08 家族計画
部室で桐野と二人で過ごすのも日常になったころ、俺はあることに気付いた。
「そういえば、お前一人で部室を占拠してるようなものなんだよな。学校に注意されないのか?」
「それは手を打ってあるわ」
桐野は平然と言った。
「文芸部の顧問は誰だったかな…」
思い出そうとしたとき、勢いよく扉が開いた。
「桐野! 今日こそ部室を明け渡してもらうぞ!」
ハイネックのセーターを着た女性が立っていた。現代国語の教師で、文芸部顧問の木島貴子だ。ついで、俺のクラス担任でもあった。
木島先生は上背がある。髪を背中まで伸ばしている。美人だが、三白眼ぎみの目が威圧感を与えている。
忌々しげに桐野を見る。
「桐野。部室を明け渡すか、せめて部活動の定員まで人数を戻せ。このままでは文芸部の処置が職員会議にかけられそうだ。顧問である私の立場がない」
そこまで言い、木島先生は俺を見て驚いた。
「草鹿。幽霊部員だと思っていたが復帰したのか。桐野、やるじゃないか。その調子で部員を増やせ」
桐野は言下に拒否した。
「お断りします。放課後、男子と二人きり。女子高生がその状況を崩すはずがないでしょう? かつて自分も女子高生だったのに、その気持ちがわからないんですか?」
あまりの言い草に木島は憤激した。
「貴様、ふざけるのも大概にしろ。いつまでも私が姑息な脅しに屈していると思ったら間違いだぞ」
桐野は考えこんだ。
「そうね。いい加減、同じネタで脅しつづけるのも限界かもしれないわ」
俺に叫ぶ。
「いきなさい、草鹿くん! 痴女冤罪の写真を撮るわ! エロ漫画の導入のように!」
「それだと、本編で写真をとり返すためにレイプされる展開になるだろ!」
「やめろ! 教師の猥褻行為は洒落にならん!」
木島先生は本気で怯えていた。
「いや、そんなことしませんから…」
先生は安堵したようだった。
「わかってくれるか。ただ生徒のためになりたいだけなのに、女性教諭が男子生徒と仲良くすると、すぐ淫行を疑われるんだ」
俺は同情した。元の世界の価値観を持つために、木島先生が不当な嫌疑をかけられるようにしか思えない。
「大変ですね」
「ああ。かつても、非常時に連絡できるように男子生徒のスマホをとり上げて自分のLINE IDを登録したら、変態教師として学年全体に晒されてしまったのだ」
「変態教師じゃないですか」
「校長からも口頭注意処分を下されたしな… あのときは休職して引き篭ろうかと思ったぞ」
「引き篭りたかったのはその生徒の方だと思いますが…」
俺はドン引きしていた。
木島先生は桐野を睨んだ。
「とにかく、これ以上、私の職歴に汚点を増やすわけにはいかん! この部室の維持費も公費から支出されているんだ。私たち大人が税金を払っているのだ。貴様のような子供にはわからないだろうがな」
「アラサーで処女のくせに」
桐野がボソッと呟いた。
先生は崩れ落ちた。
「それを言うな!」
俺は尋ねた。
「まさか脅迫材料って…」
「ええ。もし文芸部の廃部を迫るようなことがあれば、木島先生がアラサーで処女だと学校中にバラすと脅してあるわ」
桐野は涼しげに言った。
「処女であるか否かなど、その者の人格には何ら関係しない! むしろ、処女であるなどということで人を中傷する者の人格が下劣なのだ!」
床に崩れたまま木島先生は吠えた。
「たしか三〇歳まで処女を貫くと魔法使いになれるんですよね? ホグワーツ魔法学校って日本人でも入学できましたっけ? 組み分け帽子にお願いするクラスはどこですか? 羨ましいなあ。私、一度でいいからイギリスにいってみたかったんです」
「くそおおお!」
木島先生は絶叫した。
「桐野が処女を卒業できるか不安だと言うから、うっかり私もこの年で処女だから大丈夫などと慰めてしまったのが運の尽きだ。まさか脅迫材料にされるとは…」
忸怩たる様子で言う。
「私とて二七歳になって処女のままだとは想像もしなかった。大学生になったときは、自分も在学中に彼氏ができて処女を卒業するだろうと思っていた。しかし彼氏のできないまま大学を卒業し、機を逸しつづけたままこの年まできてしまったのだ。こんなことなら大学に進学したとき高級ソープで処女を捨てておけばよかった…」
床から桐野を睨む。
「今でこそ得意げだが、いずれ貴様もこうなるのだからな!」
桐野は両手の人差し指を合わせた。
「草鹿くん、お願いするわ」
手刀で指の接点を絶つ。
「はい、えんがちょ切った! 危ない。アラサーの処女がうつるところだったわ」
木島先生は無言で肩を震わせていた。
やがて、顔を上げた。
「処女なばかりに婚活パーティーでも街コンでも失敗ばかりだ。これでも公務員で結婚相手の条件として申し分ないはずだ。こうなれば年収を上げるしかない。桐野、貴様には私の昇進の礎になってもらうぞ」
桐野は髪を指で弄っていた。
「あら先生。あのことを言ってもいいんですか?」
「あのこと?」
木島先生は本気で怪訝そうにした。
「大宮の駅前で…」
「駅前?」
「大宮の駅前のツタヤで男子高生モノのAVを借りていたことですよ」
「なぜそのことを知っている!」
木島先生は顔面蒼白になった。
「このことが知られたら、先生の信用は地に落ちるでしょうね」
「待て。わかった。職員室には私からかけあっておこう。だからそのことは言うな!」
木島先生は急いで部室から退散した。
俺は呆気にとられて桐野を見た。
「よくそう都合よく弱みを握れたな」
桐野はフッと笑った。
「簡単な推理よ。アラサーで独身、高校教師。これで男子高生モノのAVでオナニーしていないはずがないわ。このあたりで一番、立地のいいレンタルビデオ店がツタヤの大宮店よ。そこから導きだせる結論は一つだわ」
「聞かなければよかった」
あまりに下らない推理だった。
「でも、これで部室は安泰か」
「いえ、まだよ」
桐野は真顔で言った。立ち上がり、扉に耳を当てる。
「草鹿くん。ソファの陰に隠れていて」
俺が言われたとおりにすると、桐野は落ち着いてソファに座った。
勢いよく扉が開く。
「桐野! 貴様、カマをかけたな! よく考えたら高校生がツタヤの一八禁コーナーに入れるわけないではないか!」
桐野は平然と髪をかき上げた。
「お気付きになりましたか」
「ふざけるのもここまでだ」
桐野は木島先生を見上げた。
「ところで、草鹿くんのことをどう思いますか? 清楚な黒髪の男子高生ですよ」
「む。まあ、あの大人しそうなところなど、好きな人間には堪らないかもしれないな」
「そこでどうでしょう。私が草鹿くんと先生を部室に二人きりにして…」
卑猥な言い方をする。
「見損なうな。これでも私は教師だ。生徒に手出しするわけがなかろう」
木島先生は冷厳に言った。俺は密かに感心した。
「でも、セックスできたらいいとは思いますよね」
「否定はしない」
「準備室に二人だけになったとき無理矢理とか」
「万引きで補導されたとき、親に言わないことを条件にラブホに連れ込んだりとかな。AVでよくあるな。ハッハッハ」
桐野はスマホをとり出した。
「今の会話は録音しました。草鹿くん、出てきて頂戴!」
「桐野おお!」
俺はソファの陰から姿を現した。
「やめろ、そんな目で見るな!」
俺に見られ、木島先生は悲痛な叫びをあげた。
桐野はスマホをかざした。
「この録音をPTAに提出したら、きっと面白いことになるでしょうね」
「やめろ! クビになる! 資格といえば運転免許と教員免許しかないアラサー独身が、そう簡単に再就職できると思うなよ! クソ。顧問の部活動を建て直したいだけなのに、どうしてこんな目に遭わなければならんのだ」
「今こそ教師の職を賭けるべきときです」
「教師が職を賭けるのは、謂われなき疑いで退学になりかけた生徒を救うとかそういうときだ!」
木島先生はすがるような目付きで俺を見た。
「頼む。草鹿からも何か言ってくれ」
「ああいうことばかり言っているから、アラサーで処女なんじゃないんですか?」
木島先生は泣きながら逃げていった。
その背中を見送り、桐野は満足げに頷いた。
「これで部室は守られたわ。それにしても草鹿くん。結構、言うことがえげつないわね。男子高生に罵倒されるのは精神的にくるものなのよ」
「そうか。悪いことをしたな…」
つい元の世界の調子で軽口を叩いてしまった。反省する。
「これで性癖が歪んだかもしれないわ」
「それはどうでもいい」
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