性描写を含む作品

コノケ

 電車を乗り継いで6時間弱……軋むシートに痛めつけられた尻をさすりながら、俺はこの地に降り立った。見渡す限り、山と田んぼとまばらな民家。まさに「日本の田舎」といった風景だ。

 なぜ俺が縁もゆかりもないこんな田舎を訪れたのか。それは、この地域に伝わるある伝承に興味を持ったからだ。


 「コノケ」――漢字では「木の怪」と書くそれは、一般的な「木霊」と「神隠し」が混ざったような代物である。ざっくりまとめると、「この森に踏み入った男は、コノケと呼ばれる樹木の怪物の餌食となる」といったところか。民間伝承としてはごくごく一般的なものだし、この手の話は子供が森に入るのを防ぐための作り話であったり、複数の人間が行方不明になったのを説明するために考え出された怪物だったりするのがお決まりだ。

 この話の特別な点は、「科学が発達したこの平成の世においてもなお行方不明者が出続けている」というところにある。直近の記録では5年前と2年前、そして半年前。いずれも行方不明になったのは若い男性であり、うち1名は地元の猟師――つまり、よほどのことがない限り森で消息を絶つなんてことはないはずの人物だ。遺体すらも発見されていないことから、怪物の類でないにしても“何か”があるはず……そう考えて、俺はコノケの正体を確かめるべくここに来たのである。


 地元民から話を聞いてみると、さらに面白いことが見えてきた。普通、こういった民間伝承は年配の層が語り継ぐものであり、若い人間は信じていないことが多い。だが、俺が話を聞いた若者は全員――といっても4人だけだが――口を揃えて「あの森に入るのは絶対にやめておけ」と言ったのである。これは「本当に何かが存在する」か、そうでなければ「伝承による洗脳が完成している」ということだろう。

 無論、そんな忠告で帰るくらいなら最初から来ない。俺は怪物の正体に胸を高鳴らせながら森へと踏み込んだ。


 長らく人間の手が入っていない天然の森は草木が鬱蒼と茂っており、昼間なのに薄暗い。でこぼこした土のせいもあって、かなり歩きづらい状況である。なるほど、これなら子供を遠ざけたくもなるだろう。もし怪物の正体が熊だったりすれば、俺も行方不明者の仲間入りかもしれないな……。


 ――そんなことを考えながら歩いていると、人の姿が目に入った。


「こんにちは」


 木々の隙間からわずかに漏れる光で照らされたその女性は、熊かと思って身構える俺に朗らかな挨拶をしてきた。


「あ、ああ……こんにちは……」


 驚いた。あれほど入るなと言われていた森に、こんなにも普通に人が立っているとは思わなかったからだ。

 地元民であろうか?女性の格好は森に入るにしてはやけに軽装で、荷物らしきものは見当たらない。年齢は20代くらいに見えるが、大人びた雰囲気の10代かもしれない。暗い中でもよく見える白いワンピースに身を包んだその容姿は、何年か前に流行った「森ガール」を思わせる佇まいだ。とはいえ、本当に森にいるとは……。


「ここで何を……?」


 俺は熊と勘違いして加速した鼓動をゆっくりと整えながら、そう尋ねた。


「散歩ですよ。この辺は私のお気に入りの場所なので」


 なるほど、絶対に入ってはならないと言う人がいる一方で、日常的に訪れる人もいるらしい。まあ、そんなものか。


「あなたこそ、何をしにいらっしゃったんですか?」


「あ、えっと……この森に棲むというコノケの正体を確かめようと思って」


「コノケ……」


 表情はよく見えないが、その声はどこか心当たりがあるようだった。


「何かご存じですか?」


「私もよく言われました。『ここにはコノケが出るから入ってはいけない』って」


 ――とここで、俺は「コノケ」がどのような怪物であるかを知らないことに気づいた。町で話を聞いた際にも「踏み入ってはならない」と言われるばかりで、具体的なところは何も聞いていない。


「コノケって、どんな怪物なんでしょう?」


「人間の子供の姿で人々の前に現れて、仲良くなった子供を連れ去ってしまう、と言われていたようですね」


 なるほど、木霊の伝説などでも樹木の精霊が人間の子供の姿で出てくるというものは多い。やはりコノケは木霊から派生した伝承なのだろう。

 ――いや、待てよ?今の彼女の言葉、何か不自然な点が……。


「『言われていた』……?今は違うってことですか?」


 俺の問いに、女性はしばし黙り込んだ。が、すぐに再び口を開く。


「ここだけの話ですけど、私、コノケの正体を知っているんです」


「え、ホントに!?」


「ついてきてください」


 そう言うと、女性は森の奥へ歩き始めた。よく散歩に来るというだけあって、暗い中で劣悪な足場をスタスタと進んでゆく。うっかり置いていかれたらすぐに見失ってしまいそうだ。


 ――歩き続けて10分ほど経った頃、不意に女性が立ち止まった。口元に人差し指を立て、こちらに手招きをする。

 コノケの正体というのは、森に棲む動物か何かなのだろうか?俺はなるべく音を立てないよう、彼女の近くへと歩み寄る。おもむろに彼女が俺に向かって腕を伸ばし、肩を掴んでぐいと引き寄せた。


「おっ!?」


 引っ張られたせいで転びそうになり、思わず声が出る。まずい、今の声で“コノケ”が逃げてしまったのではないか?そう思いながら顔を上げると――俺の口は、彼女の唇に塞がれていた。


「んっ……んー!?」


 あまりに突然の出来事で、脳が混乱する。正直なところ、口を塞いでいるものが彼女の唇であると認識するまでに5秒ほどかかっただろう。一体彼女は何を考えている?


 口の中に、生温く粘り気のある液体が流れ込む。うんざりするような甘さとキンモクセイのような香りを持つその粘液は、唇から歯へ、歯から舌へと絡みつき、水飴に似た感触を伴いながらゆっくりと喉を下りてゆく。これは何だ?明らかに唾液などではない、異質な物体。咄嗟に吐き出そうとするが、俺の頭はがっちりと捕らえられており、彼女を引き離すことができない。


 そんな粘液をコップ一杯分ほど飲み込まされ、ようやく解放された。酸欠からか、頭がクラクラして視界が揺れる。


「あんた……俺に何を飲ませた……?」


 ふらつく足で立ちながら、俺は女を睨みつける。


「ちょっとした薬みたいなもの、ですかね」


 女は何食わぬ顔でそう言った。


 手が震える。足の感覚が遠ざかる。肩の辺りが熱を持ち、心臓がバクバクと音を立てる。脳が溶けたかのように意識が曖昧になり、「もはや正常な判断は不可能である」と直感的に理解した。俺は女に何かを言ってやろうとしたが、何を言おうとしたのか思い出せないし、開いた口からは涎が流れる。


 ぼんやりとした意識の中で、目の前の木に異変が起きているのがわかった。直径80cmはあろうかという太い木の幹。その中央が音もなく左右に割れ、中から淡い赤紫色の部位が覗く。それはおよそ植物の色ではなく、明らかに動物の粘膜の色だ。忘我の境にある俺は、その内部を見た瞬間に抑えきれない性的興奮を覚えた。


“ああ、入りたい。早くあそこに入って気持ちよくなりたい”

 ――俺の言語中枢が正常に機能していれば、そう思っていたであろう。理性というものを根本から奪われた俺の肉体は、何も考えることなくその樹木の中へと歩を進める。

 木の幹の隙間に足を踏み入れると、肉壁はねっとりと俺の足を包み込んだ。腔内を流れる生温かい蜜が俺のズボンの裾を湿らせ、そのままじわじわと下に引きずり込んでゆく。俺は反対の足も差し出し、脈動する樹木に身をゆだねた。蛇に丸呑みされる獲物のごとく、ゆっくりと時間をかけて体内へ送り込まれる。肉のうねりに揉まれながら、俺の身体はこの上ない快楽を覚えていた。


◇◇◇


 ――ここはどこだ?真っ暗で何も見えない。俺は確か、コノケの正体を探るために森に入って……。


「気がついた?」


 俺の顔のすぐ前で、聞き覚えのある声がする。どこで聞いたものかを思い出した時、俺は自分の身に何が起こったかを思い出した。


 両腕、両足は肉壁に囚われていて、力を込めてもびくともしない。感触からすると、俺は生まれたままの姿にされていて、先程の声の主は俺の体にぴったりと密着する形で存在しているようだ。俺の全身全霊が異常を訴える中、生殖器だけが元気に脈打っている。


「どう?これがコノケの正体。面白いでしょ?」


 暗闇の中、息がかかるほどの距離でそんな声が聞こえた。


「面白くなんてあるものか……さっさとここから出せ!」


「ダメだよ。君はもう私に食べられちゃったんだから」


 食べられた……?つまり、彼女がコノケの正体で、これがコノケの捕食行動だというのか?俺はこのまま消化されて死ぬ、ということか?


「違うよ。君にはこれから先も元気でいてもらわなくちゃ困るからね」


 声は、俺が頭の中で思っただけのことに応答した。俺の考えていることがわかるのか?


「今、君の脳は私の神経系の一部になってる。君が何を考えているかは私にわかるし、私が何を考えているかも君にわかるはず」


 それを聞いて、不本意ながらも彼女の思考回路へのアクセスを試みる。すると、忘れていた記憶を思い出すかのように、頭の中に情報が流れ込んできた。


 ――コノケとは、樹木から進化した生物。外側が植物、内側が動物という奇妙な構造を持ち、両者が一体となって機能している。また、体内にはヒト型の独立した器官を有しており、これを利用して体外にいる“獲物”をおびき寄せる。“獲物”は動物細胞によって構成された地下茎のような部位に取り込まれ、遺伝子と知識を供給するために飼育される。


「私たちコノケは、『植物』と『動物』両方のメリットを得る代わりに、繁殖の際にヒトの遺伝子が必要になった。同時に、取り込んだヒトが持つ知識も吸収して次代に残すようにした。その知識を活かして、次の獲物を捕らえる……そういうサイクルを確立して繁栄してきたんだよ」


 先祖代々受け継がれたヒト由来のデータベース。そしてそれを用いた繁殖行動……人間は知らないうちに、ほかの生物に利用される立場になっていたってわけか。


「コノケは……あと何体くらい存在するんだ?」


「さあ?たまに森で見かけるけど、数えたことはないかな」


「そのうち分布も広げるつもりか?」


「必要ならそうするだろうね。見ての通り、種子なら自分の意志でどこまでも運べるし」


「そうか……」


 俺はもう、自分の末路についてはどうでもよくなっていた。諦めか、悟りか、あるいは思考回路がコノケに取り込まれてしまったためか……。


「じゃあ、さっそく始めようか」


 そう言って、コノケは俺の陰茎を自らの秘部――を模した部位にあてがい、ゆっくりと呑み込んでいった。人肌の温もり、染み出す愛液、肉棒を締め付け脈打つ粘膜……その感触は、人間のそれと何も変わらない。暗闇の中で俺を抱きすくめる胸からは、どくんどくんと拍動が伝わる。何も知らずに交わっていれば、俺は彼女が人間であると疑わなかっただろう。……だが、これは“彼女”の一部に過ぎない。それを思い知らせるかのように、コノケは周囲の肉壁を器用に操って、俺の身体を上下左右に弄ぶ。まるで全身を掴まれてオナニーの道具にされているかのような感覚に陥り、自分が相手の支配下に置かれていることを実感させられる。もはや俺に「人間」としての価値はなく、ただの「精子袋」へと成り果てたのだ。

 コノケの体内は真っ暗で、顔も体つきも一切見えず、肌の感覚のみが手がかりとなる。俺は顔にかかる吐息を頼りに、彼女の唇に吸い付く。再び、彼女の口からとろけるように甘い蜜が注がれる。やがて頭がピリピリと痺れ始め、いつしか俺は肉壁の動きと無関係に腰を振って積極的にコノケとまぐわっていた。


「コノケ様……」


 快楽に喘ぐ俺の口から、不意にそんな言葉が漏れる。どうやら俺は彼女を自らの主として認め、生涯従属することを受け入れたらしい。彼女はその言葉を聞いて満足げに笑うと、俺の全身を強く握った。


 ――古くより踏み入ってはならないとされる禁断の森の奥の地面の下。ぬめぬめとした粘液に覆われ、むせかえるような体液の香りに包まれた空間で、二つの身体のぶつかり合う音が、吐息が、喘ぎ声が……ヒトとコノケの生命の営みの音だけが響き渡る。

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