残酷描写を含む作品

召喚戦争

 私の名はムダイ・クーラン。神聖ローマ帝国の片隅で暮らす、ごく普通の神父……だった。今、私は自分でも信じられない状況に置かれている。


 あの日、いつもと同じように目覚めた私の視界に飛び込んできたのは、“怪物”としか呼びようのない異形の生命体だった。黒光りする堅牢な外殻に身を包み、無数の点が集合してできた巨大な3つの目。4対の細長い手足に、薄い翅……我々が知る生物の中ではアリやハチに近いが、それよりも遥かに巨大でおぞましい見た目の化け物が、私の顔を覗き込んでいた。


『Guten Morgen. “人間”』


 悲鳴を上げて距離をとる私に、怪物はドイツ語で挨拶を放つ。その声は耳ではなく、頭の中に直接届くように思えた。


「……お前は何だ?悪魔か?」


『“アクマ”……?それは何だ?お前の世界の生物か?』


「……いや、いい……」


 こいつには言葉は通じるが、話は通じない──直感的にそう理解した。


「お前は……何者なんだ?」


『私はトーイ。お前をこの世界に呼び出した者だ』


「呼び出した……?」


『我々トーイは、異世界の生物を呼び出して戦争に使う。お前にはこれから我が軍の味方として戦争に参加してもらう』


「戦争だと?ふざけるな、私は神父だぞ。悪魔にそそのかされて人殺しなどするものか」


『おかしいな……お前たち“人間”は好戦的で戦争に向いた生物だという情報を聞いているのだが』


 どうやらこのトーイという悪魔は、戦争に使えるかどうかを種族単位で捉えているらしい。確かに愚かな異教の民は好戦的だが、“人間”というだけで一緒に括られるのは心外だ。


「とにかく、私は戦わない。さっさと元の世界に帰してくれ」


『それはできない』


「なぜだ?」


『我々トーイの戦争の規定で、一度召喚した生物は戦争が終わるまで手放せない。帰りたければ、死なずに戦い続けることだ』


「なんだと……」


 トーイの顔は一切表情が読めないが、冗談で言っているわけではないだろう。つまり、私は……。


『さて、そろそろ1日目の開戦だ。我が軍に勝利を導いてくれたまえ』


 私はトーイに連れられるまま、禍々しい植物の生えた戦場へと向かった。

 ──そこに待ち受けていたのは、とんでもない光景だった。まさに魑魅魍魎。地球(訳注:彼の生きた時代には天動説が信じられていたため、「地球」という表現は彼のイメージするものとは異なるが、ここでは「彼の住む世界」という意味でこう訳す)に存在する獣もちらほらと見受けられるが、ほとんどは見たこともないような化け物。伝説に語られるドラゴンのようなものもいる。これらすべて、異世界から呼び集められたというのか。


『1日目、戦闘開始!』


 それは先程のトーイからの言葉だったが、その場にいた生物たちが一斉に動き始めた。おそらく、それぞれの言語で同じことが言われたのだろう。言語なんて到底通じそうにないようなものまでが奮起し、突撃を始める。


「うおっ!」


 背後から人間の何倍もの大きさの猫のような獣が飛び出し、その風圧で私は吹き飛ばされた。獣は前方を飛んでいたドラゴンに飛び掛かり、その翼を食いちぎる。地面に叩きつけられたドラゴンは死んだかと思われたが、長い首がゆらりと起き上がり、獣の喉元に噛みついた。もがき苦しむ獣に対して、ドラゴンは食い付いたまま炎を吐き出し、やがて獣は動かなくなった。……むごい。思わず目を覆いたくなるような凄まじい殺戮の光景だ。


「うわーっ!」


 怒涛の戦闘音の中、確かに人間の悲鳴が聞こえた。声のした方に目をやると、私と同じく地球から来たのであろう人間の男がいた。男はやはり武器らしいものは何も持たず、激しく争う怪物たちの中で右往左往している。


「大丈夫か!」


 私はその男に向かって駆け寄った。が……。


「あっ──!」


 男の体がふわりと宙に浮き、放物線を描いてこちらに飛ばされてきた。その背中はざっくりと切り裂かれていて、どくどくと血が流れ出している。


「あっ……ああっ……」


「おい、しっかりするんだ!」


 私は男を担ぎ上げ、戦いに巻き込まれない場所まで運び出したが、私が地面に下ろした時、彼は既に息絶えていた。せめて埋葬だけでもしてやりたいが、棺はおろか穴を掘る道具すらない今、そんなことはできなかった。


 ──長い長い戦いが終わった。どうやらここは地球とは時間の流れ方が違うようだ。


『人間、戻れ』


「待ってくれ、せめて彼の葬儀だけでも……」


『それは死体だ。捨てていけ』


「……」


 私は男の遺体に指を組ませ、十字を切ってからその場を立ち去った。神はこの地獄のような世界に置かれた人間の魂も救ってくださるはず……そう信じるよりほかになかった。


『明日も戦いがある。今日はここで休め』


 トーイは壁にあいた巨大な穴を示して言った。どうやら異世界から呼び出された生物はこの穴で休まされるらしい。人間の私からすれば、あまりにも広い。


『では、また明日』


 ……私は、眠れなかった。この悪夢のような世界に放り出されて何日も経つような気がするし、肉体的にも精神的にも激しく疲弊していたのだが、あの凄惨な光景が脳裏に焼き付いて離れない。今日は運よく生き延びることができたが、明日は彼のように無残に殺されるかもしれない。……ならばせめて、帰ろうと試みるくらいはしてみよう。

 トーイは私と接する時、常に六角形の板状の物体を持ち歩いていた。おそらく、あれが私との会話を可能にしている道具だ。もし、あれが我々をコントロールする道具であるなら、元の世界に戻す機能もあるのではないだろうか。──そう考えた私は“寝室”を抜け出し、トーイが帰っていった先へと向かった。


 ──奴が眠る場所は、これまた想像を絶する空間であった。私に与えられたものと同じような穴が壁一面にびっしりとあいており、その一つ一つにトーイが入って眠っている。まるで巨大な蜂の巣だ。これではどこに私に命令しているトーイがいるのかもわからないし、あの板がどこに置かれているのかもわからない。私は捜索を諦め、おとなしく自分の穴で休むことにした。


「トーイ、もし私が死んだら、お前はどうするのだ?」


 翌朝、私はトーイに尋ねてみた。


『次の生物を呼び出す。既にお前の後に呼び出すものも決めてある』


「……呼び出す生物というのは、どうやって決めている?」


『我々は長い歴史の中で、異世界に干渉する技術を手に入れた。その技術を用いてほかの世界に棲む好戦的な生物を探り、その種族を呼び出す術式を記録してある。そして、戦争が始まる前に求める生物の術式を写し、各々で召喚して使役するのだ』


「なるほど、お前が私を選んで呼び出した、ということか」


『厳密には“人間を”だが、そういうことだ』


「その召喚術とやら、少し私に見せてもらえないだろうか」


『見てどうするのだ』


「異世界に干渉する技術などという高度な文明、私の世界にはないものでね……高位の存在であるトーイ様の技術を拝見したいのだ」


『……よかろう』


 トーイはそう言って、例の板を新たに別に3枚取り出した。それを1枚取って前脚を置き、板に描かれた模様をなぞるように動かす。すると、地面の上に魔法陣のような模様が現れ、その中心から6本指の手のような形をした灰色の生物が現れた。


『これはズィクス。ノワウと呼ばれる世界に棲む生物だ』


「な、なんと恐ろしい……!もういい、戻してくれ!」


『ふむ……まあ、まだ戦闘に参加する予定がないのだからよかろう』


 そう言ってトーイは再び板に触れ、先程とは反対向きでなぞった。また魔法陣が現れ、ズィクスと呼ばれた生物が消える。……なるほど、戻す時の手順はわかった。


 そして“戦場”へ向かう道中、私はトーイが持つ板を奪い取った。4枚まとめて持っていたため全部取るしかなかったが、この中のどれかが私を呼び出したもののはずだ。

 トーイは翅を広げ、飛行しながら私を追ってくる。板を奪われたトーイはドイツ語を話せず、キィキィと甲高い声で叫んだ。私は走りながら1枚目の板の模様を戻す方向になぞるが、反応がない。どうやらこれは先程のズィクスのもののようだ。慌ててその板を投げ捨て、2枚目を見てみた。……先程とは模様の形が違う。私がそれを指でなぞると、今度は私の足元に魔法陣が出現した。同時に、私の体がすうっと薄くなり、感覚が抜けてゆく。──ああ、これで帰れる……。


 ──私が意識を取り戻したのは、教会の隣にある自宅のベッドであった。今までの出来事は夢だったのかと思いかけたが、私の手には3枚の板が握られている……ついさっき見たものは、私が現実に体験した出来事だったのだ。


「は、はは……やった……私は無事に帰ってきたのだ……!」


 おまけに、奴らが使用していた召喚術の道具も手に入れた。これを使えば、異世界の生物を呼び出して使役できる。愚かな異教の民との戦いで大いに役に立つはずだ。私はこの召喚術を研究し、この神聖ローマ帝国の進歩と発展に尽くそうと決め、かの地で見た出来事について書き記した。


 ──この板について調べたところ、これはただ召喚するだけでなく、召喚する生物の情報を閲覧することもできるらしい。人間の姿が板に映し出され、トーイの言語で何やら表示されている。いずれはこの文字も解読し、この技術を完全に我々のものにすることもできるはずだ。


 私は持ち帰った3枚のうちの2枚目に手をつけた。先程の板と同じように操作すると、今度は見慣れた動物の姿が映し出される。これは……キツネだ。まさか、奴はあの戦場でキツネが役に立つと思っていたのだろうか。……いや、待て。前に本で読んだことがある。ここから遠く離れたアジアには、不思議な力を持つキツネの伝承があるらしい。もしかすると、このキツネもただの獣ではなく、そういった力を持つものなのかもしれない。


 私は外に出て、キツネの板の模様をなぞってみた。目の前に魔法陣が現れ、その中心からキツネが姿を現す。……やはり、どう見てもただのキツネだ。


「……おい、キツネ。聞こえるか」


 私は板を手にしたまま、キツネに呼びかけた。トーイがやっていた通りならば、私の言葉はキツネの言語に翻訳され、奴に聞こえているはずだ。……が、キツネはチラリとこちらを見た後、そそくさと走り去ってしまった。何かが間違っていたのだろうか。


 仕方がないので、私はもう1枚の板を手に取る。そこに映し出されたのは……あろうことが、ドラゴンであった。なんということだ。召喚術を研究して戦争に役立ちそうな生物を見つけてやろうと思っていたのに、既に手元に強力なものがあるではないか。あの戦場で見たものとは少し異なるようだが、この姿は紛れもなくドラゴンだ。


 私は模様をなぞり、ドラゴンを呼び出してみた。……が、魔法陣から現れたのは「ドラゴン」と呼ぶにはあまりにも小さく、貧相な生物であった。確かにドラゴンのような見た目をしているのだが、その体長は尾を含めても私より小さい。動きものろく弱々しい。これではまるで……。


「子供、か」


 そう、私が召喚したのはドラゴンの幼体であった。確かにこの召喚式はドラゴンを呼び出すものなのだろう。だが、戦闘経験のない私が人間の代表として呼び出されたように、必ずしも戦闘向きの個体が呼び出されるというわけではないようだ。……まあいい、それなら成体が呼び出されるまで続けるだけだ。私は再び手を置き、召喚を行った。


 ──


「ダメだ、全然出てこない」


 何度試しても、戦力として役立ちそうなドラゴンが現れない。召喚されるのは幼体か、老いて衰弱した個体ばかり。ようやく健康体の若いドラゴンが出てきたかと思えば、爪や牙、翼などが切られており、炎も噴けないよう処理されていた。どうやら異世界ではドラゴンは絶対的な強者として君臨する存在ではなく、何者かの支配下に置かれている生き物らしい。だが、それはその世界の話であって、この世界では関係のないことだ。


「もう一度……次こそは……!」


 その時、私の背中に氷が触れるようなヒヤリとした痛みが走った。とっさに振り向こうとするが、体が動かない。私はそのまま後ろに倒れ、痛みの正体を理解した。先程召喚して放置していた老ドラゴンが、私の背中を引き裂いていたのだ。


 ──ああ、老いてはいてもドラゴンはドラゴン。召喚したまま下手に放置するべきではなかった。

 遠ざかる意識の中で、私は後悔する以外に何もできなかった。


◆◆◆


 俺は七篠ななしの 権兵衛ごんべえ。世界を股にかけて活動する大泥棒で、もちろん本名ではない。俺は各国の国家機密などを盗み出し、それをよそに売りつけることで稼いでいる。だが、今回盗み出したものは、個人的に非常に興味があった。

 15世紀のとある神父が書き残した手記……その内容は、にわかには信じがたいものだった。この手記によれば、彼は異世界に呼び出され、そこで戦争の道具として使われたらしい。さらに、自分を呼び出した召喚術を持ち帰って研究していたというのだから驚きだ。一緒に保管されていた3枚の板と、「無数の大型爬虫類の死骸の中で死んでいた」という当時の記録がなければ、ただの創作フィクションとして無視するところだった。


 俺はそれらを日本に持ち帰り、名無市ななしにある自宅で調べてみた。召喚用の道具とされる板は未知の物質でできていて、見た目よりもかなり硬い。手記にある通りに模様をなぞってみると、確かにドラゴンの姿が浮かび上がった。まるで六角形のタブレット端末だ。


 俺は郊外にある空き地へ行き、そこで召喚式を試してみることにした。あの神父のように無残に殺されぬよう、護身用の銃も用意した。仮に幼体が出てきたとしても、育てれば成体にできるはずだ。


「……よし」


 ドラゴンの召喚式が刻まれた板を手に取り、その模様をなぞると、目の前に光り輝く魔法陣が現れた。ここからドラゴンが現れて……こない。幼体どころか卵すら出ないまま、魔法陣は消滅してしまった。


「あれ?」


 俺がもう一度召喚を試そうとすると、板に謎の文字が浮かび上がっていることに気づいた。

 その文字が「召喚対象に指定された生物は絶滅した可能性があります」といった旨のエラーメッセージであるということも、俺が召喚術を試したのが原因でこの地に災いが降りかかることも、俺が知るはずはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る