19 大図書館の羊飼い

 後日、夏休み期間中。

 桐野はふたたび同じ面々を招集した。文芸部の部室だ。

「六条先輩は?」

「補修よ。今もこの校舎にいるわ」

 同情する。

 桐野は黒髪をかき上げた。

「高麗洵と連絡を取る方法を考えたわ。それは、同業者になることよ」

「そんな簡単にラノベ作家になれるわけないじゃん」

 伊月が呆れて言う。

 桐野は自信満々に断言した。

「いいえ、なれるわ。草鹿くんが書けば。正確には、書いたということにすれば」

「なるほどね」

 伊月は顎に手を当てた。

「現役男子高生ラノベ作家。内容がどうあれ、そのキャッチーさがあれば出版も現実的にありえるわ」

 俺は一瞬だけ混乱したが、現役男子高生ラノベ作家を、現役女子高生ラノベ作家に変換して納得した。

「キャッチコピーは《現役美形男子高生、ライトノベル作家デビュー》というところかしら。ちなみに、こういうときに《美形》を冠するのはセオリーであって、実際の美醜とは関係ないわ」

「後半は言わなくていいだろ」

 黒川が声をあげる。

「して、肝心の原稿はどうするつもりじゃ。原稿がなければブランドも意味をもたんぞ」

 桐野は微笑した。

「草鹿くんが復帰するまで、私が文芸部で読書していただけだと思ったの? 原稿ならここにあるわ!」

 桐野は印刷紙の束を配布した。人数分ある。

 表紙には『異世界転生でチートを3つくれるというから、1つめのチートでチートを1000個にした件』と書かれている。

「原稿だったら、顧問の木島先生や、それこそ副部長の三宅先輩に見てもらった方がいいんじゃないか?」

 桐野は痛ましげに言った。

「以前、副部長に原稿を預けたら、翌日に2ちゃんねるに晒されていたのよ。《ラノベの新人賞に応募しようと思うんだがww》というスレタイでね。案の定、嬉々として原稿の粗探しをするVIPPERたちのレスを、三宅先輩は一覧にして印刷してきたわ。得意げに《どうだい。参考になるだろう?》と言ってね。私は心に深い傷を負ったわ…」

 俺たちは沈黙した。

「だから、信頼できるあなたたちに原稿を正当に評価してほしいのよ」

 俺は言った。

「《キャラクター:1 どこかで見たようなキャラクターばかりで、魅力を感じません。 ストーリー:1 主人公の行動に説得力がありません。 世界観・設定:1 フィクションなのはいいですが、作中で矛盾していてリアリティがありません。 構成:1 展開がワンパターンで、盛り上がりに欠けます。 文章力:1 基礎的な文章を身につけましょう。 総合コメント ライトノベル以外の小説を読んでみるのもいいかもしれません。》」

「ライトノベルの新人賞のような講評をやめなさい! それにこの原稿はテンプレに見えて、そうしたテンプレへの批判を含んでいるのよ」

「《総合コメント 作者にはアイディアがあるようですが、それを表現できていないようです。》」

「その形式をやめなさい!」

 桐野が促すため、全員で原稿を読むことにした。


 一分も経たないころ、俺は顔を上げた。

「桐野…」

 沈痛そうに言う。

「主人公の名前が《桐野霞》なんだが」

「ああッ。直しておくのを忘れたわ」

 桐野が悲鳴を上げる。

「読みはじめて一ページで心に傷を負ったぞ。これからもこの苦行が続くのか…」

 伊月が励ます。

「人生は重荷を背負って長き道を行くが如し、だよ。草鹿」

「まるでシシューポスの岩じゃの… 当時、ラノベという概念があったらダンテは最下層の地獄を《友人の自作ライトノベルの下読み》と描写しておったかもしれん」

 好き勝手に言う俺たちに、桐野は無言で肩を震わせていた。

 一時間ほどして、全員が読了した。

「いかがだったかしら」

 桐野が期待に満ちた目で尋ねる。

 俺が代表して答える。

「《キャラクター:1 どこかで見たようなキャラクターばかりで、魅力を感じません。》」

「それはもういいのよ!」

 桐野が怒鳴る。

 伊月が肩を竦める。

「うーん。ハーレム展開なのはいいんだけど、キャラが主人公に好意を抱く動機が書かれていないから、その分、キャラクターとしての個性を感じないんだよね。一人称だけど、他のキャラクターにも感情移入できるように心情描写しておいた方がいいんじゃないかな。構成も単調だよね。これだと先が読めて気分が乗らないから、もっと工夫した方がいいよ。世界観も設定に一貫性がないよね」

「どうしてあなたが的確なコメントをするのよ!」

 俺は印刷紙をめくった。

「この序盤に出てくる《白銀の騎士》なんだが」

「メインの攻略キャラね」

 桐野は得意げに言った。

「こいつは王国の騎士団長で、しかも剣士でありながら雷系の魔法を使える天才なんだよな」

「そうよ」

「ならどうして、いきなり現れた日本の女子高生に助けられてるんだよ!」

 桐野はニヤリと笑った。

「それもオタクのね」

「なんでオタクの女子高生が魔物の軍勢を倒せるんだよ!」

「転生者に与えられるチートよ。助けられて惚れるのも当然ね」

「暴力の恐怖で従わされてないか?」

 桐野はフッと笑った。

「攻略キャラの敵を排除してハーレムに追加。これが王道よ。けど、私は純愛も大事だと思うの。《白銀の騎士》が主人公の本命だということは揺るがせにしないわ。シリーズが長期化したころには主人公のパンツを嗅がせるなど変態化させて、ハーレムと矛盾しないようにするわ」

「どこが純愛だよ」

 桐野は堂々と言った。

「オタクは差別されているのよ! 現実で男にモテないのだもの。ライトノベルで夢を見て何が悪いの!?」

 伊月が言う。

「この《白銀の騎士》ってエリートでプライドが高くて、主人公のことを軽蔑してるんだよね。それで事あるごとに《バカ》だの《クズ》だの罵声を浴びせてくる。でも、実は主人公のことが好きで、他の男と仲良くしてると嫉妬心を剥きだしにする」

「そう。王道のツンデレよ」

「結婚したらDVしてきそう」

 桐野は原稿を握り潰した。

 続けて俺が尋ねる。

「あと、主人公がパーティーの少年にベタベタ引っついているのは何なんだ」

「ショタ枠よ。ショタはパーティーのマスコット役よ。小学生くらいの年齢で、素直で純粋。邪念がないから主人公たちの恋愛沙汰からも圏外にいるわ。一種の清涼剤ね」

「小学生くらいの年齢だとエロいことは結構わかるだろ。俺も子供のころは高校生くらいのお姉さんに優しくされると嬉しかったな」

 俺の言葉に、桐野は床に膝を着いた。

「何てこと。草鹿くんが小学生のときにタイムスリップしたいわ。昨今は女が男子小学生に声をかけるだけで通報される時勢だと言うのに…!」

 伊月が呆れたように言う。

「いや、ショタコンはさすがにアウトでしょ」

「黙りなさい、この表現規制論者! あなたのような人間が『コミックSYO』の販売規制を訴えたり、成年向けコミックのゾーニングを主張したりするのよ! あなたのような偏狭で排他的な人間のせいで文化が衰退するのだわ!」

「『コミックSYO』って何。いや、わかったから言わなくていい」

 《ショタ》の頭文字で元の世界の『コミックLO』に相当するものだろう。

 黒川が咳払いをする。

「それでプロットなのじゃが」

 桐野は髪をかき上げた。

「ここまで散々、言われなき非難を浴びせられてきたけれど、プロットが文句を言われることはないわ。ごくまっとうなものだもの。私は王道の大切さもわかっているのよ」

 黒川はあらすじを言った。

「プロットはこうじゃな。主人公の転生した王国に大国が侵攻してきた。大国は、統一すれば王国もそれだけ繁栄すると主張する。だが、メインのキャラクターたちは自国の文化や伝統を守りたい。そこに主人公が加勢して大国の軍隊を退ける。大国が王国の独立を保証し、ハッピーエンドとなる。こうじゃな」

「ええ。そのとおりよ」

「ファンタジーである必要がないじゃろ」

 黒川の指摘に、桐野は絶句した。

「大国をイオン、王国を地元商店街にしても話が変わらないじゃろ。攻略キャラとやらは商店街会長の跡取り息子にでもすればよい。ファンタジーを舐めとるんか、ワレ? トールキンとル=グィンの墓前で切腹するか? 切腹は十文字じゃ。どちらかの墓前で一太刀入れたら、もう一方の墓前に連れていってやるぞ」

 黒川が幻想文学ガチ勢なのを忘れていた。というか、それは広島弁だろ… 激詰めで桐野は涙目になっている。

 口を挟む。

「いや、それじゃ駄目だ」

「草鹿くん…!」

 桐野は希望を湛えた目で俺を見た。

「埼玉県民ならスーパーはヤオコーかベルク。イオンは越谷だけで十分だろ?」

「そこはどうでもいいのよ!」

 桐野は怒鳴った。

「ファンタジーなら派手なバトルアクションができるのよ。聖剣を振るうと光や衝撃波が出るのよ。スーパー建設に伴う住民説明会で火炎魔法を使ったら、過激派の襲撃と思われて機動隊が出動するでしょう?」

 桐野は話を続ける。

「敵が大手スーパーの社員だったら、地域の産業構造とか生産性とか、複雑な話になるでしょう? 難しいことは現実だけで十分なの。オタクはクズの悪役を説教してぶちのめして気持ちよくなりたいのよ。ついでにセフレもできれば言うことないわ!」

「オタクが全員お前と同じレベルだと思うな!」

 思わずツッコむ。

 黒川が言う。

「作家にブランドがあったところで、これを商業化するのは難しそうじゃの」

「そんなことないよ」

 伊月が訂正する。

 反目する伊月が擁護したことに、桐野は感動した。

「《中学生のときに書いた黒歴史小説》と題してヤフオクに出品すれば物好きが買うかも」

「《百円のコーラを千円で売る方法》のようなマーケティングを実践しないで頂戴!」

 こうしてライトノベル作家になって高麗洵に会うという計画は潰えた。

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