20 素晴らしき日々
翌日、桐野はふたたび文芸部に俺たちを招集した。六条先輩も補習の後にきた。
六条先輩には前日のことを簡単に話した。
「高麗洵に会う方法を考えたわ」
桐野は表情に自信を湛えていた。
「おお」
短期間に二つも策を立案したことに俺は感心した。
「ライトノベル作家に会う。それには同業者になればいいのよ!」
俺は席を立った。他の面々も続く。
「アイスでも食べにいくか」
「それならカラオケいかね?」
「あ。あたしクーポンもってるよ」
「それは好都合じゃの」
桐野が追いすがる。
「話を聞いて頂戴!」
「もうラノベの原稿を読まされるのはこりごりなんだよ!」
桐野は俺たちの制服を掴んだ。
「昨日読ませたのはファンタジー系ライトノベルだわ。ライトノベルはバトルアクションだけではないの。もう半分、学園青春コメディがあるのよ」
俺たちは出口に向かった。
「そのカラオケはペットボトルを持ちこんでいいのか?」
「フリードリンクだから心配いらないよ」
「我れはヘビメタを選曲したいのじゃが、いいかの」
「アンタってロックを聴くタイプだったんだ」
制服を掴んだままの桐野を引きずっていく。
「お願い。無視しないで…」
桐野が半泣きになるため、やむなく話を聞くことにした。ふたたび席に着く。
桐野は説明した。
「読者を笑わせて、最後に少しホロリとさせる。これが学園青春コメディよ。『私は友達が少ない』、『やはり私の青春ラブコメはまちがっている。』など、数々の名作を生みだしているの」
伊月は難色を示した。
「でも、桐野にギャグを考えられるの? 桐野自体は面白いけど」
「どういう意味よ!」
ツッコんでから、桐野は何事もなかったように続けた。
「ギャグの基本はギャップよ。子供がカツラをつけていても面白くも何ともないけれど、いい歳した大人がやっていたら爆笑ものよ。ギャップによって笑いは生れるわ。ここにライトノベルとの相性の良さがあるの。イケメンがギャップのある行動をすることで笑いをとるの。これが、いわゆる残念系イケメンよ」
伊月が尋ねる。
「で、ギャップってどういう方向に下げるの?」
桐野はニヤリと笑った。
「イケメンがしていれば確実に蔑まれ、社会的に非難され、なおかつオタクが親近感を抱くこと。それはオタク趣味よ。オタクの私が言うのだから間違いないわ」
「自分で言ってて悲しくならないか?」
俺は哀れむように言った。
「イケメンが隠れてオタク趣味。これが残念系イケメンの基本よ」
「女がオタクなのは駄目なのか?」
俺が尋ねると、桐野は怪訝そうにした。
「女でオタクなのは普通じゃない。男がオタクだからギャップが生じるのよ」
伊月が言い添える。
「というか、女子高生でオタクって、それもうただのオタクだよね」
「だから、オタサーに男が入るとチヤホヤされてオタサーの王子になるし、オンラインの情報誌とかで《○○男子》とか言われたりするのよ。草鹿くん、あなたもオフ会とかオタサーとかに顔を出してはダメよ」
「……」
もう手遅れなのは言わないことにした。
「でも男オタク向けのコンテンツもあるだろ」
「GL(ガールズラブ)ね。薔薇(BL)よりよほど市場規模は大きいわよ。コミケの二日目も男性向けじゃない。『週刊少女ジャンプ』のGL同人誌が溢れているわ。最近は、『週刊少女ジャンプ』も男性読者の存在を意識したらしい作品が増えてきて不愉快だわ。最近は薔薇も増えてきているけど、私はそれほど好きではないの。でも、『きららコミックス』系統の美少年たちが雑談しているだけの日常系四コマはいいわね。私も薔薇ップルの間に挟まりたいわ」
「話を本題に戻せよ」
六条先輩が促す。
桐野は咳払いをして、話を続けた。
「私の『私は彼の灰色の学園生活を青春にやりなおさせる』は、こうした明確なコンセプトに基づいているのよ。失敗するはずがないわ」
自信満々に言う。
「メインの攻略キャラは、オタク趣味とのギャップを出すためにギャル男にしてあるわ。友達が大勢いて人気のあるリア充。オタクのことを見下しているわ。それが実はオタク趣味。これがギャップよ」
「あたしも友達もラノベくらい読むよ。深夜アニメを見てる子もいるし」
伊月が水を差す。
桐野は平然としていた。
「リア充が高尚なオタク文化を理解できるはずがないわ。それに、深夜に『アンパンマン』が放送されているとは知らなかったわ」
六条先輩が伊月に加勢する。
「いや、アタシらも深夜アニメは見るし。最近は映画館でやってんのも多いし」
さすがに無視できなくなったらしく、桐野は吠えた。
「オタク文化は陰キャだけのものよ! オタクであることにアイデンティティとしての価値がなくなったら、彼氏を作ることができないオタクがリア充に比べて惨めすぎるじゃない! オタクのコンテンツはオタクだけのもの。リア充はオタクの敵よ!」
俺は憐れみをおぼえた。
「その考えの方が惨めじゃないか?」
「あなたは男子で簡単に彼女を作れるからそんなことを言うのよ。あなたのような男オタクが《一般人の擬態》とか言って、リア充の彼女を作るのよ。オタクならオタクの彼女を作りなさい! でなければ、一生、童貞を貫きなさい。この! この!」
「痛い! なんで俺に言うんだ!」
桐野は話を進めた。
「ギャル男は頭が悪く、貞操観念も低いからエッチなハプニングにも遭わせやすいわ。次に、ギャル男と対になるのがクールな優等生よ。黒髪で寡黙。読書家であるのが普通よ。真顔でボケたりツッコんだりするわ」
桐野は歯噛みした。
「クッ。黒髪でクールで読書家。私も男だったらライトノベルで人気のキャラクター属性なのに… 男でさえあれば…!」
俺を睨む。
「この、黒髪で読書家なんてあざといキャラクター属性をして。しかもオタク? ふざけなさい!」
「やめろ! オタクに性欲を向けられても気持ち悪いだけだ!」
悲鳴をあげる。
「ちなみに、クール系は成績が学年一位なのが基本ね」
伊月が言う。
「あたし、全教科総合で学年一位だよ。中学のときの北辰テストの成績見る?」
意外な長所に俺は驚いた。
桐野が毒づく。
「女が成績優秀でも嫉妬を煽るだけよ。伊月さん。三〇〇円で一二〇円の鉛筆を買うとお釣りはいくら?」
「わかってるよ。三〇〇円持ってても、一二〇円の鉛筆を買うのには二〇〇円しか出さないから、お釣りは八〇円だよね。あたしが勉強しかできないと思った?」
「は? そんなのは設問の都合に決まっているじゃない。答えは一八〇円よ。きっと伊月さんは小学生のころ、《一足す一はどうして二なんですか?》と教師に尋ねて困らせて悦に入っていた子供だったのでしょうね」
桐野はすげなく言った。伊月は肩を震わせた。
「以上の二人がメインよ。けど、私は隙なくハーレム要員を配置しているわ。こうした学園青春コメディでは主人公の集まる場所として部活動をつくることが多いから、その顧問よ。アラサーで独身、結婚願望が強く、けれど女運のない教師よ。ときどき主人公の女子高生に冗談半分で迫るわ」
「セクハラで教育委員会に訴えられるだろ」
桐野は前髪を指で払った。
「もちろん、ライトノベルの定石を踏まえて酒乱よ」
「そんな教師を顧問にしていいのか?」
「それから、主人公に懐いている後輩ね。よく主人公を性的に誘うような言動をするわ」
「ただのエロガキだろ」
俺のツッコミを無視し、全員に印刷紙の束を配る。
「能書きはもういいわね。では読んで頂戴」
二時間後、全員が読了した。原稿から顔を上げる。
桐野に尋ねる。
「この、ラストに主人公がリア充の女子と殴り合いをするのは何なんだ?」
「クライマックスよ。これがないと、書評サイトやアマゾンのレビューに《面白かったが、盛り上げが足りなかった》、《最後に主人公のカッコいいところを見せてほしかった》などと書かれてしまうわ」
伊月が言う。
「イジメられっ子が突然、暴れ出したって感じだけど」
「敵を倒したのよ!」
「敵?」
伊月は怪訝そうにした。
「リア充よ。リア充なんてセックスとスポーツのことしか考えていない低能のくせに、学校を支配して我がもの顔でふるまう害獣よ! その害獣を謙虚で真価を理解されることのないオタクが倒すのよ。どう、素敵でしょう?」
伊月は憐憫をこめた目で桐野を見た。
その様子に気付かず、桐野は得々として続けた。
「これで救われた攻略キャラが主人公に惚れるのも当然というものよ。主人公の真価が学校で理解されなくてもいいの。攻略キャラだけが知っていればいいのよ」
六条先輩も言う。
「知り合いが暴れるのを見たら、普通は距離おくッしょ」
続けざまの口撃に、桐野は肩を震わせた。
「まー。でも、わりとよかったんじゃね」
「え」
予想しない言葉に、桐野は顔を上げた。
「ぼっちの主人公の心情とかリアルだったよ。アタシも不登校ぎみだったしさ。そういうのわかんだよね」
桐野は長い髪の毛先を指で弄った。照れているらしい。
「まあ、私も草鹿くんが来るまでは孤独だったわけだしね。そのときの屈折した気持ちを書いてみたのよ」
伊月が言う。
「うん。桐野が孤独で屈折してたことが文章から伝わってきたよ」
「あなたが言うと違う意味に聞こえるのよ!」
桐野が怒鳴る。
「でも真面目な話、はじめに出てきたギャル男じゃなくて、ツッコミ役だった優等生の方が問題を抱えていたことがわかる展開は意外でよかったよ。それまで傍観者を気どっていた主人公が、そこで本当は自分も青春を送りたかったと自覚して、問題解決に乗りだすのもね。すこし感情移入しちゃった。まあ、リア充のギャルを殴って説教するのはどうかと思ったけど」
「あなたまでどうしたのよ…」
桐野は困惑して俯いていた。頬が紅潮している。
黒川も恥ずかしげに言う。
「文章が酷いの。商業出版のレベルに達しているとは思えぬ。しかし、我れも自分の理解者はおらぬと思って学校生活を送ってきたからな。筆者が何を伝えたいかは、まあ、わかったぞ…」
桐野の耳は赤くなっていた。
「みんな、やめて頂戴。私は褒められることに慣れていないのよ」
伊月が尋ねる。
「でも、どうしてこういう話を書いたの?」
桐野はストンとソファに座った。
「私、人間は本質的に孤独だと思うのよ」
桐野が抽象的な話をはじめ、全員が呆気にとられた。
「たとえどれだけ友人がいても、恋人がいても、人は死ぬときには一人でしょう? 去年、文芸部が解散して草鹿くんがくるまで、私はこの部室でずっと一人で過ごしてきたわ。そのときにこの確信を深めたのよ。自分が生きる意味が何かも考えたわ。けど、たくさん読んでいたライトノベルが気持ちを楽にしてくれたのよ。それで、ライトノベルで同じ気持ちの人間を救いたいと思ったの」
珍しく心情を素直に話し、桐野は恥ずかしそうだった。
俺は桐野に言った。
「わかるよ」
「いいえ。すぐに彼女をつくることのできる男には、非モテで陰キャでオタクの気持ちなんてわからないわよ」
「たまにはボケなしで会話しろよ」
さすがに苛々した。
桐野は真剣な眼差しで俺を見た。
「ふざけて言っているのではないのよ。ごめんなさい。でも、どうしても男にこの気持ちがわかるとは思えないの」
俺は考えた。桐野は元の世界の俺と同じだ。もし元の世界で俺が女に同じことを言われたら、やはり本質的な理解はできないだろうと、同じ結論に達したかもしれない。
桐野の手を握る。
「信じられないのも理解してる。だから伝えるだけでいい」
言葉を区切る。
「わかる。それでもわかるんだ」
「何よ… そんなこと言われたって、信じないんだから」
桐野は当惑していた。手を握られて赤くなり、そのまま視線を逸らしている。
黒川が咳払いする。
俺たちは慌てて手を離した。
黒川が言う。
「本題に戻るぞ。その原稿を草鹿の名義で編集部に送れば、汝れの目論見どおり採用されるかもしれん」
「だ… 駄目!」
桐野は大声をあげた。
「この原稿は自分の名義で応募するわ。修正する箇所もまだたくさんあるもの。そもそも、現役男子高生が執筆したからといって出版を決めるほど出版業界は甘くないわ。元の計画が間違っていたのよ」
印刷紙の束を大事そうに抱えこむ。
全員がその様子を見守った。
六条先輩が言う。
「てかさ、誰も言わないけど、このキャラのモデルって明らかに草…」
桐野はすばやく腹部に正拳突きを叩きこんだ。
「次はないわ」
六条先輩は床で悶絶していた。
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