふいー、つかれたのん。駆動装置の追加装備オプション、要望だそうかなあ……」


 ぶつぶつと文句を垂れ流しながら唐突によっこいしょどしん!と地面に膝立ちとなると、片膝を両手で抱えるようにして縮こまった。

 瞬間、彼女の立てた片膝の側面に筒状の物体がせり出した。特甲内部から展開したらしいその兵器に、秋月は見覚えがあった――近世における戦場の神=即ち


「……おねーさん、はやく逃げないとあぶないよお?」ふと、茶髪の特甲児童――風狸、と呼ばれた少女が肩越しに振り返った。「それとも、わるもの退治……手伝ってくれるのん?」


 背嚢から取り出した弾薬を膝の内部へ装填する少女の瞳に揺れる感情の色は、親切心が二割と、猜疑心が八割といったところか。無理もない、と秋月は思った。いまの時代において、あらゆる一般人はそのままテロリストへと変じうる可能性を持つ。人種と思想の坩堝であるミリオポリスでは尚更だった。退廃と悪徳のソドムとゴモラ。かつてこの街は核で焼かれる一歩寸前まで行った。そうでなくても死者は毎日のように出る。善人にも、悪人にも。治安関係者にも、テロリストにも。そして多くの一般市民もその惨禍に巻き込まれ、明日にはその絶望を胸に銃を取る。まるで尾を食む蛇であった。犯罪と鎮圧のいたちごっこは終わりを見せず、混沌はいつまでも人の命を喰らって膨らみ続ける。


「ええ」と、秋月は返した。「叶うならば、きっと」


「……?」怪訝そうな風狸――本気にせず。「ありがと。早く逃げてね?」

「はい、ありがとうございます。では……」走り出す直前、つい口を突いて出た言葉。「どうか、御武運を」


 火砲の発射音がその呟きを塗りつぶしたシュポン! シュポン! シュポン!――曲射を目的とした軽迫撃砲を脚部に内蔵した特甲――かつて秋月にも似たような兵器を扱った経験があった。機関銃の射線が通らない山岳地帯において、臨時観測手たる桜花から送られる情報を元に敵部隊へ榴弾の雨を降らせるのだ。だとすると、あの飯綱と呼ばれた少女が壁を走って行ったのはその為だろうか。高所より観測情報を味方へと伝えながら、何らかの支援を同時に行う遊撃手ショートに類する役割――であるならば、日本刀を振るっていた黒い特甲児童は突撃手スターマン? 全ての攻撃を自らに集めて持ちこたえ、味方の支援をたよりに前進する――


「だからァ」不意に横合いからひょいと顔を出す――桜花。「そういうこともう考えなくていいんだってば、秋月ちゃん」

「五月蠅いぞ、桜花」

「自分の身を護る事だけ考えろ」肩に手を置かれる――伏龍。「お前はもう、十分に戦った……秋月」

「触るんじゃない、伏龍……」


「秋月」――桜花の声。

「やめろ……」――背中にかかる声を振り払いながら走った。

「秋月」――伏龍の声。

「やめてくれ……」――肩にまとわりつく手を振り払いながら呻いた。

「おっ、キミが秋月……」――知らない声。


「ねえ、秋月」――妙齢の女性の声。「そんなに誰かを殺したい?」

「やめろ!!」


 絶叫――直後に深呼吸=思考制御リカバリ/半強制的に持ち直す――あらゆる声が/腕が/姿が――霞のように消え失せた。

 額に浮かぶ脂汗を拭いながら、ふと振り返る――こちらをじっと見つめている何者かの姿/大人/ちょっとカジュアルに着崩したスーツ姿/半端な長さの頭髪と半端に整った容貌――どこかとらえどころのない容姿の人物が、困ったような愛想笑いを浮かべていた。「えーっと、俺、挨拶の仕方間違えたかな?」


「いえ、その……失礼しました」気まずい空気――おずおずと切り出す。「貴方は……」

「おっと、申し遅れまして。MPB副長、マティアス・生駒・ヒルシュだ」男が手を差し出した――握手の要請。「キミが秋月・コリンナ・フィンケ元小隊長で間違いないかな?」

「はい」差し出された手を握り返す――いたって平静に。「MPBの名声はアフリカでもたびたび耳にしていました。副長自ら御足労頂き、光栄に存じます」

「ハハ。ありがとう……それはたぶん、MPBじゃないけど、まあ、うん」少しバツの悪そうな表情を浮かべるマティアス――やがて気遣うような面持ちに変化。「向こうじゃ大変だったと聞いている。まあ、こちらも色々とアレな事件ばかり続いてるけど……」

 銃声と爆炎を背後に望む会話――思わず嘆息。「そのようで」

「……まぁ、それはそれとして、だ!」


「過程はともあれ、キミの帰国は国家により正式に認められたものだ。受け入れ先となる我々ミリオポリス大隊はキミを歓迎する……なんせ俺みたいな非戦闘員が現場まで出張るレベルでの人手不足だからな?」マティアスの微妙にヤケクソ気味なテンション――気まずさを誤魔化すように周囲を見渡しながら、うんざりとした様子で肩をすくめた。「キミの出国前に存在したMPB――ミリオポリス大隊は今現在独立州軍として州知事閣下の指揮下にあるわけだが、だからといって憲法擁護テロ対策局BVT管轄下における凶悪犯罪の発生率が低下することはあり得ない。だからこそ我々MPBは日夜このミリオポリス市民の生命と財産を守るべく粉骨砕身の覚悟で――」


 熱意に溢れたヤケクソの加速するマティアス副長の演説――よくみると目の下に隈多分寝てない


「――とまあ色々美辞麗句を弄してはいるんだけどサ、つまりウチは憲法擁護テロ対策局BVTの指揮下からいなくなったMPBの穴埋め、代用品エアザッツってわけさ。ミリオポリス機甲大隊パンツァーベヴァッフングバタリオンなら略称もMPB-Bエムペーベーベーあたりが妥当だろうに、あえてMPB表記に拘るしさぁ。ミリオポリス憲兵大隊MPBと勘違いした市民からの支持と献金目当てかよ、せこッ……っていうね? あ、ここ笑うトコだからよろしく」

「はぁ」秋月――無表情。「笑えますね、それは」

「でしょ? そのせいかBVT指揮下の組織にしてもなんか妙に人員が怪しいというか、掃きだめ風味というか……だってキャリア組でもなんでもない俺みたいなのが副長になれちゃうし、なんか他の組織から左遷されたみたいな噂の人めっちゃ多いもん。指揮権もよく奪われるしさー、っていうか俺もともとウンクラウト試験小隊の運用任されてたはずなのに直前で空港こっちの警護指揮取れって何? あのBVTの元広報課長だとかなんとかってオッサンはどんな経緯で俺の小隊連れてくことになったの? そしてなんでシェパード遊撃小隊は俺が探して見つけて連れて来るまで炎天下の空港の裏手でされて熱中症の危機と絶賛格闘中みたいなことになってたわけ? 流石にちょっと状況が意味わかんな過ぎてもういっそすら感じるレベルなんですけどもう――」


副長殿フィッツコマンダール


 白熱ヒートアップする愚痴の奔流をせき止める秋月の呼びかけ――ぴたりとその口を噤む副長/次の言葉を待ち受けるその瞳に対手を観察する怜悧の色。


「なにかな」

。転送権限さえ与えて下されば、すぐにでもシェパード彼女達の援護へ向かえます」

「ふむ……」値踏みするような視線――やがて破顔した/心底助かるといった様子の表情。「さっきも言ったが、人手不足だ。マスターサーバーの独占使用権こそ手放したものの、転送塔そのものへのアクセス権限が失われたわけじゃないしな。とはいえ、恐らく送られてくる特甲は市街警備用レベル1B相当の汎用タイプだが――まあ、キミならきっと上手く使うだろう。では早速連絡を――」



「ならん!!」



 唐突な乱入者――振り返れば、総髪を振り乱した中年男性が額に汗をにじませながら荒い息を吐いている。

 秋月が視線で副長へ尋ねた――あと少々の小声も交えて。(この方は?)

(さっき言ったBVTの広報課長でMPB-Bの特別オブザーバー)マルティン・生駒・ヒルシュ会心の愛想笑い――口元のヒクつきを半秒でひっこめながら乱入者が息を整えるのを待つ。(あとなぜか今の俺達の指揮官)

(えっマジ)流石に目を見開く――(失礼。指揮系統が滅茶苦茶では?)

(この混乱のせいであの人より階級の高い人がみんな死ぬか連絡取れなくなっちゃって……本部から救援来るまでの暫定だけど、マジなの)

(広報課長なのに?)

(うん)


「ぜはっ、その……特甲児童を……戦闘に参加させることはまかりならん! ああ、クソ、厄日だ今日は……! 何でよりにもよってお前のをする時に限ってこんな事件が起こるのか……!」

「受け渡し……?」モノを取り扱うかの如き物言い――秋月の着任の件であると察してか、マティアスがにわかに眉をしかめた。「ハイネマン広報課長殿。事態はひっ迫しております。理想的なチームワークとまでは望めなくとも、要人や避難民の護衛など、担える仕事はいくらでも……」

「私が言っているのはな!」


 凄まじい剣幕――ここが鉄火場のすぐ近くであるということを差し引いても、尋常ではない気勢であった。




の件だ。お前の……」一瞬、怒声が途切れる――相応しい言葉を探すかのようにゆらめいた言葉の連なりが、口髭の内側から繋ぎ直されて零れ落ちた。「……お前の兄である容疑者に関する聴取と精神鑑定を終えるまで、戦闘行為に参加することはこの私が絶対に許さん。分かったな、秋月・コリンナ・フィンケ――特務少尉?」




 告げられた言葉――マティアスの驚いたような表情を見上げながら、秋月は視界の端にチラつくKSE通知を眺めていた――仲間に打撃が与えられたコレーゲ・シュラーク・エアライデン仲間はみなあの地に散ったコレーゲ・シュラーク・エアライデン仲間はみな報いを望んでいるはずだコレーゲ・シュラーク・エアライデン――報いられざること一つとしてなからんことを。

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