04 君が望む永遠

 放課後、俺は文芸部を訪ねた。部員構成を思い出す。元の世界と同じならば、三年生二人、二年生三人(俺を含む)、一年生二人だったはずだ。三年生の二人と、二年生のうち一人、一年生のうち一人が女子部員だ。三年生の両名が部長、副部長を務める。

 部活動に文芸部を選択したが、入部して早々、文芸部とは名ばかりのアニメ、ゲーム、ライトノベルのオタクの集まりだとわかって、部室に行くのはやめたのだった。俺自身、オタクだったが、部活動までオタク趣味に耽るつもりはなかった。

 文芸部は年に一回、文化祭のときに部誌を発行する。俺は体裁として、そのときだけ部活動に参加して原稿を寄稿していた。年間を通しての活動がそれだけなのだから、活動実態はないに等しい。

 幽霊部員である手前、部室には寄りにくかったが、ライトノベルを大量に所蔵している。

 ノックをして、部室に入る。

 少女が一人、ソファに腰かけて読書していた。

 部室の内装は元の世界と変わっていない。教室の半分ほどの広さで、左右の壁はスチール棚で覆われ、ほぼ全段を書物が埋めている。最上段には歴代の部誌が収められている。奥に学習机を並べた島があり、手前に応接机とソファがある。また、手前にある腰高の戸棚には、過去の部員の持ちこんだ電子レンジが置かれていて、食塩と砂糖の小瓶もあった。

 スチール棚は、ライトノベルで埋められていた。MF文庫Jの緑、ガガガ文庫の青、星海社文庫の白、スニーカー文庫の多色。白枠で囲まれたものに、ファミ通文庫の青、電撃文庫の鮮やかな多色、富士見ファンタジア文庫の白っぽい多色。

 ライトノベルというジャンルそのものが変わらず存在していることは、昨晩、ウィキペディアで確認していた。が、こうして実物を見ると大きな安堵を覚えた。

 少女は紙片をめくる手をとめ、俺を見た。

 俺は息をとめた。見惚れるほどの美少女がそこにいた。

 背中まであるストレートのロングヘア。前髪は直線に切り揃えている。眉が鋭角を描く。目は切れ長だ。怜悧な顔立ちだった。

 パタン、と音を立てて文庫本を閉じる。立ち上がり、戸棚にある食塩の小瓶を掴む。蓋を開け、片手に塩の山を盛る。少女は大きく振りかぶると、全力の肩の力で俺に塩をぶつけた。

「消えなさいヤリチン!」

 俺は悲鳴をあげた。

「うわー! この世界では入室した男性に塩をぶつけるのが一般的な挨拶なのか? それにしては攻撃的だ! 不条理なサバイバルものの漫画みたいに、訳もわからず異世界に飛ばされて理不尽な目に遭うなんて嫌だー!」

 少女はかまわず塩をぶつけ続けた。

「助けてくれー!」

 顔をかばう手の隙間から、少女の顔を覗き見た。辛うじて名前を思い出す。

「お前、桐野か?」

「あら。幽霊部員の草鹿くんじゃない」

 少女は塩をぶつける手を止めた。

「まさか、入室してくる男全員に塩を撒いていたのか…?」

 俺は恐怖で震えた。

 少女は桐野霞。霧と霞で覚えやすく、名前を記憶していた。俺とクラスの異なる二年生の文芸部員だった。


「これには深い理由があるのよ」

 と、桐野は言った。

「初対面の人間に塩を撒くのに深い理由があるとは思えない」

「入学して早々に幽霊部員になった草鹿くんにはわからないでしょうね」

 桐野は一方的に話しはじめた。

「もともと、ここは前の晩に見た深夜アニメの感想を語ったり、一緒にオタクショップに寄ったりする仲のいい平和な部だったわ」

「文芸部の活動は…?」

「そう、あの新入生が入部してくるまでは…」

 俺の疑問を桐野は聞いていなかった。

「今年度になり、新入生から男女が一人ずつ入部してくれたわ。ほどなくして、男子の新入生が部長と付き合いはじめたの。けれど同時に、副部長も新入生と付き合いたがっていたのよ。新入生は副部長にも悪い顔をせず、交際できない非を部長に転嫁したわ。部内が泥沼化するまで時間はかからなかった。その三人の他、残った二人の部員も部活動に嫌気が差して、部を去っていったわ。そう、あのサークラ(サークルクラッシャー)のせいで、部は一瞬にして崩壊したのよ。そして、私は誓ったわ」

 桐野は一拍、溜めて言った。

「この部を、男子禁制の女だけの楽園にすると!」

「この上なく浅い理由だった!」

 そのような理由で塩を撒かれたのかと思うと、俺は悲しくなった。

「話題は下ネタと、どうすればモテるかの相談だけ。エロ本の回し読みをしたり、一日に何回、オナニーするかの話で盛りあがったりするわ」

「中学生か!」

「一週間あたり何回、オナニーするかの話題になったとき、明らかに過少申告するヤツとか、ウケねらいで一日三回とか言ったりして、普通にドン引きされるヤツがいたりしたわよね」

「しみじみしないでくれ。どうせ、デパートの下着カタログをオカズにしたり、辞書でエロい単語を引いて興奮したりしていたんだろ」

 桐野は驚愕した。

「どうして女子中学生の生態にそこまで詳しいの? まさか、【ペニス】の項目にマーカーの引かれた、私の辞書を盗み見た!?」

「中学生のときから愛用しているのかよ」

 桐野を相手にして疲労感を覚えてきた。

 顔だけは美少女なのだが、言動が童貞の男子高生そのものだ。自分を見ているようで痛々しい。おまけに非モテを拗らせているようだ。元の世界なら《童貞を拗らせている》と表現すべきところだが、この世界なら《処女を拗らせている》とでも言うのだろうか。処女、という言葉を連想して恥ずかしくなる。

「とにかく、明日から部室にくるよ」

 それだけを宣言して、俺は部室を去った。

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