09 さかあがりハリケーン

 木島先生を撃退してから数日が経った。

 俺と桐野は放課後、部室で討議していた。木島先生が「せめて部員募集をしてくれ」と半泣きで頼みこんできたため、そうすることになった。その話し合いだ。

 桐野は重々しく頷いた。

「ラノベの定石なら、そろそろ他の美少年が物語に加わるころよね」

「は?」

「日常系の王道よ! 草鹿くんがメインの攻略対象だとして、そろそろ二人目のイケメンが部室を訪れるタイミングよ。私としては、レギュラーキャラクターのイケメンは五人がいいわ。そして、そのハーレムで日々おもしろおかしいハプニングが起こるのよ」

「それは日常とは言わない」

 桐野は溜息をついた。

「はあ。ラノベなら、草鹿くんが暴走しておかしな題目で部員募集をして、それを私がツッコんで、集まってきた部員を『やれやれ』と言って受け入れていればいいのに。そして、いつの間にかハーレムができているのよ」

 俺は呆れて桐野を見た。

「部員が欲しいなら、自分で部員募集したらいいんじゃないか?」

「私が行動をおこしたら、誰がツッコミ役をすると言うの?」

 桐野は腕組みをして言った。

「そうだわ。草鹿くんが清楚系だから、ギャル男系の男子を連れてきなさい」

「因果関係がまったく成立していない…」

「最近はギャル男がチョロいのが流行りだもの。実は童貞のギャル男に、『ヤリチンヤリチン』言って、ギャル男が涙目で反論するのよ」

「殴られるんじゃないか」

「ハッ」

 と、桐野が何かに気づいた顔をした。

「今の私はラノベ主人公よね。ということは、変態行為も主人公属性として許されるということだわ!」

 応接机を乗りこえて俺に手を伸ばす。

「胸を触らせなさい!」

「公然と性犯罪に及ぶのはやめろ!」

 体をよじって桐野を避ける。桐野は勢いあまって対面の本棚に激突した。

「おかしいわ。痛い目に遭うのはラッキースケベを体験してからのはずなのに…」

 日本の司法制度を否定するようなことを言いつつ、桐野は鼻面をこすった。

「というか、胸くらい言えば触らせるのに」

 俺は面倒になって言った。

「え!?」

 桐野は心底から驚愕した。

「あなた、貞操観念というものがないの!? 援交でもしているの!?」

「だって、触られて減るものじゃないし」

 当惑のあまり、俺は反論しようとして当然すぎることを言った。男女で貞操観念の逆転した世界に生きる桐野にとって、男子の胸を触るというのは肉体的な問題に関係なく、精神的に避けられるべき事柄なのだろう。そういう事情を想像しつつも、男の胸に触ることが禁忌となっていることが理解できなかった。

「それより、女の胸はどうなんだよ」

「はあ? 女の胸なんか、ブヨブヨしているだけで触っても面白くもなんともないじゃないの」

 桐野は怪訝そうに言った。

 そういうものか、と俺は自分を納得させた。

「本当に触ってもいいのね?」

「別にいいよ」

「現役DK(男子高生)の発育途上の胸を触ってもいいのね?」

「どうしてAVのキャッチコピーみたいに言った」

 桐野の手が制服ごしに俺の胸部に触れる。桐野は掌に感触を記憶させるように、ゆっくりと大胸筋のあたりをさすっていった。

「うッ…」

 桐野は泣きだした。

「泣くほど!?」

「いえ。カップルはこうして日常的に胸を触らせてもらえるのだと思うと、悔しくて泣けてきたのよ」

「ルサンチマンが強すぎる」

 やがて桐野は手を離した。

「堪能したわ」

「感想を言わないでくれ」

 感動した様子の桐野に俺は無感動に答えた。

「お返しに私の胸を触ってもいいわよ」

「え」

 桐野にとって、女性の胸を触ることは壁を触ることと同じくらい無意味だ。だからそれは冗談なのだろう。お礼に一円あげる、みたいな。が、俺は動揺した。

 自分にとってどうでもいいのと同じように、桐野も胸を触らせるのに何の抵抗もないだろう。制服を押し上げる二つの膨らみが急に存在感を伴なって見えてきた。

 俺は懊悩し、そして絶叫した。

「ダメだー!」

 右手を宙に掲げて、左手で押さえ込む。

「桐野がよくても俺がダメだ! 俺にとっては相手の無知につけこむことになる。ということは、桐野にとっても不法な侵害を許したことになる。だからダメだー!」

「うるさいわ。何を意味不明なことを言っているの」

 桐野は俺の右手を掴み、自分の胸に押し当てた。

 グニッという感触がした。

「……」

 恍惚として、俺は数秒意識を失った。

 桐野は調子づいて言った。

「これでお相子ね。次は股間を触らせてあげるから、あなたの股間を触らせなさい!」

「本当にやろうとするな!」

 洒落になっていない。俺は必死に桐野を押しのけた。


 下校時刻が近づき、帰り支度をはじめたころ、桐野が言った。

「何か悩みとかない? クライマックスにそのキャラの悩みを解決してあげることで、次の巻から他の男子を攻略しても、嫉妬するだけで決して離れないハーレム要員になるのよ」

「悩みか… 部活の仲間にセクハラされていることかな」

「社会問題はラノベの題材にするには重すぎるわね。もっと、わかりやすい敵がいて、グーでパンチすれば解決するような悩みがいいのだけれど」

「誰がセクハラの犯人かはこの上なくわかりやすいし、早くグーでパンチされてほしい」

「一体誰なのかしら…」

 桐野は不思議そうに首を傾げた。

「早く元の世界に帰りたい」

 俺は本当の悩みを漏らした。

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