夜の森に佇む者 鬲疲」イ

─1─


 7月のある日、そいつは突然僕のもとに現れた。いつものように人気スマホゲーム『クラッククロニクル』を起動し、開催中のイベントの限定ビーストを手に入れるために10連ガチャを回したところ、見たことのないカードが現れたのだ。最高レアが1枚も含まれていないのでガチャ演出をスキップしたのだが、結果画面には「NEW」の文字が入った見慣れないカードが並んでいた。タップして詳細を表示してみると、名前や属性の枠が空欄になっていて、レアリティの星も表示されていない。攻撃力などのパラメータも全部“―”だ。イラストの部分にはこのゲームに不釣り合いなほど不気味な絵柄で、ワインレッドの服を纏い、真っ暗な森の中に佇む人物が描かれている。長髪で顔が隠れているため、男なのか女なのかもはっきりしない。


「なんだ?これ」


 きっとバグか何かで正常に表示されていないのだと思い、一旦アプリを閉じて開き直してみた。が、所持ビーストリストの一番最後に、変わらずそいつは存在していた。デフォルメされたビーストたちの顔がアイコンになっている中で、リアルな黒髪に覆われた顔のアイコンが異様なオーラを放つ。

 僕はクラクロのWikiを開き、ビースト一覧を確認してみた。名前も属性もレアリティもわからないが、何かしらの情報はあるだろうと思っていたのだ。しかし、その考えは脆くも打ち砕かれた。一覧に書かれていないどころか、掲示板などでも一切話題になっていない。


≪さっきガチャで名前の書かれていない変なビーストを引いたんだが、ほかに出た奴いない?≫


 仮にデータのバグなどであったとしても、同じような状況の奴がいるかもしれない。そう思って掲示板に書き込んでみるが、案の定誰も知らないようだ。


≪図鑑に何か書いてない?≫

≪ちょっとスクショ貼ってみろ≫


 そのレスを読んで、僕はビースト図鑑をチェックしてみた。確かに、図鑑の一番最後に「No.---」と書かれた枠がある。タップして開いてみるが……予想通り、出てきたのはテンプレートにイラストだけ入れたようなまっさらな代物だった。無駄とは思いながらもそのスクショを撮り、掲示板にアップする。


≪未実装データとかじゃね≫

≪何のツール使った?≫

≪コラでしょ≫


 どうやら有意義な情報は得られなさそうだ。なんだか気味が悪いので、一応運営に不具合かもしれないと報告だけして、その日はクラクロを開かないことにした。


 翌日、消えていてくれと願いながらアプリを起動してみるが、やはりそいつはそこにいた。──しかし、僕はその姿に妙な違和感を覚えた。違和感の正体を確かめるべく、昨日撮ったスクショを確認する。


「やっぱり……」


 イラストの人物は昨日よりも少し大きくなって、手前に近づいているように見える。ポーズも少し変わっているし、背景も昨日は暗い森だったのが、夜の街のようなものに変わっている。嫌な予感がして図鑑を開いてみると、説明文のところには文字化けしたテキストが表示されていた。


 突然スマホが振動し、驚いて落としそうになる。ただメールを受信しただけだったのだが、タイミングが悪すぎる。メールはクラクロ運営からで、昨日の問い合わせに対する返信だった。


≪お問い合わせの件になりますが、こちらではご申告の事象が確認できず、再現できない状態となっております。差し支えなければお客様の状況について詳しくお聞かせいただけますでしょうか≫


 “もしかしてこれは何かの企画なのではないだろうか”──漠然とそんな風に考えていたのに、それを否定された気分だ。バグでもなければ、運営による仕込みでもない。じゃあ一体こいつは何なんだ。

 僕は深呼吸をして、こいつの正体を探ることにした。依然として戦闘用のパラメータは表示されておらず、ビーストのデータとしては不完全だ。ならば、こいつはパーティに編成可能なのだろうか。僕は編成画面を開き、こいつを組み込もうと試みた。……入った。4匹のビースト編成枠の一つに、極めて異質な存在感を放つこいつが並んだ。どういうことだ。まさかこのまま出撃できるのではないだろうか。僕はそのチームを使って適当なクエストに出てみることにした。

 一見何の異常もなくクエストが始まったかに思われたが、すぐにBGMが消え、背景が真っ暗になった。敵は普通に出現するので、戦うことはできそうだ。よく見ると、ほかのビーストと同じようにスキルも発動可能になっている。僕はそいつのスキルを発動してみようとタップしたが──ヒィーンというハウリングのようなノイズが入り、アプリが落ちた。状況が状況だけにデータが破損していないかと心配したが、元通りに起動することができた。もちろん、あいつも含めて……。

 “これはタチの悪いバグに違いない”……僕は自分に言い聞かせるようにそう結論付け、明日まで放置することにした。


 次の日アプリを開いた僕は絶句した。BGMに変なノイズが入っていて、ホーム画面のキャラクターも表情がバグっている。背景にも変な色の正方形が蠢いており、明らかに異常だ。

 僕は速やかに手持ちビーストの画面を開き、奴の状態を確認した。当たってほしくない予感が的中し、奴はさらに変化していた。奴のイラストは昨日よりもさらに近づき、布の隙間から白い肌が覗いている。黒髪で覆われた顔も、わずかに目のようなものが見える。それだけでも十分に恐ろしかったのだが、あることに気づいた僕は戦慄した。


「これ……うちの前の道じゃないか……」


 イラストの背景は夜のように暗いが、確かにそれは僕の家の前の道路だった。そういえば、昨日の背景もうちの近所の街並みに似ていた気がする。こいつはバグだとか仕様だとかいう次元の存在じゃない。プレイヤーである僕のことを認識する、明らかに危険なものだ。

 見ると、昨日までは空欄だったビースト名のスペースに「鬲疲」イ」という文字列がある。文字化けしているが、こいつの名前なのだろうか。念のため、図鑑の方も見てみる。すると、昨日までは全文が文字化けしていたところが、部分的に読めるようになっている。


≪遘の蜷は鬲疲」イ。莠コ髢を諞み、莠コ髢を蝟ーらう閠。雋エ譁ケの逕溷多も譏取律には螟アわれるでしょう≫


 ──まるで意味がわからないが、恐ろしいことが書かれているというのは直感的に理解した。僕は背筋が冷たくなり、全身の汗腺が決壊したかのように汗を流し始める。

 “とにかく、こいつをなんとかしなければ”──そう考えた僕は、このビーストを売却しようとした。パーティに編成できたのだから、売却だってできるはずだ、と。だが、そんな甘い考えはすぐに破られた。売却する対象として選択しても金額が表示されず、売却ボタンも押せない。ならばと僕は強化合成画面を開き、適当な低レアビーストに合成してやろうと思ったが、やはりボタンが押せない。不完全なデータである故なのか、手持ちから排除する操作ができないようだ。

 僕は迷った末、クラッククロニクルをアンインストールすることにした。このまま放っておいたら、ゲームデータが失われるよりもひどいことになる気がしたからだ。──ところが、アプリの左上に表示された×ボタンを押して一旦はアイコンが消滅したものの、すぐに元に戻った。もう一度押すが、やはり消えてすぐに復活する。間違いない。売却や合成どころか、アンインストールさえもできないのだ。僕は恐怖に耐えかねて、スマホを机の上に置き、ベッドにうずくまる。心身ともに疲れきっていたのか、やがて意識が遠のいた。


 深夜、僕はスマホの通知音で目が覚めた。既に1時を回っていて、真っ暗な部屋の中、机の上で光っていたスマホの画面がすぅっと暗くなる。僕は電気をつけてベッドから起き上がり、机の前へと向かった。

 “一体、何の通知だろうか”──その答えはわかっているような気がしたが、無関係の通知かもしれないと思ってスマホを手に取る。


≪クラクロ              今

 雋エ譁ケ縺ョ驛ィ螻九↓逹?縺阪∪縺励◆≫


 頼む、夢なら覚めてくれ……そう祈りながらクラクロを起動すると、背景は真っ暗、BGMもSEもない状態のホーム画面が現れる。ほとんどのボタンが崩れており、タップしても反応しない。僕は震える指で、唯一正常に表示されているボタンからビースト図鑑を開いた。


 ──イラストとして表示されているのは、僕の部屋だった。ついさっきまでと同じように真っ暗ではあるが、この家具の配置は間違いなく僕の部屋だ。奴の姿はどこにもなく、ただ暗闇だけが描かれている。ビースト名の項目には「謐暮」溯? 鬲疲」イ」の文字があり、図鑑説明には文字化けしていないテキストが表示されていた。


≪私の名は魔棲。人間を憎み、人間を喰らう者≫


 “魔棲”……それが奴の名らしい。この時の僕は妙に冷静になっていて、図鑑説明の枠にスクロールバーが表示されていることに気づいた。僕は説明文に指を置き、ゆっくりと下にスクロールした。


≪私の名は魔棲。人間を憎み、人間を喰らう者。






 ──そして、貴方を殺害した≫


 不意に背後に気配を感じた僕は、つい振り向いてしまった。次の瞬間、僕は奴がワインレッドの服を纏っている理由を理解した。


─2─


 先月2周年を迎えた人気ソーシャルゲーム『ルインズ・オブ・オーシャン』。プレイヤーは召喚士ギルド「ジェリーズ」の一員として経験を積み、やがて海底遺跡に眠る宝を巡る戦いへと巻き込まれてゆく、というストーリーだ。

 俺も話題になっているからと始めてみたものの、ろくに最高レア召喚獣が引けず、戦力が心許ない。だが、今日から始まるフェスでは最高レアの排出率が10倍になる。俺の目当ては「天空獣リュウグウノツカイ」。サービス開始初期から常に最強ランキング上位に君臨し続ける召喚獣で、これさえいればあとはどうでもいいとさえ言われるほどのバランスブレイカーだ。このリュウグウノツカイを引き合いに出して「クソ運営」と叩かれることもあるが、イラストの魅力もあって、普通のプレイヤーたちは気にも留めない。俺はなんとしても、今回のフェスでこいつを引き当てておきたいのだ。


 リュウグウノツカイがピックアップされる3日目、俺は手持ちのマナクリスタルを注いで10連召喚を回した。1体、また1体と召喚獣が現れる。ついに最高レアの虹色演出が出たが、「冥獣キラーホエール」だった。落胆する俺の前に、9回目で再び虹演出。出てきたのは──リュウグウノツカイ……!


「ぃよしっ!!」


 俺は高々とガッツポーズをし、そのスクショを撮った。そして、続く10回目、最低レアのエフェクトであったためにスキップしようとした手が止まる。見たことのない召喚獣が、レアリティを示す表示もなく現れたのだ。


「なんだこいつ……」


 新規入手はキラーホエール、リュウグウノツカイ、そして名前の表示されない謎の召喚獣の3体だった。最後の奴はよくわからないが、リュウグウノツカイが手に入ったのでどうでもいい。俺はリザルト画面のスクショを撮り、SNSにアップする。

 そして、俺は彼女の育成素材を集めるための周回をすることにした。今日は日曜日なので、光属性のリュウグウノツカイも闇属性のキラーホエールも素材を集められる。ちょうどいい、今日はこのまま周回だけやってしまおう。


 ──周回中に寝落ちしてしまった俺は、翌日頭痛に悩まされながら目を覚ました。記憶がおぼろげではあるが、リュウグウノツカイもキラーホエールもほどほどに育成されている。……そういえば、昨日引いたもう1体の奴は何だったのだろうか。まだ持っていない最低レアなんていないはずだが。

 俺は昨日手に入れた謎の召喚獣をタップして詳細を開いた。赤黒いボロ布に身を包んだ、貞子みたいな風貌の女。RoOの召喚獣はみんな海洋生物をモチーフにしているのだが、こいつは何の生物なのかまるで掴めない。それに、召喚獣はレアリティが高いほど人型に近い姿になる傾向があるのだが、こいつは最低レアにもかかわらずほとんど人間みたいな形だ。……いや、よく見たらレアリティはどこにも書かれていない。昨日のガチャ演出から最低レアだと思い込んでいたけど、実は特殊レアリティとかなのか?そんな召喚獣聞いたことないが……。それに、最低レアなら属性ごとのイメージカラーの背景になっているはずなのに、こいつの背景は闇属性とも違う、薄暗い街のようなものだ。それ以前の問題として、どこにも名前が書かれていない。こいつは何なんだ。


 出発時刻を知らせるアラームが鳴り響く。まずい、こんなことをしている場合じゃなかった。俺は慌ててベッドから起き上がり、朝食のトーストを焼き始めた。


「水死体……じゃないっすかね?」


「水死体?」


「海洋生物じゃなくて、水死体をモデルにしたキャラ、みたいな……」


 会社の休憩時間、俺は後輩にこの謎の召喚獣について話をしてみた。後輩はRoOはやっていないのだが、よく俺の話を聞いてくれる。そんな彼が出した答えが「水死体」だった。確かにそう言われればそう見えるし、名前やレアリティ表示がないことも、下手すると最高レアよりも人に近い姿をしていることも、「水死体」という特殊な召喚獣なら納得できる。とはいえ、このゲームの世界観にはどうにも似合わない。RoOは王道ファンタジーのような世界観であり、死体といえばゾンビか骨、それもデフォルメされた見た目で出てくるものだ。こんな生々しい水死体が出てくるとは考えにくかった。

 召喚獣データを開いてみると、通常は自己紹介などが書かれているフキダシに奇妙な文字列が表示されていた。


≪遘√?蜷阪?鬲疲」イ縲ゆココ髢薙r諞弱∩縲∽ココ髢薙r蝟ー繧峨≧閠??≫


「なんだこりゃ」


「文字化けしてますね……」


「CVも書いてないな……いや、あってもイヤだが」


「これあれじゃないですか?“けつばん”」


「あー……なんかそういうバグ引いちゃった感じか」


 確かに、これだけ変なデータが仕様とは思えない。画像は不気味だが、何かのデータが間違って表示されているとかかもしれない。こういうバグはいじりすぎるとゲームデータが破損する危険もあるから、触らない方がいいだろう。


 そして、水死体のデータを放置することにした翌々日。起床アラームで目を覚ました俺は、奇妙な通知が届いていることに気づいた。


≪ルインズ・オブ・オーシャン    01:13

 雋エ譁ケ縺ョ驛ィ螻九↓逹?縺阪∪縺励◆≫


 ──何だこれは。俺はRoOの通知は切っているはずなのに、なんでこんなものが届いているんだ。というか、この文字化け……やっぱりあの水死体が原因なのだろうか。

 俺はアプリを開き、恐る恐る水死体のページを開いてみた。そこに奴の姿はなく、薄暗い背景の中に、ベッドとカーテンのようなものだけが映り込んでいる。また、一昨日に見た時は名前が表示されていなかったはずなのに、「謐暮」溯? 鬲疲」イ」と書かれている。が、それよりも、フキダシの中に正常な文字が表示されていることの方が目についた。


≪私の名は魔棲。人間を憎み、人間を喰らう者。






 ──そして、貴方を殺害した≫


 そのメッセージを読み終えた直後、不意に異臭を感じた。生ゴミの捨てられたゴミ捨て場みたいな、生臭い臭いだ。嫌な予感がして背後を振り返ると、そこには──奴がいた。


「うわっ!!」


 咄嗟に飛び退り、そいつから距離をとる。心臓が壊れたかのようにバクバクと脈打つ。信じられない。さっきまで何もいなかったはずなのに、俺のベッドの上にはゲーム内で見たあの水死体が立っている。かと思うと、その身体を覆う血濡れの布がはらりと落ち、腹部に開いた巨大な口が露になった。


「うわっ……ああっ、あああああ!!」


 腰が抜けたまま、恐怖で叫ぶ。その声に反応するかのように、奴はこちらに向き直り、素早く飛び掛かってきた。俺がその身体を右腕で振り払おうとしたところ、何かが潰れるような鈍い音が響く。一瞬遅れて、右腕に激痛が走る。それもそのはず、俺の腕は肘から先が失われ、壊れた蛇口のように鮮血を噴き出していた。

 声にならない悲鳴を上げ、俺の腕をバリバリと咀嚼しているそいつを蹴飛ばそうと試みた。が、俺の両脚は奴に掴まれていて振りほどけない。そうして俺の腕を飲み込んだ後、奴は俺の上に覆いかぶさり、髪の隙間から覗く目がニタリと笑った。恐怖で声も出なくなった俺の頭をがっしりと掴んで、腹部の口へと送り込んでいく。その口内が熱いのか冷たいのかさえ、俺には認識できなくなっていた。目の前が真っ暗になった後、ゴリッという音を最後に、俺の意識は途絶えた。


─3─


 最近、息子の様子がおかしい。一昨日までは普通に学校に行っていたのに、昨日の朝、唐突に学校に行きたくないと言い出し、部屋に閉じこもってしまった。何があったのかを尋ねても話してくれず、原因がわからない。母親としては心配ではあるのだが、あまり干渉しすぎるのも良くないような気がする。息子は中学3年生で、今は高校受験に向けて大事な時期だ。いろいろと思い悩むこともあるのかもしれない。しばらく様子を見て、向こうから話してくれるのを待つべきなのではないだろうか、と思う。


 その日の夕方、息子は私のいる1階にふらりと降りてきた。その顔は疲弊しきっていて、生気が抜けている。


「何か話す気になった?」


 息子は無言のまま、私にスマホを差し出した。その画面には、赤っぽい服を着た幽霊みたいな人物が立っている。


「何?これ」


「俺、母さんに隠れてゲームやってたんだけどさ……一昨日こんな奴が出てきたんだよ」


「……」


 受験生である彼に、私はゲーム禁止令を出していた。本来であれば、これは怒るべき状況なのだろう。でも、今はそれ以上に彼の話を聞いてあげるべきだと感じた。


「それで?」


「こいつ……動くんだ」


「動く?」


 息子はスマホを取って操作し、再び私の前に差し出した。


「一昨日の時点ではこうだったんだ」


 画面にはさっきと同じ人物がいるが、さっき見たものよりも小さい。


「それが、昨日の朝見たらこうなってた」


 今度は少しだけこちらに近づいている画像を見せた。私はスマホゲーには詳しくないのだが、確かに不思議だ。


「昨日、フレーバーテキストに文字化けした文章があったから、文字化けを直すサイトに入れて戻してみたんだ。そしたら……」


 息子はメモ帳アプリを開いて差し出した。


≪私??名??魔棲。人間を憎み、人間を喰らう???≫


 部分的に読めない箇所があるが、意味はわかる。


「それで、今日見たら少し変わっていて、一部はひらがなになっていたんだ。で、文字化けしている部分だけ変換してみた」


 メモ帳をスクロールさせて、別の文字列を見せる。


≪?の?は魔棲。人?を?み、人?を喰らう?。貴方の生命も明日には失われるでしょう≫


「俺……死ぬのかな……」


 息子が泣きそうな顔になりながら私にすがりつく。


「……これ、何ていうゲーム?」


「……神装戦記ウエポニア」


「わかった、お母さんちょっと調べてみる」


 私はさっそくパソコンを立ち上げて、このゲームについて検索してみた。正式タイトルは『神装戦記ウエポニア 超時空の守護天使』で、人気ゲームのスマホゲー版らしい。プレイヤーは神を宿した武器「神器」を集めて、宿った神々と共に戦う。つまり、本来であれば武器が本体なのだが、息子が言うには武器のグラフィックがなく、この幽霊みたいな“神”だけがいる状態とのことだ。この神については一切知らないもので、攻略サイトなどにも何も書かれていないという。私は運営会社の電話番号を調べ、そこに確認を取ってみた。何度も担当者が交代した末、得られた答えは「そんなものはない」だけだった。


 夕飯を食べ終えた後、私は彼に「リビングにスマホを置いて寝る」という提案をした。きっとこんなものが近くにあったら怖くて眠れないだろうと考えたのだ。彼はそれに従い、少し元気になった様子で就寝した。


 ──翌朝、彼を起こすために部屋に向かった私の目に飛び込んできたのは、部屋中が血に染まった惨状だった。シーツはぐしゃぐしゃになっていて、布団は床に落ちている。本棚も倒れていて、何者かと争った跡のように見えた。息子の姿はどこにもなく、血だまりの中にはリビングにあったはずのスマホが落ちていた。


 警察によると、このところ似たような事件が日本各地で報告されているそうだ。現場はいつも血塗れで、なぜかスマホが落ちている。そのことごとくが、最後に何らかのゲームをプレイしていた状態だというのだ。……この辺りのことは、事件から2週間が経過し、私が正気を取り戻した後に聞いた話だ。


「そういえば……あの日、ゲームで変なキャラが出てきたって話をしていました」


「変なキャラ、ですか?」


「私も見せてもらったのですが、髪が長くて、暗い赤色の服を着た、幽霊みたいなキャラで……」


「それ、今も見られますか?」


「多分……」


 私は警察から息子のスマホを受け取り、例のゲームを起動した。そして「神器」の項目からあのキャラを見ようとしたのだが……そこにあの幽霊はいなかった。


「あれ?確かここに……」


「ありませんね……」


「……そうだ、確か画面の写真があったはずです」


 そう言って私はあの日見せてもらった画像を開こうと試みた。


≪データが破損しています≫


 あの日に見せてもらったはずの画像は、表示できなくなっていた。


「そういえば、ほかの現場でもこういうのありませんでしたっけ?」


「うん、破損した画像データは別のスマホにも入ってたな」


 警察の人たちの話からすると、どうやら息子以外の人も同じような状況らしい。


「その話、詳しく聞かせていただけますか?」


 私は、あの日彼から聞いたすべてのことを覚えている限り伝えた。息子と同じような目に遭う人が、二度と現れないように。


─4─


 信じられないようなことだが、これは人間の犯行ではない。7月からおおよそ3日おきに発生する、謎の失踪事件。捜査上の扱いは「行方不明」となっているが、現場に残された血液の量から考えて「死亡」で間違いないだろう。被害者は皆、何者かに殺害され、その遺体を持ち去られている。現場は密室である場合も多く、スマホにまつわる奇妙な共通点を踏まえても、これが常識で考えていい事件でないのは明らかだ。「連続流血失踪事件」と名付けられたこの事件の捜査にあたる私は、大きな声では言わないながらも、そういう確信を持っていた。おそらく、ほかの刑事たちも漠然とそう考えているはずだ。


 これまでに集まった情報から私が立てた仮説は以下の通り。

・被害者は、プレイ中のスマホゲームにおいて正体不明のキャラクターを入手する。

・そのキャラクターは日ごとに変化し、情報が増えてゆく。

・キャラクターを入手して4日目の未明~朝、被害者が殺害される。

・殺害後はスマホ内からそのキャラクターに関する痕跡が消失し、別の場所に移動する。


 スマホゲームのタイトルはバラバラなのだが、キャラクターに関する目撃証言は一致している。黒く長い髪で顔が覆われ、血に塗れたような色の布を纏った人物。「魔棲」という名前だったという情報もある。私は、この「魔棲」こそが被害者たちを襲ったのではないかと考えている。極めて非現実的だが、そもそも事件自体が非現実的なのだから仕方がない。


 どうやら上の方にも同じ考えを持つ人物がいるらしく、「スマホゲームにこのようなキャラクターが現れたら警察に通報すること」というお達しが出た。魔棲は指名手配されたのだ。もちろん、その理由については「凶悪殺人犯が犯行予告としてゲームのデータを乗っ取って送り込んでいる」という、「幽霊が犯人です」に負けず劣らず滑稽なものが伝えられているのだが。


 そして、そのお達しが出てから数日後、一つの通報が入った。私たちは現場へ向かい、話を聞くことにした。

 通報者は高校1年生の花凛かりんちゃんという女の子だった。プレイしているスマホゲーム『メランコリック・レイン』に出てくる「ドール」と呼ばれるキャラクターに、変なものが混じっていたそうなのだ。その画像は、話に聞いている「魔棲」の姿そのものだった。元々陰鬱な雰囲気のゲームらしいのだが、それでも魔棲の存在は違和感を放つ。今日現れたばかりだそうで、魔棲のイラストは小さく、背後には闇に包まれた森が描かれている。ドール図鑑には何も書かれていないが、これまでの情報からすると明日以降文章が現れるはずだ。


「それで、どうします?」


 一緒に来た刑事が言った。


「今日からしばらく、私がここに泊まります。それで、2日後の夜から警備体制を強めましょう」


「えっ、泊まるの?」


「私たち警察が接触した以上、向こうも犯行を早めるかもしれません。常に警戒しておくのが良いでしょう」


「いや、うん、そうだけど……」


「泊まりで彼女を見張るのであれば、女性の私が適任のはずです」


「うーん……ちょっと警部に確認してくる」


 ──この「魔棲」の読みについて、捜査本部内では意見が分かれている。「ますみ」派と「ませい」派だ。普通に考えて「ますみ」の方が呼びやすいのだが、「ませい」に固執する人たちがいる。その理由の一つとして、私の存在が挙げられるだろう。私の名前は宮永みやなが 真澄ますみ……おそらく彼らは、この事件の捜査にあたる私と同じ名前で呼ぶことを遠慮して「ませい」と呼んでいるのだ。だが、私は「ますみ」と呼んでいるし、それが正しいと信じている。これといった根拠があるわけではなく、ただの直感だ。


 警部との相談の結果、私の提案は通された。私は今日から4日間この家に泊まり、彼女が魔棲に襲われるのを防ぐ。可能であるなら、ここで魔棲を食い止めたい。


 ──魔棲の変化は、これまでの情報通りだった。2日目には絵柄が変化し、背景も森から街に変わっている。ドール図鑑には文字化けしたメッセージが表示され、変換の結果も聞いていた通りだ。花凛ちゃんは怯えていたが、私は心配しなくてもいいと伝えた。


 3日目、魔棲はさらに近づき、背景はこの家の前の風景になった。わかっていたし、疑っていたつもりはないのだが、やはりこうして目の当たりにすると緊張する。名前の部分にも「鬲疲」イ」の文字が現れた。変換の結果、これは「魔棲」が文字化けしたものだと判明した。“彼女”は、すぐそこまで来ているのだ。


 この日、私たちのもとに新たな情報が舞い込んだ。とあるスマホゲームの開発会社が、過去にボツになった企画に魔棲がいたと言うのだ。名前もそのまま「魔棲」で、デザインは私たちが見たものと同じ。ここに何らかの繋がりがあることは明白だった。

 それを聞いた私の中に、一つの考えが浮かんだ。魔棲は、自分の登場するゲームの企画をボツにされた恨み、あるいは悲しみから、人々を襲っているのではないか、と。この話をした刑事は無関係だと言いたげだったが、私にはそうは思えなかった。


 夜、予定通り応援の警察官たちが駆けつけた。予想では、今夜から明日の朝のどこかのタイミングで、“彼女”はここに現れる。家全体を包囲し、人間が入ってこれないよう警備体制が敷かれた。だが、それだけでは足りないと考えた私は、部屋の外にも数名待機してもらった。何かあったら、すぐに突入できる状態だ。


 ──深夜1時過ぎ。ピリピリとした緊張感が漂う中、花凛ちゃんのスマホに一つの通知が入った。


≪メランコリック・レイン       今

 雋エ譁ケ縺ョ驛ィ螻九↓逹?縺阪∪縺励◆≫


 “彼女が呼んでいる”──そう考えた私は、花凛ちゃんを起こさぬようにアプリを開いた。ひどく崩壊した画面の中、ドール図鑑だけが開ける状態になっている。そして、魔棲のページにはこのように書かれていた。


≪私の名は魔棲。人間を憎み、人間を喰らう者。






 ──そして、貴方を殺害した≫


 後ろに誰かが立った気配がした。だが、ドアは開かなかったはずだ。“振り向いてはいけない”──私の本能が、そう訴えかける。


「あなた、魔棲……だよね?」


 返事はないが、確かに存在感がある。


「私も真澄って名前なんだ。あなたと同じ」


 震える声を抑えながら、私は魔棲とのコンタクトを試みる。襲ってくる様子がないところからすると、トリガーは「振り向いた時」だろうか。


「聞いたよ。あなたのゲーム、ボツにされちゃったんだって?」


 依然として応えはない。魔棲が私の言葉を聞いているのか、それを理解しているのか、一切わからない。それでも、言わなければならないと思った。


「それで人間を恨んで、ゲームの世界を渡り歩きながら人々を襲っている……違うかな?」


 ほんの少し、動きがあったような気がした。……いや、気のせいかもしれない。


「もしゲームのキャラとして生まれていれば、誰かに愛してもらえたはず……あなたは本当は愛されたかっただけなんだよね?」


 部屋の外にいる人たちには聞こえているだろうか。もし聞こえていたら、私はとんでもない変人だ。


「ねえ、私……あなたのことが好きかもしれない。みんなは不気味だとか怖いとか言うけど、正直そこまでじゃないと思うんだよね」


 返事はない。


「だから、私はあなたを抱き締めたい。あなたが生まれていた場合のプレイヤーたちを代表して、あなたを愛してあげたい」


 返事はない。


「私は今から、あなたの方を振り返る。もしあなたが知ったこっちゃないと思うなら、私のことは殺してもいい。でも、私で最後にして。花凛ちゃんに手を出すのもダメ」


 返事はない。


「もしあなたが私に愛されたいと思ってくれるなら、何も言わず、私に抱き締められて」


 返事はない。


「じゃあ……振り向くよ?」


 私は深呼吸をして、ゆっくりと彼女のいる方を見た。


────────────────────


夜の森に佇む者 鬲疲」イ         今

雋エ譁ケ縺ョ驛ィ螻九↓逹?縺阪∪縺励◆

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