22 腐り姫

 桐野とは大宮駅の《まめの木》前で待ち合わせをした。池袋に行くためだ。

 桐野はボウタイの付いたブラウスに、ハーフパンツの服装だった。上下ともしまむらのブランドだ。

 俺も同じく上下ともしまむらで揃えている。

 夏休み中も学校には制服で登校しているため、たがいに私服は新鮮だった。

「それ、しまむら?」

「ええ」

「似合ってるよ」

 桐野はかすかに頬を染めた。

「聞いた噂だと、渋谷あたりの若者は穴のあいたジーパンを履いてるらしいよ」

「可哀想… きっと新しい服を買うお金がないのね」

「俺たちにはしまむらがあってよかったな」

 黒川が高麗洵の手がかりを見つけた。成人向け同人サークルのコミュニティに高麗洵がいるというのだ。そのコミュニティに参加するため、俺がコスプレイヤーとして接触することになった。そのため、コスプレ用の衣装を買いに行く。

「衣装のセットにウィッグ、小物、メイク用品を合わせて幾つかのコスプレ専門店を回らなければならないわ」

「秋葉原?」

「県内で済ませましょう」

「じゃあ、池袋か」

 かくなる事情で、俺たちは池袋に向かっていた。

 池袋駅で下車し、地下の駅構内から地上に出る。

 桐野は感想を漏らした。

「そのうち、都内にも遊びに行ってみたいわね」

「そうだな」

 桐野に同意する。

 言うまでもなく、池袋は埼玉県の地域だ。

「今度は秋葉原にでも行ってみようか」

「いいわね。東京のオタクの聖地は何が違うのかしら」

 サンシャイン通りでは執事の衣装を着た男性がチラシを配っていた。執事喫茶らしい。

「やはりオタク系サブカルチャーといえば執事よね。ご主人様にご奉仕。そして、朝はクンニリングスで起こしてくれるのよ」

「住み込みで働いている人間が性的に襲ってきたら怖いだろ」

「エッチは得意だけど、仕事の方はまったくダメなのもお約束よ」

「それ、仕事がセックスなだけじゃないか?」

 桐野が言って、コスプレ専門店に行く前にとらのあなに寄った。池袋にはとらのあなは男性向けと女性向けの二店舗がある。俺たちが寄ったのは後者だ。

 雑居ビルの一フロアで、エレベーターを降りて正面にコミックとライトノベルが平積みにされている。

 平積みにされているライトノベルを見ると、どれも表紙は白塗りの背景で美少年がポーズをとっているものだった。『私がお坊ちゃま学校に「庶民サンプル」として拉致られた件』。『彼氏たちのメシがマズい100の理由』。

「何を買うんだ?」

「何も買わないわよ。ただ、店内を一周するの」

 意図がわからず不審に思いつつ、桐野の後をついて店内を一周した。

 一周したあたりで、桐野が堪えきれない様子で口元を押さえた。やがて笑いだす。

「アーッハッハッハ! ついに夢の《カップルでオタクショップをデート》を実現したわ! 彼氏などいまだいたことのないようなオタクたちを羨ましがらせるこの快感。つい先日まで私もあちら側にいたとなれば、なおさらだわ」

 俺はドン引きしつつ尋ねた。

「リア充はクズだとか言ってなかった?」

「そうよ。私以外で彼氏をつくる女は全員クズよ。私以外の女はみんな死んで、毎日違う男とセックスできるようになればいいのよ!」

 桐野は俺の腕を引いた。

「さあ、次は十八禁コーナーに行きましょう。そして今晩は成年向けコミックか同人誌でオナニーをするだろう女たちに彼氏を見せつけるのよ! ついでにコス衣装も見てコスプレセックスするように思わせましょう!」

 桐野はいつになく上機嫌だった。


 とらのあなのあと、桐野の頼みでアニメイトにも寄り、時刻は正午を過ぎていた。

 桐野はGL作品をあつかう店の並ぶ《青年ロード》に行くか尋ねたが、GLには興味がないため断った。

「お昼、吉野家でいいかしら」

「そうだな」

 吉野家でテーブル席に着く。

 先日、黒川の自宅で言われたことを思い出す。俺が桐野を好きなことを自覚しろというものだ。また黒川によれば、桐野も俺に好意を持っているらしい。そのことを考えると気恥ずかしくなる。

 メニューに視線を落とす桐野を眺める。黙っているところを見ると、睫毛が長く、整った顔立ちだ。急に緊張してきた。

 注文を済ませてから声をあげた。

「あ」

「どうしたの?」

「いや。これ、一応デートだろ。もっとデートらしい店の方がよかったかなって」

 店員が二人の注文を運んでくる。桐野は運ばれてきた牛丼をじっと見詰めた。

「一発芸をやるわ。ショートショート《異世界から日本に来て初めて牛丼を食べたエルフ》」

 そう言うと、桐野は真顔になり、牛丼を前にして実況中継をはじめた。

「《それは、器に盛った米飯に、玉ねぎとともに煮込んだ牛肉をのせたものだった。煮込みは醤油という豆を発酵させた調味料で味付けされていた。ふっくらと炊き上がった米粒に、わずかに煮汁が染みている。米と牛肉を一緒に口に運ぶ。米が口の中でほぐれる。味の染みこんだ肉の赤身と、脂身の快感が舌に伝わった…》」

 俺は机に突っ伏して肩を震わせた。

「どうして異世界から来た人間はいちいち日本の料理に感動するんだろうな」

「異世界は基本的に中世ファンタジーだもの。日頃の食生活が野草とかなのでしょう。埼玉県民として同情するわ」

「埼玉県民が普段から雑草を食べているみたいに言うな!」

 桐野と俺はそれぞれ牛丼とカレーを注文していた。

「異世界に日本の食文化を持ちこむのは、埼玉に《馬車道》がオープンしたときの衝撃と同じようなものと考えればいいわ」

「《馬車道》が出来る前から埼玉にも洋食はあったから」


 いよいよ俺たちはコスプレ専門店に行った。

 衣装がハンガーラックに大量に吊り下げられている。

「どれがいいのかな」

 桐野は唇を軽く噛んだ。

「当然の前提として、コス売り子を募集しているサークルのジャンルよ。成人向けだから、もしかしたら露出のあるエロ改造したコスプレの方がいいのかしら。正直、草鹿くんの肌を人に見せるのは抵抗があるのだけれど」

「露出って?」

「これとか」

 と言って、桐野はコスプレ衣装のセットの一つを手にした。腰と胸元を隠すだけの衣装だ。

「なんだ。このくらい。水着の方が露出度は高いじゃないか」

「この清楚系ヤリチンが!」

 桐野は俺の背中を殴りつけた。

「そういう扇情的なコスプレをして、オタクたちの欲望を煽ったコスプレイヤーが、イベント終了後にホテルでサークル主や撮影者とオタクたちへの優越感を燃料にコスプレセックスするのよ! 恥を知りなさい!」

「恥を知るのはお前の方だ。全コスプレイヤーに謝れ!」

 そのサークルのジャンルは流行りのソーシャルゲームだ。同人誌の主役となるらしいキャラクターの衣装を選ぶ。桐野が見せた衣装と同じ程度に露出がある。それに合わせ、ウィッグとカラーコンタクト、小物も買う。費用は一万円をこえた。クレジットカードで決済する。

 店を出たあと桐野が言った。

「コスプレ衣装も買ったことだし、早速、池袋駅北口のホテル街でコスプレセックスしましょう」

「さっき恥を知れとか言ってなかったか?」

 ホテルの代わりではないが、俺たちはサンシャイン水族館を観覧することにした。サンシャイン水族館はサンシャイン60に隣接するビルの最上階と屋上にある。

 屋上の水槽でペンギンたちが戯れている。

「へえ。あのペンギン、今年生まれたんだって」

 桐野は泣いていた。

「ペンギンですら生殖しているのに…」

 鳥類に嫉妬する桐野に憐れみをおぼえた。

 その後、黒川の自宅に移動した。

「では、早速着替えてみてくれる?」

 桐野が言う。黒川もすこし期待しているようだった。

「わかった」

 俺がシャツを脱ごうとすると、桐野がその辺にあったハードカバーで頭をぶん殴った。

「何を考えているのよ! 私たちが部屋を出るまで待ちなさい!」

「別にいいよ。見られて困るわけでもないし」

「あなた、その貞操観念を本当にどうにかした方がいいわよ!?」

 桐野は顔を赤くしていた。

 着替えて、室内から扉をノックする。そこでようやく桐野たちは入室してきた。

 コスプレで自撮りして、俺のツイッターの表アカウントから件のサークル主にダイレクトメッセージを送った。

「現役男子高生のコスプレイヤーなんて喋るラブドールとしか見られないわよ。きっとオフパコを持ちかけてくるわ。草鹿くん、そのときには催涙スプレーと防犯ブザーを携帯していくのよ」

 桐野は戦慄していた。

 しばらくして返信がくる。

 内容は、サークルの頒布する同人誌は成人向けだということ、一八歳未満の閲覧・購入が禁止だということ、両親の許可はあるのかということだった。文章は丁重なもので、かえって恐縮した。

「汝れの思うような人間ばかりではないということじゃの」

 黒川が勝ち誇ったように言う。

「ぐぬぬ…」

 桐野は歯噛みした。

 その後、コス売り子の申し出は了承された。

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