14 To Heart

 いつものように部室で読書していると、桐野が突如として声をあげた。

「このヤリチンが!」

 その日は部室に黒川がおらず、久しぶりに桐野と二人きりだった。

 呆気にとられて桐野を見ると、顔を赤くして握り拳を固めていた。

「なにパンチラさせているのよ!」

 視線を落とすと、ズボンのチャックが開きっぱなしになっていた。

「悪かったな」

「この清楚系ヤリチンが。どうして人のことを無駄に発情させるのよ。現実はラノベや『週刊少女ジャンプ』のラブコメではないのよ。ラッキースケベどころではないわ。悶々としてしまって逆にストレスよ!」

 桐野はテーブルを叩いた。

「パンツなんてただの布だろ。大体、パンチラならスカートの女子が気にするべきじゃないか?」

「はあ? 女子のパンチラを見て何が面白いのよ」

 桐野はスカートをバサバサと煽った。

 内股の奥が見え、俺は吹き出した。

「自分は自由に振舞うくせに、人のことはパンツを見せただけでヤリチン呼ばわりかよ!」

「男でパンツを見せるのに抵抗がないなんて、ギャル男のヤリチンに決まっているでしょう! どうせ裏で援交でもしているのでしょう、このヤリチン!」

「俺は童貞だ!」

 俺がそう言うと、桐野は心なし嬉しそうな顔をした。

「え、嘘」

「嬉しそうにするのをやめろ」

「本当に中古ではないの?」

「《中古》って言うのをやめろ!」

 桐野は小さくガッツポーズした。よほど嬉しかったらしい。

「アニメキャラが非童貞だとわかったら、ネットは炎上。アニメのディスクを割り、原作の小説を破る。それがオタクよ」

「死ねばいいのに…」

「あら。私は童貞厨じゃないわ。寛大だもの。アニメキャラが非童貞でも、広い心で許すことができるわ。非童貞である正当な理由があればね」

「頼むから、そんなことを誇らしげに言わないでくれ」

 心底から悲しくなってきた。

「それにしても援交って、男子高生の援交なんか本当にあるのか?」

「あるわよ」

「男子高生のどこがそんなフェチズムを掻き立てるんだ」

「高校在学中に処女を捨てられないと、女は一生、青春の幻影に憑かれてしまうのよ」

 桐野は遠い目をして言った。

「それは青春じゃなくて性欲だ」

 俺を無視して続ける。

「私は絶対、高校生の間に処女を捨ててみせるわ」

「男が非童貞なのは責めるのに…」

 非難がましい目を向けると、桐野は飄然と言った。

「インターネットでもよく言うでしょう。『一度も使われたことのない剣と、一度も使われたことのない鞘。欲しいのはどちらか』って」

 元の世界でも似たような文句を見かけた記憶があるが、あらためて、処女と童貞を物に喩える意味がわからなかった。

「思うんだけど、処女の方が価値があるんじゃないか?」

 俺が尋ねると、桐野は不審そうな顔をした。

「はあ? 処女なんて、エッチは下手だし、固くてチンコは入らないし、出血するしでセックスしたくない相手のワーストワンじゃない。おまけに、AVで偏った知識をつけているから男に変な要求をするらしいわ」

「お前は?」

「私は『男性医が教える本当に気持ちのいいセックス』で勉強しているから大丈夫。いつ本番が来てもいいように備えてあるわ」

 桐野はニヤリとした。

「自信満々で気持ち悪いことを言わないでくれ」

「そもそも、セックスまでのハードルが高すぎるのよ。告白に何回ものデート。それに成功して、ようやくセックスでしょう? 無駄が多すぎるわよ」

「告白もデートもセックスの準備じゃない」

 ひどい暴言だった。

「でも、その悩みも今日までよ」

 桐野は含み笑いをした。

 スマートフォンを取り出す。

「アップルストアでダウンロードした《催眠アプリ》よ! これを相手に見せれば、言うことを聞かせられるようになるわ!」

 桐野は画面を俺に向けた。

 安っぽいビジュアル・エフェクトで画面が点滅している。それを見せれば、相手が催眠にかかるという意味なのだろう。

「うッ」

 俺はその場にうずくまった。

「嘘! 効いてる?」

 使用した本人がもっとも信じていなかっただろうだけに、桐野は驚愕した。

「いや、童貞を拗らせると人間はここまでバカになるのかと思うと悲しくて…」

 俺は嗚咽していた。

「泣かないで頂戴。せめて笑いなさい!」

「ちなみに、幾らしたんだ?」

「有料アプリで五千円よ」

 思わず嗚咽が大きくなる。

「お前は今、洗脳より大きな心の傷を俺に負わせたよ」

「別にいいじゃない… クラスメイトにエッチな命令を聞かせたり、ウェイターに性的なサービスを注文できたりする。五千円は夢の代金よ」

「それは夢じゃなく妄想だ…!」

 とりあえず、そのアプリはアップルサポートに通報しておいた。

「とにかく、その場でセックスしたいのよ! 健全な女子高生なら誰もが考えることよ! ああ、時間停止能力が欲しい…」

 桐野は頭を抱えて嘆いた。

「物理法則を歪める能力を手にしたら、エッチどころじゃなくないか?」

「謝りなさい! 時間停止AVを作っている人たちに謝りなさい!」

「こっちの世界にも時間停止AVってあるんだ…」

 俺はある種の感動を覚えた。

「気になる?」

「まあ」

 正直に答える。

 桐野は少し歯切れが悪そうに言った。

「家にSODの時間停止AVが全作そろっているのだけれど。よければ、遊びに来ない?」

 考え得るかぎり最悪の誘い文句だった。

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