25 彼女たちの流儀

 始業式の後のホームルーム。それが終わるとき、担任の木島先生が俺に職員室に出向くように言った。

 木島先生は深刻な表情をしていた。

 怪訝に思いつつ職員室に行くと、生徒指導担当の教師が待っていた。

「君はここで待っていなさい」

 生徒指導担当の教師が木島先生に言う。先生は悔しげにしていた。

 職員室に接している校長室に連れられる。

 校長は五十代の恰幅のいい女性だ。臙脂色のスーツを着ている。

 俺は応接用のソファに座らされた。背後に学年主任と生徒指導担当の教師が立つ。

「なぜ呼び出されたのかわかっていますね?」

 校長は微笑して尋ねた。

「まったく…」

 本心からそう答えた。注意される事柄が思い浮かばない。校長がノートパソコンの画面を見せる。

 夏コミの会場でコスプレをしてノリノリでポーズをとっている俺の写真が映っていた。

 《このコスプレイヤーエロすぎww》というコメントが添えられている。

「今日から自宅謹慎なさい。正式な処分は追って通知します」

 校長はそう言い渡した。

 あらためて写真を見る。やはり自分だった。男子高生、それも自分の写真だ。コメントの意味は理解しかねた。


 生徒指導担当の教師に連れられて職員室に戻ると、桐野が自分の担任を捕まえて抗議していた。

「草鹿くんがコスプレしたのは私の頼んだことなんです。もし、草鹿くんを処分するのなら私もしてください!」

 桐野の担任は困った様子で宥めていた。

 俺を見つけた桐野が駆け寄ってくる。話によると、俺のコスプレ写真の画像は夏休み明け前から校内に拡散していたらしい。

 桐野は俺のクラスから広まった噂を聞き、職員室に駆けつけたということだった。

 俺は生徒指導担当の教師に尋ねた。

「処分がありますか」

「停学かな」

 教師は簡潔に答えた。

「何日くらいです」

「何を言っているんだ。少なくとも今年度中はだ。もしかしたら退学かもしれない」

 俺は呆然とした。

 なぜ肌を晒したからといって、そこまで社会的に糾弾されなければいけないのか。元の世界で自分が半裸でいたからといって、処罰されることがあるだろうか。

 校長室から校長が出てくる。木島先生が抗議する。

「処分が大きすぎます。せいぜい口頭注意で十分でしょう」

「木島先生。我が校には教育機関としての責任があります。つまり、生徒たちに正しい性道徳を守らせることです。範を示さなければなりません」

 校長の意見は揺るぎないようだった。

 正しい性道徳とは何だ。元の世界では成立しないルールではないか。いつかの女子大生の言葉が蘇る。「慣習はそれ自体がルールなんだから、具体的な理由は関係ないでしょ」

 周囲の雑音が遠のく。視界が歪む。

 桐野が俺の肩を叩いた。

 俺はそれで我に返った。

 桐野は職員室の事務机の上に昇った。

 視点の上がった桐野を見上げる。

「桐野…?」

「これがライトノベルなら今が最終章よ。今いいところを見せなくていつ見せるの」

 桐野は一呼吸おき、スッと息を吸った。

 大声で言う。

「人の体をジロジロいやらしい目で見てんじゃないわよぉー!」

 先ほどから、教師たちの視線は俺に注がれていた。

「肌を見せたから何だと言うの? 北欧の住人は男女関係なく、サウナで全裸で汗を流しているわ。西海岸の住人はヌーディストビーチで肌を焼いている。南米の部族に至っては、腰蓑一枚の裸で生活しているのよ。いやらしい目で見ているからいやらしく見えるのよ。破廉恥と言って、恥知らずはあなたたちの方よ!」

 部屋中の教師の目が桐野に集まっていた。桐野は肩で息をしていた。

 木島先生が事務机を叩いた。

「校長。いくらなんでもやりすぎです」

「木島先生。あなたも従わなければ職務命令違反で懲戒処分にしますよ」

「私には辞表を提出する用意があります」

 校長はさすがに怯んだ。

 俺はとめた。

「先生、やめてください。アラサー独身が無職になってどうするんですか」

 木島先生は俺を睨んだ。

「とめるな草鹿。ヒロイズムに酔っているわけではないぞ。貴様には他の生徒とは違う何かを感じるのだ。それを社会に活かすために辞職するなら本望だ。言っただろう。私が職を賭すのは謂われなき疑いで退学になりかけた生徒を救うときだと」

 校長は体勢を立て直した。

「いいでしょう。辞職できるのならしてみなさい。しかし、県下で再就職できるとは考えないことですね」

 異変が起きたのは職員室だけではなかった。

 職員室の外が騒がしい。

 扉がガラッと開いた。

「草鹿!」

 六条先輩だった。

「桐野から連絡くれたからさ。応援を集めておいたよ!」

 六条先輩の背後から男子生徒が歩み出る。

 笹木だ。背後に大勢の男子生徒を連れている。

「俺、この夏休み、合コンのときどうしてお前があんなことを言っていたのか考えてたんだ。考えてもやっぱりわからなかったよ。でもあのとき、なんかお前がカッコよく見えたんだ。だからお前が処分されるのは許せない」

 背後の男子生徒たちを示す。

「クラスの男子と男子テニス部で署名を集めたよ。もしお前が停学になったら、その期間、俺たちも自主休校するってな!」

 男子生徒たちが雄叫びをあげる。

「クラスの女子と女子テニス部の署名はあたしが集めたよ!」

 伊月が女子生徒を引き連れて笹木の横に立つ。

 歓声が続いた。

「みんな…」

 俺は呆然としていた。

 笹木が檄を飛ばす。

「草鹿の停学が撤回されるまで、職員室から誰も外に出すな!」

 職員室の出口で生徒たちがスクラムを固める。教師の何人かが突破しようとし、生徒たちがとめる。

 校長が教師たちに命じた。

「警備員を呼びなさい! 生徒が教師に反抗するなど、断じて認められません!」

 警備員が階段を昇ってくる。生徒たちを職員室から引きはがそうとする。

 そのとき校内放送が鳴った。

《全校生徒にお知らせします。これより本校は無期限の授業ボイコットに入ります。要求は二年一組、草鹿創平の処分撤回です。しかし、これは彼の問題ではありません。私たち一人一人が真に自立できるかの問題です。今、有志が職員室で交渉しています》

 桐野が不思議そうに呟いた。

「誰…?」

 俺には黒川の声だとわかった。普段の口調とかけ離れているため、他人にはわからないようだった。

 校長が怒鳴る。

「この放送をやめさせなさい!」

 だが、そのときはすでに生徒たちが廊下に集まっていた。何人かの生徒はスマホで撮影している。校長は言葉を失った。

 その後、俺たちは校長と直談判した。校長室で校長と俺、桐野、伊月、笹木が対峙する。木島先生が立会人になった。俺に処分は下さないという校長の言質を得て、集まった生徒たちは解散した。


 騒動が終わり、俺は桐野と下校しようとしていた。道すがら、男女問わず、大勢の生徒たちに声をかけられる。いずれも励ましだった。

 校門のところに伊月、黒川、六条、笹木、それから木島先生が待っていた。

 俺は全員に頭を下げた。

「今日はありがとう。お陰で学校を続けられる。先生もありがとうございます」

 笹木が言った。

「気にするなよ。それに、お前はいつか何かやってくれる気がするんだ。庇うのもそのためだ」

「笹木…」

 木島先生が言った。

「貴様ら、焼肉にでも行かないか。今後のことも話しておかなければならん。当然、私の奢りだ」

 全員が歓声をあげた。

 桐野が感慨深そうに言う。

「ここにいるのは全員が処女と童貞だわ。私たちは最高の仲間よ。あなたたちと知りあえたことを、私は誇りに思うわ」

 伊月と笹木が木島先生を見る。

「全員が処女と童貞って… え? え?」

「桐野ォ! 貴様というやつは最後まで!」

 先生は涙目になっていた。

 そのとき、一人の女生徒が近づいてきた。女生徒は俺に囁いた。

「元の世界に戻りたいかい?」

 驚き、その女生徒を見る。文芸部副部長の三宅先輩だった。

「今日の騒動は聞いたよ。ここまで大事になるなら、もっと早く事実を話して、善後策を講じるべきだった」

 木島先生は三宅先輩に言った。

「夏休みのとき、進路相談で大宮の自宅に行って以来だな。何の話をしているんだ?」

 三宅先輩が高麗洵だった。

 俺は三宅先輩に掴みかかった。

「俺がこの世界に転移した秘密を知ってるのか!?」

「知っているというか… 私が君をこの世界に連れてきた」

 三宅先輩は他の面々に言った。

「彼と話がしたい。ただ個人的な話になる。二人だけになりたい」

 伊月たちは複雑そうだった。だが俺の様子から、重大な問題であることは察した。

 桐野は言った。

「人のいないところなら、私の家がいいわ。今日は誰もいない。誰かに話を聞かれる恐れもないわ」

 三宅先輩は難色を示した。

 俺は低頭した。

「俺からもお願いします。桐野だけは話に立ち会わせてください」

 先輩は承諾した。

 木島先生がまとめた。

「よし、今日は解散しよう。草鹿たちのことについては、また後日場を設ける」

 そして、俺たち三人は桐野の家に向かった。

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