16 信じて送り出したフタナリ彼女が農家の叔父さんの変態調教にドハマリしてアヘ顔ピースビデオレターを送ってくるなんて…

 桐野の家に遊びに行った日から、俺は部室に顔を出していなかった。

 俺もセックスをしそこなったことは惜しいと感じていた。しかも桐野は美少女だ。童貞を捨てる機会であったため尚のことだ。誘いを断るには、かなりの自制心を要した。その日は深い虚脱感に陥った。

 しかし、それも納得していた。

 セックスを拒んだのは、こちらの世界の性観念を受け入れられず、同時に、そのことで元の世界の性観念にも疑問を抱くようになったからだ。その疑問が解決するまで、状況に流されるがまま性行為に及びたくなかった。

 そういえば、伊月とセックスしかけたときは躊躇しなかったのに、桐野と納得しないままセックスしかけたときは、強い抵抗感があった。

 つまり俺は桐野が好きなのか?

 俺は呆然とした。

 いやいや… 顔はともかく、バカで変態の桐野を好きに? ありえない。俺は自分で自分の考えを否定した。

 何にせよ、元の世界に戻る。そして『ゼロの使い魔』の最終巻を読む。その目標に変わりはなかった。

 だが、桐野にそのような事情を話しても理解されるはずもない。結果として、桐野を傷つけた。顔を合わせづらく、黒川に部活に出ない旨だけを連絡して、夏休み目前まで一度も会わないまま来ていた。

 伊月が俺の机に近づく。

「草鹿。大宮に猫カフェができたらしいんだけど行かない? いや、下心なんかないからさ」

「……」

 先日から、伊月はときどきデートに誘うようになっていた。顔がニヤけていることに本人は気付いていないらしい。

「本当に下心なんかないって! …え、もしかして自爆? あたし自爆した?」

 思考に没頭して無視していたが、気付くと、伊月は一人で慌てていた。


 憂鬱そうな様子を見兼ねたのか、笹木が声をかけた。

「今日、合コンをやるんだけど来ないか? 相手は某私大の大学生だ」

「大学生、ってことは女子大生? マジ? 行く行く」

 笹木は若干引いていた。

「お前、そんなに彼女に飢えていたのか?」

 その様子を見て、俺はようやくこの世界の貞操観念が元の世界と逆転していることを思い出した。合コンに食いつく自分はさぞかしガッツいて見えただろう。

「文芸部の彼女は?」

 会話の折りをみて笹木が尋ねる。もし、そのことに触れられたくなくても、傷つけることがないようにと配慮されたタイミングだった。

「いや、彼女と言っていいのか」

 俺が言い淀むと、笹木は会話を続けなくてもいいように遮った。

「オタクの彼女なんて別れて正解だよ。人の話を聞かないし、気が利かないし、服がダサいし。それに、男子のことをエロい目でジロジロ見てくるし。あいつら、コスプレセックスとか要求してくるらしいぜ? マジキモいよな」

 否定できないのが悲しかった。


 夕方、俺は笹木と武蔵浦和駅前で集合した。二人とも私服に着替えている。薄暗く、すでに繁華街の赤橙が灯っていた。

 待ち合わせの居酒屋に行く途中、笹木が言った。

「喰われることはないようにしろよ」

「え。俺、女子大生の彼女ほしい…」

 本音を漏らすと、笹木は冷たい目を向けた。

「不良に憧れる中学生みたいなことを言うなよ。高校生と付き合いたがる大学生にロクなやつがいるわけないだろ」

 それは一理あった。

 笹木はテニス部の数人の名前を挙げた。

「今日はこいつらが来るから、せいぜいタダ飯をいただこうぜ」


 数時間後、俺は完全に場に呑まれていた。

 宴席の勢いを借り、大声をあげる女子大生たちは恐怖の対象でしかなかった。

「草鹿くん、頭よさそうだよね。なんか頭よさそうでエロいこと言ってみて」

「アリストテレスの『ニコマコス倫理学』に《たとえば、性交時に女性が上にならずに下になることは自然であり、そのような女性を「抑制がない」などとは言わない》って書いてあるんだけど、岩波文庫の邦訳では削除されてるんだよ」

「草鹿くん、サイコー! キャハハ!」

 死にたい気分になった。

 店員が乱暴にピッチャーを置く。衝撃でテーブルの食器が跳ねた。

「何、あの態度」

 女子大生が不快そうに言う。

 気分が沈んだまま、合コンは終わった。

 会計になり、女子大生たちが相談しているとき俺は言った。

「俺も払う」

「草鹿?」

 笹木が怪訝そうにする。

「もし、俺たちと交際する期待があってこの場を設定したなら、俺にはそのつもりがなかったんだから奢ってもらうのはおかしい」

 女子大生の一人が言った。

「合コンで女子が奢るのは慣習だよ。慣習はそれ自体がルールなんだから、具体的な理由は関係ないでしょ」

「俺はそのルールが認められない」

 笹木は呆気にとられていた。

 桐野とのセックスを拒絶したこと。この世界に来てからのすべてのこと。諸々のことが俺の中で限界に達していた。

 が、女子大生は軽くいなした。

「こんなところでミニ社会運動のつもり? でも、ミニだったら社会運動にならないよね。社会的な影響力もないし、個人的な満足感が得られるだけなんだから」

 不承不承、俺は頷いた。


 店外に出ると、女子大生は俺に話しかけた。

「君、面白いね」

「え」

「ウチに来ない? フリーライダー(サービスにタダ乗りする需要者)が認められないんでしょ? あの合コンがきっかけで君がウチに来たら、フリーライダーじゃないじゃん」

「いや、それは…」

 予想しない攻勢に遭い、たじろぐ。うまい反論が思いつかない。

「さ、行こ行こ」

 女子大生が体に手を回す。

 そのとき自転車のベルが鳴った。

「草鹿じゃん。どうしたの?」

 伊月だ。シャツにジーパンのラフな格好をしている。

 ナンパを邪魔されて女子大生は眉間に皺を寄せた。

「誰? 彼女?」

「うん」

 伊月はあっさり頷いた。

 俺が視線を向けると、目配せを返した。困っているのを察したらしい。

 伊月の言葉を額面どおりに受けとったわけではなかったが、どうあれ二対一で無勢になり、女子大生は不満そうに帰っていった。

「伊月はどうしてここに」

「六条先輩から連絡があったの。草鹿が合コンでヤバそうだから、助けてやれってね。あたし、ここが地元だから」

「ああ」

 六条先輩がバイトしている居酒屋というのはここのことだったのか。気付かなかったが、あの乱暴な店員は六条先輩だったのだろう。六条先輩はテニス部に入部したから、伊月と知己になっていても不思議はない。

「本当に助かったよ。ありがとう」

「で、どうして絡まれてたわけ?」

 俺は一連の顛末を話した。

 伊月は呆れたように言った。

「ま、女が奢るのは当然だよ。男女では賃金格差があるからね。管理職も女性が多数だし。非正規雇用の割合も男の方が高いしね」

「そんな…」俺は絶句した。「男がエッチな目に遭いやすいだけの都合のいい世界だと思ってた。社会の状況すべてが逆転していただなんて…」

 ショックのあまり、本音を漏らしていた。

 伊月は肩をすくめた。

「そんな状況なんだから、金銭的には女性がより多くの負担をするのが公平でしょ」

「それじゃ根本的な解決になってない!」

 俺は義憤にかられた。

 伊月は軽く言った。

「男女雇用機会均等法に、管理職における男女の割合を等しくすべしって努力目標が定められてるよ。一応ね」

 俺は怒りを滲ませて言った。

「努力目標じゃ駄目だ! 人事の幹部も女性が占めてるんだから、女性優位の状況を維持する決まってる! きっちり定数を決めて、行政措置を課さないと!」

 伊月は重ねて尋ねた。

「男性は家に入って家庭を守るべき、っていう意見もあるけど?」

「そんなの、女が自己本位の社会体制を守るための固定観念だ!」

 俺は発奮して言った。

 伊月は熱のこもった眼差しで俺を見た。

「じゃあ、男性は貞操を守るべき、っていうのは?」

「それも男を性的に無力化するための固定観念だ! 生物学的に変化するわけでもない童貞に価値なんかない!」

 伊月は喰い気味に言った。

「じゃあ、これからウチにきてあたしに童貞を奪われちゃってもいいんだね?」

「当然だ! 貞操なんかに価値はない!」

 ガシッと伊月は草鹿の手をとった。

「さあ、あたしの家にいこう! 下宿だから親の心配はしなくていいよ!」

「駄目ー!」

 何者かが伊月の腹部にタックルした。

「ウッ!」

 伊月がその場に蹲る。

「駄目よ、草鹿くん! 女子大生の言うことなんて聞いては! そいつらはヤることしか考えていないのよ!」

 桐野だった。

 俺の手を取る。かつてない真剣な眼差しだった。

「私は知っているのよ。オタクと男子がいい感じになって、でもオタクが男子のことを理解できずに距離ができると、その隙にヤリマンが寝取るのよ! DL-siteの同人CG集で何度も見たわ!」

 桐野に尋ねる。

「どうしてここに?」

「草鹿くんが合コンに行くと聞いて、NTR(寝取られ)を警戒して尾行してきたのよ。やはりそうなったわ。成年向けコミックや同人CG集で身につけた知識があってよかったわ」

 俺は引きつつ言った。

「そいつは伊月だ」

 桐野は蹲る伊月の顔を見た。

「あら、伊月さん」

「桐野じゃん…」

 伊月は腹を押さえつつ、桐野の顔を見上げた。

「謝らないわよ。リア充なんて高校生のうちに脱処女するような連中は私の敵だもの」

 桐野は堂々と宣言した。

 伊月は蹲ったまま震えていた。

 恨みを抱かないよう、俺は桐野との経緯を簡単に説明した。他人に話すべきことではないが、桐野が悪い。

「だから原因は幾らかは俺にあるんだ」

 伊月は爆笑した。

「プークスクス! こいつ処女卒業に失敗してやんの!」

 桐野が睨む。

 俺は桐野に尋ねた。苦々しい気分だった。

「どうして俺に付きまとうんだ。俺はお前をフったんだ。普通なら嫌いになるんじゃないか?」

 桐野は堂々と答えた。

「それは、まだ処女卒業にワンチャンあると思っているからよ!」

 伊月はドン引きしていた。

「クズすぎる…」

 だが、俺は感動していた。

 俺が桐野と同じ立場だったらどうだったろう。相手を恨むか、はじめから見込みがなかったのだと思って、セックスに至らなかったことを正当化していたのではないだろうか。

 桐野は自分を偽らない。まあ、偽ってほしいときの方が多いが…

 これまで桐野のそうした特質を見てこなかった。性別に囚われていたのは桐野でなく、俺の方だ。これからは、桐野を対等な一人の人間として見なければならない。

 俺は自分のことを誠実に話すことに決めた。たとえ嘲われたり、不審に思われたりしてもだ。

 桐野に言った。

「お前に話さなければならなかったことがある」

 真剣な様子に桐野はたじろいだ。

 が、構わずに続けた。

「俺はこの世界の人間じゃないんだ」


 俺は自分が貞操観念が男女で逆転した世界から来たことを、初めから時系列に従って詳しく話した。

 伊月は俺の手をとった。

「どうした?」

「いや、リスカの傷がないかと思って…」

「誰がメンヘラだ!」

 桐野は呆気にとられた顔をしていた。

「信じられないのも無理はない。異世界転生なんてまるでラノベだ」

「というより、それ、ラノベじゃない」

「え」

 桐野の言葉に俺は耳を疑った。

「先週出たラノベよ。『あなたを脱童貞させてあげるから、私をオタサーの姫にしなさい!』。割と面白かったわ」

 都合のいいことに、桐野はたまたまその単行本を持参していた。GA文庫の白い表紙だ。

 あらすじを読む。貞操観念の男女で逆転した世界(つまり、俺にしてみれば元の世界ということになる)にオタクの女子高生が転生する。貞操観念の逆転した世界では女のオタクは希少で、かつ女子高生という社会身分はモテる。それを利用してヒロインがハーレムを築くという学園コメディだ。

 初めにカラーページがあり、目次もそのうちに含まれる。モノクロのページの初めがタイトルと作者名の記された見出しで、それから本文がはじまる。

 あらすじを読んだときには、自分の置かれた状況との類似は偶然だと思った。だが、本文を読むうちに不審が生まれ、やがて不審は確信に変わった。

 このラノベは俺の経験を再現している。

 電車で痴漢に遭い、教室で着替え、文芸部で同級生と再会し、オタクファッションの下級生を勧誘し、ヤンキーを更生させる。桐野がこの符合に気付かないのは、そもそも、この世界の貞操観念が逆転しているという発想がないからだろう。

 それだけではない。このラノベには自己言及的にライトノベルが登場するが、その文学史が俺の知るものと一致している。

 八〇年代のファンタジーブームにはじまり、九〇年代に隆盛を迎え、二〇〇三年に『涼宮ハルヒの憂鬱』で日常モノの潮流がおきる。

 俺は愕然とした。

 なぜ『涼宮ハルヒの憂鬱』のタイトルを知っている。

 この世界にも『涼宮春彦の憂鬱』というライトノベルは存在するが、そこからの連想で思いつく題名とは思えない。

 このライトノベルは、元の世界の存在を知っていなければ書くことができない。

 この作者は、俺と同じく世界を転移してきた。とすれば、元の世界に戻る方法を知っているかもしれない。

 この作者を見つけ出さなければならない。

 俺はそう決意した。

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