10 CROSS†CHANNEL

 俺と桐野は校内掲示板に部員募集のポスターを貼った。

「せっかく男子と二人っきりだったのに」

 桐野はブツブツと文句を言っていた。


 放課後、桐野と校内掲示板の様子を見にくると、一人の女生徒がポスターを見ていた。ただ奇妙なことに、その女生徒は黒いレースの長手袋をしていた。

「肌に問題でもあるのかな」

 桐野が疑問に答える。

「いえ。一年生にイタい生徒がいると聞いたことがあるわ。クラスで浮いているともね。きっと彼女がそうよ」

「ああ…」

 俺は納得した。

 あの長手袋は、元の世界におけるオタクがはめる指ぬきグローブのようなものなのだろう。

「じゃあ、声をかけるのはやめておくか?」

 俺がそう言うと、桐野は奮然として応えた。

「何を言っているの! キモくてイタいオタク。つまり非モテの味方よ! 部員に誘いましょう。そしてオタク同士、メガネ男子がコンタクトに換えるのを妨害したり、一緒にガチャポンを引いてどっちが先にレア物を出せるのか競争したりするのよ!」

「なんで二十年くらい前のオタク像なんだよ」

 俺は女生徒が小脇に抱えている本に目を留めた。

「あ。国書刊行会のアレイスター・クロウリー著作集のシリーズだ。しかも図書館の蔵書だからファッションで持ってるんじゃないらしい。真性だな」

 俺が感心すると、桐野はなぜか不機嫌そうに「チッ」と舌打ちした。

「まあいいわ。とにかく声をかけましょう」

 二人は女生徒を呼びとめた。

 女生徒がふり返る。

「汝(な)れら、我(わ)れに何か用かの?」

 俺は黙った。

 桐野は絶叫した。

「助けて! 痛い! 痛すぎる! 早くベッドを用意して! 拘束具が付いてるの! 自分を転生した貴族だと思っている子がここにいるの!」

 俺は桐野の足を踏んで黙らせた。

「気にしないでくれ。こいつアホだから」

「構わぬ。かような言葉遣いをしておれば、差別されるのも当然のことじゃ」

 女生徒の方が桐野より大人だった。

 桐野は自分の左手を押さえていた。

「ぐおお…! みんな、私が自分の力を抑えているうちに逃げて! 力が解放されたらここにいる全員が皆殺しになる! 私はもう誰かを傷つけたくない…!」

「本当に逃げていいか?」

 小芝居を打つ桐野を無視し、俺は自己紹介をした。

「今、文芸部のポスターを見てたよな。二年一組の草鹿創平だ。こっちは桐野。興味があるなら部活を案内したいんだが」

「一年一組の黒川硝子(しょうこ)じゃ」

 黒川は華奢だ。肩が薄い。色白で、黒髪が背中まである。前髪を目元まで伸ばしている。顎の細い美少女だ。装飾的な黒のカチューシャを着けていた。

「我れは同好の士を探しておってな」

「どんなものを読むんだ?」

「ブルーノ・シュルツが好きじゃ」

「へえ。俺もシュルツの人形論は好きだよ」

 ブルーノ・シュルツはポーランドの作家だ。幻想文学を著わし、カフカと比較されることもあるくらいだが、寡作で高校生が読むにはややマニアックだろう。

 俺が応じると、黒川は嬉しそうにした。

「汝れ、わかっているではないか」

 対して、桐野は不機嫌そうだった。

 桐野が黒川に指を突きつけた。

「草鹿くん、離れなさい! こいつサブカルよ!」

「いいじゃないか。どうせ俺たちもオタクだろ」

「オタクとサブカルは似て非なるものよ。水と油、むしろ犬猿の仲だわ! サブカル漫画がどういうものかわかる? 人がやたら死んだり、寓意的な作中作が出てきたりするのよ。人が死んでも軽く流すくせに、突如として登場人物が一ページくらい使って長々と人生哲学を語ったりするの。サブカルはアニメを見ると、はてなブログに批評用語を散りばめた評論を投稿したりするのよ!」

 桐野は息を荒げていた。

「サブカルがいかにおぞましいものか分かったでしょう」

「わかったのはお前のサブカルへの敵意だけだ」

 黒川は睫毛の密な目を細めた。

「文化や流行は関係あらぬ。俗物どもは男がどうの女がどうのと下らぬことばかりにうつつを抜かしておる。我れはそうした連中に辟易し、俗世と縁を絶つことにしたのじゃ。こうして喋るのもその証しよ」

「つまり処女を拗らせたのね」

 桐野が一言で要約した。

「処女を拗らせてなどおらぬ!」

 黒川は顔を赤くして叫んだ。

「我れはそうした何事も性欲に結びつける風潮が煩わしく、俗世から離れることにしたのじゃ。フ、我れは色恋に興味を持てなくてな。性欲が涸れておるのかもの」

「ディズニーランドでデートするカップルを見下すような処女っているわよね。そういう女に限って、世界の終末に好きなクラスメイトと一緒にいるみたいな、純愛に見せかけて処女の性欲を煮詰めた妄想をしているのよ」

「我れはそのような妄想はしておらぬ!」

 黒川は顔を赤くして叫んだ。

「あら、妄想にもこだわりがあった? 世界が崩壊する中、好きなクラスメイトと逃げるタイプ? それとも文明崩壊後の暴力的な世界で、好きなクラスメイトを助けるタイプだった? ごめんなさい。サブカルの考えることってよくわからないの。俗世から離れたかったのよね? 安心して。あなたが妄想に耽っている間、陽キャたちはカップルをつくってセックスしているから。立派に孤高を保てるわ」

 黒川は涙目になって震えていた。

「我れは性欲を捨てておるし…」

「そう、残念ね。草鹿くんの体を触らせてあげてもよかったのに。彼は貞操観念が低いからいくら触っても怒らないわよ」

「おい」

 桐野は俺にベタベタと触りつつ言った。

「ううう…」

 黒川は涙目で桐野を睨みつけていた。

 桐野は勝ち誇って言った。

「あなたがプライドを捨てられないことはわかっていたわ。せいぜい今日は、意地を張ったことを後悔しながら家で負け犬オナニーに励むことね」

「うわあああ!」

 黒川は泣きながら去っていった。

「正義は勝つ!」

 桐野はガッツポーズをした。

 俺はドン引きしていた。

 桐野は調子にのり、ふたたび小芝居をはじめた。

「フッ、今回も《黒の委員会》の勝利だったようね。私の能力未来日記(ブックメーカー)の敵ではなかったわ!」

 ポーズを決める。

 カップルが通りかかり、桐野を指さしてクスクス笑った。

 桐野は羞恥でポーズを決めたまま震えた。


 翌日の昼休み、俺は一年一組にいった。

 教室で自分が目立っていることに気付く。元の世界で、女の先輩が憧憬の目で見られるのと同じだろう。女生徒たちがチラチラと見ていた。

 俺が真っすぐ黒川のもとにいくと、教室がざわついた。

 イタくて非モテの黒川と、異性の先輩と親しくするということは対極にあったらしい。

 黒川は机で読書していた。

「昨日は悪かったな」

 俺が声をかけると、黒川は顔を上げた。

「気にするでない。我れもとり乱した」

 そう言いつつ、黒川は憮然としていた。

「ところで、オカルトには詳しいか?」

「まあの」

 読んでいたアレイスター・クロウリーの『魔術:理論と実践』を見せる。

「そのことで話がしたいんだ。よければ、二人でどこかにいきたいんだが…」

 教室がどよめいた。生徒たちはひそかに黒川を注視していた。

 黒川は挙動不審になった。赤面している。あまり異性と話すことがないのだろう。その上、この世界における非モテの自覚がある。それで異性の先輩からデートに誘われたからアガってしまったのだろう。

 そういう俺も、年下の少女をデートに誘うのは緊張した。しかも、言動に痛々しいところはあるが黒川は美少女だ。だが、人生に関わることのため覚悟はしていた。異世界に転移したことについて、個人的なことは伏せて相談するつもりだった。

「よかろう。我れが時間を割いてやろう」

 黒川は平静を装ってそう言った。声がやや裏返っている。

「そうか。ありがとう」

 俺は教室を後にした。生徒たちがふり返る。黒川を見る目が尊敬のこもったものに変わっていた。俺はドッと疲れた。


 その週の日曜日、俺が待ち合わせの場所にいくと、騒動がおきていた。

 黒川とは大宮にある複合商業施設の店内で待ち合わせていた。

 大声が聞こえたので見にいくと、男が黒川を捕まえていた。男は親子連れだ。そばに警備員が立っている。

「こんな怪しい人がいるんだから、ちゃんと調べてくださいよ」

「いや、そう言われましても。もうすぐ警察がきますから、そちらに任せてください」

 話を聞いていると、男子トイレに盗撮カメラが仕掛けられていたらしい。被害に遭った男性が近くにいた黒川を見つけ、警備員に突き出したようだ。

 黒川はフリルの大量についた黒のワンピースを着て、スカートをパニエで膨らませていた。そして黒の長手袋をはめている。完全なゴスロリの服装だ。

 男だけが興奮していて、警備員は迷惑そうだった。

「我れ、いや、私は…」

 黒川は半泣きになっていた。

 全速力で黒川のもとに走る。

 学生証を見せ、校名と氏名を名乗る。黒川は自分と待ち合わせていたため、犯罪に及ぶ機会のないことを説明する。

 俺が現れると、男の興奮は急激に冷めた。

 不思議に思ったが、この世界では男性が性犯罪の被害に遭うため、男性が釈明すると公正無私に見えるらしい。

 やがて警察がきて、俺たちは解放された。


 複合商業施設から離れて、俺たちは大宮駅前にあるハンバーガーショップの《ビーチストーリー》に入った。

「俺が呼び出したせいですまない」

「よい。汝れのせいではない」

 ハンバーガー店で黒川の服装は浮いていた。

 元の世界でも目立つが、ここにくる途中、通行人の視線に眉をひそめたものが多かった。この世界では、元の世界におけるオタクのミリタリーファッションのように、よりネガティブな文脈が付加されているのだろう。

「そもそも、男子トイレに盗撮カメラを仕掛けるというのが理解できないな。男の排泄してるところを見て何が楽しいんだ」

「それは汝れが男だからじゃろ」

 黒川は俺の感想を、単純に性差によるものだと思ったらしい。

「しかし我れにもわかるぞ。AVでときどき男優が小用を足すシーンがあるが、どこに需要があるのかわからん」

「あ。黒川もAVって見るんだ」

 俺は意外に思った。

「それで、話とは何じゃ?」

 自爆だったらしい。話題を変える。

「異世界ってわかるか? フィクションでなく、現実に異世界に飛ばされることがありえると思うか?」

「なんじゃ。ラノベの創作の相談か」

 黒川もデートとは思わなかっただろう。それでも一抹の期待はあったらしく、すこし落胆したようだった。

 黒川はあえて一笑した。

「フ、我れはボッチじゃが、ボッチにありがちななように男子に話しかけられただけで《もしかしてこの男子、我れのことが好きなのであろうか?》と勘違いすることはない。安心するがよい」

「わざわざ自分で予防線を張るあたりが悲しいな…」

 黒川を見ていると、男女の関係が煩わしいというより、それで自分が傷つくのが怖いようだ。俺も童貞だからわかる。

 黒川は急所を突かれたような反応をした。

 それでも律儀に俺の質問に答える。

「もともと異世界などというものは神話や叙事詩にも存在しなかったのじゃ。昔は海を隔てれば未知の世界だからの。だから空想の世界といえば島のことじゃ。『オデュッセウス』の巨人(キュクロプス)の島や、魔女キルケーの島がわかりやすかろう。一六世紀のモアの『ユートピア』ですら、ギリシャ語で《どこにもない場所》などという名前をつけておるにも関わらず、航海で辿り着く。空想の世界が島から拡大したのは一九世紀のことじゃ。ジュール・ヴェルヌのことよ。『月世界旅行』、『地底世界』、『海底二万哩』などな。それとて当時の科学知識に則ったものに過ぎん。人類にとって未知のものがなくなったと同時に、空想は限界を迎えたということよ」

「なら、現代はどうなんだ?」

「だから、現代では空想の世界とはそのままフィクションを意味することになるわけじゃ」

「じゃあ、現実では異世界は…」

「夢のまた夢じゃな」

 俺は失望した。

「そう気落ちするでない。ラノベならよいではないか」

 失望が顔に表われていたのか、黒川はそう慰めた。

 帰り際、黒川は沈んだ様子で言った。

「さすがに今日のようなことがあると、我れもこの服はやめようかと思うの」

 黒川は自分のゴスロリを見下ろしていた。

「え。いいんじゃないか。すごく可愛いよ」

 俺は本心からそう言った。

「本当か!?」

 黒川は目を輝かせた。

 指ぬきグローブにチェーンのオタクのファッションを褒めたのと同じことだったと気付いたのは、帰宅してからだった。無責任なことを言ってしまったかもしれない。が、そのときにはもう撤回することもできなかった。


 月曜日、俺が部室にいくと、桐野は不敵な笑みで迎えた。

「どうしたんだ?」

「昼休みに一年の黒川さんが入部届けを貰いにきたのよ。草鹿くん、何かしたんじゃない?」

 桐野は微笑したまま言った。そこでようやく、俺も桐野が怒っていることに気付いた。

「おかしいわ! ラノベだったらこの辺りで美少年キャラが追加されるはずなのに。どうして女が加わるのよ。女だったらせめて男装少女にしなさいよ! この! この!」

 桐野は執拗に俺の足を蹴った。

「痛い! やめろ! …でも、入部は許可したんだろ」

「仕方なくね。けど、入部したら厳しくしごいてあげるわ。退部したくなるくらいにね」

「文芸部にそこまで活動があったか?」

「草鹿くんは知らなかったでしょうけど、校外と交流して読書について意見交換しているのよ」

 実のある部活動をおこなっていたことを知り、幽霊部員だったことを反省する。

「具体的には、新刊の発売日に、気に喰わないラノベ系まとめサイトのコメント欄を荒らしているのよ」

「学校の恥になることはやめろ!」

 俺たちが騒いでいると、木島先生が部室に入ってきた。

「貴様たち、やるじゃないか。一年の黒川硝子が文芸部への入部届けを出したぞ。黒川は成績優秀だが、あの通りクラスでも浮いていて、職員室でも問題になってたのだ。もう文芸部の存廃を問う教師などいない!」

「西武高校の生徒として当然のことをしたまでです」

 桐野は態度を豹変させた。

「黒川も急にクラスに馴染んだそうだしな。何でも、上級生でイケメンの彼氏ができたそうだ。これは話の尾鰭だろうがな」

 桐野は俺を見た。

「イケメン… とりあえず草鹿くんのことではないようね。安心したわ」

「おい」

 俺はツッコんだ。

 こうして文芸部の部員は三人に増えた。

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