07 巣作りドラゴン

 その日、俺は部室でライトノベルを漁っていた。

「この世界でも、最近は異世界転生モノが多いみたいだな」

 桐野は読んでいた文庫本を閉じた。

「私は最近流行りの異世界転生モノは嫌いだわ。テンプレがあるし、そもそもWeb連載が主だから、終わりが定まっていなくて不完全に思えるのよ」

「それは聞き捨てならないな」

 俺はムッとした。

「マクルーハンの『グーテンベルグの銀河系』によれば、近代以前の書物の複製は、学生による写しだったらしい。だから、学生自身によるメモも併せて書かれたりして、それは原本の文章と区別されなかった。それに、作者の名前が記名されることもなかった。一人の作者による、一冊の完成した書物というのは近代の発明だってことだよ」

 桐野は長い黒髪をかき上げて言った。

「それに、内政チートが気に入らないわ。現代の知識で中世ファンタジーの世界を発展させるという趣旨だけど、羊頭狗肉もいいところだもの。例えば、中世には上下水道の設備もないのよ。メガネキャラがメガネをかけていれば、高度なガラス製錬技術が存在することになるわ。グルメ物でも、トマトやジャガイモが出てくれば大陸間貿易が行われていることになる。世界観そのものがゲームの引用じゃない。作者にばかり都合がよくて、飽き飽きするわ」

 俺は反論した。

「ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(このあたりはこちらの世界でも存在していることを確認している)は、中世にラテン語で書かれた原本のフランス語訳を、さらにエーコがイタリア語に重訳したという体裁をとっているんだ。その端書にこう書かれてる」

 草鹿は本棚に収められている数少ない一般文芸から『薔薇の名前』を取り出した。

「『私としては、あまりにも過剰に残されたラテン語の部分は削除したが、ある程度までは原文のラテン語を残してみた。が、もしや、イタリアの通俗小説家が自分の作品にフランス人を登場させるときイタリア語ではなくてフランス語で科白を口走らせるような真似を、私も犯してしまったのではないかと恐れている。』。イタリアの読者を対象とした小説をラテン語で書いても、それは作者が意図したものであって、単にラテン語で書かれた小説を再現したことにはならない」

「続けて頂戴」

 桐野は髪の毛先を弄りつつ聞いていた。

「だから、日本語で書かれた中世ファンタジーに、〈覚悟〉や〈慈悲〉、あるいは〈不倶戴天〉や〈盛者必衰〉みたいな仏教を語源とする言葉が使われていてもおかしくない」

 桐野は納得したように頷いた。

「というより、読者とそういう合意ができているということね。例えば、いくら作品の都合が認められているといっても、中世ファンタジーの世界の住人が『ナムアミダブツ』とか言ったらさすがに不自然だもの。読者の許容範囲外だわ」

 桐野は思ったより頭がいいのかもしれない、と思った。

「技術や政治思想についても同じことが言えるんじゃないか。作者がそういう読者を想定すれば、メガネキャラを出すのにも理屈を用意するだろうし、読者も作者がゲーム的な世界をリアリスティックに再現して、読者を楽しませようとしているのだろうと思う」

 桐野は顎に手を当てた。

「なるほどね」

「だから、男女で貞操観念が逆転した世界という設定のラノベで、当然あるべき政治や社会の変動がなくてもおかしくないんだよ」

「それ、誰に向かって言っているの?」

 桐野が目を細める。

 俺は無視して続けた。

「もちろん、『指輪物語』のように、一つの独立した世界を創造することにも魅力はある。けど、『指輪物語』だって童話らしい文章で書かれて、そういう別世界だということを表現するための枠組みが整えられてるだろ」

「あら、『指輪物語』って童話風の文体なのね。古典だから、てっきり高尚な文体で書かれているのかと思っていたわ」

「こいつ、『指輪物語』も読まずに異世界転生モノを批判していたのか…」

 俺は慄然とした。

「映画版を見たもの」

 桐野は涼しい顔をしていた。

「エルフとオーク、それがすべてよ。エルフは長命で賢者、そしてポンコツ」

「最後のは前の二つと相いれなくないか?」

「エルフの男は戦火で拉致されて、オークのアマゾネス軍団の種馬になるのが鉄則」

「この世界でもエルフはそんな扱いなのか…」

 エルフの忍びなさに俺は涙を呑んだ。

「あら。読者との合意がとれていればどんなフィクションでもいいって、言っていたじゃない」

「そのフィクションは断固として拒否する」

 しかし、この世界の常識の前では儚い抵抗だった。

「違う… こんなのは俺の思っていた異世界転生じゃない」

 俺は一人で頭を抱えた。

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