マンドレイクシュピーゲル ~赤いウィーン~
ハラショー
マンドレイク1
《<ロート・ヴィエナ>の一団はウィーンの森を北上中》中年男性のいらいらとした声がつんざめく――《繰り返す、<ロート・ヴィエナ>はウィーンの森を北上中。奴らが州境を越える前になんとしても人質を救出しろ!》
《
本隊の臨時指揮所から流れて来る
「何者だ!」部隊の先頭で誰何の怒声を上げた男が、Vz.61短機関銃を右手で腰だめに構えながら、左手を高く掲げた。「尊き闘争の火を揉み消さんとする体制の犬とあらば、我々全隊は火の玉となって欧州に革命の狼煙を上げることも厭わんぞ!」
「見てくれ、武装はしていない! また、私は貴方がたに危害を加える意図も無い!」男の声に負けず劣らず大きな、しかし勇ましくも若く瑞々しい声音が森の木々を揺らした。「私は交渉をしに来たんだ、革命闘士どの。その気高き理念と理想において、どうか、理性的な対応を求む」
「交渉……? 貴様のような娘子が、藪から棒に何をのたまうのか!」
「私はMPB所属の労働児童だ」凛とした声を響き渡らせながら、少女の瞳は男の背後へと佇む人影の姿を捉えていた。「……人質の交換を提案しに来た。つまり、私と、その女性との、交換を」
少女の視線の先――男の左手に握られた起爆スイッチから伸びる伝送線の先では、衣服の上からTNT火薬をダクトテープで巻きつけられた女性が、猿轡を噛まされながら恐怖の涙を浮かべている。
「ならんッ! 急な人質交換などと、何ぞ企んでおるのだろう!」
「私は非武装で、そして子供だ! 危険は無い!」
「仮にそうだとして、そのような非力な子供をあえて送り込んで来る官憲の屑どもが気に入らんと言うておるのだ!」
「私は児童であれど警察官だ! 市民を護ることこそ使命と信じて行動している! これは互いに利益のある提案だ!」
「なに! 利益?」
「革命の遂行には資金が必要なことはよく分かる。そしてそのため、〝やむを得ず〟銀行を襲い、〝本意でなく〟無辜の市民を拐かしたのだと、それはちゃんと分かっている。貴殿らの理念の根幹は全ての善良なる人々の幸福を理想として根ざすものだと!」
「そうだが、しかし……っ!」
「〝
えらく唐突な要求/ひどく堂に入った演説/奇妙な説得力――それを行使するのが未だ
男がたじろいだ――少女の強い意志を湛えた瞳に映り込んだ姿に、自らの矛盾を暴き出されたかのような錯覚と共に。
*
《
《〝チーム名のグローバル化〟だとかいう名目で二か国語対応らしいよぉー? まーそれでやってる事が七十年代並みに力技な銀行強盗じゃあ、程度が知れるけどねぇー》
《なーんやそれ、アホらしっ。……あーあ、ゥチらも〝ウィーン空港〟の事件に投入してくれとったらなあ。あっちはもー国家の玄関口での騒ぎやからーって、
《あーあー、報道特番でも色々言ってたねえ。まるで〝テルアビブ空港乱射事件〟の再現だー、とか。
《あー、まー、確かになー。大型トラックで陣形組んでいきなりロビーに突っ込んだら被害出るわなー。空港内発砲用の小火器でやり合えー、言うんはちっと酷やねえー》
《うーん、でもさあ、この街でテロなんて日常茶飯事じゃない? いちいちこんなに騒ぐほどの事かなあ?》
《そらーもう時期が悪かったんよ。
《ハラハラ? なんで? 会議なんかすっぽかして別の日にやればいいじゃん。ゆっくり時間かけてテロリスト掃討してアーリア人とアラブ人の死体塗れのロビーをクリンナップしてから〝シャローム!〟ってヘブライ語でお出迎えすればいいじゃん。お金持ちの議員さんたちはそっちのがきっと喜ぶよ?》
《うーん、確かになあ……疾風ぇ、知っとる?》
《貴様ら……》
《はーいなっ♪ 芙蓉隊員はとっくの昔に準備完了済みやでえ、疾風小隊長ぉー!》
《ンフフフ、嵐隊員も抜かりないよ、疾風小隊長》
《よし。……あと、今日会議をやらなければならない理由だが、単純に金や手間がかかるが故の〝機会〟の問題だ。イスラエル・パレスチナ間に関する問題は非常にデリケートかつ恐ろしく面倒臭い関係のうえに成り立っているからな……今日の会議の予定を付けるために、各国家間に対する利害調整や政治的駆け引きで何人もの国家要人が辞職しているらしい。……止まれないのさ、誰も彼も》
《んー、つまり、今日を逃したらもう一度同じことが出来るかどうかわかんないってことなん?》
《恐らくな。だから空港はBVTとMPBに所属する人員の殆どに加え、虎の子の〝遊撃小隊〟まで動員されて鎮圧作戦を実行中なわけだが……一方で我々はまだ実戦経験が無い為に重要作戦に投入してもらえるだけの信用が無く、代わりに人員不足となった他の市街で勃発した事件へのフォローに回されたというわけだ――説明はこれで満足か?》
《あー、それでゥチらの指揮をBVTのなんか閑職っぽいひとが取ることになって、代わりにマティアス副長がおらんなってしもたんやね。空港の方行っとったんかー》
《ンフ。で、その代理指揮官さまは何してんの? 無線に殆ど参加しないけど》
《私に現場指揮を任されて、今は空港事件の指揮官と何か連絡を取られているらしい》
《……それ、ゥチらへの丸投げやん? 銀行強盗ぐらい自分らで何とかしろいう事か?》
《そういう言い方は良くない》疾風――苦々しく。《我々を試してくれているのさ。きっと、きっとな》
《ほーん》
《物は言いようだね?》
《……まあとにかく、今日は我々〝第一支援小隊〟の初出動で、この作戦はいわば試金石となり得る任務だ。つまり私たちが実用に足る戦力であるか否かという決定は、今日の結果によって判断されるだろうということだ……ぬかるなよ》
《
《
《よし。では事前の取り決めに従い、このまま――まて。集団から歩み出て来る者がある。敵構成員のようだが、情報に無い――ドイツ人じゃないぞ。奴は……》
疾風――通信越し、不意に息を飲んだ/絞り出すように続けた。《
《どーしたのぉ? なんかあった?》
《アラブ人だ》諦観に満ちた声――どこか懐かしむような、しかし悲しみの響き。《ああ、しかも――畜生、知った顔だ。私のツラが割れた。最悪の巡り合わせだ。糞っ、だから顔見せなどするべきではないと事前に――失礼》
《
《プランBってなんやのん?》=芙蓉。
《無い》=疾風――腹を括った声。《今から作る》
*
「久しぶりだね、疾風。こんなに大きくなって……」
「何故……貴方がここに……」
「……少し、この街での仕事を手伝ってもらったお礼にね。ちょっとしたお目付け役みたいなものかな。まあつまり、彼らに協力している。色々とね」
仕事――アラブ系テロリストが必要とする物について――連想されるのは空港におけるPFLPの占拠事件――まさかこの集団が武器供与に関係を?/ヨーロッパでの活動においては白人であることが最も目立たずにすむ/ロート・ヴィエナとPFLPには現地協力関係が?
「同じ目的を有する者達は協力すべきだからね――それが二十一世紀の先進的思想という奴だ」
殆ど老境に差し掛かったそのアラブ人の男は、顔を覆っていた
艶やかな木製ストックが印象的な、世界でもっとも有名な
「警官になったのかい……」
「はい、おひさしぶりです」呼びかけられた少女=両手を上げて非武装を示したままの疾風の返答。「本当に……とても、お久しぶりです。ロネンおじさん」
「疾風。どうか私のことをユダヤの名で呼ばないでおくれ」やんわりと――しかし絶対的な拒絶の声。「今の私は〝オクダイラ〟と名乗っている……」
「その名は」疾風――困惑気味に。「しかし何故……」
「きみがここで警官などやっているという事は、〝ゼペット〟はやはり死んだのだな」
「はい」淡々とした態度の裏側で巻き起こる衝撃――――古い記憶が魂の奥底から木霊している。「五年前。この森で」
古い記憶だ。
この森で、朱く染まっていった者達の。
『
『疾風――――』
『闘争こそが革命の――――』
『疾風、君にしか出来ない仕事だ――――』
『死んでいった者達――――』
『君のことをこれから――――』
『夜空の――――』
『同志と――――』
『〝死んでオリオンの三ツ星になろう〟』
「お守りとして持ち歩いていたんだ。散って行った小さな革命闘士の事を忘れることの無きようにと――しかし、生きていたとは驚いたよ」オクダイラが懐から取り出した物=一メートル近い長さの導火線を胴体に巻きつけた金属パイプの切れ端――――手製のパイプ爆弾。「君の先生役は……夕食の出来あがる夕方5時までが私の持ち回り。夕食の後からはゼペットが君に教えた――懐かしいな、疾風。きみは本当によい生徒だった。私たちの理想を授けるにふさわしい戦士だった……粉うことなく」
オクダイラの思い出話に掻き回されて、古い記憶が渦巻いている――――かつてこの森を駆け巡った幼い疾風の小さな手の中に握られていた凶器/狂気/狂喜。
工事現場用ヘルメットに手拭いを挟み込んで顔貌を覆った――――〝疾風・クラーラ・アイヒェル〟という幼い子供の
己の名誉でなく成すべき使命の為にこそ銃を取るべく/決して自らの個人的な尊厳の為に暴力を振るったのではないという証明の為に――かつて聞かされた〝リッダ闘争三戦士〟のお伽噺に対する疾風なりの解釈をもって。
それこそがこの世に真実を持たらすために必要不可欠な行為なのだと信じて、その手の中にある物を投げつけた――――森の木々の間で誰かの悲鳴が木霊していた。
懐にパイプ爆弾を仕舞い込みながら、オクダイラが嘆くように頭を振った。「それがどうしてこのようなことになってしまったのか――教師として、私は慙愧の念に堪えないよ、疾風」
疾風は己の記憶の片隅に残る光景を思い出した――かつてこの森に開かれた訓練キャンプにて、幾人もの左翼テロリスト達に向けて教鞭を振るった〝オクダイラ〟/当時の欧州極左組織と提携関係あった
疾風=その生徒――AK47を始めとした自動小銃の構え方を教わった/装填された7.62×39mm弾の破壊力を教わった/たった一発でもまともに喰らえばまず助からないだろうという恐怖を教わった――かつてベイルートへ侵攻したイスラエル軍との交戦時に若き日の彼が撮影した記録映像を教材として用いながら。
「疾風、きみにチャンスをやろう。生き返るチャンスを。その制服を脱ぎ、ロート・ヴィエナに加わりたまえ。
疾風――ライフル弾が己の胴体を食い破る様を幻視しながら、「何故……今更になって私を勧誘しようと?」
「恐らく君が思っている以上に、君の名前は有名かつ有用なんだよ。なあ、〝マインホフ〟」
オクダイラに〝マインホフ〟と呼ばれた男――先ほど疾風と人質交換の交渉を行っていた〝ロート・ヴィエナ〟の構成員が、ゆっくりと頷いた。
「さっき話した時は気づかなかった。まさか生きていてくれただなんて思わなくて――」男――古い記憶を辿るように瞑目しながら「あのとき――あのとき、きみの腕を握ってあげられなかった。そのことがずっと気がかりで、おれはその時の悲しみを世界に伝えようとしたんだ。君の記事をたくさん書いたよ。おれが見た光景と、思った事を……」
疾風――びっくり/まったく面識のないはずの男にまでツラが割れている。
男の語った言葉――記事/腕を握ってあげられなかった。
数瞬の思考――むかし、
男――己の思想について熱狂的に演説する。
公権力による理不尽な思想弾圧/資本と権力を有する者の傀儡たる治安機構/それらの歪みを指摘する記事の数々が差し止められて来た経験――とりあえず何か色々政府に対する不満を溜め込んでいたらしい経歴=吐露。
「俺たちの殆どは君の行動に感銘を受けた結果として、ここにいる」男が短機関銃を空へ掲げた――背後のロート・ヴィエナ団員たちが呼応して雄たけびを上げた。「君がもう一度革命の為に立ち上がってくれるならば、我々のシンパはさらに増えるだろう。入団希望者も。疾風・クラーラ・アイヒェルはそれだけの事をしたんだ。たった10歳かそこらの少女がミリオポリス中の警察を相手取って堕落した治安機構へ唾を吐き掛けたあの逸話は、語り草になっているぞ。……たとえば我々ロート・ヴィエナが所属する、ゾル――」
「マインホフ、そこまでだ」
「……話が過ぎたか」オクダイラの制止を受けて、マインホフは掲げた短機関銃を手元へ構えなおすと、空いた方の手を疾風へと差し出した。「我々と共に来い。そして政府の犬として働いていた己の半生について、動画配信サイト上で自己批判するんだ。そうすることで君は新たに生まれ変わる――我々と共にヨルダンへ逃れ、そこで革命闘士として鍛え直すんだ。その肉体から――精神から、全て」
己を迎え入れようと差し出された左手/短機関銃のトリガーに指を掛けたままの右手。
開かれた手/握り込まれた手。
その手を取るか/取られるか――命を。
疾風――しばし瞑目/瞼の裏に走馬灯のように流れる光景=かつて疾風は差し出された掌を握った――それが新しい世界への進歩だと信じて/歩み続けることは何よりも尊い行動なのだと信じて/それこそが正しい選択なのだと信じて――心から。
勧誘/脅迫/大義名分――己の過去の振る舞いが残した伝説/熱狂する極左の若者たち/自らの進退――この集団に迎合した場合に己が取り戻す物について/この集団を拒絶した場合に己が辿る顛末について=その全てを思考の片隅へ押しやりながら疾風は己を狙う銃口の脅威について考えていた。
「さあ、共に来い」マインホフが呼びかける/オクダイラがAKの照門を覗き込む。「行動あるのみだ、疾風……今すぐ決めなさい」
「貴方がたの組織に加われば……銃を降ろして頂けるのでしょうか……」疾風――開いた眼で二人の男を見渡しながら。
「ああ、そうだとも」オクダイラ――マインホフより数歩後ろに位置取りながら、疾風の頭部から決して小銃を外そうとはせずに。
「それはとても素晴らしい要求です。私も、それですべてが丸く収まるのであれば、是非ともそうさせて頂きたいのですが――」疾風――小馬鹿にしたように軽く鼻を鳴らしつつ/男たち二人の
「なに……?」疾風の言を受けて、マインホフが振り返った/オクダイラが視線を肩越しに背後へやった――その刹那。
《転送を開封》
疾風の全身がエメラルド色の輝きに包まれる/その四肢がまったく別の形へと置換されながら金切った――さながら大地から引き抜かれた
置換されゆく両足で踏み切った――己を狙う銃手の意識がほんのわずかに逸れた瞬間を狙いすまして飛びかかり、置換されゆく両腕を振り上げた――目前で無防備な姿を晒したマインホフの首筋へ目がけて、空中で手刀を振り下ろした。
「いったい何――がぁっ!?」
転送光を振り払った右腕は既に機甲化されており、発揮された怪力はマインホフの鎖骨を容易に叩き折った。痛みと衝撃で短機関銃を取り落としながらくずおれる彼の姿を視界の端に収めつつも、疾風の両目の焦点はすでに彼の後方に立つオクダイラの姿を捉えている。
銃口――鋼鉄の死神の口先に燻る煙草の色を幻視した――赤。
AKの照準器とオクダイラの眼孔が一直線を結んでいる――頭で考えるより前にマインホフの折れた鎖骨へ足を掛けて蹴り飛ばした/マインホフが悲鳴を上げた/反動で互いに左右に飛び離れようとして身体を捻った――やがて発砲炎が死神の煙草の先端に踊り出すと、三発の鉛玉が殺意を風切りながら二人の間を駆け抜けた。
発射された弾丸が足裏を擦って後方へ抜けて行くのが疑似的な触覚を通して脳髄に伝わった――両手脚に備わった空圧式推進機構へ脊髄反射的に緊急駆動命令を送りながら、疾風は奇襲の失敗を悟って歯噛みする。
空中でゴム鞠のように跳ね上がった彼女の軌道をなぞる様に銃口が傾き、7.62x39mm実包の破壊的衝撃力を纏った弾頭が螺旋運動を描きながらその矮躯へと殺到した。
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